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カテゴリー「イザヤ書を読む」の記事

2023年1月 3日 (火)

.栄光の顕現(66章)

聖書の箇所は、66章1節から24節です。
イザヤ書の最後66章には、65章に続き「終わりの日」に起こるさまざまな出来事、つまり、キリスト再臨前の大患難期からはじまって、再臨後のメシア王国(千年王国)の祝福、最後の裁き、そして新しい天と新しい地などが描かれていますが、時系列ではありません。

 

それは、イザヤが見た幻がそうであったからでしょう。
この預言以降700年以上後に著されたヨハネの黙示録において、時系列にされます。

 

●1節.主はこう言われる。天はわたしの王座、地はわが足台。あなたたちはどこに/わたしのために神殿を建てうるか。何がわたしの安息の場となりうるか。

 

 

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救いの約束(65章)

聖書の箇所は、65章1節から25節です。
いよいよイザヤ書は、クライマックスに入ります。

 

65章で主は、イザヤの祈り、すなわち、63章17節の「なにゆえ主よ、あなたはわたしたちを/あなたの道から迷い出させ/わたしたちの心をかたくなにして/あなたを畏れないようにされるのですか。立ち帰ってください、あなたの僕たちのために/あなたの嗣業である部族のために。」、64章11節の「それでもなお、主よ、あなたは御自分を抑え/黙して、わたしたちを苦しめられるのですか。」に対し答えられています。

 

●1節.わたしに尋ねようとしない者にも/わたしは、尋ね出される者となり/わたしを求めようとしない者にも/見いだされる者となった。わたしの名を呼ばない民にも/わたしはここにいる、ここにいると言った。

 

 

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執り成しと嘆き(63章)

聖書の箇所は、63章7節から19節、64章1節から11節です。
●7節.わたしは心に留める、主の慈しみと主の栄誉を/主がわたしたちに賜ったすべてのことを/主がイスラエルの家に賜った多くの恵み/憐れみと豊かな慈しみを。

 

「わたし」とは、預言者イザヤを指し、預言者は神の民の代表として「主がイスラエルの家に賜った多くの恵み/憐れみと豊かな慈しみを。」「心に留める」と告白しています。

 

神の民ユダヤ人に注がれた「多くの恵み/憐れみと豊かな慈しみ」というのは、ユダヤ人たちは、反キリストの支配から逃れるためにエドムの地であるボツラに身を隠していましたが、そのときに彼らに主によって神の霊、聖霊が注がれ、かつて自分たちが十字架にかけたイエスが、神が遣わされた神の子メシアであることを霊の目が開かれて悟るのです。

 

 

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主の報復(63章)

聖書の箇所は、63章1節から6節です。
●1節.「エドムから来るのは誰か。ボツラから赤い衣をまとって来るのは。その装いは威光に輝き/勢い余って身を倒しているのは。」「わたしは勝利を告げ/大いなる救いをもたらすもの。」

 

「エドムから来るのは誰か。ボツラから赤い衣をまとって来るのは。」とあります。「赤い衣」は、キリストの十字架の姿とする見方がありますが、「エドムから来るのは誰か。」という言葉がありますから、それは終わりの日に来られる地上再臨のメシアが「ボツラ」において神の民の救いために反キリストの軍勢と戦って、身に降りかかった血によるものだと考えます。

 

終わりの日の「ボツラ」は、イスラエル人が反キリストの軍勢から逃れて隠れた地です。
それで、ボツラのイスラエル人を根絶しようとエルサレムからボツラに進軍した反キリストの軍勢に復讐して帰ってくるキリストを「ボツラから赤い衣をまとって来る」と表現しているのでしょう。

 

 

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シオンの救い(62章)

聖書の箇所は、62章1節から12節です。
●1節.シオンのために、わたしは決して口を閉ざさず/エルサレムのために、わたしは決して黙さない。彼女の正しさが光と輝き出で/彼女の救いが松明のように燃え上がるまで。

 

「わたし」は、キリストを指すのでしょう。
シオンとはエルサレムのことですが、「わたしは決して口を閉ざさず」ですから、主キリストはシオンのために黙ることをしないで、「正しさが光と輝き出で」ですから、その義が朝日のように光を放ち、「救いが松明のように燃え上がる」ですから、その救いが、松明のように燃え上がるまで、決して口を閉ざさないと約束されているのでしょう。

 

 

 

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貧しい者への福音(61章)

聖書の箇所は、61章1節から11節です。
●1節.主はわたしに油を注ぎ/主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして/貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み/捕らわれ人には自由を/つながれている人には解放を告知させるために。
●2節.主が恵みをお与えになる年/わたしたちの神が報復される日を告知して/嘆いている人々を慰め

 

「主なる神の霊がわたしをとらえた」とありますが、この「わたし」は、「主の僕」(イエス・キリスト)のことでしょう。
なぜならば、主の人類の救済の御業の使命を遂行されるのは、「主の僕」だからです。

 

「わたしに油を注ぎ」「貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み/捕らわれ人には自由を/つながれている人には解放を告知」は、まさにイエス・キリストその者です。(参考箇所、ルカの福音書4章18節から19節)

 

 

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栄光と救いの到来(60章)

聖書の箇所は、60章1節から22節です。
神の御国、すなわち、終わりの日に成就するキリスト地上再臨後に興る千年王国(メシ王国)の栄光と、輝かしいシオン、エルサレムの姿を描き、同時に、「新天新地」における神の栄光が預言されています。すなわち、御国の福音と言われるものです。

 

●1節.起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り/主の栄光はあなたの上に輝く。

 

「起きよ。光を放て。」は命令形ですが、イスラエルのメシア王国における回復を指すのでしょうが、「御国の福音」の視点から理解する必要があるのでしょう。

 

その光は、「あなた」すなわち、再臨のメシア・キリストが王として統治する「シオン(エルサレム)」、あるいは「シオンに住む者たち」に「起きよ」といわれているのです。

 

 

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2022年12月25日 (日)

救いを妨げるもの(59章)

聖書の箇所は、59章1節から21節です。
イザヤは、58章でイスラエルの問題について、彼らの信仰は形だけで中身がなかった、すなわち、行動が伴っていなかったとし、この59章ではその根本的な問題を取り上げています。

 

イザヤ書59章には、神と人とを隔てる罪、神の救いを妨げる罪とそれを贖う方が、神に立ち返る者のところに来て、新しい永遠の契約を結ぶことが語られています。

 

大切なのは、形式的・表面的な宗教行為で罪を帳消にしょうとするのではなく、その人間が神に立ち返るためには、内からの促し、すなわち、神からの霊と御言葉が不可欠であるとされています。

 

いったいどうしたらこの罪の問題を解決することができるのかですが、それはただ神の御手の中にあるということでしょう。

 

 

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神に従う道(58章)

聖書の箇所は、58章1節から14節です。
●1節.喉をからして叫べ、黙すな/声をあげよ、角笛のように。わたしの民に、その背きを/ヤコブの家に、その罪を告げよ。
●2節.彼らが日々わたしを尋ね求め/わたしの道を知ろうと望むように。恵みの業を行い、神の裁きを捨てない民として/彼らがわたしの正しい裁きを尋ね/神に近くあることを望むように。

 

主は。イスラエルに対して、「喉をからして叫べ」「その罪を告げよ。」と言われているのでしょう。
58章から再び新しい部分に入ります。それは「救いの完成」です。

 

ヨハネの黙示録の最後の部分とよく似ていますので、イザヤが預言したことをヨハネが幻の中で確認したということでしょうか。
それはエルサレム、栄光に輝くシオンの姿です。

 

 

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へりくだる者の祝福(57章)

聖書の箇所は、57章14節から21節です。
14から15節、18から19節は、神の終わりの日における救いを呼びかけているのでしょう。
主が呼びかけている対象は、義人や誠実な人たちであり、主に「身を寄せる者」(13節)たちであり、また、「心砕かれて、へりくだった人」(15節)たちです。

 

そして、主は彼らに向かって「盛り上げよ。土を盛り上げて、道を整えよ。」(14節)と仰せられます。
これは、バビロン捕囚からの帰還のことではなく、終わりの日に訪れる究極的な救いという次元において呼びかけられているのでしょう。

 

●14節.主は言われる。盛り上げよ、土を盛り上げて道を備えよ。わたしの民の道からつまずきとなる物を除け。

 

 

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