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カテゴリー「聖書のよもやま話」の記事

2022年9月22日 (木)

聖書のよもやま話(16)

第十六回目は、<神話><物質の悪化と無秩序化の法則><受肉の意味><イエス・キリストのすごい言葉>です。
<神話>
神話をネットで調べると、「人類が認識する自然物や自然現象、または民族や文化・文明などさまざまな事象を、世界が始まった時代における神など超自然的・形而上的な存在や文化英雄などとむすびつけた一回限りの出来事として説明する物語であり、諸事象の起源や存在理由を語る説話でもある。このような性質から、神話が述べる出来事などは、不可侵であり規範として従わなければならないものとして意義づけられている。」とありました。

 

我々人類は、歴史の営みの中で膨大な神話を生み出しました。
種々雑多な根源が混ざり合って、すなわち、真実の歴史や寓話や祭儀や人間が物語の中で感じる喜びなどが混ざり合って、そこから生み出されたと思うのです。

 

ですから、神話は全くの創作でもなく、真実も込められています。
世界中には、無数の宗教が存在しますが、そういう神話の性質から見て当然のことでしょう。もちろん、この人類を含む宇宙は、人間にとって想像を絶する存在で、未知であり、神秘ですから、神話が生まれるのは当然ともいえます。

 

わたしは聖書(旧約聖書の創世記)の神を信じるのですが、そこには、この宇宙、天地万物の創造とか悪魔と神との両方の超自然的な源も神話として生み出され記されています。

 

 

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2022年9月19日 (月)

聖書のよもやま話(15)

第十五回目は、<新約の神と旧約の神との違いと関係><神と人との契約><宗教><人間が子供を産むという奇跡と処女降誕><キリストがなされた奇跡>です。

<新約の神と旧約の神との違いと関係>
新約の神と旧約の神との違い、および、両者の関係の問題を考えてみたいと思います。
その問題に関しては、明白な答えが新約聖書に書かれています。イエスの次の言葉がそれです。

「あなたがた(ユダヤ教僧侶たち)は、聖書(旧約)の中に永遠のいのちがあると考えて、聖書(旧約)を研究しています。だが聖書(旧約)はわたしについて証言するものなのです」(ヨハネの福音書第5章39節)
イエスは、旧約聖書という書物には、わたしのことが書いてあるといっているのです。

ところがこの書物にはイエスという名前はどこにも見あたりません。イエスのイの字もでてこないのです。
それでも、イエスのことを証言しているというのならば、それは別のいい方で、たとえば比喩で現しているということになると思うのです。
だから、旧約聖書はそういう風に読む必要があるのではないかと思うのです。

新約聖書にはイエスのことが書いてあり、旧約聖書はそのイエスを証言しているといえます。

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2022年9月17日 (土)

聖書のよもやま話(14)

聖書のよもやま話(14)
第十四回目は、<旧約聖書の編纂><旧約聖書の成立過程><旧約聖書のユダヤ教での聖典化><旧約聖書と新約聖書>です。

 

<旧約聖書の編纂>
口伝伝承が編集され文字化され、まとまりのあるものが最初に成立したのは前5世紀から前4世紀頃とされています。
その時代のユダヤ民族は、ペルシアの支配下にあった時期です。
バビロン捕囚からの帰還がおわり、第二神殿の再建も終わった頃でしょうか。

 

民族としてのアイデンテイテイが求められた時であったと思います。
ユダヤ教が民族宗教として成立したと言えるのは、紀元前13年の「出エジプト」の出来事の時でしょうから、それから聖書の最初の部分が生じるまで、800年から900年の時間を経ています。

 

<旧約聖書の成立過程>
旧約聖書の中で、最初に文字化され編纂されたのは「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」の五つの文書からなる、いわゆる「(モーセ)五書」でしょう。
これに預言書・諸書が加わって、タナハと言われるようになりました。

 

 

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2022年7月15日 (金)

聖書のよもやま話(13)

聖書のよもやま話(13)
第十三回目は、<地獄に送られる人間><神の国は正義><日本人と宗教>です。

<地獄に送られる人間>
●ペトロ第二の手紙3章9節に「ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を送らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなた方のために忍耐しておられるのです。」とあるように、神は、ひとりでも滅びることを望んでおられません。

神は、すべての人が救われることを願っておられるのです。
それに裁くと言いましても地獄に送るとはどこにも書いていません。
裁きイコール地獄ではありません。

もちろん、アダム以降に生まれた全人類の内、神を受け入れないで死んだ人はそのうちのほとんどですから、神は、すべての人が救われることを願っておられると言うのならば、救いのチャンスがこの世だけでしたらそれも不可能でしょうから、セカンドチャンスもあると思います。
また、キリストは生まれ変わりを否定していませんから、そういうことも考えられます。

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聖書のよもやま話(12)

聖書のよもやま話(12)
第十二回目は、<千年王国と新しい天地に住む者><永遠の命について><残りの者と艱難時代>です。

<千年王国と新しい天地に住む者>
イザヤ書では、「終わりの日」「その日」「見よ」「ついには」という語句は、だいたいその内容が終末に起こることを預言しています。
ただ「その日」とあっても、近未来の場合もあるので注意を要しますが、全体のマスタープランの概要をもとに見るとわかります。

また、王が支配する王国というのは、メシア王国(千年王国)のことで、新しい人類が住む「新しい天と新しい地」のことではありません。
メシア王国(千年王国)を支配する王は、メシア・キリストです。
人類社会の究極の姿である新しい人類が住む「新しい天と新しい地」は、神が支配する世界です。

<イザヤ書32章1節>
見よ、正義によって一人の王が統治し/高官たちは、公平をもって支配する。

「見よ」ですから、終わり墓碑の出来事の預言で、「正義によって」と対句である「公正によって」を指すのでしょう。
「正義によって一人の王が統治し」の一人の王は、イエス・キリストなのでしょう。

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聖書のよもやま話(11)

聖書のよもやま話(11)
第十一回目は、<デキレース>です。
<デキレース>
キリストの十字架死の意義とキリストは神の子とか神であるとか罪のない存在と表現しますが、まずそのことについて考えてみます。
人間はアダムの時代に神から離反し、その状態が今も続いています。
この神から離反している状態を聖書は(神に対する)罪といいます。

 

なぜ神に対する罪かと言いますと、人間の創造は創造主である神によってなされ、人間は自由意思を与えられ、神のご計画をもって新しい人類の創造という遠大な目標の下に人類の歴史は形成されています。

 

ヨハネの黙示録にそのことが預言されています。
ですから、人類がどのような歴史を歩もうが、人類の歴史の行き先は既に決まっているのです。
もちろん、人間には自由意思を与えられていますから、神の思惑通りに行かない場合もあるでしょうが、神はそれらをすべてご計画の貫徹のために用いてご計画を完成されるのです。

 

 

 

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2022年7月 7日 (木)

聖書のよもやま話 目次

聖書のよもやま話 目次

 

聖書のよもやま話(1)
第一回目は、<前置き><旧約聖書の疑問><使い捨ての命><救いについて><誰でもが疑問に思うこと><旧約聖書の時代の信仰者は、すべて
「陰府」に行った><「陰府」とは>です。

 

聖書のよもやま話(2)
第二回目は、<セカンドチャンスと「金持ちとラザロ 」><残りの者と全人類の救い><預言書を読んで><神が愛ならば><再記述の法則>です。
陰府」に行った><「陰府」とは>です。

 

聖書のよもやま話(3)
三回目は、<新しい人間の創造><律法の成就と神殿礼拝の廃止><復活と聖霊降臨><神は本当におられるのか><罪と悲惨な世界>です。

 

 

 

 

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2022年1月 1日 (土)

聖書のよもやま話(10)

第十回目は、<キリストの十字架死>です。
最後に、<キリストの十字架死>、すなわち受難物語を詳しく取り上げます。他の投稿文と重複するところがありますが、ご容赦ください。
キリストの十字架死は、キリストの受難物語とも言われますが、受難物語は実際に起こった出来事に基づいています。

 

そして、聖書は、受難物語が事実でも、これは単なる罪人の処刑ではなく、そこには意味があると言っています。
その意味(解釈)の根底となっている歴史観は、旧約聖書とそこに含まれる預言です。

 

福音書の記者たちは、旧約聖書の預言とこれの成就という歴史観に基づいて、イエスの十字架の出来事からその解釈(受難物語)を形成していったのです。

 

当然、イエスの出来事は、旧約聖書を離れて、聖書と違った意味で解釈することもできますが、その場合は、福音書の物語を福音書の意図とは違った視点から解釈する必要があるでしょう。

 

聖書を歴史書(又は小説)ではなく神の言葉として読む限り、旧約聖書から離れてキリストの十字架、また、福音書を正確に読み解くことはむつかしいでしょう。

 

でも現実に聖書はキリスト者だけでなく、いろいろな立場の方が自由に読まれていて、解釈の仕方もいろいろですが、わたしはそれでよいのだと思います。。

 

 

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聖書のよもやま話(9)

第九回目は、<摂理>です。
<摂理>
人間を罪(神から離反して自己中心に生きる)の中から救い出し永遠の命を与えるために神は御子イエスを十字架に架け復活させたのなら、そこにはどのような意味があるのだろう。なぜそのような方法をとらねばならなかったのだろうか。
聖書は、人間が創造されたものだとしています。

 

それならば必ず創造主がいて、その創造主のご計画と言うか、目的があって造られたはずです。

 

聖書は、神は人間を創造する前にこの地上世界に悪魔を閉じ込めたので、この地上世界は悪魔の支配するところとなったと言っています。
その地上世界にエデンの園を造り自由意志を持った人間を神は置かれたのですが、そうであれば、造られたばかりの何も知らない無垢な人間は、悪魔に神から離反するように言葉巧みに唆されたら、その気になるのは当たり前です。

 

そういう事態になることを神はわかっていてそのようにされたのです。
ヨハネの黙示録12章9節に、「この巨大な竜、年を経た蛇、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの、全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた。」とあります。

 

人間は、自分が何者でどこから来てどこへ行くかもわからずこの悪魔が支配しているこの地上で生きることになったのです。
行き先がわかればこの地上でどのように生きるかがわかるのだが、それも分からないのです。

 

 

 

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聖書のよもやま話(8)

第八回目は、<福音を宣べ伝える><キリストの「陰府」下りと死者に対する福音><一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ。><今こそこの世が裁かれる時><天使・悪魔・悪霊・汚れた霊><わたしの掟(命令)を受け入れそれを守る人はわたしを愛する者である。>です。

 

<福音を宣べ伝える>
ルカの福音書18章17節「幼子のように創造主の国を受入れる者でなければ・・・」の意味は、イエスの教えはつべこべ言わずに幼子のように受け入れる、つまり、何も疑問を持たないで盲目のまま信じなさいと言うことでしょうか。

 

しかし、わたしたち、特に自立した大人には知性がありますのでそうはいきません。
教えの内容を可能な限り理解しょうと務めるのは当たり前だし、そのように神は人間を造られたのです。

 

大人がまったく理屈ぬきにある教えを受け入れるならば、それは盲目的に受け入れることになり、まじないや呪術的宗教になってしまいます。神の本意でもないでしょう。

 

と言うことは、理解しょうと努力するのは良いが(神の言葉をすべて理解するのは人間には無理なので)どうしても理解できないところが残るので、そこは、上記の聖句の通り「幼子のように受け入れないと」信仰に至れないよ、と言うことでしょう。

 

 

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