51章1節から58節は、バビロンに対する裁きの宣告の締めくくりです。
宿営の長であったセラヤに、そのバビロン滅亡の巻物が手渡されます。(51章59節)
セラヤは、エレミヤの預言活動を口述筆記して助けたバルクの兄弟です。
彼は、エレミヤに命じられて、捕囚の民の前で、その巻物を解き、当時隆盛をきわめたバビロンへの裁きと滅びを宣告するために遣わされるのです。
バビロンに対する裁きの宣告は、捕囚の民に対する悔改めを促す内容にもなっています。
<奮い立つ破壊の霊>
聖書の箇所は、51章1節から10節です。
●1節.主はこう言われる。「わたしはバビロンに対し/レブ・カマイ(カルデア)の住民に向かって/滅びの風を巻き起こす。
●2節.わたしはバビロンに外敵を送る。彼らはバビロンをふるいにかけ/その国土を裸にする。災いの日に、彼らは四方からバビロンに迫る。」
●3節.弓を射る者に弓を張らせ/鎧を着けて身構えさせよ。バビロンの若者たちを惜しんではならない。その軍をすべて滅ぼし尽くせ。
●4節.カルデア人の国には、殺された者が/路上には、刺された者が倒れる。
●5節.イスラエルとユダは/その神、万軍の主に見捨てられてはいない。カルデア人の国には罪が満ちている/イスラエルの聖なる方に背いた罪が。
主は、バビロン、つまり、「レブ・カマイ(カルデア)の住民に向かって/滅びの風を巻き起こす。」と預言されます。
4節と5節は、バビロンとイスラエルが同じ神の裁きを受けながら、その違いを述べています。
ご自分の民である契約の民イスラエルに対する裁きとそうではないバビロンに対する裁きは、同じ神の裁きであっても、イスラエルには、「その神、万軍の主に見捨てられてはいない。」ですから、イスラエルに対する裁きは懲らしめの意味を持ち、そこには救いがあるのです。
最近のコメント