ヨハネの黙示録(再構)
ヨハネの黙示録(再構)
目 次
はじめに
<空中携挙>
<預言者エリヤが再来>
<ゴグ連合軍によるイスラエル侵攻―いわゆる、エゼキエル戦争>
<世界統一政府の樹立>
<エルサレム第三神殿の再建>
<反キリストとイスラエルの契約>
<10の王国>
<10人の王ともう一人の王>
<大艱難時代の7年間の前半の三年半>
「終末の微」
その1.七つの封印の裁き・・小羊が順次封印を開く
その2.七つのラッパの裁き・・七人の天使が七つのラッパを順次吹く
<前半三年半で、七つの封印と七つのラッパの裁き以外に起こること>
その3.刻印を押されたイスラエルの子らの世界宣教
その4.二人の証人
<大艱難時代の7年間の中間期に起こること>
その1.悪魔の天での敗北
その2.反キリストの世界征服
その3.反キリストの神格化
その4.偽預言者「二匹の獣」の登場
その5.二人の証人の殺害と復活
その6.反キリストがイスラエルとの平和契約を破棄する。
その7.反キリストによるユダヤ人迫害
その8.獣の刻印
その9.イスラエルの民ボツラへ脱出「復興の預言」
<7年の艱難期の後半の三年半に起こること>
その1.七つの鉢のさばき・・七人の天使が鉢に盛られた神の怒りを地上に注ぐ
その2.不法の者
その3.イスラエルの民族的回心
その4.世界統一宗教の活動・・大淫婦(反キリスト)が裁かれる
<ハルマゲドンの戦い(1)>
<反キリストの首都バビロンの崩壊>
<全イスラエルの悔い改め>
<キリストの再臨>
<人の子は、天使たちをもって、彼によって選んだ人達を四方から集める>
<ハルマゲドンの戦い(2)>
<大艱難時代の終わり、地形の変化>
その1.再臨のキリストがオリーブ山に立ちそこから世界を支配されます。
その2.エルサレムが三つに引き裂かれる。(黙示録16章19節)
その3.諸国の方々の町々が崩壊し、島も山も消え去る。
その4.巨大な雹が人々の上に降る。
<千年王国移行期>
その1.千年王国移行準備
その2.移行期間
<悪魔・悪霊の裁き>
<反キリストと偽預言者「二匹の獣」の裁き>
<生き残ったすべての民族(異邦人)の裁き>
<第一の復活>
<千年王国>
<千年王国の統治形態>
<千年王国はエデンの園の回復>
<預言の成就>
<千年王国の住民>
その1.艱難時代の前に空中携挙された信者(教会時代の信者も含まれます)
その2.艱難時代に殉教した信者
- 艱難時代前半の殉教者
- 艱難時代後半の殉教者
- 栄光体を持った人たち
- 地上の体(肉体)を持った人たち
<サタンの敗北>
<最後の裁き・・キリストの裁きの座>
その1.キリストにある者の裁き
その2.地の四方に住む諸国の民(ゴグとマゴグ)の裁き
その3.サタンと悪霊の裁き
その4.白い玉座の裁き
(1)今の宇宙が消え去る
(2)不信者の復活と裁き
<新しい天と新しい地>
<聖なる都、新しいエルサレム>
補足
目次
ヨハネの黙示録補足(1)1章から7章の補足
ヨハネの黙示録補足(2)8章から11章の補足
ヨハネの黙示録補足(3)12章の補足
ヨハネの黙示録補足(4)13章から16章の補足
ヨハネの黙示録補足(5)17章から21章の補足
ヨハネの黙示録補足(6)
<ハルマゲドンの戦い>
<バビロンの滅亡>
<イスラエルの民族的救い>
<キリストの再臨>
<反キリスト(異邦人)の軍勢が敗北>
<羊と山羊の裁き>
本文
<はじめに>
ヨハネの黙示録を聖書全体の終末預言を参考にしてみてみたいと思います。
黙示録は、この人類社会の終末を預言するのですが、黙示録の解釈は難しく、その解釈と出来事が起こる時期も不確かなところがあり、聖書学者の間でも見方が分かれています。
それで、黙示録の預言を解釈するにつき次のような原則によって進めていきたいと思います。
終末預言は、黙示録以外、聖書全体でも預言されています。
ヨハネの黙示録は、預言の書そのものですが、黙示録はその聖書全体の終末預言の出来事がどのような時系列で起こるかを明確とは言えませんが教えてくれます。
解釈は意味付けのために特定の考えを無理にこじつけないようにして、もちろん、聖書の他の箇所でその意味が解説されているなどからはっきりしている場合を除いて、文脈を大切に文字通り素直に解釈していきたいと思います。
もちろん、多くの解説者の意見を参考にしていますが、それを自分の解釈とともにどのように用いるかは、独断と偏見を免れませんので、聖書から見て明らかな間違いがあれば指摘してくださればありがたいです。
さて、黙示録1章では、この黙示録は、「すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。」としています。
僕ヨハネは、パトモス島に島流しにされその島で啓示を受けます。紀元69年から79年の間とされています。
啓⽰のプロセスは、1節によると、「神からイエス・キリストへ」、「イエ ス・キリストから天使へ」、「天使からヨハネへ」、そして3節では「ヨハネから私たちへ」という流れです。
2節に「ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分の見たすべてのことを証しした。」、すなわち、神の言葉とイエスこそまことのキリストであるという事実を証ししたとあります。
ヨハネは、⼈々が信じようと信じまいと、また、証しすることで⾃分が殉教することになっても、伝えなければならないのです。
なぜならば、それは、私たち人間の現実と行く末の厳しさを、今やるべきことと共に証ししているからです。
なお、3節の「時が迫ているからである。」の時とは、危機的な時、神の救いのご計画における「終わりの時」を意味するのでしょう。
そして、その時の原語は「カイロス」ですから、それは、教会の唯⼀の祝福された望みである「キリストの空中再臨される時であり、教会が携挙される時」を指すのでしょう。
第2章と3章は、7つのキリスト教会の歩みを、各教会の特徴を示しているのでしょう。
ヨハネは七つの教会に同時にこの書「ヨハネの黙示録」を送ったと考えますが、コピー機のない時代ですから、七部書くことは⼤変なことであったろうと思います。他にも教会はたくさんあったでしょうが、その中から七つを選ばれたのです。
「七」という数は完全数ですから、この七つの教会はアジア州にあった教会と同時に、「教会(エクレシア)時代」におけるすべて の教会を代表しているのでしょう。
ヨハネは、1章9節で七つの教会に対する挨拶で、「わたしは、あなたがたの兄弟であり、共にイエスと結ばれて、その苦難、⽀配、忍耐に あずかっているヨハネで ある。わたしは、神の⾔葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた。」という言葉から始めます。
七つの教会に対する挨拶で、挨拶の主体として、「イエス・キリストから」とあり、「証⼈」、「誠実な方」「死者の中から最初に復活した⽅」、「地上の王たちの⽀配者」と、イエス・キリストが四つの称号で語られています。
「証⼈」、「誠実な方」は、御⽗に対する忠実な証⼈という意味でしょう。
すなわち、御⼦イエスのすべての思いと⾏ないは、すべて父なる神のみこころを証しするものなのです。
キリストが、「死者の中から最初に復活した⽅」であるなら、また、キリストは、神の「⻑⼦」である「初穂」ですから、やがてキリストにつながる者も同じように復活し、朽ちることのないからだが与えられるということでしょう。
「地上の王たちの⽀配者」とは、キリストの地上再臨後の御国の実現、すなわち、千年王国におけるキリストの主権を⾔い表しているのでしょうか。
4章には「その後」という言葉で始まっていますので、教会(エクレシア)時代の後ということで、4章5章は「天上の礼拝」の様子が書かれています。
4章7節と8節には「第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りにも内側にも、一面に目があった。彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、/全能者である神、主、/かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」と、この四つの生き物は、我々が持っているイメージとは程遠いのですが、おそらく天使の一種なのでしょう。神を礼拝しています。
サタン(悪魔)は、堕天使ですが、「龍」とか「蛇」で著されていますが、本当にそのような姿をしているのかもしれませんね。
5章では、七つの封印を施された巻物が出てきて来ますが、このあと、小羊(イエスキリスト)がこの七つの封印を順次開くのですが、これは、アダムの罪によって神からサタンに移った人間の支配権がキリストの十字架によって買い戻されたことを示し、その支配権を持ったキリストが以降順次その封印を解いていくのです。そのことによって、清め(裁き)と救いの御業が始まるということでしょう。
<空中携挙>
七年の大艱難時代は、今生きている、あるいは、すでに死んでいる真のクリスチャンの空中携挙から始まります。
それは、ある日ある時前触れもなく突然始まり、その時までに死んだクリスチャンが、復活して新しい栄光の体を与えられ、空中に引き上げられます。
続いて、その時に地上に生きているクリスチャンも栄光の体が与えられ、空中に引き上げられます。
この空中に引き上げられるクリスチャンの資格は明確ではありませんから、教会に通っているとか聖職者とか奉仕しているなどが資格になるとは限らないと思います。
両者は、迎えに来られたイエス・キリストに会い、天に迎え入れられます。この出来事を携挙と呼んでいます。
この出来事により、真のクリスチャンは大艱難時代の災害から守られます。
なお、この時に地上で教会に集う信者であっても携挙されなかった人々も多くいるでしょうから、その人たちは艱難時代に力を持つ反キリストの世界統一宗教団体を構成するのではと考えられています。
黙示録には空中携挙の記事はなく、地上再臨のみです。
キリストの空中携挙の聖書の箇所は、下記の通りです。
Ⅰテサロニケ4章15節、「主の言葉に基づいて次のことを伝えます。
主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについていた人達より先になることは、決してありません。
同16節、すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主ご自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、
同17節、それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。
このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。」です。
これは使徒パウロがテサロニケの教会に宛てた手紙に記された預言です。
預言の順序は次の通りです。
⑴ 主ご自身が天から降って来られます。
⑵ みな眠るわけではなく、眠る人(死んだ人)と眠らない(生きている)人がいる。
⑶ すでにキリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し朽ちない者とされます。(教会時代において死んだすべてのクリスチャンがよみがえります。)。
- わたしたち生きている者が、空中で主と出会うために、変えられ彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。
すなわち、朽ちるべき者(死んだクリスチャン)が、朽ちないものを着る。死ぬべき者(生きているクリスチャン)が、死なないものを着るのです。
- そしていつまでも主と共にいることになります。
他には、ヨハネの福音書14章1から3節とかⅠコリント15章50から54とかⅠコリント15章50から54節です
それでは、空中携挙の目的ですが、それは、キリストを信じるすべてのクリスチャンを将来起こる艱難から救い出すことでしょう(黙示録3章10節参照)。もちろん、教会時代が終わったことの区切りでもあるのでしょう。
なお、空中携挙の目的は、裁きと報いのためともあります。
イエス・キリストが花嫁である教会を迎えに来られるとき、キリスト者各人はその肉体にあってした行為に応じて報いを与えられる事が約束されています。
聖書の箇所は、Ⅱコリント5章10節「わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。
ここで一つ疑問ですが、この文面ではクリスチャンであっても「キリストの裁きの座」において生前の行いの裁きがあると思うのですが、一般的にクリスチャンの罪(行い)は完全に赦されているので裁かれないという方が多いと思うのですが、なぜでしょうか。
わたしはイエスの十字架と復活によって全人類の罪を贖われましたが、その罪は行いでなく「原罪」だとおもうのですが・・・。
さて、真のクリスチャンが引き上げられる「天」ですが、「天」には、第一の天、第二の天、第三の天があります。
第1の天は、地上から見て視界に入る空間、いわゆる私たちが見ている空です。大気圏のことで、携挙されたクリスチャンたちは、まずここでイエス・キリストと会います。
第2の天は、第一の天の外側で、すなわち宇宙空間でしょう。
第3の天は、私たちが住むこの宇宙とは別次元の霊界ですが、神様とか天使が住んでいるところです。いわゆる天国です。
イエスは、十字架上で悔い改めた犯罪者に「今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われていますが、その「楽園」も天国を指すのでしょう。
わたしは最初、この「楽園」(パラダイス)は、天国とは別だと思っていましたが、どうやらそうではなく天国を指すようです。
携挙の後にクリスチャンが迎え入れられるのは、この第三の天です。
<預言者エリヤが再来>
マラキ書3章23節と24節にこのような言葉があります。
実現するのは、「大いなる恐るべき主の日が来る前に」としていますから、大艱難時代の前でしょう。
- 23節.見よ、わたしは/大いなる恐るべき主の日が来る前に/預言者エリヤをあなたたちに遣わす。
再び、「見よ」という言葉が出てきました。注視せよと言うことでしょう。
主は「その日」が来る前に、神の民に対してなすべきことを22節と23節で勧告しています。
22節は、「わが僕モーセの教えを思い起こせ。」です。この「思い起こす」はモーセの教えに忠実に生きることを指します。
23節は、「主の日が来る前に」、預言者エリヤを遣わすと言われています。
しかし、「預言者エリヤ」とはだれのことか説明されていません。
調べてみると、かつて偽預言者と戦ったエリヤのような預言者、すなわち、黙示録11章3節に登場する「ふたりの証人」(彼らは1260日間、つまり三年半預言する)のことかもしれないし、同じく三年半の公生涯において預言的働きをした神の御子イエスのことかもしれないと言うことです。
いずれにしても、「父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせ」者で、つまり、父と子の関係は神と人、神と神の民を示唆していますから、その両者が顔と顔を合わせる役目を果たせる者です。
- 24節.彼は父の心を子に/子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもって/この地を撃つことがないように。
「父の心を子に/子の心を父に」とあるのは、主の教えが父から子へと伝えられるようにと言うことでしょう。
信仰の継承を主ご自身が可能にしてくださるのです。
また、それは「破滅をもって/この地を撃つことがないように。」と主は言われています。
このことは、イエス・キリストの誕生により、成就したと言えます。
即ち、預言された救い主イエス・キリストは、この地を「のろう」代わりに、ご自身が身代わりに十字架にかかり罪を引き受けて、私たちをこの罪の中から救い出してくださいました。
それでも、終わりの日にはすべての人が、主のさばきの座の前に立たされます。
そのとき、すでにイエスの救いを受け入れている者は裁かれないのですが、イエスの救いを受け入れていない者は、それぞれの行いに従って、主のさばきを受けることになりますが、地獄に行くとはどこにも書いていません。
そして、両者とも主から預かった賜物をどれだけ生かしたかという働きが評価されるのです。
ここで注目することは、「彼は父の心を子に/子の心を父に向けさせる。」です。
主の教えが父から子へと伝えられるようにと言うことでしょうが、家族の信仰の継承をエリヤによって主ご自身が可能にしてくださるのです。
大艱難時代が始まる前に、旧約時代に活躍し、死なないで天に挙げられた預言者エリヤが地上に戻ってきて、イスラエルの人々を悔い改めに導く働きをするのです。
よく考えると、クリスチャンの携挙によって、地上では福音を伝道する人がいなくなりますから、携挙以降は地上で救われる人はいなくなります。
しかし、エリヤの福音伝道によって多くのイスラエルの人々が救われるでしょうから、「携挙」以降はその人々と艱難時代の前半に救われるユダヤ人十四万予千人(ヨハネの黙示録14章)の福音伝道とか同11章の二人の証人の証しによって救われたユダヤ人の福音伝道によって異邦人は救われることになるのでしょう。
ただし、預言者エリヤが再臨するのは、大艱難時代の前ですが、クリスチャンの「携挙」の前なのか後なのか、そして、そのエリヤがその後どうなるのかについて、聖書は何も語っていません。
<ゴグ連合軍によるイスラエル侵攻―いわゆる、エゼキエル戦争>
ゴグ連合軍によるイスラエル侵攻は、大艱難時代の前に起こると思います。
聖書箇所は、エゼキエル書38章1から3節です。
内容については後で書きますが、一応大艱難時代の前に起こると書きましたが、いろいろと説があるのは事実です。
参考となる箇所は、ヨハネの黙示録20章7節から10節に「この千年が終わると、サタンはその牢から解放され、地上の四方にいる諸国の民、ゴグとマゴグを惑わそうとして出て行き、彼らを集めて戦わせようとする。・・・」です。
このように黙示録の著者ヨハネは、このゴグとマゴグを、終末時に主によって壊滅させられる悪の軍勢と理解しています。
それが起こる時期が、ヨハネの黙示録20章7節に「この千年が終わると」とありますから、キリストによる千年王国が終わった後ということになります。
しかし、この出来事がエゼキエル書38章1から3節の「エゼキエル戦争」を指すのかどうかは下記の理由により疑問です。
なお、この戦争が起こる時期にはいろいろと説があると書きましたが、調べましたらそれは、大艱難期に入る前、前半、中間期、艱難期の最後/ハルマゲドンの戦い、千年王国への移行期、千年王国の最後などと別れていて確定しようがありません。
わたしには正直なところ分かりませんし、調べる意味もないと思いますが、
ただ、時期を決めるのに二つ参考となる箇所があります。
一つは、エゼキエル書38章16節に「そのことは、終わりの日に起こる。」とあり、また同39章9節には「イスラエルの町々に住む者は出てきて、もろもろの、武器、すなわち、盾と大盾、弓矢、棍棒、槍を火で燃やす。彼らはそれで七年間火を燃やし続ける。」、同12節には「イスラエルの家は、その地をきよめるために七か月の間彼らを埋める。」とありますから、イスラエルには、エゼキエル戦争の戦後処理として7か月の埋葬と7年間の武器を燃やす期間と余裕が必要だということです。
ですから、7年の艱難時代の最中とか後半、終わった後はイスラエルにはそのような余裕はないと思うのです。
そうすると、7年の艱難時代が始まる前ではないかとなり、始まる前なら、クリスチャンの携挙の前か後かとなりますが分かりません。
もう一つは、「ゴグとマゴグ」の出来事が千年王国の後ではないとすると、ヨハネの黙示録20章8節(千年王国が過ぎた後)の「ゴグとマゴグ」という語句とそのように呼ばれる人たちは誰かとなります。
つまり、千年王国の間に生まれた子供は、すべてキリストを受け入れるかどうかは分かりません。キリストを拒否する人々が数多く生まれると思います。
そうすると、その人たちはエルサレムのシオンの丘に座し世界を統治されるキリストから遠く離れて住み、やがてサタンの誘いに乗りキリストの逆らうようになります。
その人たちのことを大艱難時代の始まる前に起こるゴグ連合軍によるイスラエル侵攻になぞらえて、「ゴグとマゴグ」と呼んでいるのではないかと解釈するのが有力だそうです。
どちらにしても、「ゴグとマゴグ」がロシアを中心とする勢力とするならば千年王国の後ということはないと思います。
ということで、それでは「ゴグとマゴグ」について、一応簡単に書いておきます。
マゴクの首長であるゴグ(人名ではなく国の支配者の称号)を中心とした国々の軍隊が、イスラエルを攻めます(エゼキエル38章1節から23節)。通称エゼキエル戦争といわれています。
侵攻に加わる国は、ロシア南部、イラン、エチオピア、リビア(またはソマリア)、ドイツ、アルメニアなどではないかとされています。
この戦いは軍事的に決着するのではなく、神の介入により、イスラエルを包囲するマゴクの首長であるゴグを中心とする軍隊を天変地異や疫病によって神が介入し滅ぼされ終結します。
神は、このようにして、世界の異邦の人々にご自分に立ち返る機会を与えておられるのでしょう。
それで、イスラエルの人々、世界中の人々に神の存在と支配が明確に証しされることになります。
その出来事で、神に立ち返る人々が多数起こされるでしょうが、生まれた信仰も状況が変わると維持するのがむつかしくなり、人類はやがて反キリストに国の安全保障を託すようになります。
そうして人類史上最大の7年の艱難時代が始まるのですが、これは神の裁きと言うより、人類が自分で招いた結果とも言えます。
神は、艱難時代という厳しい時代を経ることによって、人類がご自分に救いを求めるようになることを期待されているのでしょう。
神のなさることに無駄は一つもありませんからね。
最後に、このあと艱難時代の初めに起こる第二の封印(黙示録6章3節)が開かれ、世界中で戦争が起こるのですが、その戦争は、エゼキエル書38章の「ゴクマゴク」戦争と付随する戦乱を表しているという見方があります。
<世界統一政府の樹立>
聖書箇所は、ダニエル書7章7節と23節です。
●7節.この夜の幻で更に続けて見たものは、第四の獣で、ものすごく、恐ろしく、非常に強く、巨大な鉄の歯を持ち、食らい、かみ砕き、残りを足で踏みにじった。他の獣と異なって、これには十本の角があった。
第四の獣である豹の話が続きます。
第四の獣は恐ろしい形相をしていますが、特定の名前がないところを見ると、地上にいるほかの獣ではとても形容することができないようです。
この獣は、黙示録13章1節の海から上がってきた「一匹の獣」に該当するのでしょうか。この場合、「海」は異邦人の諸国を表します。
おそらく、強力な軍事力で、他のすべての国々を打ち砕いたローマ帝国(象徴的には帝国の支配を表しているのでしょう)の出現を預言しているのでしょう。
そして「巨大な鉄の歯を」を持っています。
「鉄」はネブカドネツァル王の見た夢では、シリアのセレウコス朝とエジプトのプトレマイオス朝を、あるいは、ローマを象徴していました。
ネブカドネツァル王の見た夢は「足と足指は一部が陶工の用いる陶土、一部が鉄」でした。ここでは鉄で出来た「歯」、すなわち、牙です。
その征服の状態を「巨大な鉄の歯を持ち、食らい、かみ砕き、残りを足で踏みにじった。」と表現しているのです。
事実ローマは、征服した国々と民の文明を破壊して、民を捕虜とし、殺戮し、また奴隷としたそうです。
ローマ帝国の隆盛は、紀元前241年のシチリヤ占拠から始まり、その支配は、英国の南部、フランス、ベルギー、スイス、そしてドイツにまで広まり、四世紀にわたり拡張は続きます。
そして、衰退は、英国を去ったのは紀元407年、そして最後のローマの支配者が1453年に倒れます。
実にその影響は1800年以上の長期にわたります。
詳しいことは、また、別の機会に学び、まとめてみたいと思います。
しかし、「十本の角」は何を象徴しているのでしょうか。ネブカドネツァル王の見た夢の足の指十本に当たるのでしょうか。
この「十本の角」は、やがて世界は十の帝国が興り、十のブロックになることを表しているのでしょうか。
それは、黙示録の七年の艱難時代の始まりに現れる十のブロックのことで、それからキリストの再臨、終わりの日が来るということです。
- 23節.さて、その人はこう言った。「第四の獣は地上に興る第四の国/これはすべての国に異なり/全地を食らい尽くし、踏みにじり、打ち砕く。
第四の国は、2章に出てくる第四の「鉄のように強い」国で、ローマ帝国だとしても、実際には「帝国主義体制の国」を表すと思います。
ダニエルが見た4匹の獣の幻は、ダニエルの時代以降に中東を支配する帝国(バビロン、ペルシャ、ギリシャ、ローマ)を表していますが、第4の獣は他の3匹とは違い、全土を支配すると記されています。
約2000年前に栄えたローマ帝国は世界の全土を支配していません。
ですから、やがてローマ帝国の伝統を引き継ぐ世界の全土を支配する世界統一政府が興るのでしょう。
ただし、この世界統一政府は、その後10の王国に分裂しますが、そのことは後に書きます。
聖書の箇所は、ダニエル9章27節(定めの70週の預言)ですが、そこには、7年間の大艱難時代の中間期(大艱難時代が始まって3年半が経過した時)に、エルサレムに神殿があり、ユダヤ人がいけにえを捧げて礼拝していることが語られています。
このダニエル9章27節で建てられる神殿は、終末時代に再建される神殿で、第三神殿ということでしょうか。
先に建てられた2つの神殿を調べてみますと、
第一神殿は、紀元前949年、ソロモン王によって建てられました。これは、紀元前586年、バビロンの攻撃によって破壊されます。
第二神殿は、バビロン捕囚からの帰還の後、紀元前515年にゼルバベルが再建しました。さらに紀元前20年、ヘロデ大王により改築されましたが、紀元70年にエルサレムがローマ帝国の攻撃(ユダヤ戦争)によって滅びた際に破壊されます。
ということで、第三神殿が完成するのは、大艱難時代の前か、大艱難時代に入ってからなのかは分かりませんが、遅くとも大艱難時代の中間期までにはできあがっているはずです。
<反キリストとイスラエルの契約>
聖書箇所は、ダニエル書9章27節(定めの70週の預言)です。
携挙の前か後かは書かれていませんが、艱難時代には、エルサレムの第三神殿での生贄と捧げものを廃止し、自分を神として拝するように強制する反キリストの集合体が登場します。
反キリストとは、世の終わりに現れる偽の救い主で、ダニエル書や黙示録では「獣」と呼ばれています。
反キリストは、世界的に政治的・軍事的に力を持つようになり、やがてイスラエルと軍事的安全を保証する7年間の契約を結びます。
ここから7年間の大艱難時代が始まります。
この契約は、ダニエル書9章27節に「彼は一週(7年)の間、多くの者と同盟を固め半週(三年半)で生贄と捧げものを廃止する。」とあるように、その和平契約は反キリストが三年半で一方的に破棄します。
<10の王国>
10の王国は、先に世界統一政府が興され(ダニエル書7章7節と23節)、一旦世界はその統一政府によって混乱は収まりますが、やがてイスラエル以外の異邦人の世界は7年の大艱難時代が始まるまでに10の王国に分割統治されるようになります。
そして、その10の国の10人の王は、世界征服を目指す反キリストと争うようになります。
聖書箇所は、ダニエル書7章19節から24節(四頭の獣の幻の箇所)です。
- 19節.更にわたしは、第四の獣について知りたいと思った。これは他の獣と異なって、非常に恐ろしく、鉄の歯と青銅のつめをもち、食らい、かみ砕き、残りを足で踏みにじったものである。
- 20節.その頭には十本の角があり、更に一本の角が生え出たので、十本の角のうち三本が抜け落ちた。その角には目があり、また、口もあって尊大なことを語った。これは、他の角よりも大きく見えた。
7節の第四の獣のことで、ダニエルは興味を持ちました。
他の獣と違っているところは二か所で、一つは「鉄の歯と青銅のつめを」もっていること、もう一つは、「頭には十本の角があり、更に一本の角が生え出たので、十本の角のうち三本が抜け落ちた」ということです。
後から生えた小さな角が三本の角を倒し、他の角よりも大きくなっていることでしょう。
この小さな角で表す歴史上の人物は、解説ではアンテイオコス四世になっています。
- 21節.見ていると、この角は聖者らと闘って勝ったが、
- 22節.やがて、「日の老いたる者」が進み出て裁きを行い、いと高き者の聖者らが勝ち、時が来て王権を受けたのである。
聖者らは小さな角に負けるのですが、やがて、小さな角は「日の老いたる者」によって裁かれて滅び、聖者らがそれらの国を受け継ぎ支配するのです。
「聖者ら」と言うのは、イスラエルの義人を指すのでしょう。
18節にも書きましたが、神の民イスラエルは千年王国において世界の支配国となることが預言されているということでしょう。
- 23節.さて、その人はこう言った。「第四の獣は地上に興る第四の国/これはすべての国に異なり/全地を食らい尽くし、踏みにじり、打ち砕く。
第四の国は、2章に出てくる第四の「鉄のように強い」国で、ローマ帝国だとしても、実際には「帝国主義体制の国」を表すと思います。
- 24節.十の角はこの国に立つ十人の王/そのあとにもう一人の王が立つ。彼は十人の王と異なり、三人の王を倒す。
ここ23節から24節は、黙示録13章に当たるのでしょう。
そこには詳しく書かれています。
先に書いた、世界統一政府の樹立で、一旦世界は統一政府によって混乱は収まりますが、やがて分裂し、7年の大艱難時代が始まるまでに、イスラエル以外の異邦人の世界は10の王国に分割統治されるようになります。
そして、その10の国の10人の王は、世界征服を目指す反キリストと争うようになります。
10人の王が連合して反キリストに戦いを挑み、反キリストは殺されてしまいます。ところが、反キリストは悪魔の力によってすぐに復活します。聖書の箇所は、ヨハネの黙示録13章2~4節「獣の復活」(下記)です。
- 2節.わたしが見たこの獣は、豹に似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と王座と大きな権威とを与えた。
「竜(悪魔を象徴)がこの獣(艱難時代の世界の支配者、帝国主義で反キリストを象徴)に、自分の力と王座と大きな権威を与えた」のです。
この「獣」(悪魔に支配された権力者)の姿は、過去の大帝国の性格を備えていて、「豹」はギリシャ、「熊」は、ペルシャ、「獅子」はバビロンではないかとされています。
悪魔に支配された悪の大帝国があり、多くの帝国がその大帝国に従う、反キリストの集団でしょう。
悪魔は、この帝国である「獣」に「自分の力と王座と大きな権威とを与えた。」のです。
この帝国の支配構造は、反キリストであり、ローマ帝国と同じように政治的支配者が、その権威を、自己を絶対化して、自分を神と拝するように求める服従関係で、その権力は悪魔の権威に変質するのです。
ここはそのことを言っているのでしょう。
- 3節.この獣の頭の一つが傷つけられて、死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった。そこで、全地は驚いてこの獣に服従した。
御子イエスが、一度死に復活したように、反キリストが」死んだと思われたが」、「この致命的な傷も治ってしまった。」とあります。
ですから、反キリストも艱難時代の中期に、世界の十の王国の王たちとの戦争で一度死に、「底知れぬ所」に落とされますが、悪魔の力によって復活するのです。
それが理由で、「全地は驚いてこの獣に服従した」ですから、全地にいる人々は、帝国に対する怖れとか服従心が強くなったので、このように書いているのでしょう。
- 4節.竜が自分の権威をこの獣に与えたので、人々は竜を拝んだ。人々はまた、この獣をも拝んでこう言った。「だれが、この獣と肩を並べることができようか。だれが、この獣と戦うことができようか。」
「竜」(悪魔を象徴)が、この「獣」(悪魔の使いとされる地上の権力者、反キリストを象徴)に自分の力と位と大きな権威を与えました。
その権威は、比べるべきもののない強力なものでした。
復活したキリストに出会った人々が、神を礼拝するように、復活した反キリストに出会った人々は、背景に悪魔を礼拝するようになる。
このように、患難時代の人々は、悪魔(竜)を拝む結果、反キリストを拝みます。(黙示録13章3節・4節)
悪魔はこれから、この獣を通して働くのですが、次節からその悪魔の業が記されています。
<10人の王ともう一人の王>
聖書の箇所は、ダニエル書2章41節と42節です。
メディヤ・ペルシヤ(今のイラン)、そしてギリシヤなど帝国を属州にした第四の獣ローマ帝国(実際は、ローマ帝国が滅びた後に起こる帝国の興亡をも象徴する。)は滅びるのですが、ネブカデネザルが見た夢では、鉄と粘土が混じり合った足と足の指が、それに当たるのでしょう。
足の指が十本あることが、ここの「十人の王」に繋がるのでしょうか。
第四の獣である地上に興る第四の国が「全地を食らい尽くし、踏みにじり、打ち砕く。」のです。
すなわち、第四の獣である国が、全地ですから世界を支配するのです。
第四の国には、「十人の王/そのあとにもう一人の王が立つ」のです。
と言うことは、第四の国はローマ帝国と同じように十の国(あるいは地域)を属州とした帝国なのですね。
世界がそのような形で十の区域に分かれる時が来るということでしょう。
ヨハネの黙示録13章(二匹の獣)で、艱難時代の初めに十の国が出てきますが、そこにつながるのでしょう。
24節に「そのあとにもう一人の王が立つ。彼は十人の王と異なり、三人の王を倒す。」とありますから、そのもう一人の王が十人の王の中の三人の王を倒すのです。(ヨハネの黙示録17章3節と18節)
10の王国を打ち破ってその王国の支配権を手に入れた反キリスト(もう一人の王)は、バビロンの世界宗教組織も滅ぼして支配下に置き、宗教的な権威も手に入れ、神格化(黙示録13章)図ります。
<大艱難時代の7年間の前半の三年半>
大艱難時代の7年間は、前半の三年半と後半の三年半に分けられます。
大艱難時代は7年間続きますが、ちょうど中間の時期に起こる出来事(後で詳しく解説しますが、反キリストがイスラエルとの契約を一方的に破棄します。)によって、7年間の大艱難時代は前半の3年半と後半の3年半に分けることができます。
前半の三年半に起こることとして、参考にマタイの福音書24章3節から14節をまず登載します。
「終末の徴」
- 3節.イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやって来て、ひそかに言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」
- 4節.イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。
- 5節.わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。
- 6節.戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。
- 7節.民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。
- 8節.しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。
- 9節.そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。
- 10節.そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。
- 11節.偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。
- 12節.不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。
- 13節.しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
- 14節.そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」
2節でイエスが神殿の崩壊を予告されましたが、その後で弟子たちはイエスのもとにやってきて、ひそかにイエスに尋ねました。
「そのことは、いつ起こるのですか。」
なお、この「そのこと」は複数形だということですから、弟子がイエスに尋ねたことは、神殿の崩壊に限らないで、世の終わりが来る時の前兆すべてを指しているのでしょう。
それでは、7年間の艱難時代に起こることが預言されているヨハネの黙示録6章から16章の三つの裁きと、同時代に並行して起こることを見てみたいと思います。
まず、7年間に三つの裁きが予定されていますが、その三つの裁きの内、7年の艱難時代の前半の3年半の間に二つの裁きがあります。
すなわち「7つの封印のさばき」及び「7つのラッパのさばき」と呼ばれる一連の災害や災いです。
なお、裁きには、「封印」・「ラッパ」・「鉢」と三つの裁きがあるのですが、これらを引き起こしたのはサタンと人類の罪の深さですが、神は、何度も災害を繰り返し、ご自分の御業を示し、人々が悔い改めて神に立ち返るための機会を与えておられるのでしょう。
その一.七つの封印の裁き・・小羊(キリスト)が順次封印を開く
・第一の封印(黙示録6章1節)を開く。四つの生き物(神に仕える天使)の一つが出てこいと叫ぶと白い馬(きたるべき反キリストの君主)が「冠を与えられ」現れる。反キリストが世界征服を開始。「冠」は、一時的な王の意味。
・第二の封印(黙示録6章3節)を開く。第二の生き物が出てこいと叫ぶと赤い別の馬(罪と血・戦争)が現れ、乗っている者に殺し合いをさせる力が与えられる。世界中で戦争が起こる。
この戦争は、エゼキエル書38章の「ゴクマゴク」戦争と付随する戦乱を表しているという見方があります。
・第三の封印(黙示録6章5節)を開く。第三の生き物が出てこいと叫ぶと黒い馬(飢饉を表し、戦争の結果の苦難)が現れ乗っている者が秤を持っていた。食料不足、価格暴騰。「オリーブオイルとぶどう酒を損なうな」とあり、高級品ですから、金持ちは影響ないのでしょうか。
・第四の封印(黙示録6章7節)を開く。第四の生き物が出てこいと叫ぶと青白い馬(死人の顔色、蒼白の状態を示し、「死」は騎手で、「陰府」は従者)が現れ、乗っている者の名は死。陰府にいる者も従っている。彼らに地上の四分の一を支配、飢饉と死、野獣で人を滅ぼす権威が与えられた。死者多数。
・第五の封印(黙示録6章9節)を開く。殉教者の魂を見る。殉教者が地に住む者への血の復讐を聞く。殉教者には白い衣が与えられ仲間の僕である者たちの数が満ちるまで待つように告げられる。聖徒たち(大艱難時代に救われた人たち)への迫害が続く。
・第六の封印(黙示録6章12節)を開く。大地震が起きる。天変地異。暗黒、地上の王、高官、千人隊長、富める者、力ある者、奴隷、自由人らは洞穴や岩間に隠れ助けを求める。聖書のほかの参考箇所は、ヨエル書3章4節、使徒言行録2章20節です。
この後、黙示録7章1節から3節で、イスラエルの子らの全部族の中から144000人が刻印を押されます。
続いて、「この後」天の御座で大勢の白い衣を着た異邦人の群衆が手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って小羊と神を賛美しています、
・第七の封印(黙示録8章1節)を開く。半時間沈黙ののち神のみ前に立った七人の天使に七つのラッパが与えられた。
別の天使が来て香炉が渡された。祭壇の火を満たして地上に投げつけると、雷、さまざまな音、稲妻、地震が起こった。
封印が解かれるのが終わると、ラッパの裁きが始まります。
この後ラッパを持った七人の天使によって起こる裁きは、全地の三分の一が対象。
その二.七つのラッパの裁き・・七人の天使が七つのラッパを順次吹く
・第一のラッパ(黙示録8章7節)を吹く。第一の天使がラッパを吹く。血の混じった雹と火とが生じ地上に投げられた。地上と木々の三分の一が焼け、青草も焼けた。
・第二のラッパ(黙示録8章8節)を吹く。火が海に投げ入れられる。海の三分の一が血に変わり、海の生き物の三分の一が死に、船の三分の一が壊れた。
・第三のラッパ(黙示録8章10節)を吹く。燃えている星が天から落ちる。川の三分の一と水源に落ちる。星の名は、「苦よもぎ」で、水の三分の一が苦くなり多くの人が死ぬ。
・第四のラッパ(黙示録8章12節)を吹く。太陽と星の三分の一が損なわれる。昼も夜も光の三分の一が失われる。
・第五のラッパ(黙示録9章1節)を吹く。星(悪魔・・堕天使のこと)が一つ天から落ちる。この星に底なしの淵に通じる穴のカギが与えられる。穴から煙が出てきて太陽も空も暗くなる。煙の中からいなご(悪霊)が出てくる。いなごにさそりが持つような力が与えられる。地や草や青物とか木以外の、ただ、額に神の刻印を押されていない人に害を加える。殺さず五か月苦しめる。この人たちは死にたくても死ねない。悪霊によるゾンビ災害。
第五と第六のラッパの災いは、悪魔・悪霊によるものです。
参考箇所、ルカの福音書8章31節「そして、悪霊どもは、底なしの淵へ行けという命令を自分たちに出さないようにと、イエスに願った。」
この「底なしの淵」とは、神に従わない天使や人間が投げ込まれる真っ暗な牢獄で、いわゆる、地獄のことで、刑罰の場であるゲヘナ(火の池)とは違うのか。関連聖句は、ゼカリヤ書14章12節「諸国の民がエルサレムに兵を進めてくれば疫病で主はそのすべての者を撃たれる。肉は足で立っているうちに腐り、目は眼窩の中で腐り、舌も口の中で腐る」
・第六のラッパ(黙示録9章15節)を吹く。囚われた四人の天使(堕天使で悪霊でしょう)が人間の三分の一を殺すために解放される。天使の騎兵の数は二億、その口から吐く火と煙と硫黄で人間の三分の一が殺された。それでも残った人間は偶像礼拝をやめなかった。
解説では、この箇所は、イスラム統一国家と獣の国(非イスラム)との戦いとする説がありますが、分かりません。参考に
・第七のラッパ(黙示録11章15節)を吹く。天から「この世の国は,我らの主と、そのメシアのものとなった。主は世よ限りなく統治される。」の声が聞こえる。使者(悪魔・悪霊)が裁かれるときが来た。天にある神の神殿が開かれ、その神殿の中にある契約の箱が見え、稲妻、さまざまな音、雷、地震が起こり、大粒の雹が降った。
悪魔の支配する世が終わりを迎え、神の国が始まります。
12章1節に「また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。」とありますが、この「一人の女」はイスラエルの家で、「太陽」は12部族の父ヤコブ、「月」は母(?)。
「十二の星」はイスラエル十二部族のことでしょう。
12章の「女」はイスラエルで、「竜」は悪魔で、「獣」は、キリストに対応する悪霊(悪魔に支配された国家権力、反キリスト)、偽預言者は、悪魔の子で、御霊に対応し、先の災いが神によるものと気づいた「竜」とか「獣」たちがイスラエルを攻撃すると言うことでしょうか。
その「竜」とか「獣」である国家の構成が「七つの頭と十本の角」で著されていて、「十本の角」は十の国家権力、「七つの頭」は、その国家の皇帝(三人は反キリストに滅ぼされる。ダニエル書7章の「四頭の獣の幻」を参照)。
十本の角は、終わりの日に世界を統治する十カ国連合で、<10の王国><10人の王ともう一人の王>を参照。
<前半三年半で、七つの封印と七つのラッパの裁き以外に起こること>
その3.刻印を押されたイスラエルの子らの世界宣教
大艱難時代7年間の前半の三年半の第六の封印が開かれた後(7章1節)、イエス・キリストを信じるユダヤ人の中から(刻印を押されたイスラエルの子ら)14万4千人(7章4節)が神の僕として選ばれ世界宣教が始まります。
聖書箇所は、黙示録7章1節から8節です。
この預言の直後、黙示録7章9節で、「あらゆる国民、種族、民族言葉の違う民の中から」救われた様々な民族の人々についての幻が語られています。
その人たちを、「白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前地と小羊の前に立って」と表現しています。
ですから、14万4千人のユダヤ人たちは、キリストの宣教師として世界中に遣わされて、多くの異邦人が救われることになるのでしょう。
そして、この14万4千人のユダヤ人宣教師たちは、神さまの守りにより艱難時代の間キリストを信じて生きてきた人々で、黙示録7章17節に「小羊が彼らの牧者となり命の水の泉へ導き神が彼らの目から涙をことごとく拭われ、」とありますから、誰一人死ぬことがないのでしょう。
その4.二人の証人
また、大艱難時代7年間の前半の三年半の第六の天使がラッパを吹いたのち上記の14万4千人のユダヤ人宣教師たちが神の刻印を押されましたが、それとは別に、「二人の証人」(ユダヤ人キリスト伝道者)が、エルサレム(神殿の内の庭)でユダヤ人に向かって粗布をまとって1260日の間(3年半)の間福音を宣べ伝えます(11章3節から)。それで多くのユダヤ人がキリストに立ち返ります。
彼らは預言し、多くの奇跡を行ない、誰も彼らを殺すことができません(11章5節・6節)。彼らは大艱難時代前半の3年半に活動します。
おそらくこの後13章の「二匹の獣」(神の民とイスラエルを迫害する)が台頭してくるのでしょう。
<大艱難時代の7年間の中間期に起こること>
次に艱難期の三年半が過ぎて次の後半の三年半に起こる「7つの鉢のさばき」の前に起こるとされていることがあります。
以下は、大艱難時代が始まって三年半の後(中間期)に起こる出来事です。これにより、大艱難時代は前半と後半に分けられます。
その1.悪魔の天での敗北
神の救いと力が現れ「我々兄弟たちを告発する者、昼も夜も我々の神の前で告発する者が、投げ落とされたからである」(悪魔が天での神との戦いで敗北する)黙示録12章10節。
悪魔のすみかはエフエソの信徒への手紙2章2節に「この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者」(第一の天・空中)とありますが、悪魔は、神や聖天使が住む第三の天に行って、信者たちの罪を訴えています(ゼカリヤ3章1節、ヨブ1と2章、黙示録12章10節)から、第三の天にも行くことができるのです。
その2.反キリストの世界征服
十人の王(十の角)と、「そのあとにもう一人の王が立つ」が、このもう一人の王(反キリスト)が「三人の王」を倒します(ダニエル7章20節・24節)。
十人の王(十の角)は連合して聖者らと戦って勝ったが(ダニエル7章21節)、聖者らはやがて「日の老いたる者」(「最初の者にして最後の者」、神)によって勝ちます。
反キリストは、キリストに戦いを挑み、殺されてしまいますが、悪魔の力によってすぐに復活します。
黙示録17章12節「十本の角は、十人の王である。・・ひと時の間、獣と共に王の権威を受けるであろう。この者どもは心を一つにしており、自分たちの力と権威を獣(悪魔)にゆだねる。」。この者どもはキリスト(子羊は主の主王の王)と戦うが負ける(黙示録17章13節と14節)。
悪魔によって復活した反キリストが反撃し、十人の王のうち「三人の王」を殺し(ダニエル7章24節)、残る7人は反キリストに降伏して服従するようになります。
世界を征服した反キリストは、バビロン(反キリストの象徴)を自分の帝国の首都とします。
聖書箇所は、ダニエル7章19から24節、黙示録17章3節と18節、黙示録13章「二匹の獣」です。
この事が実現するのは、大艱難時代の7年間の中間期だと思います。
その3.反キリストの神格化
10の王国を打ち破って政治的な権威を手に入れた反キリスト(十本の角とあの獣)は、バビロンの世界宗教組織(大淫婦)も滅ぼして支配下に置き、宗教的な権威も手に入れます(黙示録17章16節から17節)。
17節に「神の言葉が成就するときまで、神は彼らの心を動かして御心を行わせ、彼らが心を一つにして、自分たちの支配権を獣に与えるようにされたからである。」とあります。
反キリストの世界征服の黙示録の該当箇所17章12節から18節は下記の通りです。
「大淫婦が裁かれる」
- 12節.また、あなたが見た十本の角は、十人の王である。彼らはまだ国を治めていないが、ひとときの間、獣と共に王の権威を受けるであろう。
7節で、ヨハネが見た「十本の角」は、ここで十人の王と説明されています。
その角の中で、反キリストは「第八の者」で、七番目の頭(王)です。
「獣は」地上の権力者、悪魔に支配された権力者を指し、「第八の者」ですから、反キリストです。
これは、艱難時代の悪魔の帝国の中に反キリストが現われますが、その後、反キリストが総統となった世界帝国ができるということでしょう。
12節の「十本の角」とは、先の七つの頭の皇帝に、六十九年に乱立したガルバ、オトー、ウィテリウスを加えた十人の事を指すのではとされることが多いそうですが、それは象徴として、第八の獣(11節)(この獣は七人の中の一人、11節)と結託して権力を振るう同じ時代の王が10人と考えて、世界が10ブロックに分かれることを意味しているという説があります。
ダニエル書7章20節の「その頭には十本の角があり、さらに一本の角が生えたので、十本の角のうち三本が抜けた。」は、この「さらに一本の角」を反キリストとし、抜けた三本の角である王を倒したので、残りは七本となり、反キリストの角は「第八の者」ということでしょう。
十人の王のうち三人の王が倒されたので、残りの七本の角(王たち)は、恐れをなして反キリストに加担して、世界を支配することになるのでしょう。
- 13節.この者どもは、心を一つにしており、自分たちの力と権威を獣にゆだねる。
「この者ども」とは、反キリストに加担して、世界を支配することになった七本の角(王たち)と反キリストのことでしょう。
「残りの七本の角(王たち)」は、心を一つにして、第八の獣(反キリスト)に権威を委譲します。
こうして反キリストは世界帝国の総統となります。
14節.この者どもは小羊と戦うが、小羊は主の主、王の王だから、彼らに打ち勝つ。小羊と共にいる者、召された者、選ばれた者、忠実な者たちもまた、勝利を収める。」
「この者ども」とは、反キリストに加担して、世界を支配することになった七本の角(王たち)と反キリストで、彼らは小羊であるキリストに戦いを挑み(16章12節から16節のハルマゲドンの戦い参照)ますが、「小羊は主の主、王の王」ですから、彼らに打ち勝ちます。
- 15節.天使はまた、わたしに言った。「あなたが見た水、あの淫婦が座っている所は、さまざまの民族、群衆、国民、言葉の違う民である。
「水、」(17章1節)は、「さまざまの民族、群衆、国民、言葉の違う民」を指します。
「大淫婦」(17章1節)は、神に敵対する巨大な悪の勢力を指すのでしょう。
その悪の勢力が「座っている所」という表現は、神のように支配しているということでしょう。
- 16節.また、あなたが見た十本の角とあの獣は、この淫婦を憎み、身に着けた物をはぎ取って裸にし、その肉を食い、火で焼き尽くすであろう。
「十本の角とあの獣」ですから、悪魔に支配された権力者が支配している十本の角である十人の王と獣(反キリスト)は反逆して、「淫婦」(世界を宗教的に支配していた偽の教会)を憎み、諸国の王を糾合して攻め寄せ、「身に着けた物をはぎ取って裸にし、その肉を食い、火で焼き尽くす」、つまり、滅ぼすと預言されます。
それにしても「身に着けた物をはぎ取って裸にし、その肉を食い、火で焼き尽く」とはすごい表現です。「裸にし、」(エゼキエル16章35節参照)というのは、滅亡することを表現しているのでしょう。
参考箇所は、バビロン(の滅び)に対してこうイザヤが語っている言葉、イザヤ書13章4節「山々にどよめく音がする/多くの民の集う物音が。もろもろの国が騒ぎ立ち/諸国の民の集められる音がする。万軍の主が、軍勢を召集される。」でしょうか。
世界の軍隊が枯れたユーフラテス川を通って、バビロンを滅ぼしにやって来るのです。
- 17節.神の言葉が成就するときまで、神は彼らの心を動かして御心を行わせ、彼らが心を一つにして、自分ちの支配権を獣に与えるようにされたからである。
「彼ら」とは、「淫婦」(世界を宗教的に支配していた偽の教会)に反逆した諸国の王である十人の王と獣(反キリスト)のことでしょう。
神は、その「彼らの心を動かして」かつての自分たちの支配者(淫婦)が滅ぼされるのです。
神は、ご自分に反抗する者たちさえも用いて、ご自分の栄光を現わされます。
- 18節.あなたが見た女とは、地上の王たちを支配しているあの大きな都のことである。」
ここで「女」は「、地上の王たちを(宗教的に)支配しているあの大きな都」、大バビロンであり、偽のキリストの花嫁であることが確認されます。
ここでこの黙示録の解釈について一言書いておきます。
ここまで艱難時代に起こる災いを、この黙示録が書かれた時代の背景と旧約聖書の預言からローマ帝国を反キリストの原型だとする説があります。
ローマ帝国は紀元476年に完全に滅びています。
ですから、黙示録が書かれたのは紀元95年ごろですから、ローマ帝国が滅びることは預言でもあるわけです。
したがって、黙示録のいう淫婦とかバビロンとか大きな都とか獣は、ローマ帝国を原型とした悪魔に支配された権力者で、患難時代に現れて、終わりの日の大艱難時代が到来するのではないかということです。
しかし、黙示録で語られている出来事を無理に現実の歴史に合わせる作業はしません。
いろいろと考えるのは楽しいですが、強引に解釈しても、意味がないですからね。
おそらく、帝政ローマのような国家、すなわち、商業主義が極度に発達した世界の商業の中心的な都市で、宗教と政治、宗教と商業が一体化しているような国家が起こり、その国家の消長と共に世の終わりが到来するのではないでしょうか。
その4.偽預言者「二匹の獣」の登場
反キリストに従う偽預言者が登場して数々の奇跡を行ない、反キリストの像(ダニエル11章31節、マタイ24章15節の「憎むべき破壊者が、聖なる場所(エルサレムの神殿)に憎むべき荒廃をもたらすもの(獣の像)を立て、その獣の像に息を吹き込むことで獣の像がものを言うことさえできるようにし、人々が(反キリストを)礼拝するよう強制、拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせます。
「二匹の獣」(偽預言者)の黙示録の該当箇所、13章11節から15節です。
「二匹の獣」前半
- 11節.わたしはまた、もう一匹の獣が地中から上って来るのを見た。この獣は、小羊の角に似た二本の角があって、竜のようにものを言っていた。
「もう一匹の獣が地中から」出てきました。
「もう一匹の獣」ですから、前に出てきた反キリストと違って、獣には悪魔、反キリスト、偽預言者がありますから、ここの「もう一匹の獣」は、偽預言者のことでしょう。
「もう一匹の獣」には、地上から上がってきます。
彼らは、「小羊の角に似た二本の角があって、竜のようにものを言っていた。」のです。
「似た」ということは、小羊キリストではないのですから、キリストに似たようでそうではない存在です。
それは、真の神の言葉を語る小羊に「取って代わろう」とする「小羊の角に似た角がある」獣ということでしょう。
この方が「竜のようにものを言った」とありますから、この獣には、小羊のまねをして悪魔からの言葉、預言を語る力が与えられているのです。
つまり、小羊のような姿をして、話し方や話す内容は、悪魔のようであったのです。
おそらくこの獣は、あの第一の獣の前で天から火を降らせるなどのしるしを行い、人々を第一の獣の像を拝むように駆り立てる偽預言者を象徴しているのではということです。
そのように見るのは、この獣が他の箇所(19章20節、20章10節)で「獣と偽預言者」と一対(偽預言者が獣の前でしるしを行って、獣を証するとか、一緒に火と硫黄の池に投げ込まれるなど)で現れているからです。
こうして、竜(悪魔)と第一の獣(反キリスト)と第二の獣(偽預言者)は、神に敵対する霊的勢力の(偽の)三位一体を形成するのです(16章13節)。
- 12節.この獣は、先の獣が持っていたすべての権力をその獣の前で振るい、地とそこに住む人々に、致命的な傷が治ったあの先の獣を拝ませた。
偽預言者なる第二の獣は、第一の獣である反キリストが持っていたすべての権力を持っています。
その権力とは、「地とそこに住む人々に、致命的な傷が治ったあの先の獣を拝ま」せるように導くことです。
ここでも「偽の三位一体」を見ます。
すなわち、悪魔が背後にいて第一の獣である反キリストに悪魔の力を与えて、第二の獣である偽預言者が、ちょうど聖霊のような働きをします。
- 13節.そして、大きなしるしを行って、人々の前で天から地上へ火を降らせた。
偽預言者は、「天から地上へ火を降らせ」ます。
終わりの時は、悪魔は偽預言者を使って、しるしや不思議をもって人々をだましますのですね。警告です。
すなわち、救いを受け入れた人に与えられる御霊の賜物に似せた、偽の賜物を人々に提供しているのです。
- 14節.更に、先の獣の前で行うことを許されたしるしによって、地上に住む人々を惑わせ、また、剣で傷を負ったがなお生きている先の獣の像を造るように、地上に住む人に命じた。
偽預言者なる第二の獣が、人々に反キリストである第二の獣を拝ませるやり方は、13節にあるように悪魔から与えられたしるしとか不思議によって、自分たちが神から来たもののように人々を惑わせて、「剣で傷を負ったがなお生きている先の獣の像を造るように地上に住む人に命じ」、すなわち皇帝礼拝を強要するのです。
これは悪魔が、聖霊の働き(聖霊の働きは、キリスト信仰に導く・賜物を与える・神を礼拝するように導くこと)を偽装して、偶像礼拝を強要しているのでしょう。
- 15節.第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。
第二の獣(偽預言者)は、第一の獣、反キリストの像を神殿の至聖所に据えて、これを拝むようにさせ、従わない者を殺します。その方法は次節です。
拝まないものは殺されますので、艱難時代にイエスを信じることは、命がけです。
その5.二人の証人の殺害と復活
エルサレム(神殿)を占領した反キリストは、誰も殺せなかった二人の証人(ユダヤ人キリスト伝道者)を殺し(黙示録11章7節)、その死体をエルサレムにさらします。
しかし、3日半後にふたりの証人は復活し(黙示録11章11節)、召天します。これを見た多くの人々(ユダヤ人)は大いに恐れ天の神の栄光をたたえます。(黙示録11章7節から13節)。
その6.反キリストがイスラエルとの平和契約を破棄する。
反キリストは、イスラエルとの軍事的平和を約束した7年の契約を半週(三年半)で一方的に破棄し、エルサレムを占領して神殿に座を設け、自分を神として拝むよう世界の人々に要求します(ダニエル9章27節、イザヤ28章14節から22節、第2テサロニケ2章3節と4節)。
その7.反キリストによるユダヤ人迫害
天での神との戦いに負けた悪魔は、いよいよキリストの再臨が近いことを悟ります。悪魔は、キリストが再臨すれば、自分の命運も尽きてしまうことを知っているでしょう。
創世記3章15節の神の言葉「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に/わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き/お前は彼のかかとを砕く。」は、悪魔に向かって語られているからです。
悪魔は、それでキリストの再臨を妨害するために、ユダヤ人をすべて抹殺しようとします。
なぜなら、再臨の条件は、ユダヤ人が民族的・国家的に悔い改め、イエスさまを信じて「主よ来てください」と祈ることだからです(レビ26章41節と42節、イザヤ66章8節、エレミヤ3章12節から18節、ホセア5章15節から6章3節、ゼカリヤ3章8節から10節、ゼカリヤ12章10節から13章1節、マタイ23章37節から39節、ローマ11章25節から27節)。
その8.獣の刻印
悪魔に従う反キリストは
、ユダヤ人との7年間の和平契約を三年半で破棄し、迫害を始めます。
世界中で、反キリストの名(獣の刻印)を額か右手に刻まないと、ものを売り買いすることができなくなります。
参考箇所として、すでに転載していますが、黙示録の該当箇所13章16節から18節があります。
「二匹の獣」後半
- 16節.また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。
- 17節.そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。
- 18節.ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。
第二の獣である偽預言者は、反キリストの像を拝むように強要しましたが、それを受けて、第二の獣(偽預言者)は、世界のすべての人の「右手か額に刻印を押させ」、刻印のある者でなければ「物を買うことも、売ることも」(17節)できないようにさせます。
すなわち、この刻印が押されないと経済活動ができなくなり食べることもできないで、餓死してしまいます。
そして、この刻印とは「あの獣の名、あるいはその名の数字」であることが明らかにされ、その数字は六百六十六で、人間を指していると明言します(18節)。
六百六十六という「獣の数字にどのような意味があるか」(18節)「ここに知恵が必要である。」とありますが、これには解釈がいろいろとあり議論が絶えないそうです。
その一つに、ヘブライ語やギリシヤ語のアルフアベットには、それぞれ特定の数価が対応していますので、その単語を構成するそれぞれのアルフアベットの数価を合計するという方法で、歴史上の人物に当てはめてみたということですが、問題なく合致することはなかったそうです。
反キリストである悪魔の帝国の皇帝の刻印を受けた者(皇帝礼拝によって皇帝に所属する証明を受けた者)でないと社会から放逐されるという時代が迫っている(そういう時代が実際にやって来るので)と、ヨハネは語っているのではないでしょうか。
こうして、悪魔の三位一体は7章3節で神の僕たちの額の押される刻印と同じように、刻印という方法をもって、人々を自分たちの支配下に置きます。
その9.イスラエルの民ボツラへ脱出
それで、イスラエルに住む残りの者は脱出し(マタイ24章15節から16節)、神に守られて死海南方のエドム地方にあるボツラ(今のペトラ遺跡)に逃げ込みます。
ミカ書の該当箇所2章12節から13節は下記の通りです。
「復興の預言」
- 12節.ヤコブよ、わたしはお前たちすべてを集め/イスラエルの残りの者を呼び寄せる。わたしは彼らを羊のように囲いの中に/群れのように、牧場に導いてひとつにする。彼らは人々と共にざわめく。
主は、「ヤコブよ、わたしはお前たちすべてを集め・・・」と言われます。
イスラエルの人々は、アッシリアによって北イスラエルが、バビロンによって南ユダが、そしてローマによって紀元70年に離散の民となり国がなくなりました。
しかし主は、ご自分に立ち返る者たちを一つところに集め、「主がその先頭に立たれ」て、勝利者として敵を打ち破ることを約束してくださっているのです。
ただし、現在でも離散の民が、すなわち残りの者が集められてイスラエル国が誕生(1948年に建国)していますが、その人たちのすべてがキリストの神に立ち返っているわけではありません。
12節の言葉は、キリストの神に立ち返った民だけでの建国ですから、終わりの日にはイスラエルの残りの者すべてが主に立ち返る日が来るので、その時に初めてこの預言が成就するのです。
ここで言っているのは、終わりの日にはイスラエルの神を敬う「残りの者」(ご自分に立ち返る者)たちを、囲いの中の羊のように一つの群れにするということでしょう。
そしてこのことが、終わりの日には確実に、必ずなされるのです。
(参考開所は、申命記30章1節から5節)
- 13節.打ち破る者が、彼らに先立って上ると/他の者も打ち破って、門を通り、外に出る。彼らの王が彼らに先立って進み/主がその先頭に立たれる。
主が先頭に立たれて敵どもと戦われてことごとく倒される姿を描いていますが、12節と13節は、 イスラエルの残りの者を必ず集めるという終末における回復の預言だと思います。
「打ち破る者」と言う表現を主(神)とすればちょっとおかしいのですが、この出来事が終わりに日の事態と捉えて、この主をキリストと解釈したいと思います。
即ち、主がキリストをもって救われたイスラエルとキリスト者のために、先頭に立って反キリストと戦ってくださるのです。(ヨハネの福音書10章3節と4節、エレミヤ書31章10節、申命記7章6節以下参照)
なお12節の、「羊のように囲いの中」と訳された部分は、新改訳の脚注を見ると、「ボツラの羊」とも読めるとあります。
「ボツラ」は、黙示録によると、イスラエルの「残りの者」たちが獣と呼ばれる反キリストの支配から逃れると預言されている場所です。
なお、13節をよく読むと、残りの者を「群れのように、牧場に導いてひとつにする。」、その後のことが、「彼らは人々と共にざわめく。打ち破る者が、彼らに先立って上ると/他の者も打ち破って、門を通り、外に出る。」と記されます。
つまり、主がイスラエルの「残りの者」を一つに集めてくださるのは、彼らを敵の包囲から救い出すためであるということでしょう。
ミカ書の厳しい裁きは、よく見ると、すべて、この世の権力を乱用して、社会的弱者から奪い取り、偶像礼拝で富を得ていたような者に対する裁きです。
そして、主はそのようにこの世の権力者を裁いた後で、この世で虐げられた人をあわれみ、ご自身のもとに集め、彼らを慰め、この世の旅路を導き、新しい天と新しい地の祝福へと招き入れてくださると約束しておられるのでしょう。
もちろん、それらのことが実現するのは(この今の世界が終わる日)主の日のことです。
<7年の艱難期の後半の三年半に起こること>
7年の艱難時代の後半三年半の「産みの苦しみ」は、前半の三年半から続く産みの苦しみの本番と言えます。
その1.7つの鉢のさばき・・七人の天使が鉢に盛られた神の怒りを地上に注ぐ
大艱難時代の後半に入ると、「7つの鉢のさばき」と呼ばれる一連の災害やわざわいが起こります。これらのさばきは、特に反キリストに従って獣の刻印を受けた人々に向けて行なわれるものです。
前半の三年半のところで登載したマタイの福音書24章の「終末の徴」の予告の中で同8節には、「しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである」とあり、同14節には、「そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから終わりが来る。」とあります。
そして産みの苦しみの始まりには、24章15節に「憎むべき破壊者(反キリスト)が聖なる場所に立つ」とあります。
ヨハネの黙示録16章2節から17節で、七つの鉢の裁きを予告しています。
七つの鉢の裁きは全世界規模で起こります。
・第一の鉢(黙示録16章2節)の中身(神の怒り)を地上に注ぐ。獣の刻印を受けた者(獣の像を拝む人々)に悪性の腫物ができる。
・第二の鉢(黙示録16章3節)の中身(神の怒り)を海に注ぐ。海がすべて血のようになって、海の生き物はすべて死ぬ。
・第三の鉢(黙示録16章4節)の中身(神の怒り)を川と水の源に注ぐ。川も水源もすべて血となる
・第四の鉢(黙示録16章8節)の中身(神の怒り)を太陽に注ぐ。太陽の激しい熱で人々は焼かれるも支配する権威を持つ神の名を冒涜。悔い改めない。
・第五の鉢(黙示録16章10節)の中身(神の怒り)を獣の王座に注ぐ。獣の国が暗黒となる。人々は暗黒による苦痛と腫物のゆえに神を冒涜、悔い改めない。
・第六の鉢(黙示録16章12節)の中身(神の怒り)を大きな川、ユーフラテスに注ぐと、川の水が枯れて道ができる。三つの悪霊が、竜の口、獣の口、偽預言者の口から出てくる。神との戦いに備えるために全世界の王のところに行く。反キリスト軍がハルマゲドンに集結する。
・第七の鉢(黙示録16章17節)の中身(神の怒り)を空中に注ぐ。「ことは成就した」。稲妻、さまざまな音、雷が起こり、大地震が起こる。
反キリストの都バビロンの崩壊。キリストの再臨。反キリスト軍の滅亡。世界の地形が激変し、大地震によってエルサレムも3つに分割。大粒の雹が降る。
7年の艱難期の後半三年半をなぜ本当の「産みの苦しみ」というのかは、この後に起こる事が、新しい命が誕生するときにどうしても通過しなければならない極度の苦しみのことを指し、神の歴史、新しい人類の創造のご計画を成就するためには、その苦しみは、避けて通ることは出来ないことなのでしょう。
その苦しみは、未曾有の苦難であり、マタイ24章21節で「世界の初めから今までになく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。」とイエスは予告されています。
「7つの鉢のさばき」のマタイの福音書の該当箇所24章15節から28節「大きな苦難を予告する」は、下記の通りです。
「大きな苦難を予告する」
- 15節.「預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら――読者は悟れ――、
- 16節.そのとき、ユダヤにいる人々は山に逃げなさい。
- 17節.屋上にいる者は、家にある物を取り出そうとして下に降りてはならない。
- 18節.畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない。
- 19節.それらの日には、身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。
- 20節.逃げるのが冬や安息日にならないように、祈りなさい。
- 21節.そのときには、世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。
- 22節.神がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう。
ここはイエスが弟子たちに「終末の徴」として語った言葉ですが、16節から22節は、憎むべき破壊者(反キリスト)がその本性を現わす時、どうすれば良いかを指示しています。16節の「山へ逃げなさい」「逃げよ」という命令は現在形ですから、反キリストに抵抗することは無駄なので、ただ逃げ続けなさいという意味でしょう。
災難が緊急に迫っているために、17節で「家にある物を取り出そうとして下に降り」るとか、18節で「畑にいる者は、上着を取りに帰ってはならない。」のです。
18節の「上着を取りに帰ってはならない。」は、当時上着は貴重なものですが、取りに帰れば命取りになるということでしょう。
19節の「身重の女と乳飲み子を持つ女は不幸だ。」は、これらの人たちは普通の人たちより逃げることが困難であるからでしょう。
15節の「預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら」は、ダニエル書に登場する「憎むべきもの」(9章27節「定めの70週」)、「憎むべき荒廃をもたらすもの」(11章31節と12章11節「終わりの時の幻」)と関連があるのでしょう。
もちろん、これらの者は、反キリストです。
これらは先にも書きましたが、「産みの苦しみ」で、神の新しい人類の創造のご計画の一環で、そのためにどうしても通過しなければならないことで、避けて通ることは出来ないことなのです。
- 23節.そのとき、『見よ、ここにメシアがいる』『いや、ここだ』と言う者がいても、信じてはならない。
- 24節.偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである。
- 25節.あなたがたには前もって言っておく。
- 26節.だから、人が『見よ、メシアは荒れ野にいる』と言っても、行ってはならない。また、『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはならない。
- 27節.稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来るからである。
- 28節.死体のある所には、はげ鷹が集まるものだ。」
23節以降は、「偽メシアや偽預言者」の出現と、「人の子」、すなわち、メシアキリストの再臨で、「死体のある所には、はげ鷹が集まる」ようにだれの目にも見える形で来られるのです。
「人が『見よ、メシアは荒れ野にいる』と言っても、行ってはならない。また、『見よ、奥の部屋にいる』と言っても、信じてはならない。
稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子も来るからである。
その2.不法の者
「産みの苦しみ」の最中か後かは知りませんが、不法の者が現れます。
「不法な者」とは、9節で「サタンの働きによって現れ、あらゆる偽りの奇跡としるしと不思議な業とを行い、」としています。
ハルマゲドンの戦いでイエスが反キリストを全滅されるのですが、その方法は第2テサロニケ2章8節で、「その時が来ると、不法の者が現れますが、主イエスは彼をご自分口から吐く息で殺し、・・」とあります。
不法の者が滅びる該当箇所は、第二テサロニケ2章8節から12節を参考に記しておきます。
- 8節.その時が来ると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御自分の口から吐く息で殺し、来られるときの御姿の輝かしい光で滅ぼしてしまわれます。
既に働いている、「不法の秘密の力」が表に現れないのは、「抑えている者が取り除かれるまで」(6節)のことで、その時が来ると「不法の者」は顕わな姿で出現します。
こうして、定められた時に出現した「不法の者」を、主イエス が「御自分の口から吐く息(または霊)で殺し、来られるときの御姿の輝かしい光で滅ぼして」しまわれるのです。
- 9節.不法の者は、サタンの働きによって現れ、あらゆる偽りの奇跡としるしと不思議な業とを行い、
- 10節.そして、あらゆる不義を用いて、滅びていく人々を欺くのです。彼らが滅びるのは、自分たちの救いとなる真理を愛そうとしなかったからです。
この9節と10節も、黙示思想的終末図式の一つですね。
ここでは「不法の者」は、「サタンの働きによって現れ、」としています。
神に敵対し、神の民を滅ぼそうとするサタンの働きも、終末が近づくにつれて、明らかに神の働きに対抗する働きになります。
その働きは、「偽りの奇跡としるしと不思議な業」(9節)ですから、キリストと使徒たちの働きを模倣して進められるのです。
彼らが滅びるのは、そのようなサタンの働きに欺かれて、偽りを信じ「自分たちの救いとなる真理を愛そうとしなかった」からです。
これらはすべて物理的な戦いではなく霊の戦いを表しているのでしょう。
終わりの時の霊の戦いとは、このように偽りとの戦いなのでしょう。
この虚偽に対して、わたしたちは霊の武器をもって識別し、分別し、その偽りを明らかにします。
そして、キリストに結ばれた者は、イエス・キリストのみが真理であることを証しするのです。
ここでは、キリストの福音を信じなかった人たちの滅びが描かれているのでしょう。
- 11節.それで、神は彼らに惑わす力を送られ、その人たちは偽りを信じるようになります。
- 12節.こうして、真理を信じないで不義を喜んでいた者は皆、裁かれるのです。
「神は彼らに惑わす力を送られ」の「彼ら」とは「不法の者」でしょうから、神は、彼らに偽りを信じさせ、惑わす力を与えることによって、「その人たちは偽りを信じる」ようになり、そのことによって神は裁きを行うのです。
「惑わす力」というのは、サタンの働きのことでしょう。
神は、偽りの父であるサタンが、彼らを支配するのを完全に許されるということでしょう。
要点は、12節の「真理を信じないで不義を喜んでいた者は皆、裁かれる」ということでしょうね。
その3.イスラエルの民族的回心
「産みの苦しみ」の最中か後かは知りませんが、イスラエルに回心をもたらす「憐れみと祈りの霊」が注がれます。
約2000年前にイエスが十字架で殺された後復活され聖霊降臨が実現しています。
ここでは、改めてイスラエル(ユダヤ人)に民族的回心をもたらせるために「憐れみと祈りの霊」が注がれるのです。
ゼカリヤ書12章9節から10節には次のように記されています。
- 9節.その日、わたしはエルサレムに攻めて来るあらゆる国を必ず滅ぼす。
8,9節で、「その日」には、エルサレムの住民に対する主の守り、ダビデの家のリーダシップの回復、エルサレムを攻撃するあらゆる国々への主の裁きが約束されています。
- 10節.わたしはダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者であるわたしを見つめ、独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ。
今までは、「その日」には、2節にあるように、世界の諸国(反キリスト)から「エルサレムと同様、ユダにも包囲の陣が敷かれる。」時のことでした。
そのようなことがあって悔い改めが起こるのですが、それは、主ご自身が「憐れみと祈りの霊を注ぐ。」ことで実現するのです。
「彼ら自らが刺し貫いた者であるわたしを見つめ、独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ。」とありますが、なんだかキリストの十字架死を思い浮かべます。
「彼ら自らが刺し貫いた者であるわたしを見つめ、」ですが、主がご自分とエルサレムの住民が「突き刺さした者」とを重ねておられます。
解説によると、これは、イエスの十字架の目撃者は、自分たちが神ご自身を突き刺したような気持ちになり、「独り子を失ったように嘆き、」親が「初子の死を悲しむように」、イエスのために「激しく泣く」という「嘆き」の連鎖が、十字架の日から始まりペンテコステの日に頂点に達するという流れが実現したと言うことでしょう。
この10節は、「その日」(終わりの日)の預言で、反キリストによる大患難をくぐり抜けた三分の一のユダヤ人(三分の二は殺される)は、キリストの地上再臨の前に、「憐れみと祈りの霊を注ぐ。」、聖霊の傾注によって、「自分たちが突き刺した者(イエス・キリスト)」と「主を仰ぎ見」て、主とメシアが一体であったことに霊の目が開かれます。
そしてメシアを拒絶(キリストの十字架死)したことがどんなに大きな罪であったかを示されて「独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように」激しく泣くのです。
こうした、イスラエルの回心の後に、キリストはオリーブ山に地上再臨されるのです。
このキリストの再臨の姿は、全世界の人々が仰ぎ見ますが、ユダヤ人にとっては特に驚愕の出来事になるのでしょう。
イスラエルの民は、何千年もの間、自分たちが待ち望んでいたメシヤが、実は自分たちが突き刺した者、ナザレの人イエスキリストであることに気づき、愕然とします。
それで、イスラエルに民の上に聖霊が注がれて、民はひとり子を失ったかのように激しく泣き悔い改めに導かれるのです。
イスラエルの民は、聖霊が注がれることによって、かつて十字架で殺したイエスが、主、メシアであったことを知り「ひとり子を失ったかのように激しく泣き」悔い改めに導かれるのです。
ここで大切なことは、異邦人は福音を聞き自主的に主を求めることが必要ですが、イスラエルの民は上からの聖霊の傾注により一方的その人は変えられ信仰に導かれるのです。
新約聖書の該当箇所は、マタイの福音書24章31節の「人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」でしょう。
「人の子」、すなわちキリストが、再臨されるときは、使える天使を通して、四方から選びの民(イスラエルの残りの者)を集められるのです。
きっと、そこで黙示録19章9節「それから天使はわたしに、「書き記せ。小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ」と言い、また、「これは、神の真実の言葉である」とも言った。」につながり、その者たちは小羊イエスの婚宴に招かれるのです。この小羊イエスの婚宴に招かれるのは、イスラエルの残りの者と異邦人でしょう。
その異邦人は艱難時代に「二人の証人」と「イスラエルの残りの者」(144000人)の宣教活動で救われた異邦人。ならびに、艱難時代にユダヤ人(小さな者たち)に救いの手を差し伸べた異邦人、および、空中携挙の際に引き上げられた異邦人だと思うのですが・・。
その4.世界統一宗教の活動・・大淫婦(反キリスト)が裁かれる
艱難時代7年の後半三年半に起こることとされている7つの鉢の裁きの時、大淫婦バビロン(今のイラクあたり)を中心に誕生した異教の宗教組織(特徴は、女のみだらな行い、偶像礼拝、神を冒涜する数々の名)が、10の王国の政治権力(7つの頭と10本の角)と結びついて(、世界的な力を持つようになります。
そして、大艱難時代のユダヤ人キリスト信者や異邦人キリスト信者を迫害し、殺していきます。
黙示録17章6節に「この女が聖なる者たちの血と、イエスの商人たちの血に酔いしれている」とありますから、反キリストの集団です(17章1節から6節)。
世界統一宗教の中心メンバーは、おそらく艱難時代が始まる前の空中携挙で携挙されなかった信者の集団でしょう。
<ハルマゲドンの戦い(1)>
反キリストが、ユダヤ人抹殺のために世界中から軍隊を招集し、イスラエル北部のメギドの丘(ハルマゲドン)に集結させます。
ハルマゲドンの戦いは、その後、反キリスト軍は南下してエルサレムを占領します。しかし、ミカ書2章12節の通り、ユダヤ人の多くはボツラに逃げ込んでいるため、反キリストはボツラに向かって進軍します(黙示録16章12節から16節、エレミヤ49章13節から14節)。
過去に投稿した黙示録の該当箇所、16章12節から16節を転載しておきます。
- 12節.第六の天使が、その鉢の中身を大きな川、ユーフラテスに注ぐと、川の水がかれて、日の出る方角から来る王たちの道ができた。
「第六の天使」が第六の鉢の中身を「大きな川、ユーフラテスに注ぐと、川の水がかれて、日の出る方角から来る王たちの道が」できました。
この王たちは悪霊に唆され、神の大いなる戦いの日に備えて、「ハルマゲドン」に集まるとされます。
「川の水がかれて、」ですから、川を渡り東の王たちが西進できる状態になったので、ハルマゲドンの戦いの準備が整ったということでしょう。
「日の出る方角」はメソポタニアのことで、アッシリア、バビロンなどの帝国があった場所。
- 13節.わたしはまた、竜の口から、獣の口から、そして、偽預言者の口から、蛙のような汚れた三つの霊が出て来るのを見た。
王たちを唆した悪霊は、「竜の口から、獣の口から、そして、偽預言者の口から、蛙のような汚れた三つの霊」です。
ここでも悪の三位一体の働きが描かれています。
「竜」は、悪魔で、「獣」は、キリストに対応する悪霊(悪魔に支配された国家権力、反キリスト)、偽預言者は、悪魔の子で、御霊に対応します。
- 14節.これはしるしを行う悪霊どもの霊であって、全世界の王たちのところへ出て行った。それは、全能者である神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを集めるためである。
「しるしを行う悪霊どもの霊」とは、そのような霊のことを言っているのでしょう。
目的は、ハルマゲドンの戦いに躊躇する王たちを無理に招集するためです。
- 15節.――見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩くのを見られて恥をかかないように、目を覚まし、衣を身に着けている人は幸いである。――
「わたし」とは、主イエスのことで、主イエスはこのハルマゲドンの戦いのときに「盗人のように来る」と言われます。
主イエスは、その時に備えて、「裸で歩くのを見られて恥をかかないように、目を覚まし、衣を身に着けて」と言われます。
もちろん、「目を覚まし」というのは、信仰をしっかり持って、神の言葉で身を守っていなさいということでしょう。
世の終わりに対し、備えをせよというキリストの命令です。
- 16節.汚れた霊どもは、ヘブライ語で「ハルマゲドン」と呼ばれる所に、王たちを集めた。
「ハルマゲドン」の字義は「メギドの山」という意味だそうです。
この箇所は現在、「テル・メギド」と言う名で知られる小高い丘だということです。
ユダヤ教黙示文学で、神に敵対する悪の勢力が最後の決戦を挑む場所の象徴とされていた地名を、ヨハネがここに用いているのでしょう。
悪の三位一体から発せられた悪霊(14節)は、世界中の王たちを唆し、王たちは「メギドの山」に集めるのです。
終わりの日にこの「王たち」、すなわち、反キリストに率いられた勢力は、小羊イエスと戦う世界大戦がこの平野を中心にして戦われます。
反キリストの軍隊は、イスラエルの平野に集結し、患難時代を生き延びたユダヤ人を抹殺すべく戦いを挑むのです。(ハルマゲドンの戦い)
<反キリストの首都バビロンの崩壊>
反キリストが、ハルマゲドンの戦いでバビロンの都を離れている間に、大患難時代に救われて生き残った異邦人信者がバビロンを襲撃し、破壊してしまいます(イザヤ13章、エレミヤ50章と51章、黙示録18章)。
しかし、反キリストはこの知らせを聞いても進軍をやめないのは、背後で操っている悪魔の第一目的は、あくまでもユダヤ人の抹殺だからでしょう。
イザヤ書の該当箇所、14章3節を記しておきます。
「バビロンの滅亡」
- 3節.主が、あなたに負わせられた苦痛と悩みと厳しい労役から、あなたを解き放たれる日が来る。
<全イスラエルの悔い改め>
いよいよボツラのユダヤ人に危険が及ぼうとする時、生き残った全ユダヤ人は、ついに信頼すべきお方がどなたなのかということを悟り、悔い改めてイエスさまを救い主と信じます。悔い改めの祈りは丸2日間続き、3日目に彼らは救いを体験します。
過去に投稿したホセア書の該当箇所、5章15節から6章3節を転載しておきます。
「偽りの悔い改め」
- 15節.わたしは立ち去り、自分の場所に戻っていよう。彼らが罪を認めて、わたしを尋ね求め/苦しみの中で、わたしを捜し求めるまで。
主が「わたしは立ち去り、自分の場所に戻っていよう。」と言われたのは、天に戻るということでしょう。
主があらゆる手を使って、彼らがご自身に立ち返ることを願っておられましたが、彼らに近づけば近づくほど、彼らはますます頑なになり、偶像礼拝に突き進むので、主は何もしないでいることしかできなくなったので、「立ち去り、自分の場所に戻っていよう。」ですから、天に戻ると言われたのです。
主の介入がなくなると、助け手がなくなり彼らが苦しみますが、彼らがその苦しみから、主を探し求めるようになることを主は願っておられるのでしょう。
「彼らが罪を認めて」の罪とは、彼らがメシアを拒絶したという罪です。
彼らは、主が預言者を送って警告しているのに、従わなかったのです。
「苦しみの中で、わたしを捜し求めるまで。」はそのことを言っているのでしょう。
北イスラエル(エフライム)の人々が悔い改めて、神を慕い求めるなら希望があることを示唆しているのです。
天に戻られて「何もしない」主の中に愛があります。
何かをすることが、そのまま愛だとは限らないことがあると言うことでしょう。
そして、「わたしを捜し求めるまで」という言葉ですが、これは、「切に求める」(詩篇63編1)とも訳される言葉だそうです。
このように、アッシリアは神の道具に過ぎず、神はアッシリアを用いて北イスラエルと南ユダを裁いておられるのです。
しかし両国が悔い改めるならば彼らを赦すと主は言われるのです。
撃たれるのは罪のためであり、裁かれるのは新しく生まれ変わるためです。
この箇所のイスラエルの救いについては、ルカ21章24節「人々は剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれる。異邦人の時代が完了するまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる。」、また、ローマ11章25節の「兄弟たち、自分を賢い者とうぬぼれないように、次のような秘められた計画をぜひ知ってもらいたい。すなわち、一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人全体が救いに達するまでであり、」とある言葉と通じるのでしょう。
- 6章1節.「さあ、我々は主のもとに帰ろう。主は我々を引き裂かれたが、いやし/我々を打たれたが、傷を包んでくださる。
「我々」とは、北イスラエル(エフライム)と南ユダ王国のことでしょう。
「主は我々を引き裂かれたが、いやし」のホセアの言葉のなかには、5章14節の「わたしは引き裂いて過ぎ行き」という主の言葉が見られ、民が自らの罪を認めて主のもとに立ち帰る、すなわち、悔い改めへの願望と苦難と絶望の中での、ホセアの呼びかけの説教だと思います。
「傷を包んでくださる。」と言うのは、主が我々を引き裂かれたのは、主が懲らしめを与えられる時は、癒されるためであるので、悔い改めて立ち返れば傷を包んでくださると言うことでしょう。
- 2節.二日の後、主は我々を生かし/三日目に、立ち上がらせてくださる。我々は御前に生きる。
三日目の復活の希望を語るこの言葉は、明らかに死んで再生するタンムズ(植物神)の祭儀から借りてきた概念であろうと言うことです。
タンムズ神話というのは、メソポタミアのシュメールに端を発するといわれるドゥムジ神話から由来しているといわれています。
パレスチナの独特の気候風土からうまれた信仰なのでしょう。
灼熱の夏(5-11月)と雨季の冬(12-4月)の二つの季節の中で、つまり、灼熱の夏は11月近くまで雨は一滴も降らないのですが、雨期に入るとあるときはパラパラ、あるときは、ザッーと降ってはまたすぐ止みます。
5月に入ると、季節は夏に変わり、雨期から乾期への移行は、南から吹いてくる一陣の熱風で、それまで美しく咲き誇っていたアネモネも、一日で消えてしまうのです。
そして再び、青空と強い太陽の光。それを繰り返していくうちに、茶褐色の荒れ野が、いつのまにか小さな緑の草に覆われていくのです。
タンムズ神話による祭儀は、その生命のはかなさと、決まって蘇る命を、タンムズ神の死と再生の信仰によって守られるものとされていたそうです。
- 3節.我々は主を知ろう。主を知ることを追い求めよう。主は曙の光のように必ず現れ/降り注ぐ雨のように/大地を潤す春雨のように/我々を訪れてくださる。」
「我々は主を知ろう。」は、イスラエルの民の主に立ち返る声でしょう。
ただし、4節以降を読むと、主がこの祈りを聞き入れておられないことが分かります。
<キリストの再臨>
イエス・キリストが、天使たちと携挙されたすべての聖なる者たちを引きつれて、反キリストの攻撃を避けるためにイスラエルが非難したボツラの地に再臨されます。そして、反キリストとの戦いに挑まれます。
聖書箇所は、黙示録には二か所あり黙示録1章7節と8節の「⾒よ、その⽅が雲に乗って来られる。すべての⼈の⽬が彼を仰ぎ⾒る、/ことに、彼を突き刺した者どもは。地上の 諸⺠族は皆、彼のために嘆き悲しむ。然り、アーメン。神である主、今おられ、かつておられ、やがて来られる⽅、全能者がこう⾔われる。「わたしはアルファであり、 オメガである。」と下記の黙示録22章12節です。
- 12節.見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。
神の第三の宣言の言葉です。
「わたしはすぐに来る」とキリストは警告されています。キリストの地上再臨のことでしょう。
しかし、現実はキリストの再臨、神の国はなかなか来ないのです。
キリストの民は2000年前から待ちわびているのです。
世は相変わらず悪魔が跋扈する悪が支配する世です。
この問題をわたしたちはどう考えるべきか。
ペトロの時代の人々もこの問題、すなわち、再臨遅延で悩みました。
ペトロは、「ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。」(第二ペトロの手紙3章9節)と書いています。
ここに希望があるのです。
なぜなら、神はできるだけ多くの人を、いや、できればすべての人(ほとんどの人?)を救おうとしておられるからではないでしょうか。
そして「報いを携えて来て、それぞれの行いに応じて報いる。」と言われています。
報いを携えてきて、ですから、ここは行ないによる救いの裁きのことを言っているのではなく、キリストの民が信仰によって行なった行ないに対する、神からの褒美としての報いのことを言っているのでしょう。(マタイの福音書25章23節、第一コリント4章5節参照)。
そのほかの聖書箇所は、「人の子が来る」という副題で、マタイ24章29から31節、マルコ13章24から27節、ルカ21章25から28節です。
この中で30節の「地上のすべての民族」は、神に逆らう人たちを指すのでしょう。
また、「地上のすべての民族は悲しみ」は、⼈々が⾃分の犯した罪を悔いて嘆くことではなく、彼らが犯した罪に対する神の報復の恐ろしさを知ったからでしょう。
それは、Ⅱテサロニケ1章8〜9節とかユダの手紙14〜15節を読めば明らかです。
参考に、ここまでの経過とこの後の経緯を簡単に書きますと、キリストの空中再臨と教会(信徒の人々)携挙の後に、七年間の患難時代、その患難時代の終わりにキリスト(花婿)は多くの聖徒たち(花嫁)を引き連れて、栄光の雲をまとって、神に逆らうすべての者を裁くために、オリーブ⼭に降り⽴ちます。
そして、反キリストによってメギドの⼭(ハルマゲドン)に集結した反キリストの軍隊を滅ぼします。
そのあとに旧約で預⾔されて来た御国(神の国)である「千年王国」が到来するのです。
<人の子は、天使たちをもって、彼によって選んだ人達を四方から集める>
聖書の該当箇所は、マタイの福音書24章31節です。
人の子、すなわちキリストが再臨されるときには、ご自身に仕える天使をもって、彼によって選ばれた人たちを四方から集めます。
ただし、この「選ばれた人たち」というのは、イスラエルの残りの者を指します。
ボツラに逃れた残りの者たちだけでなく、世界に散っていた「残りの者」です。
その目的は御国の食卓に「招待する、招く」という意味があるのでしょう。
黙示録19章9節に下記の通りあります。
- 9節.それから天使はわたしに、「書き記せ。小羊の婚宴に招かれている者たちは幸いだ」と言い、また、「これは、神の真実の言葉である」とも言った。
イエスは、「言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。」(マタイの福音書8章11節)と言われていますから、そのことを言っているのでしょう。
天使は、「これは、神の真実の言葉である」と言っていますが、それは、信じがたいことだと思われたので、確認したのでしょう。
キリスト再臨後に、この地上において、小羊の婚宴が行われます。
この「小羊の婚宴に招かれている者」とは艱難時代に救われた「イスラエルの残りの者」と「異邦人たち」でしょう。
この異邦人は「二人の証人」、あるいは「イスラエルの残りの者」14万4000人の伝道によって救われた異邦人、ならびにマタイの福音書25章31節から46節の「すべての者を裁く」の箇所で、イエスは、「右側の羊の群れに対しては、『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。』と言われます(34節)。
羊の群れである右側に分けられた民に王はその理由を、35節・36節で「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」とその理由を語っておられますが、その人たちでしょう。
参考箇所として、マタイの福音書24章29節から31節があります。
「人の子が来る」
イエスは、苦難の日々に続いて、天変地異も(人の子)キリスト再臨の徴としています。
- 29節.「その苦難の日々の後、たちまち
太陽は暗くなり、
月は光を放たず、
星は空から落ち、
天体は揺り動かされる。
- 30節.そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。
- 31節.人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
イエスは、反キリストによってもたらされる「大きな苦難」だけでなく、「太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。」という自然界の天変地異も、キリストの再臨のしるしだと告知されます。
そして、「人の子」の再臨の予告で、その徴は、30節と31節です。
徴は、まず「地上のすべての民族は悲しみ」に沈んでいるときに人の子が「天の雲に乗って来るのを見る。」のです。
この悲しみは、嘆くという意味もあるそうですから、すべての民族が人の子が雲に乗って降りてくるのを見て悲しみ嘆くという意味で、いま、異邦人もイスラエルもメシアの到来が事実となり今までメシアを拒絶してきたその罪を知り、嘆き、悔い改めに導かれて、改めて罪の深さを知り悲しむということでしょう。
参考箇所として、マタイの福音書16章27節があります。
- 27節.人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。
第一テサロニケ3章 - 13節.そして、わたしたちの主イエスが、御自身に属するすべての聖なる者たちと共に来られるとき、あなたがたの心を強め、わたしたちの父である神の御前で、聖なる、非のうちどころのない者としてくださるように、アーメン。
三つ目は、「すべての聖なる者たちと共に来られるとき」、すなわち、主の再臨のときに、「聖なる、非のうちどころのない者としてくださるように」ということでしょうか。
主の再臨は、主に属するすべての「聖なる者たち」の共同体の顕現のときですから、その交わりで恥じるところのない者となるために、信徒たちは「父である神の御前で、聖なる、非のうちどころのない者」になってほしいと言うことでしょう。
「聖なる、非のうちどころのない者」とは、12節との関連で考えると、「お互いの愛とすべての人への愛とで、豊かに満ち」あふれる者のことでしょう。
パウロにとって、聖なる者は、もはや、生活や祭儀に関する律法の細則を厳格に行うことではないのです。
もう一つキリスト再臨の参考箇所として、マルコの福音書13章26節と27節を登載しておきます。
- 26節.そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。
「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来る」の「人の子」というのはもちろんイエスのことです。
イエス自身もご自分のことを人の子と表現されています(マルコの福音書8章31節、9章31節、10章33節と34節参照)。
この言葉がキリストの再臨を示していることになるのでしょう。
旧約聖書のイザヤ書13章9節と10節には次のように予言されています。
- 9節.見よ、主の日が来る/残忍な、怒りと憤りの日が。大地を荒廃させ/そこから罪人を絶つために。
- 10節.天のもろもろの星とその星座は光を放たず/太陽は昇っても闇に閉ざされ/月も光を輝かさない。
まさに預言書的と言うか黙示文学の表現で預言されています。
また、新しい世が来るのに際して起こる宇宙的破局を、黙示録6章12節から14節では次のよう表現しています。
「また、見ていると、小羊が第六の封印を開いた。そのとき、大地震が起きて、太陽は毛の粗い布地のように暗くなり、月は全体が血のようになって、天の星は地上に落ちた。まるで、いちじくの青い実が、大風に揺さぶられて振り落とされるようだった。天は巻物が巻き取られるように消え去り、山も島も、みなその場所から移された。」。
ダニエル書7章13節にはイエスの再臨について、「夜の幻をなお見ていると、/見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り/「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み」とあります。
イエスもこの個所から「人の子」を用いられたのかもしれませんね。
「日の老いたる者」の意味はよくわかりませんが、神話的表現だということです。イエスはこの語句は使われていないようです。
「人の子」が神から支配権を授けられていることを新約聖書では、「キリストは神の右に座し」と表現しています。
「雲に乗り」と言う語句は新約でもつかわれています。
27節.そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
人の子が雲に乗ってくる時「彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」のです。
「彼によって選ばれた人」ですから、栄光の主のもとに集められるのはキリストの民だけだということです。
苦難の中にいるキリストの民は救いの約束を信じて、イエスの再臨を強く望みます。
この言葉は、当時苦難の中で信仰を守り続ける信者たちにキリストの再臨待望をいやがうえにも盛り上がらせていたでしょう。
もちろん、イエスの言葉もさることながら、旧約聖書の預言でもあるわけですからね。
キリストの福音はイエス・キリストの十字架と復活において、すでに神の支配の到来、つまり、終わりの日が到来したことを告知しています。
キリストを信じキリストに合わせられて生きる者は、すでに終末の現実を生きているのであると宣言しているのです。
このように終末の現実に生きる者に残されている将来、それはキリスト再臨です。
その中身は、すなわち死に定められた現在の「肉体の体」が復活のキリストが着ておられる「霊の体」に変えられることです。
だから、キリストの民にとっての将来の希望は、イエスが死から復活されたように「霊の体」に変えられて復活することなのです。
<ハルマゲドンの戦い(2)>
イスラエルの民がボツラの地に避難したのですが、その地に再臨されたイエス・キリストは、イスラエルを滅ぼそうとする反キリスト軍と戦い、これを打ち破ってユダヤ人を守られます。
すでに搭載したイザヤ書の該当箇所イザヤ書34章1節から7節とイザヤ書63章1節から6節を転載します。
イザヤ書以外の該当箇所は、ミカ2章12節から13節、ハバクク3章3節です。
イザヤ書34章1節から7節
- 1節.もろもろの国よ、近づいて聞け/もろもろの民よ、耳を傾けよ。聞け、大地とそこに満ちるすべてのもの/世界とそこに生ずるすべてのものよ。
「もろもろの国よ・・もろもろの民よ」ですから、主は、イスラエルにも異邦人にも、すべての国々に呼びかけておられます。
それだけ大切な内容だと言うことでしょう。
- 2節.主はすべての国に向かって憤りを発し/怒りは、その全軍に及ぶ。主は絶滅することを定め/彼らを屠るために渡された。
- 3節.刺し貫かれた人々は投げ捨てられ/死骸は悪臭を放ち/山々はその血によって溶ける。
神の激しい怒りは、すべての国に対して発せられます。
もちろん、終わりの日の大艱難時代のことでしょう。いわゆる、ハルマゲドンの戦いのことでしょう。
人類社会の悪は満ち満ちているのです。神は満を持して裁かれるのです。
今でも、世界中を見渡せば、火種がくすぶり緊張状態にある国は、アメリカ・北朝鮮:ロシア・中国、そして中東です。
世界の指導者は、サミットなどであつまり仲良くしているように演じていますが、利害が対立するとどのようになるかわかりません。
人間は、神の御心よりも国家のあるいは指導者の利害で動いています。
3節は、イザヤの時代で言えばアッシリアに対する神のさばきのことを指し、それは同時に、この世の終わりに起こるハルマゲドンの戦いの描写なのでしょう。
ハルマゲドンは、神の裁きというより、人類が創造主である神から離れ自己中心に生きてきた結果と言えると思います。
- 4節.天の全軍は衰え/天は巻物のように巻き上げられる。ぶどうの葉がしおれ/いちじくの葉がしおれるように/その全軍は力を失う。
終わりの日の世界最終戦争であるハルマゲドンの時には、同時にまた天変地異も起こります。
この天変地異は、アダムが罪を犯したとき以来、地は呪われたものとなってしまい、また、環境破壊が行くところまで行った結果でしょう。
もともとの原因はやはり、人間が神に背き自己中心に生きてきた結果なのでしょう。
その罪の許しは、神にしかできません。
神は、御子キリストにより全人類の罪を贖い、同時に、環境もすべて新しく更新されるのです。そう、新しい人類の創造と、新天新地の創造です。
- 5節.天において、わが剣は血に浸されている。見よ、剣はエドムの上に下る/絶滅に定められた民を裁くために。
ここから世界最終戦争(ハルマゲドンの戦い)の結果ですが、第一義的にはイザヤの時代のエドムにもたらされるのです。
エドムは、死海の南西の部分で、モアブはエドムの北にあります。
死海の東の地域一帯が、終わりの日の主と世界の反キリストの軍隊の戦場となるのでしょう。
- 6節.まことに、主の剣は血にまみれ/脂肪を滴らす。小羊と雄山羊の血にまみれ/雄羊の腎臓の脂肪を滴らす。主がボツラでいけにえを屠り/エドムの地で大いなる殺戮をなさるからだ。
- 7節.野牛は彼らと共に倒れ/子牛は雄羊と共に倒れ/彼らの土地は血に浸され/その土地は脂肪を滴らす。
主は世界の反キリストの軍隊が、死体となって転がっているのを動物のいけにえに例えておられます。
聖書の箇所は、イザヤ書63章1節から6節です。
- 1節.「エドムから来るのは誰か。ボツラから赤い衣をまとって来るのは。その装いは威光に輝き/勢い余って身を倒しているのは。」「わたしは勝利を告げ/大いなる救いをもたらすもの。」
「エドムから来るのは誰か。ボツラから赤い衣をまとって来るのは。」とあります。「赤い衣」は、キリストの十字架の姿とする見方がありますが、「エドムから来るのは誰か。」という言葉がありますから、それは終わりの日に来られる地上再臨のメシアが「ボツラ」において神の民の救いために反キリストの軍勢と戦って、身に降りかかった血によるものだと考えます。
終わりの日の「ボツラ」は、イスラエル人が反キリストの軍勢から逃れて隠れた地です。
それで、ボツラのイスラエル人を根絶しようとエルサレムからボツラに進軍した反キリストの軍勢に復讐して帰ってくるキリストを「ボツラから赤い衣をまとって来る」と表現しているのでしょう。
なお、「ボツラ」はエドムの首都で、エドムはイスラエルよりも弱い国でした。
それでも、イスラエルが弱った時には、もともとイスラエルには屈折した憎悪をもっていましたので、必ず攻撃してきたそうです。
なお、「エドム」はエサウの子孫ですが、「血」を意味し、エドムの主要都市である「ボツラ」は「ぶどうを摘み取る」ことを意味するそうです。
そのぶどうを摘み取って、ぶどうの酒ぶねを踏むことで着物が赤くなることと、戦いで血のしたたりがふりかかることを重ね合わせているのではということです。
エドムの場所ですが、死海の南方にある地域で、聖書では常に神の民イスラエルに敵対する民族として登場しています。
それはエドムの祖先であるエサウが、神の特別の祝福である長子の権利を、一杯の煮物と引き替えに双子の弟ヤコブに売り渡してしまったからです。
それで兄が弟に仕えることになってしまいました。
そのためにエサウはヤコブを憎むようになったのです。
その子孫であるエドム人は常にイスラエルに敵対する者として存在するようになってしまったのです。
- 2節.「なぜ、あなたの装いは赤く染まり/衣は酒ぶねを踏む者のようなのか。」
- 3節.「わたしはただひとりで酒ぶねを踏んだ。諸国の民はだれひとりわたしに伴わなかった。わたしは怒りをもって彼らを踏みつけ/憤りをもって彼らを踏み砕いた。それゆえ、わたしの衣は血を浴び/わたしは着物を汚した。」
- 4節.わたしが心に定めた報復の日/わたしの贖いの年が来たので
- 5節.わたしは見回したが、助ける者はなく/驚くほど、支える者はいなかった。わたしの救いはわたしの腕により/わたしを支えたのはわたしの憤りだ。
- 6節.わたしは怒りをもって諸国の民を踏みにじり/わたしの憤りをもって彼らを酔わせ/彼らの血を大地に流れさせた。
神の終末におけるマスタープランの中での「ボツラ」は、イスラエルの悔い改めの場所とされています。
キリストの地上再臨はエルサレムのオリーブ山ですが、それまで再臨されたキリストは、反キリストと戦われますが、その戦いの場所として重要なのは、有名なハルマゲドンの戦いの舞台となるイスラエル平原、エルサレム、ボツラだということです。
ここで終わりの日のキリスト再臨以降の出来事を黙示録で順を追って纏めてみます。
反キリストによる大患難期の終わり頃に、反キリストは神の民を破滅させるために、世界中からメギドの山の麓にあるイズラエル平原に軍隊を集結させます。
この後、反キリストの軍勢は南下しエルサレムの町を包囲して崩壊させますが、すでにユダヤ人たちはエドムの「ボツラ」に退避しています。
そのボツラにおいて、イスラエル人たちは「恵みと哀願の霊」が注がれ、悔い改めて、民族的な救いを経験します。4節の「わたしの贖いの年が来た」が、そのことを言っているのでしょう。
イスラエル人たちを根絶しようとエルサレムからボツラに進軍した反キリストの軍勢に復讐しているのが1~6節に預言されているメシアの姿です。
全世界から集まった反キリストの軍隊によってイスラエルは全滅の危機に瀕し、荒野に逃げる人もいれば、またエルサレムに残る人もいます。
反キリストの軍隊は、荒野に逃れたイスラエルの民を完全に滅ぼそうと戦いに出ます。
その時に天から地上再臨されたメシアが、彼らに戦われます。
そして戦いはエルサレムにまで及びます。
ヨハネの黙示録19章14節にハルマゲドンの戦いの時、「そして、天の軍勢が白い馬に乗り、白く清い麻の布をまとってこの方に従っていた。」とあります。
ハルマゲドンの最後の戦いは、ヨルダンからイスラエル一帯で繰り広げられ、イスラエルと神ご自身に敵対する者ども、反キリストの世界の軍隊をことごとく滅ぼされるのです。
不利になった反キリストの軍勢は再びエルサレムに引き返しますが、エルサレムのヨシャパテの谷で最終的な敗北を喫します。
その時、彼らが流す血を6節で「彼らの血を大地に流れさせた。」と簡単に書いていますが、ヨハネの黙示録14章19から20節は「そこで、その天使は、地に鎌を投げ入れて地上のぶどうを取り入れ、これを神の怒りの大きな搾り桶に投げ入れた。搾り桶は、都の外で踏まれた。すると、血が搾り桶から流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオンにわたって広がった。」と表現しています。
なお、「ボツラ」という名称は「ぶどうを集める」ことを意味し、それを主が「地上のぶどうを取り入れ、これを神の怒りの大きな搾り桶に投げ入れた」と表現し、そして、押し潰し、ぶどう汁が「搾り桶から流れ出て」くるように、主が彼らを踏み潰すと予告されているということです。
その後、再臨のキリストは栄光の王としてエルサレムの東に面するオリーブ山の上に立ちます。
ゼカリヤ書14章4節に「その日、主は御足をもって/エルサレムの東にある/オリーブ山の上に立たれる。オリーブ山は東と西に半分に裂け/非常に大きな谷ができる。山の半分は北に退き、半分は南に退く。」とあります。
オリーブ山は、その真ん中で「東と西に半分に裂け」て非常に大きな谷ができますが、これは大地震によるものでしょう。
これによってエルサレムは世界で最も高い山となるそうです。
そこを中心にして、メシア(キリスト)による統治、千年王国が樹立されます。
おそらくそこに第四神殿も立つはずです。
(イザヤ書63章1~6節、34章5~6節、9節とヨハネの黙示録19章13~16節と呼応しています。)
このように、ハルマゲドンの戦いでイエスが反キリストを全滅されるのですが、その方法は第2テサロニケ2章8節で、「その時が来ると、不法の者が現れますが、主イエスは彼をご自分口から吐く息で殺し、・・」とあります。
<大艱難時代の終わり、地形の変化>
その1.再臨のキリストがオリーブ山に立ちそこで世界を支配されます。
そのオリーブ山が南北に引き裂かれます。
聖書の箇所は、ゼカリヤ14章4節と5節です。
- 4節.その日、主の足は/エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。/オリーブ山は東と西に半分に裂け/非常に大きな谷ができる。/山の半分は北へ、他の半分は南へ移る。
再臨されるイエスキリストは、まずボツラにいる世界の軍隊と戦われ、それからエルサレムに来られ最後の戦いに臨まれます。
そして地上、オリーブ山に立たれます。
主は天に昇られた時と同じところに戻ってこられるのです。(使徒言行録1章11節)」
そして地殻変動が起こります。(マタイの福音書24章29節、ヨハネの黙示録16章18節、第二ペトロの手紙3章10節)
そして、今の天と地が過ぎ去って、神が新しい天と新しい地を始められます。
新しいものが来るために、古いものが過ぎ去らなければいけないのです。
もちろん、人間も古い人類である私たちは造り替えられて新しい人類として誕生するのです。
- 5節.山間の谷がアツァルに達するので/あなたがたは私の山間の谷を通って逃げる。/ユダの王ウジヤの時代に地震を避けて逃げたように/あなたがたは逃げる。/わが神、主が来られる。/すべての聖なる者たちも主と共に来る。
「アツァル」ですが、場所は分かりません。
しかし、エルサレムにいる艱難時代を生き残り、残された民は、「わが神、主が来られる。/すべての聖なる者たちも主と共に」来られるので、「私の山間の谷を通って逃げる。」と言われています。
主が来られるので逃げるとなっていますが、主がこれから新しいエルサレム(千年王国のエルサレム)を建てられるからでしょう。
主とともに来る「すべての聖なる者たち」とありますが、この聖徒たちは誰でしょうか?
それはおそらく、艱難期の始まる前のキリストの空中再臨の際に携挙にあずかった聖徒(当然異邦人のキリスト者も含まれる)とすべての御使いたちではないかとされています。(第一テサロニケ3章13節参照)
そして、この者たちは、キリストとともにこの地上に実現されるメシア王国、すなわち千年王国で生きる者とされるのでしょう。
その2.エルサレムが三つに引き裂かれる。(黙示録16章19節)
その目的は、千年王国に備えエルサレムを新しく再建するためでしょう。
その3.諸国の方々の町々が崩壊し、島も山も消え去る。(黙示録16章19節から20節)。
その4.巨大な雹が人々の上に降る。
天から1タラントン(35キロほど)もある巨大な雹が降ってくる。そのために人々は、神を冒涜する。(黙示録16章21節)。
<千年王国移行期>
その1.千年王国移行準備
艱難時代が終わりいよいよキリスト統治による千年王国が始まるのですが、ダニエル書12章11から13節(終わりの時についての幻の後半)にこのような言葉があります。
- 11節.日ごとの供え物が廃止され、憎むべき荒廃をもたらすものが立てられてから、千二百九十日が定められている。
「憎むべき荒廃をもたらすもの」とは、神に逆らって偶像を礼拝する者、自分を神とするもののことでしょう。
その者が立てられて、その時から数えて1290日が定められています。
1290日は、3年半1260日と30日になります。
つまり、艱難時代7年の後半三年半が終わりプラス30日です。
「憎むべき荒廃をもたらすもの立てられてから」、つまり、1290日の後に荒らす忌むべき像が取り除かれるるのです。
イエスが再臨され、「憎むべき荒廃をもたらすもの」が火と硫黄の池に投げ込まれて、それから千年間の統治が始まります。
そして、「最も聖なる者に油が注がれる」(9章24節・・神殿の再建を意味するとあります。)のです。
- 12節.待ち望んで千三百三十五日に至る者は、まことに幸いである。
「1335日」は、1290日よりさらに45日後のことです。
解説では、メシア・キリストが地上再臨されてから、千年王国が設立されるまでに75日(30日プラス45日)あるということだと説明されています。
その45日の間に主はわたしたちを「羊と山羊とを分ける」のです(マタイの福音書25節31節から33節参照。)」。
- 13節.終わりまでお前の道を行き、憩いに入りなさい。時の終わりにあたり、お前に定められている運命に従って、お前は立ち上がるであろう。」
ダニエルに対する最後の神の約束です。
「終わりまでお前の道を行き」ですが、当時、ダニエルは80歳を越えており、地上生涯の終わりが近づいていました。
「憩いに入りなさい」とは、安らかに死に向かいなさい、の意味でしょう。
ただし、「憩い」は肉体の死を意味し、地上生涯の終わりが、人生の終わりではありません。
「お前は立ち上がるであろう。」ですから、その先には「復活」の希望があります。
終わりの日には復活して、ダニエルは、主がイスラエルに与えてくださる割り当て地に立つことができるのです。
つまり、ダニエルには、自分に与えられている相続財産をいただく約束が与えられています。
その2.移行期間
「憎むべき荒廃をもたらすもの立てられてから」(反キリストがエルサレムを占領し、神殿に偶像を据え付けるとき)1290日(7年の艱難時代の後半3年半1260日と30日)の後に荒らす忌むべき像が取り除かれ艱難時代が完全に終了するのです。
ダニエル書11章12節に「待ち望んで1335日に至る者は、まことに幸いである。」とありますから、荒らす忌むべき像が取り除かれて1290日から45日後に千年王国が始まるのです。
おそらく同12節に書いているようにその45日の間に主は艱難時代を生き残った異邦人を「羊と山羊とを分ける」のです(マタイの福音書25節31節から33節参照。)
そう、移行期間で準備なさるのでしょう。下記、「5.すべての民族を裁く」を参照
<悪魔・悪霊の裁き>
「サタンの封印」
ヨハネの黙示録20章1から3節には「わたしはまた、一人の天使が、底なしの淵の鍵と大きな鎖とを手にして、天から降って来るのを見た。この天使は、悪魔でもサタンでもある、年を経たあの蛇、つまり竜を取り押さえ、千年の間縛っておき、底なしの淵に投げ入れ、鍵をかけ、その上に封印を施して、千年が終わるまで、もうそれ以上、諸国の民を惑わさないようにした。その後で、竜はしばらくの間、解放されるはずである。」
サタンは捕らえられ、底なしの淵という場所に千年間閉じ込められます。ですから、悪魔が解放されるまでの千年間は、悪魔の諸国民に対する惑わしは一切ありません。
「悪霊たちの封印
一方、悪霊たちも捕らえられ、異邦人信者によって廃墟となったバビロンと、キリストが再臨され反キリスト軍を打ち破ったエドムの地に、千年間閉じ込められます。
ヨハネの黙示録18章2節「天使は力強い声で叫んだ。「倒れた。大バビロンが倒れた。そして、そこは悪霊どもの住みか、/あらゆる汚れた霊の巣窟、/あらゆる汚れた鳥の巣窟、/あらゆる汚れた忌まわしい獣の巣窟となった。」
参考箇所は、イザヤ書34章8から16節(エドムの審判)です。
<反キリストと偽預言者「二匹の獣」の裁き>
イエス・キリストが、天使の軍勢と携挙されたクリスチャンたちを引きつれて、地上(イスラエルが反キリストの総攻撃を受けようとしているボツラの地)に再臨され、反キリストを滅ぼされイスラエルを助け出されます。(参考箇所は、イザヤ書34章1から7節、63章1から6節、ミカ書2章12から13節、ハバクク書3章3節)。
イザヤ書34章6節には「まことに、主の剣は血にまみれ/脂肪を滴らす。小羊と雄山羊の血にまみれ/雄羊の腎臓の脂肪を滴らす。主がボツラでいけにえを屠り/エドムの地で大いなる殺戮をなさるからだ。」とあります。
反キリストはキリストによって「イエスは彼を御自分の口から吐く息で殺し」とあります。(参考箇所は、第2テサロニケ2章8節)。
また、ヨハネの黙示録19章20節には「しかし、獣は捕らえられ、また、獣の前でしるしを行った偽預言者も、一緒に捕らえられた。
このしるしによって、獣の刻印を受けた者や、獣の像を拝んでいた者どもは、惑わされていたのであった。獣と偽預言者の両者は、生きたまま硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。」とありますから、再臨のキリストによって殺された反キリスト(獣)は、裁きのために復活させられ、偽預言者と共に「火の池」(ゲヘナ=永遠の刑罰のための場所)に生きたまま投げ込まれます。
<生き残ったすべての民族(異邦人)の裁き>
さて、艱難時代を生き残ったすべての異邦人ですが、イスラエルの民は、すでに国家として、民族として救いに与り、また、異邦人伝道の働き手として神に仕えているが、艱難時代を生き残ったすべての異邦人ですが、マタイの福音書25章31から36節(すべての民族を裁く)にキリスト再臨の際の出来事が語られています。黙示録の該当箇所は、14章14から20節です。
- 31節.「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。
- 32節.そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、
- 33節.羊を右に、山羊を左に置く。
- 34節.そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
- 35節.お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、
- 36節.裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』
艱難時代を生き残った異邦人はすべてキリスト地上再臨の際にエルサレムとオリーブ山の間にあるヨシャファトの谷(ケデロンの谷)に集められます。この場所は、ヨエル書4章1から2節に記載されています。
そして、羊の異邦人と山羊の異邦人に分けられます。
この「羊」は、艱難時代にユダヤ人等の伝道によりキリストを受け入れた者で、迫害されているユダヤ人を助けた(35節と36節)異邦人のことでしょう。
山羊の異邦人とは、羊の反対で、キリストではなく反キリストを選び、ユダヤ人の敵に回った異邦人のことでしょう。
羊の異邦人は、34節に「天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。」とあるように、この後実現する千年王国に迎え入れられますが、山羊の異邦人は再臨のキリストによって裁かれます。(参考箇所は、ヨエル書4章1から2節、マタイの福音書25章41から43節、)。
<第一の復活>
キリスト地上再臨(黙示録19:11-16)の後、復活(第一の復活)した殉教者(黙示録20:4-6)です。
すでに死んでいるクリスチャンは、艱難時代が始まる前の携挙の時に全員復活していますが、旧約時代の信者と大患難時代に殉教した信者は、この移行期間に復活します(ダニエル12:2、イザヤ26:19、黙示録20:4)。
第一の復活とは、イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たち(殉教者)の復活です。
その人たちは、復活して、キリストと共に千年王国を統治します。(黙示録20章4節)
黙示録20章4節「わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。わたしはまた、イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。・・」とありますが、「多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。」と言われている人たちです。
が、すでに殉教によって死んだクリスチャンとか、旧約時代と大艱難時代に殉教した人たちを指すのでしょう。(イザヤ書26章19節)。
この時の生き返りが「第一の復活」と呼ばれています。
千年間の後すべての死者が神の裁きの座の前に出る最後の時の復活(20章11節から15節)と区別されます。
<千年王国>
千年王国は、旧約で預言されていたメシア的王国のことです。
バプテスマのヨハネも、そして御子イエスも「悔い改めよ。天の御国は近づいた」と言って、「御国の福音」を宣べ伝えました。
「御国の福⾳」は、別の⾔葉で⾔うならば、「メシア的王国の福⾳」です。
それは、メシアが主権をもって樹⽴する可視的な地上における神の王国となります。
その御国が、千年王国のことで、言い換えれば、メシアが主権をもって樹立する地上における神の王国です。
千年王国は、文字通り千年間続くのでそう呼ばれているのでしょう。
福音書では「神の国」「天の御国」「御国」などと呼ばれています。
旧約聖書がなぜキリストと関係があるかですが、救い主がイスラエルの王としてダビデの王座につき、エルサレムから全世界を統治なさるという預言がたくさんあるからです。
旧約聖書の時代のイスラエルの民は、イエス・キリストが聖書で預言されている救い主だと知らなかったと思いますが。
しかも、実際にイエスがこられたときにイエスが旧約聖書で預言されているメシアであることを信じないで、十字架で殺してしまいましたからね。
主な聖書個所は、イザヤ書9章6から7節、エレミヤ書23章5から6節、エゼキエル書40章から41章などです。
千年王国の統治者はキリストですが、共同統治者は、黙示録20章4節に下記のようにあります。第一の復活の人々です。
- 4節.わたしはまた、多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。わたしはまた、イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。
この千年の間はキリストが直接地上を統治されます。
また、「多くの座を見た。その上には座っている者」というのは、旧約時代の聖者でしょうか。その人たちは千年王国では裁きの地位に就くことになるのです。
なお、黙示録にはないのですが、第一コリント6章2節・3節でパウロは、「あなたがたは知らないのですか。聖なる者たちが世を裁くのです。世があなたがたによって、裁かれるはずなのに、あなたがたは、ささいな事件すら裁く力がないのですか。わたしたちが天使たちさえ裁く者だということを。」と、教会の信徒たちに言っているのです。
そうすると、座に座っている者の中には、すでに亡くなっているキリスト者全員が含まれることになりますが、問題はこの使徒時代の信者は自分たちの時代に空中携挙があると信じていましたので、座に座っているのが空中携挙で上げられた信者を指すという見方もあります。
どちらにしても、旧約時代の聖者がふくまれるのは変わりありません。
また、「イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者」というのは、艱難時代に反キリストの迫害に屈しないで、殉教した人たちで、彼らは、御国においてキリストと共に千年の間裁きでなく統治することになるのです。
「あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治」するのです。
「千年王国」においては、キリストは再臨されエルサレムから全世界を統治されますので世界の中心はエルサレムになります。
千年王国の統治形態は、民主主義ではなく、メシアであるイエスによる専制君主制による統治です
この時の生き返りが「第一の復活」と呼ばれています。
千年間の後すべての死者が神の裁きの座の前に出る最後の時の復活(20章11節から15節)と区別されています。
<千年王国の統治形態>
千年王国はキリストによって統治されます。
千年王国の統治形態は、黙⽰録20章4に「わたしはまた、多くの座を⾒た。その上にはすわっている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。・・・彼らは⽣き返って、キリストとともに、千年の間統治した。」とあります。
6節では、「彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。」と記されています。
「彼ら」とは、イスラエルの⺠で、反キリストの⼤艱難の中で殉教した⼈たちでしょう。
彼らは、祭司となって何らかの裁きを⾏う地位に着きます。
異邦⼈を多く含む「教会」も、同じく祭司としての務めを果たしますが、イスラエルの⺠とは統治エリヤが違うのでしょう。
イスラエルの民は、世界の中⼼であるエルサレムで、異邦人はそのほかの諸国なのでしょう。
そして統治形態は、⺠主主義ではなく、メシアであるイエスによる専制君主制による統治です。
<千年王国はエデンの園の回復>
アダムはエデンの園に悪魔にそそのかされて神から離反し、その子孫である人類(被造物すべては)は歩むべき道を失いさ迷います。
神(創造主)から離れた被造物である人類は、自分たちがどこから来てどこへ行くのか、また、いかに生きるべきか、何が真実か、何が正しいのかも分からないで、さ迷って自己中心に生きた結果がこの悲惨な世界を生んだのです。
エデンの園の人類に罪が入る前の状態に被造世界が回復されて、本来の姿を取り戻すために準備期間が千年王国なのでしょう。
なぜならば、千年王国はまだ完全に死が取り除かれているわけではないからです。
ただ、イザヤ書11章6から9節では戦争も災害も病もなく、地は豊かに作物を育て、動物が人を傷つけることもなくなると下記のように記されています。(参考箇所、ミカ書4章1から4節)。
- 6節.狼は小羊と共に宿り/豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち/小さい子供がそれらを導く。
「小羊」は、メシア・キリストを表現していますから、この6節から16節は、黙示録20章の千年王国(メシア王国)における普遍的な平和到来することの預言だとされています。弱肉強食のこの人間を含めた動物界に、平和が訪れるのです。
6節から9節は、人間と自然界における平和、10節は、イスラエルと諸国民との平和 、11節から13節は、エフライム(北イスラエル)と南ユダの平和的統一で、全イスラエルの回復と平和です。
それでは、6節から9節の人間と自然界における平和ですが、ここの表現は、メシアが統治する結果としてもたらされる平和を詩的表現で描写されています。
最も貪欲で残忍な動物として象徴される「狼」が、ここでは「小羊」とともに「宿る」とあります。
「宿り」と訳された動詞は「ともにえさを食べる」という意味だそうですから、千年王国時代はすべて草食なのでしょうか。
「豹は子山羊と共に伏す」とか「子牛は若獅子と共に育ち/小さい子供がそれらを導く。」とありますが、子供がそれらの者を導くのですから、これらも今の世界ではありえません。
肥えた家畜は野獣の格好の餌食ですし、子どもが彼らを従えることなどとんでもないことです。
メシアがこの地上を支配すると、すべての敵意は止み、野獣はその凶暴性を失い、弱い動物は安全に生きられるようになるのです。
つまり、人間と動物(獣と家畜)が共存するのです。
しかしこのような世界が千年王国で実現すると言う預言ですが、その世界は創世記のエデンの園と同じですね。
エデンの園では、人と自然、人と動物界は敵対する関係ではなかったのです。
聖書は、人の神から離反、自己中心、神のようになりたいという欲望、支配欲が敵対的な関係を作り出したことを明らかにしています。
千年王国は、エデンの園の再現と言うことになります。
新約聖書の時代に生まれたキリスト者は、このイザヤの告げる平和の王を、このメシアの到来をナザレ人として生まれたイエスにおいて見ています。
- 7節.牛も熊も共に草をはみ/その子らは共に伏し/獅子も牛もひとしく干し草を食らう。
「牛も熊も共に草をはみ・・獅子も牛もひとしく干し草を食らう。」というのも、草食動物と肉食動物の平和的共存というか、争いのない平和の到来を表わしているのでしょう。
文字通りに解釈するなら、肉食動物が草食動物に変わる、すなわち、エデンの園の状態に回復するとこういうことになります。
- 8節.乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ/幼子は蝮の巣に手を入れる。
この箇所の表現は、「乳飲み子」も「幼子」も危害に遭うことが一切なくなることが約束されているのでしょう。
もちろん、大人もその世界で生きる者すべてがと言うことでしょう。
- 9節. わたしの聖なる山においては/何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。水が海を覆っているように/大地は主を知る知識で満たされる。
このような平和な世界が訪れることは、ここまで読んできたところ、メシアがもたらす平和がイスラエルだけにもたらされるようにも思いますが、新約聖書はそのメシアをキリストとし、全地の王、世界の王なる方として見ています。
それはこの9節の最後、「大地は主を知る知識で満たされる。」とか、10節「エッサイの根は/すべての民の旗印として立てられ/国々はそれを求めて集う。」と言う言葉からも見受けられます。
従って、このメシア預言は、救い主として生まれられたイエスが、キリストとして告白されるところでは、正義と平和が問われることを明らかにしています。
その告白は、心の中はもちろん歴史、経済、社会、政治の現実において問われ、神の支配の中、すなわち、救い主がわたしたちと共におられるということの意味で問われることなのでしょう。
まさに、「水が海を覆っているように/大地は主を知る知識で満たされる。」のですから一切例外はないのです。
<預言の成就>
千年王国において、旧約聖書に預言されているイスラエルに関する預言がすべて成就します。
一つは、神の人類救済のご計画の中に教会時代は奥義として隠されていました。神は御子イエスを地上に送りイスラエルの民を用いて人類救済のご計画を
進めようとされましたが、イスラエルの⺠は御子イエスを十字架刑で拒絶しました。
そのために奥義として隠されていた教会時代が誕生し、神の救いの恵みとしての「罪の赦しの福⾳」 が伝えられることで、異邦⼈もキリストの花嫁としての祝福を受けるようになります。
異邦⼈に対しては、「御国の福⾳」、あるいは「神の恵みの福⾳」として伝えられます。(使徒言行録20章24節)。
「千年王国」は、神がイスラエルの⺠に約束された「御国の福音の成就」のあかしであり、また同時に、キリストの教会もイスラエルに接ぎ⽊されることで、その祝福にあずかり、イスラエルの⺠と共同の相続財産を受けているということでしょう。(エフェソ3章6節)。
もう一つは、土地を与える約束です。
神はアブラハム、イサク、ヤコブと、その子孫であるユダヤ人に与えると約束しておられた地の約束は、千年王国において成就します。
ですから、異邦人には、約束の地の外側に土地が割り当てられます。
<千年王国の住民>
千年王国の統治者はキリストですが、共同統治者は、先に<千年王国>の箇所で黙示録20章4節を取り上げて書きました。
ここでは、5節以下を取り上げます。
- 5節.その他の死者は、千年たつまで生き返らなかった。これが第一の復活である。
- 6節.第一の復活にあずかる者は、幸いな者、聖なる者である。この者たちに対して、第二の死は何の力もない。彼らは神とキリストの祭司となって、千年の間キリストと共に統治する。
先に書いたので重複するところもありますが、キリストの共同統治者は、下記の人たちです。
その1.艱難時代の前に空中携挙された信者(教会時代の信者も含まれます)
復活の体を持っている。再臨のキリストと共に地上に戻ってきた人たち
聖書箇所は、4節「多くの座を見た。その上には座っている者たちがおり、彼らには裁くことが許されていた。」。
教会時代の信者も含むと書きましたが、第一コリント6章2節・3節(聖なる者たちが世を裁く、夜があなた方によって裁かれる)、黙示録3章21節(わたしの座)、22節(諸教会)を根拠にしています。
いわゆるこの世でキリストを信じ死んでいった人は、永遠の命に与れる(セカンドチャンスの話はここでは省略します。)とされていますから、そういうことなのでしょう。
なお、「座っている者」の中には、教会時代の信者のほかに旧約時代の聖者(再臨のキリストと共に地上に戻ってきた人たち)も含まれます。
参考箇所は、イザヤ書26の17から19節(「産みの苦しみ」は、艱難時代全体のこと〉
キリスト再臨の前、千年王国の前に旧約時代の聖徒が復活(第一の復活)します。アブラハムとかモーセとかエリヤなどでしょう。
その2.艱難時代に殉教した信者
4節「イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。」
艱難時代の信者の迫害は、世界統一宗教によるものと反キリストによるものがあります。
- 艱 難時代前半の殉教者、「イエスの証しと神の言葉のために、首をはねられた者たち」・・偽の教会のクリスチャンである世界統一宗教による迫害
- 艱 難時代後半の殉教者、「あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった人々。」・・艱難時代後半に反キリストを礼拝しなかった理由で殉教した人々。666の刻印を受けていなかった者。
なお、5節の千年王国が終わるまで生き返らない「その他の死者は」、教会時代の信者とか旧約時代の聖者とか艱難時代の殉教者(第一の復活)以外の反キリストに従った人とか創造主から離れた人のことでしょう。
こうして、第一の復活にあずかった旧約時代の信者や大艱難時代の殉教者は、キリストの祭司としてキリストと共に全地を治めます。
彼らには、天使でさえも支配する権威が与えられます(黙示録20章4節から6節、第2コリント6章2節と3節)。
このように千年王国の住民は、栄光の体を持った人達(第一復活した人)と、艱難時代を生き抜いて、地上の肉体を持って千年王国に入った人達と肉体をもって千年王国に入った人から生まれる子孫です。
- 栄光体を持った人たち
栄光体を受けるのは、まず黙示録20章4節から6節に記載されている人々です。
すなわち、キリスト再臨の時に栄光体をもって復活するのは、艱難時代の殉教者、旧約時代の聖者(ダニエル12:2)、そして、大艱難時代が始まる前にキリストによって空中携挙され、キリストの再臨の時に共に地上に戻ってきたユダヤ人と異邦人キリスト者、
注意すべきことは、艱難期前に空中携挙された際に栄光の体を与えられ天に挙げられたユダヤ人あるいは異邦人信者も該当するのですが(1テサロニケ4章13節から18節、1コリント15章21節から23節、51節から53節)、キリストの再臨の時に共に地上に戻ってきた人たちです。キリストと共に地上に戻ってこない人がいるのならその人は対象外です。
その人たちは、キリスト地上再臨の時に栄光の体をもって復活し、千年王国に住みます。
第一テサロニケ4章16節から17節に「すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。」とあります。
つまり、栄光体を持った人達というのは、艱難時代に入る前のキリストによる空中掲挙の際に栄光の体を与えられた全信者(1テサロニケ4章13節から18節、1コリント15章21節から23節、51節から53節)とキリストが地上に戻ってこられた後、復活した人達(黙示録20章4節から6節)です。
なお、栄光の体を与えられて復活した人は、この世を去った後には結婚はしませんから、子供も産みません(マタイ22章30節)し、死にません。また罪を犯すこともありません。
⑷ 地上の体(肉体)を持った人たち
キリストは、黙示録19章11節から16節にキリストが白馬の騎手の姿で地上に戻って来られる(キリストの再臨)の預言を見ます。
艱難時代を生き抜いた聖徒(イスラエル人と異邦人)たちは、栄光の体に変えられる記述は黙示録にはありませんから、キリストが再び来られる(地上再臨)時、地上にいる聖徒は、千年王国に住む間肉体の体でいることになります。
次に、マタイ25章31
節から46節(すべての民族を裁く)の箇所ですが、この箇所は、すべての民族を羊と山羊を分ける裁きのときと呼ばれています。(<生き残ったすべての民族(異邦人)の裁き>の箇所を参考にしてください。
そこでは、山羊に分けられた不信者の異邦人が生き延びて、千年王国へ入ることはありませんから、羊に分けられた、正しい(義なる)異邦人は肉体のまま生きて千年王国に入ります。
そして彼らが子供を産んで、人口が増えるのです。
千年王国で子供を産むのは、羊に分けられた異邦人と、黙示録、旧約聖書では、艱難時代のすべてのイスラエル人は、ローマ書11章26節によればキリストの恵みによりすべて救いに与ることになっていますから、彼らも、栄光体が与えられたキリストの座に座っている人や艱難時代に信じて殉教した後に復活させられた殉教者のように栄光体を受け取りませんから、彼らも千年王国の間に子供を産みます。
このように千年王国の始まりの住民は信者ばかりです。
ただし、栄光の体を持った住民は、マタイ22章30節によれば、「復活の時には、めとることも嫁ぐこともなく」とありますから、子供を産みません。
また、千年王国には、サタンや悪霊による誘惑ありません。
千年王国の住民は、栄光の体を持った人と肉体を持った人が混在します。
当然ですが、肉体を持った古い体には罪の性質が残っています。
そこで、千年王国建国後に誕生した新しい世代の中には、いくらサタンや悪霊による誘惑がないと言っても、イエス・キリストによる救いを信じず、キリストの統治を喜ばないで逆らう人たちも出てくるでしょう。
こうして、第二世代以降は、千年王国でも信者と不信者が混在するようになるのです。
新世代の住民(肉体のまま千年王国に入った人達の子孫)も、イエス・キリストを信じたならば、第一世代の信者と同じように死ぬことがなく、千年王国の終わりには栄光の体が与えられるでしょう。
しかし、不信者のままだと、イザヤ書65章の「救いの約束」20節によると、100歳で死んでしまいます。
ただし、ユダヤ人はすべて救われるので(ローマ11:26)、信じないまま死ぬ可能性があるのは異邦人だけということになります。
<サタンの敗北>
聖書の箇所は、ヨハネの黙示録20章7節から10節です。
- 7節.この千年が終わると、サタンはその牢から解放され、
- 8節.地上の四方にいる諸国の民、ゴグとマゴグを惑わそうとして出て行き、彼らを集めて戦わせようとする。その数は海の砂のように多い。
悪魔の欺きが地の果てまで及ぶことを示しているのでしょう。
- 9節.彼らは地上の広い場所に攻め上って行って、聖なる者たちの陣営と、愛された都とを囲んだ。すると、天から火が下って来て、彼らを焼き尽くした。
悪魔の欺きによる異邦人の軍勢が、全世界に広がります。
「聖なる者たちの陣営と、愛された都とを囲んだ。」ですから、彼らはイスラエルに侵攻しエルサレムを包囲しますが、「天から火が下って来て、彼らを焼き尽く」しました。
- 10節.そして彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた。そこにはあの獣と偽預言者がいる。そして、この者どもは昼も夜も世々限りなく責めさいなまれる。
「彼らを惑わした悪魔」は、あの獣と偽預言者がいる「火と硫黄の池に投げ込まれ」(10節)て、「世々限りなく責めさいなまれる。」のです。
こうして悪魔は最終的に滅ぼされます。
それにしても、神はずいぶん長く悪魔を自由にさせていたのですね。
それも何か意味があるのでしょう。
神が悪魔を「底知れぬ所」(地獄)から解放する理由は、再び人類を試すためでしょう。
なぜならば、千年王国は理想に近い世界で、罪も死も大幅に減りますが、肉体を持った人間の原罪はなくなりませんから、完全に罪が無くなったわけではないからです。
だから、千年王国が終わるころには、肉体をもって生きている人々で最初は信者であっても、その人の子孫の中にはキリストの福音を受け入れない、神とキリストを受け入れない人々が多く生まれます。
それは、人間は、どんなに恵まれた環境の下に置かれていたとしても、自由意志の中で生きるなら、罪と悪に陥ることを明らかにするためでしょう
人間は、どんなに恵まれた環境の下に置かれていたとしても、自由意志の中で生きるなら、罪と悪に陥ることを明らかにします。もちろん、そのことで悪魔の変わることのない悪性をも明らかにします。
裁きを正当なものであることを人々に知らせる為でしょう。
そうすることで、この後行われる裁きが正当なものであることを⼈々に知らしめることになるのです。
また、神はその人たちも少しでも救いに導かれることを期待し、チャンスを与えておられるのでしょう。
神の人間への愛、一人でも多く人間が救われたいという愛の表れだと思うのです。
何度も何度も、神は人間に救いのチャンスを与えておられると思うのです。
<最後の裁き・・キリストの裁きの座>
その1.キリストにある者の裁き
コリント信徒への手紙二5章10節に、わたしたちは皆、キリストの裁きの座の前に立ち、善であれ悪であれ、めいめい体を住みかとしていたときに行ったことに応じて、報いを受けねばならないからです。」とあります。
ですから、最後の裁きではキリストにある者もキリストの裁きの座に立たされ、それぞれ地上での行ないに応じて裁かれます。
でも、過去・現在・未来に全人類はキリストの十字架死と復活でその罪(原罪)は(キリストの福音を受け入れることを条件に)贖われています。
ですから、このキリストにある者の裁きは永遠の滅びか永遠の祝福かを決定するためのものではなく、裁かれるのは生前の行いだけなのです。だから報いなのでしょう。
それは、クリスチャンはキリストの十字架と復活(前述の恵みの福音)を信じていますから、すでに罪(原罪)は完全に赦されて永遠の祝福に与っているからです。
だから、裁きというより生前の行いに対する報いと言った方がよいでしょう。
マタイの福音書25章21節にこのような言葉があります。
「主人は、言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』
その行いが誰にも理解されず、褒められなくても、誤解され、馬鹿にされたとしても、イエスの御心に沿ったものであれば報いてくださるのです。
逆に、人に褒められるために、また、自分の利益だけのために行なった善行は、キリストのさばきの座では評価されません。
マタイの福音書6章1節に「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。」
その2.地の四方に住む諸国の民(ゴグとマゴグ)の裁き
千年の終わりに、閉じ込められていたサタンが解放されます。そして、地の四方に住む諸国の民(ゴグ、マゴグ)を惑わして、軍隊として集結し、エルサレムを包囲します。なお、ゴクは支配者で、マゴグは諸国民を指すのでしょう。
この軍隊は、解き放されたサタンの惑わしによって召集された軍隊で、「海の砂のように多い。」とあります。
この諸国の民は、千年王国に艱難時代を生き抜き肉体を持ったまま居住している人で、わたしたちと同様に、結婚し、かつ⼦どもを産み、千年王国においては長寿ですから、その人たちの人口は時間の経過とともに次第に多くなっていくのでしょう。
これは千年間に生まれた神というかキリストを認めない子孫たちにキリストの統治か、サタンの統治かを選ばせるのでしょう。神のもとにない人間への最後の選択、救いに与かるための最後のチャンスと言えるのでしょう。
このチャンスを逃し、神の統治、キリストの統治を拒否する子孫は、火の池に投げ込まれます。
しかし、千年王国は、キリストが支配し、キリストを知る知識はどこにでもあるにもかわらず、サタンが解放されるとたちまちサタンの呼びかけに応じる人々がいるのです。それが、「ゴグとマゴグ」でしょう。
聖書箇所は黙示録20章7から8節「千年が終わると、サタンは牢獄から解き放たれ、地の四方にいる諸国の民、ゴグとマゴグを惑わそうとして出て行き、彼らを集めて戦わせようとする。その数は海の砂のように多い。」です。
「地の四方にいる諸国の民」というのは、千年王国の住民は、最初は全員信者ですが、肉体の体のまま千年王国で生きる住民は子供を産みますから、その子供は千年の終わりの頃になるとかなりの数になり、反キリストに走る者も出てくるでしょう。
その者たちは、統治者であるキリスト(エルサレム)から遠く離れて住むようになります。
この「地の四方」(世界中)にいる不信者たち、すなわち、艱難時代が始まる前にイスラエルに攻めてくる連合国を「ゴグとマゴグ」と言っていましたが、その「ゴグとマゴグ」という呼び名を反イスラエルの象徴としてここで用いているのでしょう。
キリストを拒否した諸国の民は、サタンに惑わされて軍勢を組みエルサレムを取り囲みます。しかし、天からの火によって、すべて焼き尽くされてしまうのです。
サタンに従った諸国の軍勢はイスラエルに侵攻し、「聖なる者たちの陣営と、愛された都」、すなわち、エルサレムを取り囲みますが、その時、天からの⽕によって諸国の軍勢は⼀瞬にして焼き尽くされるのです。
聖書箇所は黙示録20章9節で「彼らは地上の広い場所に攻め上って行って、聖なる者たちの陣営と、愛された都を囲んだ。すると、天から火が降って来て、彼らを焼き尽くした。」です。
その3.サタンと悪霊の裁き
聖書箇所は、黙示録20章10節には「そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池に投げ込まれた。そこにはあの獣と偽預言者もいる。そして、この者どもは昼も夜も世々限りなく責めさいなまれる。」と、マタイの福音書25章41節には「それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、私から離れ去り、悪魔とその使いたちに用意してある永遠の火に入れ。』です。
悪魔と獣(キリストに対応する悪霊(悪魔に支配された国家権力、反キリスト))と偽預言者(悪魔の子で、御霊に対応)は「火と硫黄の池」に投げ込まれます。
その4.白い玉座の裁き
(1)今の宇宙が消え去る
今の宇宙がすべて消え去ります。そして、キリストがさばき主として白い御座に着座されます。
聖書の箇所は、黙示録20章11節「わたしはまた、大きな白い玉座と、そこに座っておられる方とを見た。天も地も、その御前から逃げて行き、行方が分からなくなった。」
(2)不信者の復活と裁き
聖書の箇所は、黙示録20章11節から15節です。
- 11節.わたしはまた、大きな白い玉座と、そこに座っておられる方とを見た。天も地も、その御前から逃げて行き、行方が分からなくなった
。
「大きな白い玉座と、そこに座っておられる方」は、裁きのために着座されていますから、イエス・キリストです。
千年経った後に、「天も地も、その御前から逃げて行き、」ですから、この地球、いや宇宙全体が焼けて崩れ落ちて消えてなくなるのでしょう。
ペトロ第二3章12節には、「その日、天は焼け崩れ、自然界の諸要素は燃え尽き、熔け去ることでしょう。」とあります。
おそらく現在の物質世界が、そう、原子からすべてが崩壊してしまうものだと考えられます。
なお、⽩い玉座とそこに着座されている⽅が誰かとは書いていませんが、それは、黙示録4章3節に「その方は、碧⽟や⾚めのうのようであり、玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いていた。」とありますからそれらが邪魔になってヨハネには見えなかったのかもしれません。
玉座に座っておられる方は、ヨハネの福音書5章22節「父は誰も裁かず裁きは一切子に任せておられる。」とか、同27節に、「裁きを行う権能を子にお与えになった。」とあり、この父は神であり子は御子イエスですから、裁きの白い玉座に着座されている⽅はメシアであるイエスということになります。
- 12節.わたしはまた、死者たちが、大きな者も小さな者も、玉座の前に立っているのを見た。幾つかの書物が開かれたが、もう一つの書物も開かれた。それは命の書である。
「死者たち」は、最後まで自己中心で生きた人、神はいないと主張したまま死んだ人を指すのでしょう。
キリスト者は、キリスト空中再臨の際にすでに復活しています。
テサロニケの手紙一4章16節から17節に「16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」とあるからです。
「大きい者も、小さい者も」とありますが、これは、神は正しい裁きがなされる、えこひいきをなさらないという意味でしょう。
神の所にはいくつかの書物があってそれらはすべて開かれるのですが、同時に別のもう一つの書物「命の書」も開かれます。
この命の書には、永遠の命に与る者の名が記されています。
「命の書」以外の書物には、死者たちを裁くための行状が書かれているのでしょう。
「命の書」に登録されていない者はみな⽕の池に投げ込まれます。(14節・15節)
この⽕の池に⼊ることを、聖書は「第⼆の死」と説明していますが、⼈間の最 後の敵である「死」はここにおいて完全になくなるのです。
- 13節.海は、その中にいた死者を外に出した。死と陰府も、その中にいた死者を出し、彼らはそれぞれ自分の行いに応じて裁かれた。
「海」は、世界の諸国民を指し、その中には、悪魔に支配されて世界を残酷に支配した帝国などもろもろの悪魔的な混沌の勢力が死者としているところです。
「陰府(よみ)」は、キリストを受け入れていない者とか知らなくて死んだ者が死んだあと行くところです。
すなわち、死んだ者が裁きを受けるまで待機しているところから出てきて復活します。
「死者を外に出した」は、第二の復活を指しているのでしょう。
真のキリストの民の復活は、艱難期前に起こるキリストの空中携挙の時で、艱難期の殉教者の復活は千年期の前に起こりますが、不信者は千年期の後、玉座の前に立つために復活します。
その上で、開かれた書にのっとって、「それぞれ自分の行いに応じて裁かれ」るのです。
最後の審判がどのようなものか、誰が命の書に名前を記されているか、わたしたちにはわかりません。
厳密な意味で、今、クリスチャンと名乗っている者が、また、今、教会に集っている者が「命の書」に名前が書かれているとは限りません。
逆に、今、キリストを信じていないからと言って、「命の書」に名前が書かれないとも言えません。
たとえ聖職者と言われる方も含めてです。
わたしたちが人生の総決算をここでしなければいけないことは事実です。
参考箇所は、マタイの福音書25章31節から35節「そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。
そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』」です。
なお、裁かれる者ですが、ヘブル⼈への⼿紙9章27節に「また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっているように、」とありますから、⼈はみな(キリスト信者であってもなくても)例外なく死ぬことと、それと同時に、「その後裁きを受ける」とが定まっているのです。
この裁きは、行いによってですから「火の池」(地獄)行きの有罪か無罪かではなく、地上で生きていたころの行いを裁きで、もちろん、行いを裁くのですから、裁きには罪、あるいは刑の軽重を決める裁判でしょう。
死者たちは、これらの書物(記憶の書)に書かれていることに基づき、彼らの行いに応じて裁かれます。
纏めると、黙示録20章12節から15節には、⽩い玉座の前には幾つかの書物が開かれたが、もう一つの書である「命の書」も開かれました。二つの種類の書物があるのです。
死者たちは、「幾つかの書物」に書かれていることに基づき、彼らの行いに応じて裁かれます。
「命の書」は、おそらく、救いはキリストの十字架死と復活で完成しています。あとは個人がその福音を受け入れるか否かの問題だけです。
その福音を受け入れた真の信者の名が「命の書」に記載されているのでしょう。
玉座の前に⽴つ者たち、すなわち、裁きを受ける者は、死と陰府から出されて来た死者、海から出されてきた死者ですが、では、キリストにある者は、生前のその行いは裁かれないのでしょうか。
ヘブル⼈への⼿紙9章27節の「また、人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」を読めば裁かれるように思うのですが・・・。
- 14節.死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。
- 15節.その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。
「この火の池が第二の死」、火の池には、20章10節で、すでに悪魔が投げ込まれていますが、反キリストと偽預言者も千年前に投げ込まれています。
第二の死とは、あくまでも最後まで神を拒否する者として裁かれた死者が行くところです。永遠に神から引き離された状態にいる、ということでしょう。
それも永遠に朽ちない体に復活させられたのちに、火の池で苦しむことになるのです。
なんと残酷なことでしょう。
しかし、その様な場にも神はおられると思うし、神がおられる所には救いもあると思うのですが・・・。
そうでしょう。地獄も神の被造世界です。神の被造世界であれば、そこの神はおられますし、神のおられる場には、神の愛があります。
それに裁きですから、刑罰の軽重もあると思います。執行猶予もあるかもしれません。
ですから、キリストを信じないで、あるいは知らないで死んだ者が無条件で「火の池に投げ込まれ」るとは限らないと思うのです。
そうでなければ、あまりにもこの世は不公平です。
なお、わたしは死ねばキリストを信じている者以外はすべて陰府に行くものと思っています。
また、そこでセカンドチャンスが何度もあると思っています。
それでもなおキリストを拒否する人(いわゆる確信犯)は、キリストが支配される天国では生きづらいでしょう。
だから、火の池に投げ込まれるのですが、それが永遠に続くのは・・・・。(黙示録20章15節)
マタイ11章20節から24節には、罪の軽重についてイエスは「裁きの日にはテイルスやシドンの方が、お前たちよりまだ軽い罰で住む。・・。」と認めておられます。
行いの裁きには、罪の軽重は当然ですが、火の池に投げ込まれる場合も、その人によって味わう苦しみには違いがあるのでしょうか。
<新しい天と新しい地>
白い御座のさばきの後、消え去った今の天地の代わりに、新しい天地が誕生します。
聖書箇所21章1節には「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった。」とあります。
そして、キリストにある者はキリストと共にそこに永遠に住みます。
聖書箇所黙示録21章3節と4節には「そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」
これがわたしたち人類の行きつく先です。でも、そのような世界で永遠に生きるのですが、そのような人生がどのようなものか想像できません。
永遠に生きるなんて、退屈でしょうね。想像を超える世界ですから考えても仕方ないです。
<聖なる都、新しいエルサレム>
新しいエルサレムの都が神のもと(第三の天)にあって、そこから新しい地の上に降りてきます。
聖書箇所は、黙示録21章2節と3節で「更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、・・」とあります。
新しいエルサレムは、神の幕屋が人の間にあって、神がいつも信者と共におられるのです。
黙示録21章11節から14節には、「都は神の栄光に輝いていた。その輝きは、最高の宝石のようであり、透き通った碧玉のようであった。都には、高い大きな城壁と十二の門があり、それらの門には十二人の天使がいて、名が刻みつけてあった。イスラエルの子らの十二部族の名であった。東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。都の城壁には十二の土台があって、それには小羊の十二使徒の十二の名が刻みつけてあった。」と描いています。
以下補足
ヨハネの黙示録補足(1)1章から7章の補足
黙示録は、神によって創造された人間が、悪魔に唆かされ神から離れ自己中心に生きる中で生まれた地獄のような人間社会が行きついた究極の状態にあるときに、神は人間を救済するために介入され、つまり、御子イエスをこの世に送り、その十字架死と復活により罪の中にある人間を救済するご計画を実施されました。
黙示録は、その神の人類救済計画の最終段階を預言するものです。
最終的に、今のこの天地は滅びて、新しい天地が、そして、そこに住む新しい人間が創造されて黙示録は終わります。
なお、聖書を読むと「その日」とか「主の日」とか、「終わりの日」「終りの時」「末の日」「その時」などから書きはじめられているのをよく見ますが、一概には言えませんが終わりの日の預言だとされています。
内容は、黙示録の各章を解釈するにあたり必要なポイントを章ごとに取り上げてみたいと思います。すべての聖句を記するのは省略しますから、聖書を読まれるときの参考にしてくだされば幸いです。
なお、黙示録の解釈はむつかしく、解釈は専門家の解釈を参考に、できるだけほかの聖書の箇所で確認して、私が納得できる範囲でまとめてみました。
- 1章は、福音書を書いたヨハネが島流しされたパトモスという島で神の啓示を受け、その啓示を書き留めるように言われます。その経緯は、1節の通りです。
紀元69~79年の間の皇帝ヴェスパシアヌスの時代だそうです。
黙示録は、1節「イエス・キリストの黙示、この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。」から始まります。
<空中携挙>
聖書に啓示されている七年の大艱難時代が始まる前に信者の空中携挙が発生します。
これは、大艱難時代の直前に福音を本当に信じている信者が天に上げられて大艱難時代の災害から守られるという現象です。
携挙の時期については、いろいろと説があるそうですが、とりあえず大艱難時代の直前に起きるとします。
黙示録には、キリストの空中携挙の預言はありません。Ⅰテサロニケに下記の通りあります。
4章15節に「主の言葉に基づいて次のことを伝えます。主が来られる日まで生き残るわたしたちが、眠りについた人たちより先になることは、決してありません。」
同16節に「すなわち、合図の号令がかかり、大天使の声が聞こえて、神のラッパが鳴り響くと、主御自身が天から降って来られます。すると、キリストに結ばれて死んだ人たちが、まず最初に復活し、」
同17節に「それから、わたしたち生き残っている者が、空中で主と出会うために、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられます。このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります。」
すなわち、空中携挙の際に起こることは、下記の三つにまとめられます。
- 主イエス・キリストが天から空中まで下って来られる
- すでに死んでいる信者がよみがえる――教会時代において死んだすべてのクリスチャンがよみがえる
- 地上にいる信者が、よみがえった信者たちと共に新しい体を与えられ空中に引き上げられ主と会う。そして、いつまでも主と共にいる、です。
この後7年の艱難時代が始まりますが、艱難時代が終わり千年王国の始まる前にキリストの地上再臨と共にその人たちは復活(第一の復活)し、千年王国の住民となります。(黙示録20章)
それまですべてのクリスチャンは主と共に天国にいることになります。
- 2章と3章は、教会時代のキリスト教会の歩みを示しているのでしょう。
なお、この教会はあくまでもエクレシアで、信徒の集まりです。立派な建物をもち組織でできている巷にある教会ではありません。
- 4章と5章は、天のみ座の様子です。
4章1節に「その後」とありますが、それは教会時代の後ということでしょう。
4章7節とか8節の「獅子」「雄牛」「人間のような顔」「空を飛ぶ鷲」の四つの生き物は天使(御使い)でしょう。
一般に天使は背中に羽が生えていて無垢で可愛いい子供のように描かれていますが、実際は、上記のように様々な容姿をした存在なのでしょう。
5章の七つの封印を施された巻物ですが、地球の土地権利書のようなものでしょう。
アダムの罪によって人間からサタンに移った地球の支配権がキリストの十字架によって買い戻されました。
そして、地球に住む全人類に対して御国の福音の伝道活動が始まります。
マタイ24章14節には、「そして、御国のこの福音は、あらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから終わりが来る。」とあります。
地権者となった子羊イエス・キリストがこの七つの封印を解くことによって、地の清めがはじまるのですが、その様が黙示録に記されています。
地の清めが行われる終わりの日は、マタイの福音書24章14節に終末の徴として、「そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に延べ伝えられる。それから、終わりが来る。」とあります。
「地の清め」というのは、人間は神から離れて自己中心に生きてきた結果、この地上は罪に満ち、主の忍耐が限界に達し、この地上に罪が満ちるのを待っておられた主は直接介入し、裁きと艱難をもって清められます。
- 黙示録6章から始まる艱難時代の7つの封印、7つのラッパ、7つの鉢の裁きの三つの裁きですが、裁きは、人々が悔い改めて神に立ち返る機会を与えるのが目的です。
人間は、神から離反したままであれば死んで終わりですから、何とか生きる者となってほしいという神の愛というか、人類救済のご計画の一環でしょう。
この世界を生きる人間に艱難が多いのは、何度も何度も機会を与えて、すべての魂が救われるのを神は忍耐強く待っておられるのでしょう。
6章から8章は、七つの封印が開かれていく様子です。
第6章(六つの封印が開かれる)に関するほかの聖書箇所は、ヨエル書3章4節「主の日、大いなる恐るべき日が来る前に/太陽は闇に、月は血に変わる、使徒言行録2章20節「主の偉大な輝かしい日が来る前に、/太陽は暗くなり、/月は血のように赤くなる。」です。
第6章は、7つの封印の災いです。
第一の封印の「白い馬に乗った人物」は、反キリストでしょう。
第二の封印は、エゼキエル38章のゴグマゴクとそれに付随する争い、いわゆるエゼキエル戦争とされています。
第三の封印は、「オリーブ油とぶどう酒とを損なうな」ですから、このようなものは金持ちしかもっていないので、困るのは金持ちです。
第四の封印は、「青白い馬」は死を表しますから、死人が多く出ます。
第五の封印は、殉教者に白い衣が与えられる。殉教者の数が満ちるのを待つように言われる。
第六の封印は、天変地変ですが、天変地変は、神と小羊の怒りだとしています。
他の参考箇所は、ヨエル書2章31節、使徒言行録2章20節、黙示録7章1節と2節と3節、ここの「風」は、災害をもたらす御使いたちではとされています。(ヘブライ書1章7節)
第七の封印は、8章です。
- 第7章(刻印を押されたイスラエルの子ら)ですが、第七の封印までの間に、黙示録7章1節には、イスラエルの子らに刻印が押されるとありますが、それはイスラエルの残りの者すべてを神が一方的に救われるのでしょう。
7章1節に「彼ら」(天使)は、大地の四隅から吹く風をしっかり押さえて、大地にも海にも、どんな木にも吹き付けないようにしていた。・・もう一人の天使が生ける神の刻印をもって、太陽の出る方角から上ってくるのを見た。この天使は、大地と海とを損なうことを許されている。」とあります。
「風」は、地上への裁きを実行する御使い達(悪霊)のことでしょう。参考箇所へブライ人への手紙1章7節です。
要するに御使いである悪霊達を「風」として、その風である悪霊を用いて地上の人間を麦と毒麦をよりわけ、神に従う御使い達が悪いものを焼き滅ぼす炎として用いられると解釈できます。
つまり、その四人の天使に「神の僕(イスラエルの子ら)たちの額に刻印を」押してしまうまでは大地も海も木も損なってはならないと命じているのでしょう。
それでイスラエル12部族の144000人に神の刻印が押されます。(黙示録14章)
7章9節の(白い衣を着た大群衆)は、「あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、誰にも数えきれないほどの大群衆(異邦人)が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、大声でこう叫んだ.
「救いは、玉座に座っておられる私たちの神と、小羊(イエス)のものである。」
ということは、先に救われたイスラエルの残りの者によって多くの異邦人が救われるのですが、その救われた異邦人が、すなわち、「白い衣を着た大群衆」が神(イエス)を賛美しているのでしょう。
ヨハネの黙示録補足(2)8章から11章の補足
8章は、七つのラッパの裁きです。裁きは全地の三分の一が対象になります。
- 第8章(第七の封印が開かれる)ですが、ラッパの災いに備えて七人の御使いに七つのラッパが与えられます。
御使いが、聖徒たちの祈りのこもった香炉を投げると、雷鳴、モロモロの声、稲妻、地震が起こります。
何度も何度も人災と自然災害で人々は苦しめられますが、これも悔い改めて神に立ち返らない人々に神に立ち返る機会を与えておられるのでしょう。
神はすべての人を救いたいのです。それがご計画です。
8章6節以降は7つのラッパの災いです。
第一のラッパから第六のラッパが吹かれ災いが襲い掛かりますが、ここ第五と第六のラッパのわざわいは悪魔・悪霊によるものでしょう。
9章1節の「星」は、堕天使(=悪霊)で、底なしの淵の穴を開くカギが与えられます。
穴が開くと、煙が穴から立ち上がり、太陽も空も暗くなり、その煙からいなごが出てきて、ただ、額に神の刻印のない人々にのみ殺さないで苦しめるだけの害を与えたのです。
このいなごが悪霊であるとされていますが、その根拠を調べますと、黙示録9章11節の「いなごは、底なしの淵の使いを王としていただいている。その名はヘブライ語でアバドンといい、ギリシア語の名はアポリオンという。」とあり、このその名の意味は、「破壊の場」「滅ぼす者」「奈落の底」ということで、それが根拠だということです。
なお、この悪魔に「底なしの淵の穴を開くかぎ」が与えられますが、その「底なしの淵」とは、ルカ8章31節「悪霊どもは、底なしの淵に行けという命令を自分たちに出さないようにとイエスに願った。」とか、第二ペトロ2章4節「神は、罪を犯した天使たちを容赦せず、暗闇という縄で縛って地獄へ引き渡し、裁きのために閉じ込められました。」とありますから、神に従わない天使(悪霊)や人々の投げ込まれる真っ暗な牢獄のようです。(ルカ8章31節、ローマ10章7節、第二ペトロ2章4節)
これが地獄でしょうか、永遠の刑罰が行われる火の池=ゲヘナとはどのように違うのでしょうか。
ということで、第五のラッパは、悪霊によるゾンビ災害でしょう。
- 9章12節に第一のわざわいは、過ぎ去った。見よ、この後、なお二つのわざわいがやって来る。
ここは第六のラッパ(第二のわざわい)ですが、人間の三分の一を殺すために、ユーフラテス川につながれた四人の天使が解き放たれます。
この四人の天使ですが、「ユーフラテス川につながれた」とありますから、これも堕天使、悪霊でしょう。
この四人の堕天使は、人間を殺す四つの勢力の四人のリーダーとなるのですが、「その騎兵の数は二億」(16節)で、「彼らは、炎、紫、および硫黄の色の胸当てを着けており、馬の頭は獅子の頭のようで、口からは火と煙と硫黄とを吐いていた。・・この三つの災いで人間の三分の一が殺された。」(18節)とあります。
なお、この2億の軍勢はおそらく非イスラム世界の連合軍ではないかとされていますが、それはマタイ24章5節でイエスは「わたしの名を名乗るもの」と言っていますから、それが根拠です。
黙示録9章20節には「これらの災いに遭っても殺されずに残った人間は、自分の手で造ったものにつて悔い改めず、なおも、悪霊どもや、金、銀、銅、石、木それぞれで造った偶像を礼拝することをやめなかった。」のです。
その勢力に対するイエスの言葉は、マタイ24章4節と5節、テサロニケ人への第二の手紙2章8節から12節、第二コリント11章14節と15節に記されています。
- 第10章(天使が小さな巻物を渡す)ですが、ヨハネは、手に開かれた小さな巻物を持った一人の力強い天使が、雲を身にまとい、天から下って来るのを見ます。
その天使が、獅子が吠えるような大声で叫ぶと7つの雷がそれぞれの声を発します。
この「7つの雷が語ったこと」をヨハネは書き留めようとしたのですが、天から声があって、「秘めておけ。それを書き留めてはいけない。」と言う声が聞こえたのです。
1節の「力強い天使」が、創造主にかけて誓います。
その誓いの言葉は、「もはや時はない。第七の天使がラッパを吹くとき、神の秘められた計画が成就する。それは、神がご自分の僕である預言者たちに良い知らせとして告げられた通りである。」です。
「力強い天使」がヨハネに、天使のところに行って天使の手にある「開かれた巻物を受け取れ。」と告げます。そして、ヨハネは、その天使の声に従って、その巻物を食べます。
その時、「あなたは多くの民族、国民、言葉の違う民、また、王について、再び預言しなければならない。」という声が聞こえます。
- 第11章(二人の証人)ですが、ヨハネは杖のように物差しが与えられ、「神の神殿と祭壇とを測り、また、そこで礼拝している者たちを数えよ。しかし、神殿の外の庭はそのままにしておけ。測ってはいけない。」と告げられます。
この測ってはいけない場所は、「異邦人に与えられたからである。」とありますから、その場所は異邦人によって42か月間(1260日)荒らされるようです。
神は、「二人の証人」に粗布をまとわせ、1260日の間、預言させます。
そして、この二人に害を加えようとする者は、彼らの口から火が出て必ず殺されるのです。誰も二人のすることを邪魔できないということでしょう。
「二人の証人」が預言している間は、6節「彼らには、預言をしている間ずっと雨が降らないように天を閉じる力がある。また、水を血に変える力があって、望みのままに何度でも、あらゆる災いを地に及ぼすことができる。」力を持つのです。
そして、「二人がその証しを終えると、一匹の獣が、底なしの淵から上って来て彼らと戦って勝ち、二人を殺してしまう。」(7節)のです。
11章8節に、「この二人の証人の主も、その都で十字架につけられたのである。」また「人々は三日半の間、彼らの死体を眺め、それを墓に葬ることは許さないであろう。」とありますから、二人の証人はイエスの弟子でしょうか、なした奇跡が同じだからエリヤとモーセではという見方があります。
二人の証人(預言者)は、「三日半たって、命の息が神から出て、この二人に入った。」(11節)とあり生き返るのです。
そして、彼らはよみがえり「ここに昇ってこい」という声があり、天に上げられます。
このとき、大地震が起こり、都の十分の一が倒れ、七千人が死に、生き残った人々は恐れを抱いて、天の神の栄光をたたえます。
なお、これらの災いは、11章14節に「第二の災いが過ぎ去った。見よ、第三の災いが速やかにやってくる。」とありますから、第六のラッパ(第二のわざわい)の時に起こるようです。
11章15節は、第七の天使がラッパを吹きます。
「さて、第七の天使がラッパを吹いた。すると、天にさまざまな大声があって、こう言った。「この世の国は、我らの主と、そのメシアのものとなった。主は世々限りなく統治される。」
サタンが支配する世が終わりを告げ、神の国の始まりを告げます。
ヨハネの黙示録補足(3)12章の補足
- 12章(女と竜)
黙示録11章19節と12章1節には、「そして、天にある神の神殿が開かれて、その神殿の中にある契約の箱が見え、稲妻、さまざまな音、雷、地震が起こり、大粒の雹が降った。また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。」とあります。
12章は、「竜」である悪魔が、「女」のイスラエルの残りの者を含むイエスの福音を信じる人々に戦いを挑むために出てくる様でしょう。
12章1節の「一人の女」は、イスラエルの家(イスラエル民族)のこと。
「太陽をまとい」は、太陽は「神」を意味し(詩篇84:12)、「女」が太陽をまとっているのは、イスラエルの家は将来「世の光とされる」時が来るということでしょう。
黙示録では、イスラエルの残りの者に御霊が注がれ、その人たちによる異邦人伝導で、無数の人々が救われ、千年王国ではキリストと共に統治します。
「月を足の下にし」の「月」とは暗闇や夜(異邦人の社会)を象徴し、イスラエルはやがて神と共に世界を支配するような力を持つことを意味するのでしょう。
「十二の星」というのは、イスラエルの十二部族を示しているのでしょう。
イスラエルの12部族が、異邦人社会の救いの担い手として働くということだと思います。
12章2節から6節には、一人の女(イスラエルの家)が「身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。」とありますが、この黙示録12章1節の「一人の女」は、獣によって大艱難にあう「男の子」(同5節)を産みます。
この「男の子」は、イスラエルの残りの者によって救われた異邦人でしょう。
また、その「男の子」は、黙示録12章11節にある「小羊の血と、自分たちの証しの言葉とで、彼(竜)に打ち勝った。彼らは死に至るまで命を惜しまなかった」、すなわち、殉教した人たちです。
「死に至るまで」ですから、死に至らしめますが、彼らは殉教して神のみもとである御座に引き上げられる(5節)ことを予定しているのでしょう。。
「竜」とか「蛇」はサタン(悪魔)を象徴しているのでしょう。
なお、17節には、「竜は女に対して激しく怒り、その子孫の残りの者たち、すなわち、神の掟を守り、イエスの証しを守りとおしている者たちと戦おうとして出て行った。」とありますが、これは殉教を免れた「女の子孫の残りの者(複数)」、つまり「イスラエルの残りの者」のことでしょう。
彼らは「神の掟を守り、イエスの証しを守り神の戒めを」守っている者ですから、悪魔の敵となります。
女が子を産む箇所は黙示録12章以外に、下記に箇所にもあります。
創世記3章14節「主なる神は、蛇に向かって言われた。「このようなことをしたお前は/あらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で/呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。」
創世記3章15節「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕きお前は彼のかかとを砕く。」
創世記3章16節「神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め/彼はお前を支配する。」
「蛇」と「お前」は悪魔、「女」はイスラエルの家、「彼」と「女の子孫」はキリストでしょう。
ですから15節は、キリストの十字架死と復活を指します。
創世記3章14~15節で神は「蛇」(悪魔)に対する神の「呪いと福音」が語られ、16節は女(イスラエル)に対して語られます。
女に対して神が語られた内容ですが、「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は苦しんで子を産む」と「お前は男を求め彼はお前を支配する」です。
ということで、黙示録12章2節から6節の、「その女(イスラエルの家)が「身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。」は、創世記3章14節からのサタンの子孫と女の子孫との間に置かれた敵意の歴史において、「終わりの日」に起こる出来事の預言となります。
この「子を産む痛みと苦しみ」は、「獣」と呼ばれる反キリストによる大艱難時代のことを言っているのでしょう。
つまり、ヨハネの黙示録12章の「身ごもっていたが、子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。」は、創世記3章16節と結びつき、その女こそ「イスラエルの残りの者たち」(黙示録7章の144000人)となるのでしょう。
そしてその女が生む「子」は「男の子」であり、黙示録7章9節以降にある
「この後、わたしが見ていると、見よ、あらゆる国民、種族、民族、言葉の違う民の中から集まった、だれにも数えきれないほどの大群衆が、白い衣を身に着け、手になつめやしの枝を持ち、玉座の前と小羊の前に立って、・・」、すなわちイスラエルの残りの者の福音伝道により救われた「異邦人」を指します。
ですから、女が「子を産む痛みと苦しみのため叫んでいた。」というのは、神の刑罰としての出産の苦しみではなく、神の人類救済の計画の実現・成就の前には必ず「苦しみ」があるということでしょう。
なお、イザヤ書66章7から9節に「産みの苦しみが望む前に彼女は子を産み、陣痛の起こる前に男の子を産み落とした。」は、女(イスラエルの家)が苦しまずに男との子を産んでいますが、それは2000年前のイエスキリストの誕生を指し、黙示録の苦しんで産まれた男の子は、千年王国の前に実現するキリストの再臨を指すのでしょう。
それは、再臨の前に7年間の反キリストによる大艱難時代(産みの苦しみ)があるからです。
黙示録12章3から4節の「また、もう一つのしるしが天に現れた。見よ、火のように赤い大きな竜である。これには七つの頭と十本の角があって、その頭に七つの冠をかぶっていた。竜の尾は、天の星の三分の一を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして、竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた。」の「竜」とはサタンのことであり、創世記3章の「蛇」の「かしら」です(14と15節では「蛇」と記されています)。
しかも「七つの頭と十本の角を持ち、その頭に七つの王冠をかぶっていた」には「獣」のようですが、頭に七つの王冠をかぶっています。
獣の場合は「その角には十の冠があり」とあります。
「頭」は決定する王の権威を象徴し、「角」は執行する諸国を象徴するのでしょう。
「竜の尾は、天の星の1/3を掃き寄せて、地上に投げつけた。」とは、竜とともに堕落した天使が、天使たちの1/3に及んだことを示しています。
この堕落した天使が「悪霊」です。
黙示録12章5節「女は男の子を産んだ。この子は、鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた。子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた。」の「男の子」ですが、この表現だと約束されたメシアキリストのように思いますが、11節では「兄弟たち」となっていますから違うのでしょう。
神はイスラエルを象徴する「一人の女」を通して「男の子を産んだ」のです。
その「男の子」は「鉄の杖ですべての国民を治めることになっていた」とありますから、この「男の子」は、おそらく、イスラエルの残りの者144000人の伝道によって救われ、艱難時代に殉教した異邦人でしょう。
なお、この異邦人の救いには、11章の「二人の証人」も関係しているのでしょう。
黙示録12章6節「女は荒れ野へ逃げ込んだ。そこには、この女が千二百六十日の間養われるように、神の用意された場所があった。」の「女は荒野に逃下込んだ」とは、女はイスラエルで「イスラエルの残りの民」を指し、この残りの民は艱難時代の後半、千二百六十日の間、荒野に逃れます。
この「イスラエルの残りの民」は、反キリストによる「ハルマゲドンの戦い」において、死を免れたイスラエルの残りの民で、「神の用意された(逃げ)場所」、すなわち、「ボツラ」(ギリシア語では「ペトラ」)に逃れます。
そのところで、彼らに「憐れみと祈りの霊」(ゼカリヤ書12章10節)が注がれイエスがメシアであることを悟り、悔い改め、その名を呼び求めます。(参考箇所マタイの福音書23章39節)
なお、12章13節の「竜は、自分が地上へ投げ落とされたと分かると、男の子を産んだ女の後を追った。」は、ここ6節とつながるのでしょう。
黙示録12章7~9節の「さて、天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らの居場所がなくなった。この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。」ですが、「天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが、竜に戦いを挑んだのである。」戦いが起こって、ミカエルとその御使いたち(御使いの2/3)は竜と戦った」とあります。
この戦いの結果、竜であるサタンはミカエルとそれに従う御使いたちと戦い、敗北して地に投げ落とされます
ちなみに、「ミカエル」という名の意味は、「だれが神のようであろうか」という意味だそうです。
悪魔の意図は自分が神のようになろうと願い、また人をも誘惑して神のようにならせようとしました。
悪魔と戦ったミカエルの名の意味をもって、お前の思うとおりにならない、と悪魔に主張していることになります。
竜であるサタンはミカエルとそれに従う御使いたちと戦い、敗北して地に投げ落とされたとき、天から声が聞こえます。
それが、ヨハネの黙示録12章10~12節で、「わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。神のメシアの権威が現れた。我々の兄弟たちを告発する者、/昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者が、/投げ落とされたからである。兄弟たちは、小羊の血と/自分たちの証しの言葉とで、/彼に打ち勝った。彼らは、死に至るまで命を惜しまなかった。このゆえに、もろもろの天と、/その中に住む者たちよ、喜べ。地と海とは不幸である。悪魔は怒りに燃えて、/お前たちのところへ降って行った。残された時が少ないのを知ったからである。」となるわけです。
「大きな声」とは、神が悪魔に勝利した事を告知する声です。
「小羊の血と/自分たちの証しの言葉」は、「兄弟たち」は、キリスト者のことで、「小羊の血」は、キリストの十字架死で、「自分たちの証しの言葉」は、キリストを宣ベ伝える福音です。
と同時に「地と海とは不幸である。悪魔は怒りに燃えて、/お前たちのところへ降って行った。」ですから、地は怒りに燃えた悪魔が暴れる地獄となるわけです。
黙示録12章15節「蛇は、口から川のように水を女の後ろに吐き出して、女を押し流そうとした。」の「水」とは、反キリストの率いる軍隊のことを意味しているのでしょう。
また、17節「竜は女に対して激しく怒り、その子孫の残りの者たち、すなわち、神の掟を守り、イエスの証しを守りとおしている者たちと戦おうとして出て行った。」の「女の子孫の残りの者、・・」は、イスラエルの残りの者たちのことを指しているのでしょう。(参考箇所は、ローマへの手紙11章1~5節)
「一人の女」(イスラエルの家)は悪魔に敵対する「男の子」(異邦の民)を産み(救いに導き)ますが、「一人の女」は、「男の子」を産んだあと、その女は神によって守られ(イスラエルの残りの者の避難場所ボツラで)、やがてはそこで「恵みと嘆願の霊」が注がれて神に立ち帰り、再臨のキリストによって助け出されることになるのです。
「竜」(悪魔)は女(=イスラエル)を追いますが、女はわしの翼を与えられ、3年半(1260日)の間養われます。女は守られます。
イスラエルが逃げ延びたボツラは「エドムの町の主要都市の一つ」だそうです。
ヨハネの黙示録補足(4)は、13章から16章の補足
- 13章(二匹の獣)は、海から上がってくる獣、反キリストで、それには角が十本、頭が七つあり、それらの角には十の冠があって、頭には神を汚す名がついています。
13章は、海(異邦人社会)から上がってくる獣(反キリスト)についての説明でしょう。
「十本の角と七つの頭」の十本の角は、10か国の連合で、七つの頭は、その支配形態である
帝国主義を表し、反キリストによる独裁体制に入っていることを表しているのでしょう。
十の角である10か国の連合は、十の国家権力で、世界を統治する終わりの日の十か国連合です。
なお、この連合国のうちの3か国は反キリストによって滅ぼされることがダニエル書に預言されています。ダニエル書7章7節から8節・24節です。
13章2節「わたしの見たこの獣は、豹に似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。竜はこの獣に、自分の力と王座と大きな権威を与えた。」の「獣」はダニエル書に出てきた過去の大国の残党の傀儡とする見方があります。
つまり、豹はギリシア、熊はメド・ペルシャ、獅子はバビロンで、このような獣に竜の権威が加わります。
13章3節「この獣の頭の一つが傷つけられて、死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった。」ですが、この獣の頭が傷つけられたということですから、本格的な戦いではなくテロか何かによって(腕と右の眼に)傷がついたのでしょう。(ゼカリヤ書11章17節参照)
この獣は、死んだと思われたが治ってしまったので、人々は驚いてこの獣に服従します。
13章5節「この獣にはまた、大言と冒涜の言葉を吐く口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられた。」ですが、42か月ですから三年半ですね。7年の艱難時代の後半でしょう。
6節には、「そこで獣は口を開いて神を冒涜し、神の名と神の幕屋、天に住む者たちを冒涜した。」とあります。イスラエルとすでに死んで天に住む聖徒を冒涜したのでしょう。反キリストです。
13章10節には、その聖徒たちに対する冒涜に対し「ここに、聖なる者たちの忍耐と信仰が必要である。」とあります。
13章11節には、「もう一匹の獣が地中から上ってくるのを見た。」とあります。
このもう一匹の獣は「小羊の角に似た二本の角があって」ですから、獣の国の宗教的指導者とか偽預言者を指すのでしょう。
聖職者らしい姿をしていますが、それは偽りの姿であり、その本質は邪悪です。
この偽預言者は反キリストを拝ませ、その偶像を作らせ、数多くの奇跡を行います。
獣を拝まない者はみな殺され、666の獣の刻印を受けない者たちは売り買いができなくなります。
この刻印は、いわゆるバーコードだとか、マイクロチップを指すのでしょうか。
まあ、当時は想像できない方法ですが、神に告知されたことを(意味も分からないで)そのまま「刻印」と表現して残しなのでしょう。
13章1から2節の「海の中から上ってくる一匹の獣」は、ダニエル書7章の『第四の獣』と同じということです。
ダニエル7章11節に第四の獣の11番目の角が生え「この角は尊大なことを語り続けていたが、ついにその獣は殺され、死体は破壊されて燃え盛る日に投げ込まれた。」とあります。
ダニエル7章12節には、「他の獣は権力を奪われたが、それぞれの定めの時まで生かしておかれた。」たりますから、それ以外の三つの獣(帝国)は、「帝国」としての力は失うが、その影響は後の時代まで残るのでしょう。
13章5節の「この獣にはまた、大言と冒涜の言葉を吐く口が与えられ、四十二か月の間、活躍する権威が与えられた。」は、この四十二か月は三年半で7年の艱難時代の後半になります。
七年の艱難時代の前半三年半には神の二人の証人が表れていますから、その神の証人に入れ替わり反キリストである獣が台頭してきて、獣はイスラエルの残りの者と信者を迫害するのです。
13章11節の地中から上がってくる「もう一匹の獣」は、反キリストの宗教的指導者、偽預言者ではないかとされています。
「小羊の角に似た」ですが、「似た」ということは、キリストのような姿をしている邪悪な存在で、ものの言い方は「竜」(悪魔)のようだということでしょう。
偽預言者は、反キリストを拝ませ、その偶像を作らせ(12節)、13節には、奇跡も行ったとあります。
そして、獣(反キリスト)の偶像を拝まない者は皆殺しにされ(15節)、すべての者のその右手か額に刻印を押させます。(16節)
この刻印は666で、この獣の刻印がない者は、売り買いができなくなります。
- 第14章(144000人の歌)
144000人は、シオンの山に立っている小羊(キリスト)と共にいる人々で、「その額には小羊の名と、小羊の父の名とが記されていた。」とあります。
144000人は、「小羊の行くところへは、どこへでも従っていく。・・神の小羊に献げられた初穂として、人々の中から贖われた者たちで、その口には偽りがなく、とがめられるところのない者たちである。」です。「地上から贖われた」ですから殉教者でしょう。
6節(三人の天使の言葉)の御使いが地上のあらゆる人々に「永遠の福音を携えてきて」大声で言った。」。
それは、「神を畏れ、その栄光をたたえなさい。神の裁きの時が来たからである。・・天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい。」です。、
そして、別の第二の天使、第三の天使が続いてきて、バビロンの崩壊と獣の刻印を受けた者への罰が告知されます。
また、天からヨハネに、書き記せ「今から後、主に結ばれて死ぬものは幸いである。・・彼らは労苦を解かれて安らぎを得る。その行いが報われるからである。」と告知があります。
そして、いよいよ御使いによる収穫、すなわち、艱難時代を経て救われた信徒たちの選別が始まります。
マタイ13章30節(「毒麦」のたとえ)に、
「毒麦をあつめるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい。」とあります。
「両方とも育つままにしておきなさい。」は、罪が満ちるまで神は待っておられるのでしょう。
「毒麦」は、もちろん、神をあくまで拒否する人たちですから、罪が明確になるまで待つように言われているのでしょう。確信犯ですね。
マタイを受けて、黙示録14章14節(鎌が地に投げ入れられる)で、15節・16節に「すると、別の天使が神殿から出て来て、雲の上に座っておられる方に向かって大声で叫んだ。「鎌を入れて、刈り取ってください。刈り入れの時が来ました。地上の穀物は実っています。そこで、雲の上に座っておられる方が、地に鎌を投げると、地上では刈り入れが行われた。」と、収穫が始まったことが告げられます。(参考箇所は、マタイ13章30節、イザヤ書63章1~6節、イザヤ書34章5~6節、9節、およびヨハネの黙示録19章13~16節)
ヨハネの黙示録19章13~16節は、イスラエルの残りの者が逃げる際のエドムや逃げ込んだボツラですが、そのイスラエルの民を追ってきた反キリストの異邦の国々の民に裁きが行われることが記されています。
このとき、反キリストによって追い詰められたイスラエルは、神の名を呼び助けを求めますが、それで、「キリストの再臨」が実現します。参考箇所ホセア5章15節、マタイ23章39節、黙示録1章7節です。
14章20節には、神の怒りで裁かれるイスラエルの残りの者を包囲する反キリストは「絞り桶は、都の外で踏まれた。すると、血が絞り桶から流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、1600スタデイオンにわたって広がった。」と、すさまじい様相が描かれています。
- 15章(最後の七つの災い)は、御使いが最後の七つの災害(七つの鉢の災害)を携えてきます。
この後19章まで、鉢の裁き→バビロン崩壊→ボツラでの再臨→オリーブ山→千年王国へとなります。
七つの鉢には神の怒りが盛られていて、その鉢の中身を天使が地上に注ぎます。
災いは、悪性腫瘍、海の水が血のようになって海の生き物がすべて死ぬ、川と水の源もすべて血に変わります。
また、太陽が人々を焼き、獣の国は暗くなり人々は苦痛で神を呪います。第六の鉢では、ユーフラテス川が枯れて日の出る方角からくる王たちの道ができます。
それは、竜と獣と偽預言者の口からかえるのような汚れた三つの霊が出て戦いのために全世界の王を集めるためです。
16章17節には、最後の第七の鉢で「第七の天使が、その鉢の中身を空中に注ぐと、神殿の玉座から大声が聞こえ、「事は成就した」と言った。」とあります。
18節には、「そして、稲妻、さまざまな音、雷がおこり、また、大きな地震が起きた。」とあり、その地震は人類史上かつてなかった規模です。
また、「あの大きな都が三つに引き裂かれ、諸国の民の方々の町が倒れた。・・すべての島は逃げ去り、山々も消え失せた。」1タラントンの重さほどの大粒の雹が、天から人々の上に振った。」とあり、それで、被害があまりにも激しかったので人々が神を冒涜します。
ヨハネの黙示録補足(5)は、17章から21章の補足
- 17章(大淫婦が裁かれる)の3から5節「そして、この天使は“霊”に満たされたわたしを荒れ野に連れて行った。わたしは、赤い獣にまたがっている一人の女を見た。この(赤い)獣は、全身至るところ神を冒瀆する数々の名で覆われており、七つの頭と十本の角があった。女は紫と赤の衣を着て、金と宝石と真珠で身を飾り、忌まわしいものや、自分のみだらな行いの汚れで満ちた金の杯を手に持っていた。その額には、秘められた意味の名が記されていたが、それは、「大バビロン、みだらな女たちや、地上の忌まわしい者たちの母」という名である。」(5節)ですが、この赤い獣にまたがる「大淫婦」は、バビロンが反キリストを象徴するので、大バビロンは、その表現からも反キリストの宗教団体だと思います。
彼らはイスラエルに攻め込み、再臨のメシアに戦いを挑みます。
17章13節には「この者どもは、心を一つにしており、自分たちの力と権威を獣にゆだねる。この者どもは、小羊と戦うが、小羊は主の主、王の王だから、彼らに打ち勝つ。」とあります。
3節の「赤い獣」は16節に「・・この淫婦を憎み、身に着けた物をはぎ取って裸にし、その肉を食い、火で焼く尽くすであろう。」とあるように、この大淫婦の宗教バビロンを憎み、焼き尽くして自分を神とします。、
この「赤い獣」は、悪魔の化身で、「獣」は、反キリストの宗教的指導者、偽預言者と思われます。
- 18章(バビロンの滅亡)ですが、地上の商人が対象ですから、いわゆる、経済バビロンへの裁きが書かれています。
それは、「彼女の豪勢なぜいたくによって富を築いた商人です。
彼女は「大淫婦」で大バビロン、反キリストです。
17章では、「みだらな女たちや、地上の忌まわしい者たちの母」としています。
- 19章は、誰でもが知っている有名なハルマゲドンの戦いです。
御使いで構成する天の軍勢が獣(反キリスト)と地上の王たちの軍勢と最後の戦いを行います。
反キリストの軍勢がハルマゲドンに集まるのでハルマゲドンの戦いとして知られていますが、旧約聖書の預言を考慮すると、この戦いはヨルダンのボツラ(ペトラ、イスラエルの残りの者の最後の逃げ場)で行われるようです。
「獣」は捕らえられ、偽預言者と共に生きたまま硫黄の燃えている火の池に投げ込まれます。(19章20節)
それ以外の者はキリストの剣で切り殺され、すべての鳥の餌になりました。
以上で7年間の艱難時代は終わります。
- 20章(千年間の支配)
悪魔でもあるサタンでもある天使が天から降ってきます。(2節)
「年を経たあの蛇、つまり竜を取り押さえ、千年の間縛っておき、底なしの淵に投げ入れ、鍵をかけ、その上に封印を施して、千年が終わるまで、・・」閉じ込められます。(3節)
「底なしの淵」に投げ込まれますが、ここは火の池(ゲヘナ)、つまり地獄とは違うようです。
底なしの淵に投げ入れられた悪魔は、千年の間つながれ、地上にはキリストが統治する国「千年王国」が誕生します。
千年王国の住民は、すべてキリスト信者ですが、大きく二つに分けて、大艱難の生き残った人々とすでにイエスを信じて死んでいる人たちが復活(第一の復活者)してこの国の国民となります。
大艱難を肉体のまま生き残った人々は子供を産みますから、その子孫も住民となります。
この第一の復活者たちはもはや死ぬことがありません。
なお、そのほかの死者(キリストを信じないで死んだ者です。大艱難時代を生き残った者はいません。)は、千年たつまで生き返りません。
千年王国は、メシア王国とも言いキリストは殉教者と共に統治します。
この千年が終わると、「底なしの淵」に投げ入れられた悪魔は、解放されます。
そして、解放された悪魔はゴグ、マゴグ(神に逆らう勢力、エゼキエル書38、39章)を惑わし、エルサレムを包囲します。
このように、なぜ神はせっかく閉じ込めた悪魔を再び開放して住民を惑わすのかですが、それは、千年期の間に生まれた子孫の中には、やはり、今と同じで神(キリストの統治)を拒否する子供たちが出てくるので、キリストの統治か、サタンの統治かを選ばせるためだとされています。
神は、とことん、一人も残さず、すべての人が悔い改めて福音を受け入れ救われることを望んでおられるのです。
千年ですから、千年時代に生まれた艱難時代を知らない子供はもちろん、その親である千年時代が始まったに生きていた、肉体をもって艱難時代を生き抜いてきた信者たちも、時代を経ると、自分中心で生きるようになり、キリストが統治された経緯とか艱難時代のことなど、過去の歴史を忘れ、あるいはおろそかになる人も出てくるでしょう。
黙示録20章8節には「その数は海のように多い」とあります。
神(キリスト)の統治を拒否する人々は、まとめて焼かれます。
黙示録20章9節には「彼らは地上の広い場所に攻め上っていって、聖なる者たちの陣営と、愛された都とを囲んだ。」ときに、神の手により「天から火が下ってきて彼らを焼き尽くした」とあります。
そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄の池(ゲヘナ)に投げ込まれます。(10節)
このゲヘナは、20章3節の「底なしの淵」と違い、地獄でしょう。
これらが終わると、イエスを信じないで死んだ人たちが復活(第二の復活)の裁判が始まります。その裁判は、おのおのその行い(地上で生きていた時のだと思います)に応じて裁かれます。
20章13から15節に次のように書かれています。
「海(異邦人の世界)は、その中にいた死者を外に出した。死と陰府も、その中にいた死者を出し、彼らはそれぞれ自分の行いに応じて裁かれた。死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。」。
つまり、命の書には、信者(信者でもいろいろですから、救いに与る真の信者の)名のみが書かれているのでしょう。
イエスの恵みによる罪の許し(十字架死と復活、福音)を受け入れなかったからです。キリストを信じた人たちには裁きはないと思うのですが、生前の行いの裁きですから、何とも言えないところもあります。
つまり、イエスの恵みによる罪の許しは、原罪のみを指すのではと考えるのです。
それから、14節には「死と陰府も火の池に投げ込まれた。」とあり、滅ぼされます。(第二の死)
そのうえで、生き残った信者たちは、「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。」(21章4節)とありますから、もはや誰も死ぬことがなくなるのです。最終的には、人間は神と一体になるのでしょう。
ただ、そのような状態が永遠に続くとなると、それはどのような状態か、想像もできません。
- 21章・22章(新しい天と新しい地。新しいエルサレム
そして、新しい天地が創造され、神の人類救済計画、新しい人類の創造が完成して、神の子となった人間はいつまでも神と共に暮らすのです。
21章5節に「すると、玉座に座っておられる方が、「見よ、わたしは万物を新しくする。・・ことは成就した。」とあります。
このわ「わたし」と言われる方は、万物の創造主であり神です。神はご自身を、「わたしはアルファであり、オメガである。はじめであり終わりである。」と言っておられます。
黙示録21章3節と4節には次のように書かれています。
「そのとき、わたしは玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共に住み、人は神の民となる。神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである。」
ヨハネの黙示録補足(6)
<ハルマゲドンの戦い>
ハルマゲドンの戦いは、異邦人社会の政府(反キリスト)と神との最終戦争を指します。
戦いは、七年間続く艱難時代の最後、千年王国の前に起こります。
ハルマゲドンは、エルサレム北方に位置するエズレル平野の一番西の端に立つ山で、メギドの山と言われています。
ですから、ハルマゲドンという語句は「戦い」を意味しているのではなく地名なのです。
つまり、「ハルマゲドンの戦い」として広く知られている「ハルマゲドン」は、「メギドの平野」と呼ばれる所に、世界中から集まってくる反キリストに組みする異邦人たちの集合場所であって、実際の戦いの場所ではないのです。
異邦人社会の政府と支持者たちは、背景には神の働きがあるのですが、悪魔に唆されて神に敵対し、神の統治を拒否し、真の神に立ち返っていたイスラエルの残りの者を迫害します。
その迫害の理由ですが、艱難時代中期に、反キリストが「自分こそが神である」と自分の「獣の像」をエルサレムの神殿に設置し、その偶像を拝むことをイスラエルの民に強要し、従わなかったら迫害しましたので、イスラエルの民はそれを拒否し山に逃げたのです。
なお、イスラエルの民が逃げたボツラ(ペトラ)の地は、神によって用意されたとしています。
多くは、エドム人の地「ボツラ(ペトラ)に避難したのではということです。
ボツラ(ペトラ)とは、ヨルダン王国の南部ペトラのことで、 ヘブライ語で「ボツラ」、ギリシア語で「ペトラ」と言い、同じ地域を表しているということです。
ボツラ(ペトラ)は、世界遺産のペトラ遺跡がある有名な場所ですが、そこは昔エドム人 (創世記のエサウの子孫)が住んでいた土地なので、聖書では、エドムの地と言われます。
入り口の狭い、普通の「岩」で囲まれた場所だそうですが、そこは神が用意されたイスラエルの残りの者の「逃れの地」であったのです。
神は、かつて出エジプトの時に荒野でイスラエルの民を養われたように、神に立ち返ったイスラエルの残りの者を「再臨されたキリスト」が、反キリストから守られます。その戦いは、ゼカリヤ14章2節に「わたしは諸国の民をことごとく集めエルサレムに戦いを挑ませる。」とあるように主の戦いです。
イスラエルで一番広い平野(ハルマゲドン)に(悪魔に唆された)反キリストの異邦人の軍勢が結集します。
結集するのはキリスト信じない異邦人(ユダヤ人以外)です。
その軍勢を相手に戦われるのは全能者である神と記されている「再臨されたキリスト」一人です。(黙示録16章13節から16節)
つまり、エズレルの谷に結集した反キリストの異邦人の軍勢は、そこからエルサレムの町に南下し、町を征服し滅ぼします。
ただ、この時はイスラエルの民は、異邦人の反キリストの軍勢に追われ、ほとんどはエドムの地ペトラ=ボツラに、一部はアモンやモアブに避難していましたので、エルサレムの町にはユダヤ人は誰もいませんでした。(ゼカリヤ12章1から5節、14章1から2節)
イスラエルの民はボツラへ移動(エレミヤ49章13から14節参照)したのですが、反キリストの異邦人の軍勢もエルサレムを滅ぼし、イスラルの民を追ってエルサレムからエドム人の地「ボツラ」へ移動するのです。
マタイの福音書24章15節から31節(大きな苦難を予告する)にはこの時のイスラエルの様子をイエスの預言の言葉で記しています。
この箇所の並行個所はマルコの福音書13章14から20節、ルカの福音書21章20から24節です。
イスラエルの民の苦難は、反キリストがエルサレム神殿の至聖所に立つことによって始まります。
イエスは、反キリストが本性を表すときには、「山に逃げなさい」と言われました。
逃げて逃げて逃げ続けなさい。反キリストに抵抗しても無駄、家の中のものを持ち出そうとしたり、着物(外套)を取りに戻ったりしてはいけない、と言われました。
後戻りしてそれらのものを取りに帰ったら命取りになるという警告です。
身重の女と乳飲み子を持つ女は、哀れだともいわれています。
マタイ24章21から22節には、「そのときには、世界の初めから今までなく、今後も決してないほどの大きな苦難が来るからである。神がその期間を縮めてくださらなければ、だれ一人救われない。しかし、神は選ばれた人たちのために、その期間を縮めてくださるであろう。」とあります。
なお、15節の「預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら――読者は悟れ――、」の「憎むべき破壊者」は、ダニエル書8章13節、9章27節11章31節、12章12節のことでしょう。
反キリストの軍勢は、ボツラに避難している生き残っているユダヤ人たちを全滅させるのが目的です。
何故なら、ユダヤ人たちのキリストの民としての民族的回心が、キリストの地上再臨の条件だからです。
つまり、彼らを回心前に根絶すれば、キリストの地上再臨は起こらないからです。
悪魔は自分たちが支配する地上にキリストが再臨されると自分たちは生き残っていけないのをよく知っているのです。
悪魔も神の被造物ですから、神の意志には逆らえません。
それから、彼らの祈りに応えて、キリストの地上再臨が実現します。
<バビロンの滅亡>
聖書箇所は、黙示録18章(バビロンの滅亡)、イザヤ13から14章(バビロンの審判・イスラエルの回復)、エレミヤ50から51章(諸国民に対する預言)、ゼカリヤ5章4から11節(第七の幻)です。
バビロンの滅亡は、艱難時代に入ってから信仰を持ち、艱難時代末期にまだ生き残っている異邦人の信者によってなされます。
(教会時代の信者は、艱難時代が始まる前にすでにキリストの空中携挙によって天に上げられています。)
イスラエルの残りの者は、聖霊の注ぎによって民族的な回心が実現し、イスラエルの民が逃げ込んだボツラの地(ハルマゲドン)における神の御業(聖霊の民族的注ぎ)による救いと、その民の祈りによって、キリストの地上再臨が実現するのですが、サタンはイスラエルの民の救いがキリストの地上再臨の前提となっていることを知っているため、生き残っているユダヤ人たちを根絶しにしてキリストの地上再臨を阻止しようと試みたのですが、それも悪魔(反キリスト)との戦いに決着をつけるための神のご計画だと思います。
それでサタンは、エズレル平野(エズレル平野の一番西の端に立つ山がメギドの山(別名ハルマゲドン)と言われているところ)に反キリストの軍勢を集結させるのですが、そのために反キリストの政治的、宗教的拠点である反キリストの拠点バビロンの守りが手薄になってしまいます。
その隙をついて艱難時代にキリストの福音を信じた異邦人信者たちがバビロンに攻め込むのです。
なお、黙示録のバビロンは反キリストの本拠地の象徴的な呼び名でしょう。
<イスラエルの民族的救い>
主は、イスラエルの民について「わたしが彼らの罪を取り除く時」がくるとし、「イスラエルはみな救われる」と言っておられます。
もちろん、このイスラエルの救いは異邦人の救いに導かれます。そう、イスラエルの民が異邦人より先に救われるのです。それが神のご計画です。
この救いは、一人一人に福音を伝える個別伝導によるのではなく、「民族的救い」であり、「主は私が彼らの罪を取り除く」ですから、自ら聖霊降臨によってイスラエルの民を救いに導かれるのです。
ローマ11章26から27節には「こうして全イスラエルが救われるということです。次のように書いてあります。
「救う方がシオンから来て、ヤコブから不信心を遠ざける。これこそ、わたしが、彼らの罪を取り除くときに、彼らと結ぶ私の契約である。」
聖書箇所は、イザヤ10章21節「残りの者が帰ってくる。ヤコブの残りの者が力ある神に。」です。
この「力ある神」はイエスのことです。
ほかの聖書箇所は、イザヤ9章5節「ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は、「驚くべき指導者、力ある神、永遠の父、平和の君」と唱えられる。」
イザヤ66章8節「誰がこのようなことを聞き/誰がこのようなことを見たであろうか。一つの国が一日で生まれ/一つの民が一度に生まれえようか。だが、シオンは/産みの苦しみが臨むやいなや、子らを産んだ。」
ゼカリヤ3章8から9節「大祭司ヨシュアよ/あなたの前に座す同僚たちと共に聞け。あなたたちはしるしとなるべき人々である。わたしは、今や若枝であるわが僕を来させる。ここに石がある。これはわたしがヨシュアの前に差し出すものだ。この一つの石に七つの目がある。わたしはそこに碑文を刻む、と万軍の主は言われる。そして、一日のうちにこの地の罪を取り除く。」
<キリストの再臨>
聖書箇所は、ゼカリヤ14章4から5節「その日、主は御足をもって/エルサレムの東にある/オリーブ山の上に立たれる。オリーブ山は東と西に半分に裂け/非常に大きな谷ができる。山の半分は北に退き、半分は南に退く。あなたたちはわが山の谷を通って逃げよ。山あいの谷はアツァルにまで達している。ユダの王ウジヤの時代に/地震を避けて逃れたように逃げるがよい。わが神なる主は、聖なる御使いたちと共に/あなたのもとに来られる。」です。
これがキリストの「地上再臨」です。
栄光の王としてエルサレムのオリーブ山の上に立たれます。この時大地震で地形が激変し、オリーブ山が「東と西に半分に避け非常に大きな民ができる」のです。
そのオリーブ山の上に、千年王国の都「エルサレム」の町と「第四神殿」が建ちます。この後の新天新地においては、この神殿は不要となります。
ちなみに、第一神殿はソロモンの時代に築造された神殿、第二神殿は、バビロン捕囚から帰還後に、建設された神殿。(前」516年頃)、第三神殿は、艱難期の前に建つのか、艱難期前半の3年半の間に建つのかは分かりません。
再臨のキリストは、このあとできる千年王国において、その地で『王の王』として全世界を統治されます。
この千年王国が、「エデンの園」の回復だと言われていますが、「エデンの園」が、この後に最終的に生まれる『新しい天と新しい地』を指すのかはわかりません。
聖書箇所は、イザヤ34章1から7節「もろもろの国よ、近づいて聞け/もろもろの民よ、耳を傾けよ。聞け、大地とそこに満ちるすべてのもの/世界とそこに生ずるすべてのものよ。」
ミカ2章12から13節「ヤコブよ、わたしはお前たちすべてを集め/イスラエルの残りの者を呼び寄せる。わたしは彼らを羊のように囲いの中に/群れのように、牧場に導いてひとつにする。彼らは人々と共にざわめく。打ち破る者が、彼らに先立って上ると/他の者も打ち破って、門を通り、外に出る。彼らの王が彼らに先立って進み/主がその先頭に立たれる。」
キリストが地上に戻って来られる場所は、イスラエルの民が反キリストの軍勢から逃れた地ボツラ(または、ペトラ)ですが、そこは、ユダヤ人を根絶させようと迫って来る反キリストの異邦人の軍勢(神が決着をつけるために集められたとしています。)から逃げ伸びた場所です。
その時に、「人の子」、すなわちキリストは、誰の目にも見える形で、来る、のです。
マタイの福音書24章27節から28節に、その時の様子が書かれています。
すなわち、「稲妻が東から西へひらめき渡るように、人の子がくるからである。」です。
また、キリストの再臨の前には、反キリストによる苦難(ゼカリヤ14章2節に「わたしは諸国の民をことごとく集めエルサレムに戦いを挑ませる。」とあります。)があることを記しましたが、同時に自然界の天変地異も起こります。それが、マタイの福音書24章29から31節です。
29節には「その苦難の日々の後、たちまち/太陽は暗くなり、/月は光を放たず、/星は空から落ち、/天体は揺り動かされる。」とありますが、これもキリスト再臨のしるしです。
そして、いよいよ同30節には、「そのとき、人の子の徴が天に現れる。そして、そのとき、地上のすべての民族は悲しみ、人の子が大いなる力と栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見る。」です。
「地上のすべての民族は悲しみ」というのは、自分たちがこれまで拒否してきたイエスが、真に神であることが明確になり悲しむのですが、この語句は、民は自分の過ちを胸を打ち泣き叫ぶ、とも訳されています。
それで、民は悔い改めに導かれ、とくにイスラエルの民は、自分たちに与えられたメシアを長い間拒んできた罪を知って深く悔い改めて悲しみに沈みます。
この時にゼカリヤ書12章9から10節の「その日、わたしはエルサレムに攻めて来るあらゆる国を必ず滅ぼす。わたしはダビデの家とエルサレムの住民に、憐れみと祈りの霊を注ぐ。彼らは、彼ら自らが刺し貫いた者であるわたしを見つめ、独り子を失ったように嘆き、初子の死を悲しむように悲しむ。」が実現するのです。そう、激しい後悔と普通でない苦しみを伴った悲しみに嘆き悲しむのです。
そして、イスラエルの民に聖霊が傾注されるのです。
キリストの福音の受け入れを条件とはしないのです。
これによって、すべてのイスラエルの民が民族的に(全イスラエルが)回心し、救われるのです。
マタイの福音書24章31節にキリスト再臨の時には「人の子は、大きなラッパの音を合図にその天使たちを遣わす。天使たちは、天の果てから果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」とありますから、キリスト(人の子)は、御使いによって四方から(世界中から)選びの民(イスラエルの残りの者)を集められるのです。
当然、ボツラに逃げ延びた者に限らず全世界に散っている残りの者も含まれます。「四方から呼び集める。」は、そのことを指しているのでしょう。
キリスト再臨後、千年王国の前に地上において小羊の婚宴(黙示録19章9節)が催されます。
この小羊の婚宴に招かれた者とは、艱難時代に救われた者で、イスラエルの残りの者と異邦人でしょう。
この異邦人は、黙示録11章の「二人の証人」と黙示録14章のイスラエルの残りの者144000人の伝道によって救われた異邦人でしょう。
マタイによる福音書25章4から40節の「忠実なよい僕」とか「小さな者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」とイエスに褒められた異邦人も入るのかもしれません。
<反キリスト(異邦人)の軍勢が敗北>
千年王国が始まる前に主によって反キリストはすべて滅びます。
ゼカリヤ書14章2節に「わたしは諸国に民をことごとく集めエルサレムに戦いを挑ませる。」とあるように、主によって集められた反キリストの軍勢は、神の御業で前進できなくなり、再びエルサレムに引き返しますが、エルサレムのヨシャファトの谷(ケデロンの谷)で主によって最終的に敗北することになります。
この時、戦いに敗れた反キリストが流す血が黙示録14章20節にあるように、馬のくつわに届くほどになり、1600スタディオンですから約300kmに及びます。
参考箇所は、ヨエル書4章12から13節です。
<羊と山羊の裁き>
艱難時代から千年時代への移行期間には、マタイ25章31から46節(すべての民族を裁く)の『羊と山羊の裁き』があります。
この『羊と山羊の裁き』が、神の裁きの基準になると思いますので、記しました。
艱難時代を生き残った異邦人はすべてキリスト地上再臨の際にエルサレムとオリーブ山の間にあるヨシャファトの谷(ケデロンの谷)に集められます。この場所は、ヨエル書4章1から2節に記載されています。
そして、羊の異邦人と山羊の異邦人に分けられます。
この「羊」は、艱難時代にユダヤ人等の伝道によりキリストを受け入れた者で、迫害されているユダヤ人を助けた(35節と36節)異邦人のことでしょう。
山羊の異邦人とは、羊の反対で、キリストではなく反キリストを選び、ユダヤ人の敵に回った異邦人のことでしょう。
羊の異邦人は、34節に「天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。」とあるように、この後実現する千年王国に迎え入れられますが、山羊の異邦人は再臨のキリストによって裁かれます。(参考箇所は、ヨエル書4章1から2節、マタイの福音書25章41から43節、)。


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