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カテゴリー「テモテへの手紙一を読む」の記事

2025年2月 3日 (月)

大きな利得、信仰の戦い(6章)

<大きな利得>
聖書の箇所は、テモテへの手紙一6章3節から10節です。
●3節.異なる教えを説き、わたしたちの主イエス・キリストの健全な言葉にも、信心に基づく教えにも従わない者がいれば、

 

では、「主イエス・キリストの健全な言葉」とは、福音書やイエスの特定の御言葉集のことではなく教義も行いも含めた福音全体を意味しているのでしょう。

 

もちろん、正しい教義は福音から出てくるものです。

 

「異なる教えを説き、わたしたちの主イエス・キリストの健全な言葉にも、・・従わない者がいれば、」の「主イエス・キリストの健全な言葉・・信心に基づく教え」とは、イエス・キリストの福音によって、神の救いにあずかり、神に似た、キリストに似たものに変えられるという教えでしょう。

 

「異なる教えを説き」は、福音は一つですから福音についてそういう教えと違った教えを教える者は異端教師だということになります。

 

 

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2025年1月20日 (月)

教会の人々に対して(5章)

聖書の箇所は、テモテへの手紙一5章1節から25節、6章1節から2節です。
1節から16節は、家族としての教会のありかた、すなわち、教会は神の家族 であると呼ばれているわけですが、教会が持っている、霊的な奉仕と実際の家族との兼ね合いのなかでどのように教会が機能していくべきなのか、でしょうか。

 

●1節.老人を叱ってはなりません。むしろ、自分の父親と思って諭しなさい。若い男は兄弟と思い、
●2節.年老いた婦人は母親と思い、若い女性には常に清らかな心で姉妹と思って諭しなさい。

 

 

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2025年1月12日 (日)

背教の予告、キリスト・イエスの立派な奉仕者(4章)

聖書では「終わりの時」は、すでに約2000年前のペンテコステ(聖霊降臨使徒言行録2章)の出来事から始まっています。

 

それから以降現在も、またやがて、7年の艱難時代が訪れこの人類社会が終わるまでが終わりの時(終末)なのです(「ヘブライの信徒への手紙」1章1〜2節)。

 

終わりの時に起きることについては「使徒言行録」20章29〜30節、「テモテへの第二の手紙」3章1〜5節に記載されています。
悪魔はなぜかこの地上で自由に活動していますが、艱難時代にはさらに活発に活動します。

 

悪魔は、人間の考えでは正しく見えるような「迷いの霊」を使うこともあり(ヨハネの第一の手紙4章6節)、また、異端の背後には悪魔が加担しているのです。(テモテへの手紙一4章1から2節、5章15節、ヨハネによる福音書8章44節、コリントの信徒への第二の手紙2章11節、エフェソの信徒への手紙6章11節、テサロニケの信徒への手紙二2章9〜12節、ヨハネの手紙一2章18節、4章1〜3節、ヨハネの黙示録13章14節)。

 

 

 

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監督の資格、奉仕者の資格、信心の秘められた真理(3章)

<監督の資格>
この手紙においても、パウロはキリスト教会の秩序を重んじています。
信徒の中にグノーシス主義者が入り込み、極端な思想を持ち込み混乱をきたしているエフェソの集会にいるテモテに対しパウロは、まず教会の秩序を保つために監督者の資格を述べます。
聖書の箇所は、テモテへの手紙一3章1節から7節です。

 

●1節.この言葉は真実です。

 

「監督の職を求める人がいれば、その人は良い仕事を望んでいる。」
パウロは、教会における「監督の職」について話します。

 

教会における指導的な働きのための職として、この監督、長老、牧者、そして執事がいます。
監督は、教会全体の運営と導きの働きで、長老は、霊的な権威が神から与えられている人たちのことですから、人々の模範として振舞います。
そして牧者は、集っている信徒たちを、羊を養うように、み言葉をもって養い育てる働きをする人です。

 

 

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2025年1月 3日 (金)

祈りに関する教え(2章)

聖書の箇所は、テモテへの手紙一2章1節から15節です。
テモテは今、エフェソにいて、パウロの手紙を読んでいるのでしょう(1章5節)。

 

パウロは、テモテをエフェソの教会にとどまらせて、そこの教会で起こっている問題、すなわち、異なった教えに対処するように命じました。
それは、「異なる教えを説いたり、作り話や切りのない系図に心を奪われたりしないように」です。(1章5節)

 

異なった教えの内容は前置きにも書きましたが、律法について異なった教えです。おそらく、口伝律法が大きく影響しているでしょう。
パウロは、テモテに言い争うのではなく、「信仰と正しい良心とを持って」対処するように命じています。

 

2章でパウロは、公の場における秩序について話しています。

 

 

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神の憐れみに対する感謝(1章)

聖書の箇所は、テモテへの手紙一1章12節から20節です。
●12節.わたしを強くしてくださった、わたしたちの主キリスト・イエスに感謝しています。この方が、わたしを忠実な者と見なして務めに就かせてくださったからです。

 

パウロは、ここから自分自身のことを話し始め、神への憐れみと感謝の祈りが始まります。
そして、神から福音宣教の務めがゆだねられた経緯を語るのですが、主キリスト・イエスが「わたしを強くして・・わたしを忠実な者と見なして務めに就かせてくださった」とします。

 

そう、パウロは、キリストが「わたしを忠実な者と見なして」と言っています。自分がキリストの忠実な者になったのではなく、キリストが自分を忠実な者とみなして、ということです。

 

 

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2024年12月28日 (土)

挨拶、異なる教えについての警告(1章)

<挨拶>
聖書の箇所は、テモテへの手紙一1章1節から2節です。
●1節.わたしたちの救い主である神とわたしたちの希望であるキリスト・イエスによって任命され、キリスト・イエスの使徒となったパウロから、
●2節.信仰によるまことの子テモテへ。父である神とわたしたちの主キリスト・イエスからの恵み、憐れみ、そして平和があるように。

 

「救い主である神とわたしたちの希望であるキリスト・イエスによって任命され、」とパウロは書いています。
通常救い主はイエス・キリストですが、パウロが父なる神を救い主と書いているのには理由があるのでしょう。

 

それは、自分が神の前では一瞬たりとも生きていくことはできない罪人であるという強い自覚があり、神のあわれみにすがる以外に救いはないという強い認識があったからではないでしょうか。

 

 

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テモテへの手紙一前置き

パウロのこれまでの手紙は、集会の信徒たちへの手紙でしたが、ここは牧者(指導者である牧師・教師)たちへの手紙になっています。
したがって、このテモテへの手紙と同様の牧者あての手紙であるテトスへの手紙、合わせて三通の手紙は「牧会書簡」と呼ばれています。

 

内容は、キリストの集会を教え導いていくために様々な指針、すなわち、堅く守らなければいけない教えを、さらに死守して、偽りの教え(口伝律法主義とかグノーシス主義)に対してキリスト信仰を守るために勇敢に戦わなければいけない、と教えています。

 

牧会する「牧者」(英語でPastor)という言葉は羊飼いを意味するラテン語に由来しているそうです。
パウロはテモテにこの書を書き送ったのですが、この時テモテはエフェソの集会で牧会をしていましたが、1章3節には、「あなたはエペソにとどまって」とありますので、集会内でいろいろと問題があり耐えきれず、エペソ教会を辞めようと思っていたようです。

 

 

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