ブログの世界に、よろしく
わたしは聖書を学ぶことを生きがいとしていますので、聖書のことを中心にして、聖書から見た社会のこと、人生のことを書いていきたいと思います。
わたしは現役の頃、金融機関で「債権の管理回収部門」で金融法務を少しかじっていました。そのせいか、文書がちょっと硬いかもしれませんが、できるだけ読みやすくなるように頑張ります。
このブログは、信じて知るをモットーとして、わたしが聖書を読み学んだことを整理し、理解を深めるために作成したものです。
いわゆる、サブノートですから、決して自分の考えを人に押し付けようとかするものではなく、自分の考えが唯一絶対に正しいものとも思っていません。
そう、正しいのは神様だけです。人間など所詮不完全で過ちを犯すものです。ただひたすら神様に許しを請うだけの存在だと思うのです。
自分の聖書解釈が絶対に正しいと思っているなら、それはその人が神様にとって代わろうとしていると思うのです。
聖書を読み、解説書を読み、キリストを知り、誰もが疑問に思うところを、自分なりにまとめてみました。
したがって、わたしの聖書知識は先人の努力に負うところがほとんどですが、先人が書かれた書物を丁寧に読ませていただき、わたしなりに理解し、信仰に導かれたことを感謝したいと思います。
モチロン、わたしも一応洗礼を(プロテスタント)受けていますが、聖書を学ぶことを目的とした求道者と言った方が正確かと思います。
こうすることによって、自分の信仰が少しでも前進することを、自立した信仰をもてるようになることを求めています。
わたしは聖書学者でも、また、聖職者でもありませんので、自由な立場で聖書を読み解釈しています。
普通のクリスチャンが聖書を読み疑問に思ったり考えることをそのまま書いています。
したがって、内容については未熟なものですが、ご容赦ください。
疑問に思われる個所もあると思いますが、ご意見を頂ければ、主の導きに委ね、必要であれば参考にさせていただきます。
聖書解釈は、イエスがすべての国民にご自分の言葉を告げ知らせなさいと言われていますので、聖書を読み聞き解釈することは、特定の人の専売特許ではなく、誰でもが自由に読み聞き解釈することが許されていると思います。
そのイエスの言葉には聖霊が働かれていると信じるものです。
ゆえにイエスの言葉は神の言葉と言えるのでしょう。これはキリスト教の根幹であり神秘です。
なお、聖書本文は、日本聖書協会『聖書 新共同訳』を用いています。
亡くなった娘の日記を登載しました。カテゴリーは「娘の部屋」です。よろしければ読んでやってください。
カテゴリーの説明をさせていただきます。
聖書の解説は、副題ごとに解説していますので、目的箇所を副題で検索していただければ便利かと思います。とくにカテゴリー「共観福音書を読む」は、三福音書を纏めていますので、副題で検索が便利かと思います。
カテゴリー「聖書と人生」は、人生の色々な出来事を聖書の御言葉から見て思うところを書いてみました。
カテゴリー「おじさんの聖書」は、聖書の御言葉そのものをわたしなりに理解できたところをまとめてみました。
カテゴリー「一世紀のキリスト教」は、キリストの教えが宗教となる前のいわゆる「この道」、いわゆるイエスの教えを信じる人々がユダヤ教の一派として見られている頃の姿をまとめてみました。
カテゴリー「ちょっと寄り道」は、聖書以外のことで思うところを書いてみました。最近は聖書の学びが忙しいので寄り道ができません。
カテゴリー「キリスト教とは」は、聖書から見たキリスト教ということで設けました。
カテゴリー「聖書の疑問いろいろ」は、聖書を読み、わたしが感じた疑問と疑問に対するわたしの考え方を書いてみました。
カテゴリー「聖書のよもやま話」は、聖書を読み、わたしが感じた疑問と疑問に対するわたしの考え方を短文で呟いてみました。もちろん、独断と偏見ですから、諸先輩に叱られることも書いています。
カテゴリー「心に残る聖書の言葉」は、聖書の言葉1節が、その人の人生を変えると言います。
そのことを念頭にみ言葉を選び、思うところを一言書いてみました。
また、牧会書を除く新約聖書のすべて、預言書を中心に旧約聖書を1節ごとの解釈を試み投稿中です。
令和2年9月10日に新約聖書はすべて終わり、旧約聖書の預言書に進み、現在、「箴言」の投稿が完了し、続いて,旧約聖書の小預言書とイザヤ書の投稿が終わり、エレミア書の投稿を開始しました。
なお、聖書本文の記事はすべて副題ごとに解説していますので、記事は副題で索引していただければ、該当箇所を索引しやすいと思います。
一言
キリスト教と言えば一般的には宗教ですが、そのキリスト教が経典とする聖書は、神の言葉であり、預言の書であり、キリストを証しし、天地万物の創造主の存在を証しするものです。
したがって、同じ宗教でも仏教とは根本的に違いますから、どちらが正しいとか比較選択できるものではありません。
言いたいことは、宗教は人間が作ったものですから、人間に悪用され、間違いを犯しますが、真理は変わることは無いということです。
何故聖書の言葉が真理かと言いますと、聖書の言葉は天地万物を創造された創造主を証する言葉だからです。
聖書は、創造主が被造世界に残された文字による軌跡だと思います。
私の信仰の原点は、この天地万物は、進化論学者が言われるように進化により自然にできたものではなく(進化には科学的証拠はないと言うことです)、造られた何者か、すなわち創造主がおられると疑いなく信じるところにあります。そして、そのことを証するものは、私にとって、聖書でありこの人間を含めた自然界全体なのです。
問題は、聖書は神の言葉ですが、人間の言葉ですから不完全なのは事実です。だから、いろいろな解釈が生まれ間違いが生じます。
しかし、そこに神の御霊、聖霊が働かれる余地があるのも事実です。だから信仰が必要なのでしょう。
世界の歴史を見て、聖書を信じる人々がなぜこのように間違いを起こすかを考えると、それは人間が自己中心的に物を考え捉えるからだと思います。
人間が、聖書を創造主の都合ではなく、自分に都合よく解釈して信じ込むことに問題があるのだと思うのです。
いわゆる、被造物である人間の傲慢です。もちろん、聖書を改ざんし自分は神だと主張する教祖は論外です
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