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カテゴリー「エレミヤ書を読む」の記事

2023年9月 1日 (金)

ヨヤキン王の名誉回復(エレミヤ書52章)

聖書の箇所は、52章31節から34節です。
●31節.ユダの王ヨヤキンが捕囚となって三十七年目の十二月二十五日に、バビロンの王エビル・メロダクは、その即位の年にユダの王ヨヤキンに情けをかけ、彼を出獄させた。
●32節.バビロンの王は彼を手厚くもてなし、バビロンで共にいた王たちの中で彼に最も高い位を与えた。
●33節.ヨヤキンは獄中の衣を脱ぎ、生きている間、毎日欠かさず王と食事を共にすることとなった。
●34節.彼は生きている間、死ぬ日まで毎日、日々の糧を常にバビロンの王から支給された。

 

最後の章は、第二次捕囚時に捕らえ移されたユダのヨヤキン王の恩赦です。釈放されたのは「捕囚となって三十七年目の十二月二十五日」となっています。

 

 

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エルサレムの陥落と捕囚(エレミヤ書51章)

聖書の箇所は、52章1節から30節です。
最後の章です。いよいよ主の怒りは成就します。
この52章は、51章64節に「ここまでがエレミヤの言葉である。」とありますから、エレミヤの言葉は、51章までで52章は他の人によって書かれたのでしょう。

 

この52章には、ゼデキヤ王の治世から始まって、エルサレムの破壊、バビロンへの捕囚の出来事が記されています。
ただし、この記録はエレミヤが死んだ後の書かれたものですから、預言ではなく実際に起こったことを記録しているということです。

 

史実が、エレミヤの預言通りであるならば、エレミヤの預言は真の神の言葉であったと言うことになります。そういう意味で、この52章は大きな意味を持つことになります。

 

この52章を加筆したのは、バビロン捕囚から帰還した民の一人、祭司であり書記であるエズラではないかと言われています。
では、なぜこの52章がエレミヤ死後に記したものかと言いますと、

 

 

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バビロン滅亡の巻物(エレミヤ書51章)

聖書の箇所は、51章59節から64節です。
●59節.ユダの王ゼデキヤの第四年に、マフセヤの孫でネリヤの子であるセラヤが、宿営の長として王と共にバビロンに行ったとき、預言者エレミヤはセラヤに次のように命じた。

 

このバビロン滅亡の預言は、「ユダの王ゼデキヤの第四年」ですから、まだゼデキヤが王になって4年経った後のことで、まだエルサレムの町は破壊されていません。

 

「マフセヤの孫でネリヤの子であるセラヤが、宿営の長として王と共にバビロンに行ったとき、」ですが、ユダ王国はバビロンの属国となり、王として参上しなければいけなかったのでしょう。

 

 

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2023年8月26日 (土)

諸国民に対する預言(10)(エレミヤ書51章)

51章1節から58節は、バビロンに対する裁きの宣告の締めくくりです。
宿営の長であったセラヤに、そのバビロン滅亡の巻物が手渡されます。(51章59節)

 

セラヤは、エレミヤの預言活動を口述筆記して助けたバルクの兄弟です。
彼は、エレミヤに命じられて、捕囚の民の前で、その巻物を解き、当時隆盛をきわめたバビロンへの裁きと滅びを宣告するために遣わされるのです。

 

バビロンに対する裁きの宣告は、捕囚の民に対する悔改めを促す内容にもなっています。

 

<奮い立つ破壊の霊>
聖書の箇所は、51章1節から10節です。
●1節.主はこう言われる。「わたしはバビロンに対し/レブ・カマイ(カルデア)の住民に向かって/滅びの風を巻き起こす。
●2節.わたしはバビロンに外敵を送る。彼らはバビロンをふるいにかけ/その国土を裸にする。災いの日に、彼らは四方からバビロンに迫る。」
●3節.弓を射る者に弓を張らせ/鎧を着けて身構えさせよ。バビロンの若者たちを惜しんではならない。その軍をすべて滅ぼし尽くせ。
●4節.カルデア人の国には、殺された者が/路上には、刺された者が倒れる。
●5節.イスラエルとユダは/その神、万軍の主に見捨てられてはいない。カルデア人の国には罪が満ちている/イスラエルの聖なる方に背いた罪が。

 

主は、バビロン、つまり、「レブ・カマイ(カルデア)の住民に向かって/滅びの風を巻き起こす。」と預言されます。
4節と5節は、バビロンとイスラエルが同じ神の裁きを受けながら、その違いを述べています。

 

ご自分の民である契約の民イスラエルに対する裁きとそうではないバビロンに対する裁きは、同じ神の裁きであっても、イスラエルには、「その神、万軍の主に見捨てられてはいない。」ですから、イスラエルに対する裁きは懲らしめの意味を持ち、そこには救いがあるのです。

 

 

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諸国民に対する預言(9)(エレミヤ書50章)

<主への争い>
聖書の箇所は50章21節から28節です。
●21節.メラタイムの地に向かえ。そこに向かって攻め上れ。ペコドの住民に向かえ。彼らを剣にかけ、残ったものを滅ぼし尽くせと/主は言われる。わたしがお前に命じたとおりすべて行え。

 

「メラタイム」というのはバビロン南部に位置する町だということです。
「ペコド」はそこに住むアラム系の住民を指します。

 

そして、そのヘブル語の意味は、メラタイムは「二重の反逆」で、ペコデは「罰」だということです。
つま り、ここはバビロンの反逆に対し神が罰を下される、ということになります。

 

 

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2023年8月18日 (金)

諸国民に対する預言(8)(エレミヤ書50章)

<バビロンの陥落>
聖書の箇所は50章1節から10節です。
主はなぜ預言されるのか、それは、その預言が実現したときに主の言葉が証されるとともに主の存在が証されるからと言えます。
私たちが信じようが信じまいが、主の預言は必ず実現することを知らなければならないのでしょう。

 

人類の歴史を見て、目に見える今の世界情勢を見て判断するのではなく、あくまでも神の言葉によって主を知りこれから起こることを知るべきでしょう。

 

ここ50章と51章で預言された「バビロンの滅亡」は、事実、歴史の中に成就したのです。

 

ユダと諸国の民がバビロンによってことごとく破壊され、人々の多くを捕囚としたバビロンが、北から来る民(ペルシャ)によって滅ぼされ、事実、この世からその姿を消します、(エレミヤ50章41節、51章48節)。

 

 

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諸国民に対する預言(7)(エレミヤ書49章)

<シリアのダマスコに対する預言>
聖書の箇所は、49章23節から27節です。
ダマスコは、かつてはイスラエルの領土でしたが、この町もバビロンの手に落ちます。

 

●23節.ダマスコに向かって。ハマトとアルパドは、悪い知らせを聞いて/うろたえている。安らうことのない海のように/彼らは不安におののいている。
●24節.ダマスコは力を失い、身を翻して逃れた。おののきが彼女に臨んだ。子を産む女のように激しい痛みが/彼女をとらえた。
「ハマトとアルパド」は、ダマスコの北にあるシリヤの町で、そこにバビロンが襲ってきます。

 

「悪い知らせを聞いて/うろたえている。」は、シリヤにバビロンが襲ってきたので、それを聞いてダマスコが恐怖で「不安におののいている。」のです。
24節は、そのダマスコガ滅びる様を描いているのでしょう。

 

●25節.栄えある都、わが喜びの町は/どうして捨てられたのか。

 

 

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2023年8月12日 (土)

諸国民に対する預言(6)(エレミャ書49章)

<アンモンの人々に対する預言です。>
聖書の箇所は、エレミヤ書49章1節から6節です。

 

アンモンはモアブの北にあり、モアブと同じくロトとその娘から生まれた子から出てきており、イスラエルに対して敵対していました。
ですから、アブラハムの子孫でもあるわけですから、もともと聖書の神を信じていた民族ですので、裁かれた原因はそこにあるのではないでしょうか。

 

周辺諸国への預言が続くのですが、ここにはヨルダン川の東、ロトの子孫アンモン人に対する裁きです。
彼らは水源を誇り、財産に頼っていましたが、バビロンによる首都ラバをはじめ、町々の破壊が語られています。
しかし、やがて回復するとも語られます(1-6)

 

 

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諸国民に対する預言(5)(エレミヤ書48章)

聖書の箇所は、エレミヤ書48章26節から47節です。
モアブに対する預言で、高慢です。
●26節.主に向かって高ぶったモアブを、酔いしれたままにしておけ。モアブはへどの中に倒れて、笑いものになる。
●27節.お前はイスラエルを笑いものにしたではないか。イスラエルが盗人の仲間であったとでも言うのか、お前がイスラエルのことを口にするたびに嘲ったのは。

 

モアブは平和が続いていることに「酔いしれて」、主に頼らなくても大丈夫と、高ぶっているのを主は、周辺諸国の物笑いの種になるのでそのままにしておけと言われます。

 

モアブが裁きを受けるのは、主に対して高ぶった罪の故でした。
「お前はイスラエルを笑いものにしたではないか。」と主は言われます。

 

このモアブの高慢を主は裁かれるのです。
イスラエルが主の裁きで、バビロンによって滅んだ時、モアブは喜びました。そして馬鹿にして、笑ったのでしょう。

 

 

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2023年8月10日 (木)

諸国民に対する預言(4)(エレミヤ書48章)

聖書の箇所は、エレミヤ書48章1節から25節です。

48章はモアブに対する預言です。

モアブの国はヨルダンの南側で、死海東側に位置し、エジプト軍が北上するときも、バビロン軍が南下するときもユダヤ地方を通過するため、その通り道から外れ、地政学的に平和が保たれた地域であったそうです。

 

 したがって、11節に記されているように、「モアブは幼いときから平穏に過ごして/捕囚となったことはない。古い酒のように静かに寝かされ/器から器へ注ぎかえられることなく/その風味は失われず/香りも変わることがなかった。」国でした。

 

大きな戦乱に巻き込まれることなく、平安で、「古い酒のように静かに寝かされ」熟成されるように繁栄を享受していたのでしょう。

そのような恵まれた環境にあったモアブは高慢になり、神への感謝や謙遜を忘れてしまいました。

 

 

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