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カテゴリー「アモス書を読む」の記事

2022年5月16日 (月)

後の日の回復(アモス書を読む)9章

聖書箇所は、9章11節から15節です。
●11節.その日には/わたしはダビデの倒れた仮庵を復興し/その破れを修復し、廃虚を復興して/昔の日のように建て直す。

 

彼らに所有させよう、と主は言われる。主はこのことを行われる。
神による「その日」のイスラエルの回復の約束です。

 

「その日」は主の日であり、主の日はイスラエルにとって裁きの日でもあり救いの日でもあるのです。
神がアブラハム、イサク、ヤコブへの契約のゆえに、イスラエルの民に再びあわれみを施してくださるという約束でしょう。

 

「ダビデの倒れた仮庵」とは、荒野で旅をしているイスラエル人が天幕を張っていたことを覚えるのが、仮庵の祭りですが、仮庵は仮の宿ですから、とりあえず雨風をしのぐための小屋です。

 

 

 

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全世界の神(アモス書を読む)9章

聖書箇所は、9章7節から10節です。
●7節.イスラエルの人々よ。わたしにとってお前たちは/クシュの人々と変わりがないではないかと/主は言われる。わたしはイスラエルをエジプトの地から/ペリシテ人をカフトルから/アラム人をキルから、導き上ったではないか。

 

イスラエルの民に向かって主は「わたしにとってお前たちは/クシュの人々と変わりがない」と言われます。
これは、イスラエルの民の高慢を砕く言葉です。

 

「クシュの人々」(アフリカ 中部 に あ る スーダン も 含 む 大 き な 国があったそうです)は、ナイル川の最上流のヌビアの地の住民で、当時イスラエル民からしたら南の果ての辺境の民と見られていたのですが、イスラエルの民はその民と変わらないと言われたのです。

 

「イスラエルをエジプトの地から/ペリシテ人をカフトルから/アラム人をキルから、導き上った」と言うのは、イスラエルの民はエジプトの奴隷状態(辺境の民)から主ご自身が一方的なあわれみによって連れ出されましたが、同じように、主は、ペリシテ人を「カフトル」つまり、地中海に浮かぶクレテ島から、また、アラムを「キル」(メソポタミヤの北東部にある辺境の地)から連れ上ったではないかと言われます。

 

 

 

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第五の幻(アモス書を読む)9章

聖書箇所は、9章1節から6節です。
●1節.わたしは祭壇の傍らに立っておられる主を見た。主は言われた。「柱頭を打ち、敷石を揺り動かせ。すべての者の頭上で砕け。生き残った者は、わたしが剣で殺す。彼らのうちに逃れうる者はない。逃れて、生き延びる者はひとりもない。

 

主が立っておられるところは、ベテルの神殿の金の子牛が祭られている祭壇の傍ら(寄り添っているのではない)でしょう。

 

そして主は、偶像の宮と化しているその神殿の「柱頭を打ち、敷石を揺り動かせ。すべての者の頭上で砕け。」と言われますが、誰に向かって語られているかはわかりません。

 

とにかく主のご意志によって、柱の頭が激しく打たれ、それによって敷居の部分が震えるほどにするというのです。
普通は、柱は下からの地震で崩れるのですが、この場合は、上からの神の力によって柱が崩されるというのです。

 

「すべての者の頭上で砕け」と言うのは、フランシスコ会訳では、解説を加えるように、「柱をすべての者の頭上で打ち砕け」と訳されますから、それが文脈から生まれる意味なのでしょう。

 

 

 

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終わりの日(アモス書を読む)8章

聖書箇所は、8章9節から14節です。
●9節.その日が来ると、と主なる神は言われる。わたしは真昼に太陽を沈ませ/白昼に大地を闇とする。

 

「その日」は、もちろん終わりの日を指します。
「真昼に太陽を沈ませ」は、日食のことですが、当時の人々は「日食」について、罪が主なる神の恵みを覆い隠し、その恵みがイスラエルから去ったと考えたようです。

 

●10節.わたしはお前たちの祭りを悲しみに/喜びの歌をことごとく嘆きの歌に変え/どの腰にも粗布をまとわせ/どの頭の髪の毛もそり落とさせ/独り子を亡くしたような悲しみを与え/その最期を苦悩に満ちた日とする。

 

「祭りを悲しみに/喜びの歌をことごとく嘆きの歌に変え」ですから、イスラエルの人たちが祭りを行いながら、心は貪欲で満たされていましたので、これに対する裁きの預言です。
祭りの喜びを、「嘆きの歌」に変えられます。

 

 

 

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第四の幻と商人の不正(アモス書を読む)8章

聖書箇所は、8章1節から8節です。
●1節.主なる神はこのようにわたしに示された。見よ、一籠の夏の果物(カイツ)があった。主は言われた。
●2節.「アモスよ、何が見えるか。」わたしは答えた。「一籠の夏の果物です。」主はわたしに言われた。「わが民イスラエルに最後(ケーツ)が来た。もはや、見過ごしにすることはできない。

 

四つ目の幻は「一籠の夏の果物(カイツ)」です。
これを見せて神は、「わが民イスラエルに最後(ケーツ)が来た。もはや、見過ごしにすることはできない。」「その日には、・・しかばねはおびただしく/至るところに投げ捨てられる。声を出すな。」と宣言されています。

 

その夏の果物は、「仮庵祭」(レビ記23章34節以下、申命記16章13節以下)と呼ばれる、秋の収穫祭において主の神殿に献げられたものでしょう。

 

主はしかし、その供え物を喜ばれず、「イスラエルの最後(ケーツ)」を宣言されました(2節)
問題は、この籠ではなくその中に入っている夏の果物でしょう。

 

 

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アモスと祭司アマツヤ(アモス書を読む)7章

聖書箇所は、7章10節から17節です。
●10節.ベテルの祭司アマツヤは、イスラエルの王ヤロブアムに人を遣わして言った。「イスラエルの家の真ん中で、アモスがあなたに背きました。この国は彼のすべての言葉に耐えられません。
●11節.アモスはこう言っています。『ヤロブアムは剣で殺される。イスラエルは、必ず捕らえられて/その土地から連れ去られる。』」
●12節.アマツヤはアモスに言った。「先見者よ、行け。ユダの国へ逃れ、そこで糧を得よ。そこで預言するがよい。

 

偶像礼拝の中心地であったベテルの祭司アマツヤは、イスラエルの王ヤロブアムに、預言者アモスが王に逆らって国にとって耐えられないことを語っていると言って(10節)、預言者アモスの言葉を告げます(11節)。

 

でも、預言者アモスは王に逆らう言葉を自分勝手に語っているわけではなく、主の言葉を語っているのです。
12節を読むと、アマツヤも預言者アモツの言葉は主の言葉(預言)であることは分かっているはずです。

 

だから、アマツヤは預言者アモスに「ユダの国へ逃れ」といって逃そうとしたのでしょうか。
アマツヤは自分の告げ口で王が預言者アモスを罰するために捕らえようとしていることを知ったからでしょうか。

 

しかしそれは、アマツヤの親切心などではなく、預言者アモスを北イスラエルから排除するのが目的であるのでしょう。
アマツヤは預言者アモスに、「そこで糧を得よ。そこで預言するがよい。」と言っていますが、アマツヤの発想では、祭司職は召命でなくパンを食べるためであり、預言者もそのように理解していたのですね。

 

彼が祭司を行なっているのは、あくまでも自分の家の生活のためであり、神の召命ではないのです。
「ユダで糧を得よ、そこで預言するがよい」というのは、南ユダ王国に行って王に仕え職業的預言者になれと言うことでしょう。
北イスラエルではその道はなくなったと言うことでしょう。

 

 

 

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三つの幻(アモス書を読む)7章

聖書箇所は、7章1節から9節です。
1章から2章で、周囲の国々に対する裁きを宣言し、3章から6章で北イスラエルが滅びることを宣言しました。
三つの幻の内容は、次の通りです。

 

(1) 地の青草を食い尽くすいなごの幻(7:1~3)
(2) 大いなる淵と地を焼き尽くす火の幻(7:4~6)
(3) 主の手にある重りなわの幻(7:7~9)

 

7章から8章は、そのイスラエルへの裁きが終わりの日の五つの幻へと発展し、そして最終章9章で、神が倒れかけているイスラエルの回復を約束されます。

 

●1節.主なる神はこのようにわたしに示された。見よ、主は二番草の生え始めるころ、いなごを造られた。それは、王が刈り取った後に生える二番草であった。
●2節.いなごが大地の青草を食べ尽くそうとしたので、わたしは言った。「主なる神よ、どうぞ赦してください。ヤコブはどうして立つことができるでしょう/彼は小さいものです。」
●3節.主はこれを思い直され/「このことは起こらない」と言われた。
預言者アモスは、北イスラエル王国に対する神の裁きの言葉を伝えて行きました。

 

 

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2022年5月15日 (日)

驕れる人々への審判(アモス書を読む)6章

聖書箇所は、6章1節から14節です。
●1節.災いだ、シオンに安住し/サマリアの山で安逸をむさぼる者らは。諸国民の頭である国に君臨し/イスラエルの家は彼らに従っている。

 

「災いだ」と、初めに再び神の嘆きのことばが記されています。
そして、「シオンに安住し」のシオンは、南王国ユダ王国のことです。

 

この南王国ユダ王国と「サマリアの山で安逸をむさぼる者らは。諸国民の頭である国に君臨し」ている者のサマリアは、北王国イスラエルの中心の町ですから、両者に対する神の裁きの警告が記されているのでしょう。

 

「諸国民の頭である国に君臨し」と言うのは、実際に諸国民の頭ではなく、彼らが高ぶって自分たちのことをそのように見ていたという皮肉を込めて言ったという意味ではとされています。

 

●2節.カルネに赴いて、よく見よ。そこから、ハマト・ラバに行き/ペリシテ人のガトに下れ。お前たちはこれらの王国にまさっているか。彼らの領土は/お前たちの領土より大きいか。

 

イスラエルもユダも、これらの町より自分たちの方が優れていると思っていたのでしょう。
だから主は、北イスラエルの周辺の国々の名を上げて、これからその国に起こる悲劇を予告しながら、比較しながらその思い上がりを打ち砕こうとして、言われているのでしょう。

 

 

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祭りに勝る正義(アモス書を読む)5章

聖書箇所は、5章21節から27節です。
この時代の北イスラエルは、アッシリヤ帝国が一時的に弱体化していたので、彼らは繁栄を誇ることが出来たのです。

 

そして、「主の日」に対し幻想を抱いていたのです。
それに対し、主は預言者アモスを通して、北イスラエル王国の滅亡を預言しています。

 

●21節.わたしはお前たちの祭りを憎み、退ける。祭りの献げ物の香りも喜ばない。
●22節.たとえ、焼き尽くす献げ物をわたしにささげても/穀物の献げ物をささげても/わたしは受け入れず/肥えた動物の献げ物も顧みない。
●23節.お前たちの騒がしい歌をわたしから遠ざけよ。竪琴の音もわたしは聞かない。

 

主は、ご自身を求めない、善を求めない自己欺瞞に満ちた宗教的行為は、それを忌み嫌い、受け入れない、いや、喪に変えると言われているのでしょう。

 

北イスラエルの民は、神を喜ばすためにこれらの祭りを盛大に祝い、多くの犠牲を払ってささげものを携えて礼拝しているのに、神はそれらを受け入れなかったのです。

 

 

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裁きの日(アモス書を読む)5章

聖書箇所は、5章16節から20節です。
●16節.それゆえ、万軍の神なる主はこう言われる。どの広場にも嘆きが起こり/どの通りにも泣き声があがる。悲しむために農夫が/嘆くために泣き男が呼ばれる。
●17節.どのぶどう畑にも嘆きが起こる。わたしがお前たちの中を通るからだと/主は言われる。

 

主は言われる。「わたしがお前たちの中を通る」から、どの広場にもどの通りにも、そして、どのぶどう畑にも嘆きが起こると言われます。
「わたしがお前たちの中を通る」と言うのは、主の裁きにより、アッシリアが北イスラエルのサマリヤを攻めることを指しているのでしょう。
畑が荒らされて農夫が嘆き、人が死んで泣き屋(当時は誰が死ぬと泣き屋を雇います。)が泣きます。

 

ここは、先の第一の哀歌に対応する悲劇を預言する言葉です。
そして、4章12節の「イスラエルよ、お前は自分の神と会う備えをせよ」を指していると思われます。
イスラエルの民は、神に会う備えを怠ることによって、悲しみに打ちひしがれることになるというのです。

 

●18節.災いだ、主の日を待ち望む者は。主の日はお前たちにとって何か。それは闇であって、光ではない。

 

●19節.人が獅子の前から逃れても熊に会い/家にたどりついても/壁に手で寄りかかると/その手を蛇にかまれるようなものだ。

 

 

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