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カテゴリー「ゼカリヤ書を読む」の記事

2022年6月20日 (月)

エルサレムの救いと浄化(3)(14章)

聖書の箇所は、14章1節から21節です。
ここでは、終わりの日のメシアイエスの再臨と、再臨された後に神の国が立てられるというすばらしい預言となります。
14章に記されているキリスト再臨の前後に起こる出来事をまとめてみたいと思います。

 

なお、1節から3節は、終わりの日のハルマゲドン戦いを指しているのでしょう。
「主の日が来る」で始まります。
主の日とは「終わりの日と」とも言い、この今の世と後の世を分ける日であり、主が天から来られてこの世に対する審判が行われる日、すなわち、大患難時代の終わりに起こる出来事が起こる日です。

 

その日は、主イエスの再臨と千年王国が立てられるその時期を指しています。
具体的には「ハルマゲドンの戦い」です。反キリストの軍勢とキリストの軍勢による最後の決戦で、舞台はエルサレムです。
「あなた」と言うのは、前節の「私」のことですから主イエスキリストのことでしょう。

 

 

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エルサレムの救いと浄化(2)(13章))

聖書の箇所は、13章1節から9節です。
旧約の預言書には「初臨」と「再臨」の啓示はあるのですが、あるのは主の「来臨」です。

 

しかしこのゼカリヤ書13章では、メシアの初臨に起こる事と再臨に起こることが7節と8節で、語られています。
12章で、エルサレムの住民は自分たちに代わり戦う主を見ると、それは先祖が十字架で殺したナザレのイエスでありました。
それで彼らは、とてつもない罪を犯したことを知り激しく泣きます。

 

その嘆きは、イスラエルの指導層、そして一般の人々、あらゆる人々に及び、そして、一人ひとりに聖霊が降臨し、個人的に徹底した霊的覚醒が起こります。

 

●1節.その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、罪と汚れを清める一つの泉が開かれる。

 

 

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エルサレムの救いと浄化(1)(12章)

聖書の箇所は、12章1節から14節です。
ゼカリヤは、捕囚から帰還した南ユダの人々に神殿の再建の希望を与えて、力づけるために起こされた預言者です。
しかし、与えられた主のメッセ―ジは単なる神殿建設にとどまらず、神の栄光のご計画の最終的なご計画を示す預言を含んでいました。

 

それは、終わりの日に起こる多くの出来事が、時間軸ではなく(時間的順序)ではなく、いま、起こっているように同時に見るような形で語られています。
神様の世界は、時間がないので、この地上世界の過去・現在・未来の出来事は、常に今なのです。

 

●1節.託宣。イスラエルに対する主の言葉。天を広げ、地の基を置き、人の霊をその内に造られる主は言われる。

 

12章も9章と同じように「託宣」という言葉から始まります。
そして、その内容は、「イスラエルに対する主の言葉。」とされ、内容は、「天を広げ、地の基を置き、人の霊をその内に造られる」です。
これは主が天地万物の創造主であることを明らかにしているのでしょう。

 

 

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悪い羊飼い(11章)

聖書の箇所は、11章4節から17節です。 ●4節.わが神なる主はこう言われた。屠るための羊を飼え。 ●5節.それを買い取る者は、罪を帰せられずにそれを屠り、売るときは、「主はほめたたえられよ。わたしは金持ちになった」と言うが、羊飼いたちはそれを憐れまない。 ここで預言者ゼカリヤは、王や祭司など政治的、宗教的な指導者たちのことを羊飼いと呼び、イスラエルの民を羊と呼んでいます。 ゼカリヤは、主なる神に「屠るための羊を飼え」、つまり、牧者になるように命じられました。しかし、下記を読むと、神の嫌味に聞こえます。 「それを買い取る者」と言うのは、別の牧者のことでしょう。 「罪を帰せられずにそれを屠り、売るときは、「主はほめたたえられよ。わたしは金持ちになった」と言う」を要約すると、エルサレムに住む者たちは「屠るための羊」であり、その羊を「売るときは」、つまり、その民はエルサレムの滅亡に伴い、滅ぼされる運命、異邦人の国に離散する運命にあると言うことでしょう。

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諸国民の裁きとイスラエルの救い(2)(10章)

聖書の箇所は、10章1節から11章3節です。 10章は、終末において神の民(ユダとイスラエル)に与えられる祝福について預言されています。 ●1節.春の雨の季節には、主に雨を求めよ。主は稲妻を放ち、彼らに豊かな雨を降らせ/すべての人に野の草を与えられる。 「春の雨の季節には、主に雨を求めよ。」と記されます。 主はイスラエルの民とイスラエルの地に大雨を降らせて、大いに祝福してくださることを指すのですが、「主に雨を求める」ということは、神と人がともに住むという究極的な神の国(御国)を求める意味になるそうです。 イスラエルにとって、雨は恵みであり祝福なのです。 この言葉は続く2節で「テラフィムは空虚なことを語り、占い師は偽りを幻に見、虚偽の夢を語る。その慰めは空しい」と語られていますから、その関連で、収穫をもたらす雨をだれに祈り願うのかと、イスラエルの民に訴えていることになります。 なお、この「テラフィム」は、創世記31章19節では「家の守り神の像」、士師記17章5節では、「テラフィムを造って」守り神としていた、と記されています。つまり、「テラフィム」とは家の祭壇に飾られた偶像なのでしょう。

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諸国民の裁きとイスラエルの救い(1)(9章)

聖書の箇所は、9章1節から17節です。 ●1節.託宣。主の言葉がハドラクの地に臨み、またダマスコにとどまる。人々はイスラエルの全部族と共に主に目を向ける。 「託宣。」ですが、宣告とも言い「重荷」と言う意味があるそうです。 また新たな預言になります。これが11章まで続きます。 それから12章から新たに別の「宣告」が始まります。 「ハドラク」とはシリヤ北部のハマテの近くで、アブラハムに約束された地の最北端、「ダマスコ」はヘルモン山の北にあるシリヤの首都。 「ダマスコ」は、イスラエル王国を脅かす北の驚異の象徴的な町ですが、それらの町々に「宣告」としての「主のことば」が臨み、ダマスコには留まるとあります。 「ハドラク」「ダマスコ」と次の「ハマト」の町は、いずれもシリアの町です。ダマスコは今でもシリアの首都です。 主の宣告の内容は、通常、主が警告や裁きをお語りになるのですが、ゼカリヤ書では、それは、イスラエルの敵に対して向けられたものとなっています。

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2022年6月18日 (土)

断食と回復の約束(2)(8章)

聖書の箇所は、8章1節から23節です。
8章は、「万軍の主の言葉(ゼカリヤに対し)が臨んだ。」という定型句で、以下のように、10のメッセージが語られています。

 

1.わたしはシオンに激しい熱情を注ぐ。(2節)
2.わたしは・・エルサレムの真ん中に住まう。(3節)
3.エルサレムの広場には、再び、老爺、老婆が座すようになる。(4節)
4.(平和の到来を)この民の残りの者が見て驚くことをわたしも見て驚くであろう。(6節)
5.わたしはわが民を救い出し、彼らを連れてきて、エルサレムに住まわせる。(7・8節)
6.平和の種は蒔かれ、ぶどうの木は実を結び大地は収穫をもたらし、天は露をくだす。(12節)
7.互いに真実を語り合え。城門では真実と正義に基づき平和をもたらす裁きをせよ。互いに心の中で悪をたくらむな。偽りの誓いをしょうとするな。(16・17節)
8.(追加され断食日である)四月の断食、五月の断食、七月の断食、十月の断食はユダの家に喜び祝う楽しい祝祭の時となる。(19節)
9.更に多くの民、多くの町の住民が到着する。・・多くの民、強い国の民も来て、エルサレムにいます万軍の主を訪ね求め主の恵みを求める。(20・22節)・・諸国に民が群れを成して恵里サレムに集まる。
10.その日、あらゆる言葉の国々の中から、十人の男が一人のユダの人の裾をつかんで言う。『あなたたちと共に行かせてほしい。我々は、神があなたたちと共におられると聞いたからだ。』(23節)・・ユダヤ人と異邦人が共に主の祝福にあずかる。

 

 

 

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断食と回復の約束(1)(7章)

聖書の箇所は、7章1節から14節です。
●1節.ダレイオス王の第四年になって、主の言葉がゼカリヤに臨んだ。それは九月、キスレウの月の四日のことであった。

 

「ダリヨス王の第四年」の「九月、キスレウの月の四日」と、具体的な時期の記述から始まります。
この日は1章1節に記された最初の預言から約二年後の紀元前518年の12月を指します。まさに第二神殿再建工事の真っただ中での預言です。

 

●2節.ベテルはサル・エツェルとレゲム・メレクおよび彼の従者たちを遣わして、主の恵みを求めさせ、
●3節.また万軍の主の神殿の祭司たち、および預言者たちに次のような質問をさせた。「わたしは、長年実行してきたように、五月には節制して悲しみのときを持つべきでしょうか。」

 

 

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第八の幻(6章)

聖書の箇所は、6章1節から15節です。
●1節.わたしが再び目を留めて見ると、四両の戦車が二つの山の間から出て来た。その山は青銅の山であった。
第八の幻です。

 

四両の戦車が二つの山の間から出てきています。
この山は青銅でできています。青銅は、神の裁きを表しています。(幕屋において青銅でできた祭壇は、私たちの罪が裁かれることを意味していました。)

 

したがって、今、神がご自分の力と権威によって、裁きを行なわれることを表しているのでしょう。

 

●2節.最初の戦車には赤毛の馬数頭、二番目の戦車には黒い馬数頭、
●3節.三番目の戦車には白い馬数頭、四番目の戦車にはまだらの強い馬数頭がつけられていた。
四両の戦車をそれぞれ複数の馬が引っ張っています。
●4節.わたしは言葉をついで、わたしに語りかけた御使いに、「主よ、これは何ですか」と尋ねると、
●5節.御使いはわたしに言った。「これは天の四方に向かう風で、全地の主の御前に立った後に出て行くものである。

 

 

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第六・第七の幻(5章)

聖書の箇所は、5章1節から11節です。
5章には二つの幻が記されています。

 

一つは、第六の幻で「飛んでいる巻き物」、もう一つは、第七の幻で「エファ升とその中にいる女」です。
今までの幻もそうでしたが、この章の幻も第二神殿再建と神の民イスラエルの回復を視野に、人類救済史的、終末論的視点から解釈したいと思います。

 

●1節.わたしが再び目を留めて見ると、一つの巻物が飛んでいた。
●2節.御使いがわたしに、「何を見ているのか」と尋ねたので、わたしは答えた。「巻物が飛んでいるのが見えます。その長さは二十アンマ、幅は十アンマです。」

 

第六の幻は、飛んでいる巻き物です。
巻き物の大きさは、「長さは二十アンマ、幅は十アンマ」です。

 

 

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