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カテゴリー「マラキ書を読む」の記事

2022年6月15日 (水)

主の日(3章)

聖書の箇所は、3章19節から24節です。
●19節.見よ、その日が来る/炉のように燃える日が。高慢な者、悪を行う者は/すべてわらのようになる。到来するその日は、と万軍の主は言われる。彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない。

 

万軍の主は言われる。「見よ。その日が来る。」とあります。
この「その日」とは、主が定められた終わりの日のことでしょう。
「見よ。」と、その日は必ず来ると強調されています。

 

そして、その日は「炉のように燃える日が。」来ると表現されています。
その日は、「高慢な者、悪を行う者」たちへの厳しい刑罰の日であると同時に、「主を畏れ敬う者」への報い、祝福の約束の日でもあるのです。

 

 

 

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正しい者と神に逆らう者(3章)

聖書の箇所は、3章13節から18節です。
●13節.あなたたちは、わたしに/ひどい言葉を語っている、と主は言われる。ところが、あなたたちは言う/どんなことをあなたに言いましたか、と。

 

主のつぶやきが描かれています。
「わたしに/ひどい言葉を語っている、」と言うのです。
主ご自身が、ご自分の民のことばによって傷ついているかのような表現です。
イスラエルの民はその主のつぶやきに対して「どんなことをあなたに言いましたか、」と問います。

 

●14節.あなたたちは言っている。「神に仕えることはむなしい。たとえ、その戒めを守っても/万軍の主の御前を/喪に服している人のように歩いても/何の益があろうか。

 

主は「神に仕えることはむなしい。たとえ、その戒めを守っても/万軍の主の御前を/喪に服している人のように歩いても/何の益があろうか。」と、彼らがつぶやいている様子を描いています。

 

 

 

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悔い改めの勧告(3章)

聖書の箇所は、3章6節から12節です。
●6節.まことに、主であるわたしは変わることがない。あなたたちヤコブの子らにも終わりはない。
●7節.あなたたちは先祖の時代から/わたしの掟を離れ、それを守らなかった。立ち帰れ、わたしに。そうすれば、わたしもあなたたちに立ち帰ると/万軍の主は言われる。しかし、あなたたちは言う/どのように立ち帰ればよいのか、と。

 

6節にあるように、前節までの様な厳しい裁きがあっても、「主であるわたしは変わることがない。」と言われています。
「ヤコブの子らにも終わりはない。」と言うのは、ヤコブの時のように主のイスラエルの民への思いは変わりがない、見捨てはしないと言うことでしょう。

 

「そうすれば、わたしもあなたたちに立ち帰る」と言うことでしょう。
それは、主の栄光が再建された神殿に戻ってくるという意味でしょう。

 

しかし、彼らは愚かにも、「どのように立ち帰ればよいのか、と。」問うています。
イスラエルの民は何度も主から離れましたのっで、今、どのように悔い改めたらよいのかが、分からなくなっているのです。

 

 

 

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審判の日の到来(2章)

聖書の箇所は、2章17節から3章5節です。
●17節.あなたたちは、自分の語る言葉によって/主を疲れさせている。それなのに、あなたたちは言う/どのように疲れさせたのですか、と。あなたたちが/悪を行う者はすべて、主の目に良しとされるとか/主は彼らを喜ばれるとか/裁きの神はどこにおられるのか、などと/言うことによってである。

 

バビロン捕囚からの帰還者は、最初は、感激に満たされて主の宮の再建に情熱を傾けましたが、やがて気力が萎え、再建工事は停滞しました。
そのような中で預言者たちが民を励まして、神殿は完成しました。

 

主はその時代の預言者ハガイとゼカリヤを通して、再建された神殿が将来、主の栄光に満たされ、エルサレムが神の都として繁栄を回復すること、平和と祝福がもたらされると約束されています。(ハガイ2章7節と9節とゼカリヤ8章3節、11節、13節)

 

しかし、紀元前516年の神殿再建から50年ほど経たマラキの時代の人々は、自分たちの期待が裏切られたと感じていたのだと思われます。
主の祝福は、すぐに実現するものと、将来、それも主の日に実現するものとがあるのです。

 

 

 

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若い時の妻に対する背信(2章)

聖書の箇所は、2章10節から16節です。
●10節.我々は皆、唯一の父を持っているではないか。我々を創造されたのは唯一の神ではないか。なぜ、兄弟が互いに裏切り/我々の先祖の契約を汚すのか。

 

ここからは祭司だけではなく、イスラエルの民全体の罪が指摘されます。
その罪は、「我々は皆、唯一の父(唯一の神)を持っている」のに、「兄弟が互いに裏切り」「先祖の契約を汚す」と言っています。
この「先祖の契約」というのは、トーラー(律法)のことでしょう。

 

●11節.ユダは裏切り/イスラエルとエルサレムでは/忌まわしいことが行われている。まことに、ユダは主が慈しんでおられる聖なるものを汚し、異教の神を信じる娘をめとっている。

 

「ユダは裏切り……主の聖所を汚し、異教の(外国の)神を信じる娘をめとった」と、罪を具体的に指摘されています。

 

●12節.主よ、このようなことを行う者を、家族もろともヤコブの天幕から絶ち滅ぼしてください。たとえ彼が万軍の主に献げ物をささげたとしても。

 

「このようなことを行う者を、家族もろともヤコブの天幕から絶ち滅ぼしてください。」の「家族もろとも」ですが、家族は、神が男と女を造り、神は二人が一心同体になるように結婚と言う制度を設けられたのです。

 

 

 

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祭司の警告(2章)

聖書の箇所は、2章1節から2章9節です。
●1節.祭司たちよ、今あなたたちにこの命令が下される。
●2節.もし、あなたたちがこれを聞かず、心に留めず、わたしの名に栄光を帰さないなら、と万軍の主は言われる。わたしはあなたたちに呪いを送り、祝福を呪いに変える。いや既に呪いに変えてしまった。これを心に留める者があなたたちの間に一人もいなかったからだ。

 

「祭司たちよ。今、この命令があなたがたに下される」と言っていますが、しかし、続けて「もし、あなたたちがこれを聞かず、心に留めず、わたしの名に栄光を帰さないなら、」と、条件を付けて、主のさばきが、「わたしはあなたたちに呪いを送り、祝福を呪いに変える。」と宣告しながら、「いや既に呪いに変えてしまった。これを心に留める者があなたたちの間に一人もいなかったからだ。」と、すでに、「のろい」が実現していることを宣言しておられます。

 

これは、1章6節における、「わたしの名を軽んずる祭司たちよ/あなたたちは言う/我々はどのようにして御名を軽んじましたか、」と、反省することもなく問い直していることへの主の裁きなのでしょう。

 

主の命令に聞き従わなければ、呪いが来る、そして、主の御名に栄光を帰さないということであれば、祝福が呪いになるということです。

 

●3節.見よ、わたしはあなたたちの子孫を脅かし/あなたたちの顔に汚物を浴びせる。それは祭りの犠牲の捨てられたものだ。あなたたちは、その上に投げ捨てられる。

 

 

 

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イスラエルとエドム、正しい礼拝(1章)

聖書の箇所は、1章1節から14節です。
イスラエルの民はバビロン捕囚から解放され、約束の地に戻り、神殿を再建できました。
しかし、完成した神殿は、ソロモンの神殿とは比較にならないほどに貧しい神殿でした。
(イスラエルとエドム・・1節から5節)

 

●1節.託宣。マラキによってイスラエルに臨んだ主の言葉。

 

「託宣」ですが、これは主の裁きが迫っているという意味での「重荷」とも訳されているそうです。
ゼカリヤ9章、12章の始まりの言葉と同じで、ゼカリヤの9章以降とマラキ書とには一連の関係にあると思われています。

 

「マラキによってイスラエルに臨んだ主の言葉」ですが、この預言が語られたのは、紀元前515年(516年とする見方も)に第二神殿が完成した後半世紀、その感動が冷めてしまった倦怠期と言える時期ではないでしょうか。

 

 

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マラキ書前置き

旧約聖書には、預言書は、大預言書が5、小預言書が12ありますが、マラキ書は小預言書のひとつで、捕囚期後の預言書です。 マラキ書はイスラエルに与えられた最後の預言書で、以降新約聖書の出てくるバプテスマのヨハネまで、預言者は現れません。 マラキとは、わたしの天使、わたしの使者と言う意味で、捕囚気以降にユダヤ(特にエルサレム)で活躍しました。 マラキが活躍した時代は、歴史的には、ちょうどネヘミヤがペルシアのユダヤ州の総督であった時代ころで、第二神殿完成(紀元前515年)から半世紀ほど経た頃、紀元前460年ごろのことでしょうか。 こののち神の声は、バプテスマのヨハネが現れるまで約400年の間沈黙します。 ゼカリヤ書では、終わりの日にイスラエルは霊的に復活し、千年王国(メシア王国)で建てられる神殿におられるのは、王である祭司であるキリストであることを知りました。 て神に立ち返るようにとの勧告です。

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