エクレシアと制度的共同体
一般に教会とは、キリストの民の共同体で、規則をもち、信条と教義を掲げ、洗礼や聖餐の儀礼を行い、聖職者の組織をもつ制度と定義したいと思います。
そして、そこで信じ表現されている宗教が「キリスト教」ということでしょう。
エクレシアとは、その中での御霊による交わりの集会(キリストを信じる人々の集まり)を指すのだと思います。
パウロがよく使う「キリストにあって」とはそのことを指しているのでしょう。
したがって、制度的教会はエクレシアの容れものであって、エクレシアそのものではないと思います。
神の御霊に満たされたエクレシアは、キリストの充満体ですが、制度的教会は必要により歴史の流れの中で生まれた、制約された相対的な制度だと言えます。
キリストの充満体である(御霊に満たされた)エクレシアは絶対ですが、制度的教会は絶対ではなく相対です。
制度的教会は必要により生まれたものですから、成長しながら変遷し、キリストの再臨までの一時的、相対的なものです。
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