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カテゴリー「ミカ書を読む」の記事

2022年5月27日 (金)

主の告発(ミカ書を読む)7章

聖書箇所は、7章8節から20節です。
●8節.わたしの敵よ、わたしのことで喜ぶな。たとえ倒れても、わたしは起き上がる。たとえ闇の中に座っていても/主こそわが光。
●9節.わたしは主に罪を犯したので/主の怒りを負わねばならない/ついに、主がわたしの訴えを取り上げ/わたしの求めを実現されるまで。主はわたしを光に導かれ/わたしは主の恵みの御業を見る。
●10節.「お前の神、主はどこにいるのか」と/わたしに言っていた敵は/このことを見て恥に覆われる。わたしの目はこの様を見る。今や、敵は路上の泥のように踏みつけられる。

 

8章10節は、ミカの時代には、エルサレムはまだ破壊されていませんが、やがてエルサレムが再建する前に破壊されることをミカは神の幻によって見ているのでしょう。

 

また、この8節から10節の「わたし」はエルサレムを擬人化しているのでしょう。
まず預言者ミカは、エルサレムは、「わたしの敵よ、わたしのことで喜ぶな。たとえ倒れても、わたしは起き上がる。たとえ闇の中に座っていても/主こそわが光。」(8節)と(信仰)告白します。

 

そして、9節で「たしは主に罪を犯したので/主の怒りを負わねばならない」と預言者ミカは、主の怒りと裁きは、自分たちの罪のためとし、それを当然受けるべき主からの報いととらえて、「主はわたしを光に導かれ/わたしは主の恵みの御業を見る。」ですから、そこにイスラエルの回復の希望を見ます。

 

 

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民の腐敗(ミカ書を読む) 7章

聖書箇所は、7章1節から7節です。
1節から7節は、預言者ミカの哀歌です。・

 

エルサレムの絶望的な状況をミカは、1節から3節で「悲しいかな」と言う言葉と共に語ります。
そして、7節で「わたしは主を仰ぎ/わが救いの神を待つ。」と希望で終わるのです。

 

●1節.悲しいかな/わたしは夏の果物を集める者のように/ぶどうの残りを摘む者のようになった。もはや、食べられるぶどうの実はなく/わたしの好む初なりのいちじくもない。
●2節.主の慈しみに生きる者はこの国から滅び/人々の中に正しい者はいなくなった。皆、ひそかに人の命をねらい/互いに網で捕らえようとする。

 

ミカは、「主の慈しみに生きる者はこの国から滅び/人々の中に正しい者はいなくなった。」と嘆いています。
そのことを「夏の果物を集める者」、すなわち、収穫が終わった後のぶどうの実がない畑の姿で形容しています。

 

 

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主の告発(ミカ書を読む)6章

聖書箇所は、6章1節から16節です。
●1節.聞け、主の言われることを。立って、告発せよ、山々の前で。峰々にお前の声を聞かせよ。

 

「聞け」という主の呼びかけで始まる箇所は、三度目です。
一度目は、1章2節で2度目は3章1節です。

 

内容は、それぞれが主の裁きの次に回復を預言しています。
ここ6章は、裁判所での裁判の様子と同じです。

 

原告は「主の告発」ですから主なる神、その主の告発を主張、すなわち訴状を読み上げるのが代理人・弁護士で、それはミカの役目です。
「山々の前で。峰々にお前の声を聞かせよ。」ですから、山々、峰々が裁判官・証人で、そして被告は「答えよ」と命令されているイスラエルです。

 

●2節.聞け、山々よ、主の告発を。とこしえの地の基よ。主は御自分の民を告発し/イスラエルと争われる。

 

「聞け、山々よ、主の告発を」ですから、山々(天地)を証人にしています。
天地を証人に立てておられるのは、イスラエルが行ったことは人の目に隠せても、天地のように誰の目にも隠すことはできないと言うことでしょう。

 

●3節.「わが民よ。わたしはお前に何をしたというのか。何をもってお前を疲れさせたのか。わたしに答えよ。

 

「わが民よ。わたしはお前に何をしたというのか。何をもってお前を疲れさせたのか」と主はイスラエルに訴えられています。
この言葉の内容からすると、イスラエルの民が、主は何もして下さらない、もう疲れたと不平を言っている姿が想像できます。

 

 

 

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終わりの日の約束(2)(ミカ書を読む) 5章

聖書箇所は、5章1節から14節です。
ここ5章は、4章の続きであり、シオンの娘(エルサレム)が敵に対して圧倒的に打ち勝つことを神が約束してくださっています。けれどもその人物が、人ではなく、実に神が立てられた王、キリストによって実現します。

 

●1節.エフラタのベツレヘムよ/お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。

 

4章14節と5章1節は、メシア(救い主)が生まれる場所である小さな村ベツレヘムと、包囲されて打たれ、滅ぼされて神のさばきを受けるエルサレムとを対照させるために並べてあると言われています。

 

並べて書いてみますと
4章14節
今、身を裂いて悲しめ、戦うべき娘シオンよ。敵は我々を包囲した。彼らはイスラエルを治める者の頬を杖で打つ。
5章1節
エフラタのベツレヘムよ/お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。

 

即ち、「イスラエルを治める者」の頬が杖で打たれるエルサレムと、「イスラエルを治める者」が出るエフラタのベツレヘムが対照されています。

 

と言うことは、「お前の中から、わたしのために/イスラエルを治める者」がベツレヘム(=エフラタ)で、「彼の出生」ですから、生まれるということです。

 

 

 

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終わりの日の約束(1)(ミカ書を読む) 4章

聖書箇所は、4章1節から14節です。
●1節.終わりの日に/主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち/どの峰よりも高くそびえる。もろもろの民は大河のようにそこに向かい

 

「終わりの日」とか「その日」は、メシア王国を指す定型句です。
この「終わりの日」「その日」と言われる日に主がなされることが、イエス・キリストが言われる「御国の福音」と言われるものです。
「御国の福音」は、キリストの再臨によってもたらされる神の約束の実現による「良きおとずれ」と言われています。

 

「主の神殿の山」は、いわゆるエルサレムで、ヤコブの家、シオンの山とも言います。
主は、ご自分が王として支配されるために、シオン、エルサレムを選ばれたのです。

 

キリストが、「御国の福音」の宣言をなされたのも、山上の垂訓、山の上でした。
そして、ヤコブの家(イスラエル)が立てられているのは、彼らが証人となって、異邦人たちが主を知ることができるようにするためです。
「もろもろの民は大河のようにそこに向かい」ですから、多くの異邦の民が再臨した主を礼拝するためにエルサレムに巡礼に来るのです。

 

●2節.多くの国々が来て言う。「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」と。主の教えはシオンから/御言葉はエルサレムから出る。

 

 

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2022年5月25日 (水)

指導者たちの罪(ミカ書を読む)3章

聖書箇所は、3章1節から12節です。
●1節.わたしは言った。聞け、ヤコブの頭たち/イスラエルの家の指導者たちよ。正義を知ることが、お前たちの務めではないのか。
●2節.善を憎み、悪を愛する者/人々の皮をはぎ、骨から肉をそぎ取る者らよ。

 

「ヤコブの頭たち」ですから、イスラエルの指導者たちに対する神の言葉です。
1節から4節までが、指導者たちに対する言葉で、5節から8節が預言者たちに対する言葉です。

 

イスラエルの不正を糾弾する預言者ミカの言葉は、神に立てられて、正義を行うことが期待されている「ヤコブの頭たち、イスラエルの家の指導者たち」(1節)が、「善を憎み、悪を愛する者」となっているからです(2節)。

 

「正義」ですが、これは神の律法に基づく社会的な正義を示します。
正義とは、神の律法に基づき、善を行なう者に報いを与え、また悪を行なう者にもそれにふさわしい報いを与え、そのように正しい裁きをすることによって統治することです。

 

ところが、その彼らが自らの立場を使って、むしろ悪を行なっているという問題です。
神の民イスラエルの指導者ですから、指導者たちは正義を知っているはずなのに、本当の意味で、それを知り、味わい、行使しなかったことを糾弾しているのでしょう。

 

もちろん、北イスラエル王国でも南ユダ王国でも、その指導者たちに正義が見られないと言うことです。

 

 

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ユダの混乱、復興の預言(ミカ書を読む)2章

聖書箇所は、2章6節から13節です。
●6節.たわごとを言うな」と言いながら/彼らは自らたわごとを言い/「こんなことについてたわごとを言うな。そんな非難は当たらない。
●7節.ヤコブの家は呪われているのか。主は気短な方だろうか。これが主のなされる業だろうか」と言う。わたしの言葉は正しく歩む者に/益とならないだろうか。

 

「たわごと」(6節)を調べますと、口語訳は「説教してはならない」、岩波訳は「よだれを流すな」、他には、(預言のことばを)語るな」ということで、「預言するな」と意訳した方がわかりやすいと書いていました。

 

いずれにしても、ミカが言うようなそんな悪い事など、起こるはずないという抗議があったことを意味しているのでしょう。

 

つまり、イスラエルの支配者は、「「たわごとを言うな」と言いながら/彼らは自らたわごとを言い」ですから、イスラエルの支配者たちは、真の預言者の言葉を「たわごとを言うな」と遮って、反対に彼ら自身がたわごと、「(預言の)言葉を語っている」というのです。

 

そして、その内容について、「こんなことについてたわごとを言うな。そんな非難は当たらない。」と言っているのです。
そして、この真の預言者の声を否定するような偽りの預言のことばが、7節では、「ヤコブの家は呪われているのか。主は気短な方だろうか。これが主のなされる業だろうか」と描かれています。

 

 

 

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神の審判(ミカ書を読む) 1節

聖書箇所は、1章1節から2章5節です。
●1節.ユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に、モレシェトの人ミカに臨んだ主の言葉。それは、彼がサマリアとエルサレムについて幻に見たものである。

 

ミカが預言したのは、「サマリヤとエルサレム」についてです。
この預言は、サマリヤを神がアッシリアによって裁かれると言うものですが、同じ理由でエルサレムもアッシリアによって裁かれるのです。

 

サマリヤ(北イスラエルの首都)まで攻めてきたアッシリアが南ユダに攻めてくることを預言(警告)したのです。
サマリアは北イスラエルの首都で、エルサレムは南ユダの首都です。両首都についての預言ということですが、内容を見れば、首都と言うよりエルサレムと南ユダ王国に向けてなされたものでしょう。

 

歴史では、サマリヤ陥落は紀元前722年の南ユダの王アハズ、ヒゼキヤの治世の頃です。
ミカの南ユダのエルサレムの陥落についての預言は(1章9節から16節)、ヒゼキヤが悔い改めて主に助けを求めたことからいったん逃れて、エルサレムの陥落は100年ほど延期されることになります。

 

しかし、結局のところ、南ユダ(エルサレム)も神のさばきを免れることができませんでした。
エレミヤ書26章18節に「エルサレム」陥落につき、次のような記述があります。

 

 

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ミカ書前置き(ミカ書を読む)

旧約聖書には、預言書は、大預言書が5、小預言書が12ありますが、ミカ書は小預言書のひとつで、捕囚期前の預言書です。

 

ミカの名前の意味は「誰がヤハウェのようであるか」と言うことです。
著者のミカは、南ユダ王国の王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に活動した預言者です(1節)。

 

彼らは、紀元前740年ごろから680年ごろまで南ユダ王国を統治していました。
この時期、北イスラエル王国では、ホセアやアモスが預言者として働いていました。南ユダでは、イザヤと活動時期が重なります。

 

ミカの預言は主に北イスラエルのサマリヤに関するもので、聞いたのは南ユダ王国の住民です。
紀元前8世紀ですから、多くの預言者が預言した時期です。神様の働きが活発であったのでしょう。

 

同じ時期に預言者が多く出たのは、長期安定政権を築いていたウジヤ王が亡くなって、その子ヨタムがその跡を継いで王となったとき、アッシリア帝国が勢力を伸ばして来ていて、脅威となってきた時代であったからでしょう。

 

 

 

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