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カテゴリー「おじさんの聖書」の記事

2007年8月 1日 (水)

愛の掟

暑い日が続きます。昨日は釣りに行ってきました。活性が高い季節のつりは難しいものです。魚の活性が高すぎると魚が上ずってしまって釣れません。

そこで昨日は、釣り方はいつもの通り両ダンゴの底釣りでしたが、餌に「底釣り夏」をまぶしてバラケ性を抑えて釣ってみましたら、満足ではないけれどもそこそこつれました。
 
「好き」と言うのは、感情の表れです。「愛する」というのは、字の通り「する」というのですから意志の現れです。

聖書には「好き」という言葉はわたしの知るところ出てきません。聖書に出てくるのは、すべて「愛」です。

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2007年8月26日 (日)

わたしが道

いま過去ログを順次見直しています。加筆するところ、削除するところがありますのでよろしくお願いします。
 
今回は、ヨハネによる福音書第14章6節を読みます。

今日は凄い言葉を紹介します。キリスト教ここにあり。絶対にほかの宗教と相容れないところです。

各宗教が目的とすることは一緒で、そこにいたる道は色々(いろんな宗教とか教えが)あるという考え方がありますが、そう言う考え方はとんでもないことです。

また、キリスト教は排他的とかよく聞きますがまさにその通りです。それは次の聖句に現れています。

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2007年11月17日 (土)

真理があなたたちを自由にする

今回は、ヨハネによる福音書第8章32節を読みます。

「国立国会図書館法」前文にこの様な言葉があります。「国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立つて、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される。」

この前文の中に「真理がわれらを自由にする」という言葉があります。今日は、この言葉について書いてみたいと思います。

この言葉は、国立国会図書館の設立理念ともいうべきもので、東京本館の目録ホールに、日本国憲法制定時の憲法担当国務大臣でもあった初代館長金森徳次郎の筆跡で刻まれているということです。

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2007年12月25日 (火)

創造の御業はどこまでも

キリスト教は、イエスを信じる者が死ねばパラダイスへ、未信者が死ねば陰府に行くといわれています。一般にいわれている天国とか地獄というところは最後の審判があってから行くところです。

ところが、この地上でうろつく霊の存在も確認されています。その人たちはどうなのか、そこのところはよく分かりません。

さてヨハネによる福音書第3章16節にこのような御言葉があります。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が1人として滅びないで、永遠の命を得るためである。」

この聖句について少し考えて見たいと思います。イエスを信じたら永遠の命を得る。死んでもなくならない命を得るといいます。どういうことでしょうか。

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2008年4月21日 (月)

自己を捨てて生きる

新約聖書マタイによる福音書第6章10節の主の祈りといわれている中で、イエスは「御心が行われますように」と父である神に祈られました。イエスはこの祈りによって生涯を貫かれました。

この聖句は、「わたしが欲することではなく、あなたが欲したもうことが行われますように」と言う意味で、父である神の意志にご自分の命を捧げるという告白です。

また、イエスは、逮捕され十字架に架けられる前にもゲッセマネの丘で同じ内容の祈りを祈られました。
マルコによる福音書第14章32節「しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」です。
イエスはこの祈りをもって生涯を貫かれました。

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2008年9月 8日 (月)

良いほうを選ぶ

自分の人生は他の人には代わってもらえない、自分だけの人生であります。各人それぞれがその人生において自分だけの生き方、考え方、感じ方を形成しています。

持って生まれたものがちがう、考え方も感じ方も違う人間同士が、出会ったり別れたりして織り成す人生模様は、非常に複雑であって、ここで、人生にはこのような問題があり、それにはこのように考え対処していくのがよい、というように答えることなどできませんし、私には、その資格もありません。

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2008年9月15日 (月)

神の問いかけ

聖書の言葉は神の言葉(イエスの言葉)だといわれています。聖書を読んでいると、それが事実だと信じると、人生にとってなくてならぬものはこれだということがはっきりと分ってくると思うのです。

それが分かると、究極的には、その他のものはみな相対化されます。つまり、人生にとって重要なことではなくなるのです。

その他のものは、私たち俗人には、現世を生きていく上では必要ですが、必要以上にはいらないということだとおもいます。

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2008年9月19日 (金)

イエスの登場

イスラエル人は、契約の民と言われます。

それは、神様がいまから約3300年前に、イスラエル民族にシナイ山においてモーセを通して語られた次の言葉、

「今、もしわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたたちは全ての民の間にあって、わたしの宝となる。世界はすべてわたしのものである。」(旧約聖書出エジプト記第19章5節)にあります。

この契約は、神様が人類にメッセージを与えるために、その受け皿としてイスラエル民族を選ばれた時の契約です。
そのメッセージは、イスラエルの歴史で霊的な人物としてたくさん現れた預言者を通して語られました。

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2008年9月24日 (水)

憐み深いように

聖書とは、不思議な書物です。何処をとっても、どの節を読んでもそこに聖書全体の生命が溢れているというか、同じことが書いてあるのです。

神様は、聖書の言葉つまり御言葉を通して、それを読む人間に働かれます。だから、御言葉は生きているといえます。不思議ですが、そういうことをクリスチャンは信じています。

その意味で、たった一節の御言葉が大きく人生を変える力になることがあるのです。この2000年間で聖書の一節の御言葉で人生を大きく変えられた人々が無数に起こされたのも事実なのです。

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2008年10月 1日 (水)

愚かなこと

聖書を読んでいて、最初は戸惑いました。戸惑ったところはたくさんありますが、最も気になったのは次の箇所です。
一生懸命まじめに働いて何年も食べて行けるだけの財産を残し、よく働いたので何年も生きていく財産が出来たので、一休みして飲み食いしょうとしている金持ちの譬え話しです。

イエスは喩えを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、やがて言った。

『こうしょう。倉を壊してもっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、・・さあこれから先何年も生きていく蓄えができたぞ。

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