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カテゴリー「ゼファニヤ書を読む」の記事

2022年6月 7日 (火)

ゼファニヤ書前置き

旧約聖書には、預言書は、大預言書が5、小預言書が12ありますが、ゼファニヤ書は小預言書のひとつで、捕囚期前の預言書です。

 

「ゼファニヤ」と表記される預言者の名前の意味は、「主が隠される」、あるいは、「主が隠し、秘め置いている事柄」だと言うことです。
それは同時に、主が隠された事柄が、主を尋ね求める者によってのみ開示されることを示唆しているとも考えられています。

 

「預言者ゼファニヤ」は、「主の日」に主がなそうとしておられることを当時の南ユダ王国(首都エルサレム)の人々に語り伝えました。
時代背景は、預言者ゼファニヤは自分の系図を開示し、5世代前まで遡って明らかにしています。
ヒゼキヤ(善王)―マナセーアモンーヨシヤ(善王)です。

 

4世代前は、ヒゼキヤ(1章1節)ですから、自分が「ヒゼキヤ」という南ユダの王の系譜にある者であることを伝えたかったのでしょうか。
ゼファニヤは、ヨシヤ王の時代に南ユダ王国で活躍した預言者です。

 

 

 

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主の怒りの日(1節)

聖書の箇所は、1章1節から2章3節です。
●1節.ユダの王アモンの子ヨシヤの時代に、クシの子ゼファニヤに臨んだ主の言葉。クシはゲダルヤの子、ゲダルヤはアマルヤの子、アマルヤはヒズキヤの子である。

 

ゼファニヤ書は、「クシの子ゼファニヤに臨んだ主の言葉。」としています。
著者が「ゼファニヤ」で、彼はエルサレムをアッシリアの攻撃から守った「ヒズキヤ」王の子孫であることを強調しています。

 

その活躍時代は、「ユダの王アモンの子ヨシヤの時代」です。
ヒズキヤを継いだマナセの時代は暗黒の時代で、預言者イザヤが残酷な「のこ引き」の刑で殺されたという伝承がありますが、その時代は、預言者の家系にとっては厳しい受難のときであったようです。

 

なお、この預言が記された時代はハバククとほぼ同時代だと思われています。また、「主(ヤハウェ)の日」の記述においてヨエル書との共通点が際立っています。

 

 

 

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諸国民の滅亡(2章)

聖書の箇所は、2章4節から15節です。
4節~15節には、四つの地域の国々に対し、主の裁きがなされることが記されています。具体的な名前が記されてはいますが、ユダのエルサレムを中心とする周囲の諸国のすべてを象徴していると考えます。

 

なぜならば、その諸国はすべて反イスラエル、反ユダヤ主義の象徴となる異邦諸国であるからです。
裁きの理由は、主の民イスラエルに対するそしりと罵りはすべて彼らを選んだ主に対するものとみなされ、その高慢のゆえに裁かれるのです。

 

そして、その地域はヨハネの黙示録でのメシア王国(千年王国)の中心的な地域であり、新しい聖なる都エルサレム(=回復されるエデンの園)の地域と一致するのです。

 

●4節.まことに、ガザは捨てられ/アシュケロンは荒れ果てる。アシュドドは真昼にその住民を追われ/エクロンは根こそぎにされる。
●5節.災いだ、海沿いの地に住む者、クレタの民は。主の言葉がお前たちに向けられている。カナンよ、ペリシテ人の地よ/わたしはお前を滅ぼし/住む者がないようにする。
●6節.海沿いの地は牧場となり/羊飼いの井戸が掘られ、羊の囲いが造られる。
●7節.その土地は、ユダの家の残りの者の所有となる。その土地で、彼らは羊を飼い/夕暮れには、アシュケロンの家で憩う。主なる神が彼らを顧み/その繁栄を回復されるからだ。

 

 

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エルサレムの罪と贖い(3章)

聖書の箇所は、3章1節から20節です。
●1節.災いだ、反逆と汚れに満ちた暴虐の都は。

 

「この都」はエルサレムのことですから、主の御声はエルサレムに帰ってきました。
「災いだ」、なぜならば、この町は(特に支配者層は)反逆と汚れと暴力に満ちていたからです。
「反逆」とは、神の言葉に背いたことです。

 

「汚れ」とは、神によって聖別された神の民なのに、世俗のもの(偶像礼拝、聖なるものと汚れたものの区別)と一つになっているからでしょう。

 

そして「暴力」は、貧しい人、やもめ、その他、弱っている人を助けないで、疎外し虐待(暴力)することです。

 

●2節.この都は神の声を聞かず/戒めを受け入れなかった。主に信頼せず、神に近づこうとしなかった。

 

ここは南ユダ王国(エルサレム)の現状が四つの動詞で語られています。

 

 

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