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カテゴリー「アモス書を読む」の記事

2022年5月13日 (金)

前置き(アモス書を読む)

「アモス書」は、アモスという預言者が実際に語ったものを記述した記述預言書です。
預言書は、大預言書であるイザヤ書、エレミヤ書、哀歌、エゼキエル書、ダニエル書。小預言書であるホセア書からマラキ書までの12書があります。

 

アモス書は、小預言書の中の一書です。
そして、アモス書はイスラエルの捕囚期前預言書(12)のひとつです。

 

アモス書の著者ですが、アモスとは「重荷を負う者」という意味だと言うことです。この名は、旧約聖書では彼だけしかいません。
イスラエルの国の不正、神への背信に対して、重荷を持っている預言者ということでしょう。
彼は、イスラエルに対し、主の言葉を「あなたがたは神の刑罰を受ける」と獅子が吠えるように預言しました。
そして、イスラエルのまわりの諸国に対し主は、イスラエルに対する「三つの罪、四つの罪」ゆえに「わたしは決して許さない」と叫ばれます。

 

家族的背景は不明で、1章1節によれば、彼の故郷はエルサレムの近くにある寒村「テコア」(ベツレヘム南東にあるユダの町)です。
アモスは南ユダの出身でありながら、北イスラエルに対して神の言葉を語りました。

 

また、彼は、7章14節で、「アモスは答えてアマツヤに言った。「わたしは預言者ではない。預言者の弟子でもない。わたしは家畜を飼い、いちじく桑を栽培する者だ。」と言っていますから、職業的な預言者ではなく、エリヤやエリシャが建てた預言者の学校で学んだわけでもなく、神学者でもなく、彼の職業は、羊飼いであり、いちじく桑を栽培する農夫でした。
ですから、アモスはどこの団体にも所属せず、神からの幻を授かり、単独で神の言葉を学び、そして語った預言者です。

 

 

 

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諸国民に対する審判(アモス書を読む)1章

聖書箇所は、1章1節から1章15節です。
●1節.テコアの牧者の一人であったアモスの言葉。それは、ユダの王ウジヤとイスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムの時代、あの地震の二年前に、イスラエルについて示されたものである。

 

アモスの預言の背景です。
テコアという町は、エルサレムから南に20㌔もある南ユダ王国にある町だと言うことです。
小さな変哲もない村落だったのではないかと思われます。
そしてアモス自身は、ただの「牧者」でした。

 

アモスが預言を行なった時は、南ユダと北イスラエルの南北とも非常に栄え、強くなり、豊かであった時代でした。
そして、「ユダの王ウジヤの時代、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムの時代(ヤロブアム二世の時代だと思います。)」とあります。
「地震の二年前」ですが、アモスが預言を行なって、それで二年後に、これから起こるような主の刑罰を予兆するような大地震が起こったのです。

 

その地震は、後の時代まで言い伝えられていましたから、相当な大地震であったのでしょう。
ハツォルとサマリヤの遺跡から地震の跡が見つかっているそうです。
それが紀元前約760年だということですから、アモスが預言を始めたのもその頃と思われます。

 

●2節. 彼は言った。主はシオンからほえたけり/エルサレムから声をとどろかされる。羊飼いの牧草地は乾き/カルメルの頂は枯れる。

 

「主はシオンから」ですから、主は、シオン、エルサレムにある神の宮におられ、そこから「ほえたけり・・声をとどろかされ」るのです。
そしてその声で、羊飼いであるアモスの牧場の草が乾き、「カルメルの頂」が枯れます。
カルメル山は、北イスラエルの地中海に面するところにある山です。

 

地中海に面していますから、海からの湿気で、雨がよく降るため緑豊かなところだと言うことです。
「その頂も枯れ」は何を象徴しているのでしょうか。

 

 

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諸国民に対する審判(アモス書を読む)2節

聖書箇所は、2章1節から16節です。
●1節.主はこう言われる。モアブの三つの罪、四つの罪のゆえに/わたしは決して赦さない。彼らがエドムの王の骨を焼き、灰にしたからだ。
●2節.わたしはモアブに火を放つ。火はケリヨトの城郭をなめ尽くす。鬨の声があがり、角笛が鳴り響く中で/混乱のうちにモアブは死ぬ。
●3節.わたしは治める者をそこから絶ち/その高官たちも皆殺しにすると/主は言われる。

 

六つ目の国はモアブです。ヨルダン中部、死海の東側にあった国です。
主の裁きの理由は、「エドムの王の骨を焼いて灰にした」ということです。

 

主の裁きは、「モアブに火を放つ・・治める者をそこから絶ち/その高官たちも皆殺しにする」です。
即ち、モアブの町々に火を送って宮殿を焼き尽くし、治めるもの、すべての首長たちを切り殺す、のです。
この出来事があったのは、イスラエル、ユダ、エドムがモアブを攻めた時に起こったことではないかと言われています。(列王記下3章6節から27節、エレミヤ書8章1,2節)

 

列王記は、王となるはずの長男を人身御供として焼き尽くすいけにえとしました。
エレミア書は、王墓を荒らしてその骨を焼いたのです。

 

 

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神の選び(アモス書を読む)3章

聖書箇所は、3章1節から2節です。
●1節.イスラエルの人々よ/主がお前たちに告げられた言葉を聞け。――わたしがエジプトの地から導き上った/全部族に対して――
●2節. 地上の全部族の中からわたしが選んだのは/お前たちだけだ。それゆえ、わたしはお前たちを/すべての罪のゆえに罰する。

 

主なる神がイスラエルの人々を「わたしがエジプトの地から導き上った全部族」(1節)と呼び、「地上の全部族の中からわたしが選んだのはお前たちだけだ」(2節)と告げられます。

 

しかし、主は、「それゆえわたしはあなたたちのすべての罪のために、あなたたちを罰する」(2節)と言われます。
主の選びは、2章5節に書きました。再度搭載します。

 

 

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2022年5月14日 (土)

神が語られる(アモス書を読む)3章

聖書箇所は、3章3節から8節です。
●3節.打ち合わせもしないのに/二人の者が共に行くだろうか。
●4節.獲物もないのに/獅子が森の中でほえるだろうか。獲物を捕らえもせずに/若獅子が穴の中から声をとどろかすだろうか。
●5節.餌が仕掛けられてもいないのに/鳥が地上に降りて来るだろうか。獲物もかからないのに/罠が地面から跳ね上がるだろうか。
●6節.町で角笛が吹き鳴らされたなら/人々はおののかないだろうか。町に災いが起こったなら/それは主がなされたことではないか。

 

3節以下には、疑問文が並びます。
5節までは、原因もないのにこういう結果になるだろうかと問う形式です。
おそらく、これを読む者が、そのようなことはないと答えるのを想定しているのでしょう。

 

仲が悪ければ、一緒に歩かない(3節)。獅子は獲物があるからほえる(4節)。鳥は餌(罠)がかけられているから、網にかかる(5節)。
角笛が町でなったから民は驚く(6節)、です。

 

このように因果関係がはっきりしている例を挙げて、だから、「町に災いが起こったなら/それは主がなされたことではないか。」、つまり、それは必然なのだということでしょう。

 

 

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サマリアの滅亡(アモス書を読む)3章

聖書箇所は、3章9節から15節です。
●9節.アシュドドの城郭に向かって/エジプトの地にある城郭に向かって告げよ。サマリアの山に集まり/そこに起こっている狂乱と圧政を見よ。
●10節.彼らは正しくふるまうことを知らないと/主は言われる。彼らは不法と乱暴を城郭に積み重ねている。

 

モアブは、アシュドドの宮殿と、エジプトの宮殿に対して語りかけています。(9節)
12節を読むと、「サマリアの滅亡」の箇所ですから、ペリシテの国とエジプトの国にとって北イスラエルの存在は、アッシリヤの北からの攻勢に対し、緩衝地域になっています。

 

 

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サマリアの女たち(アモス書を読む)4章

聖書箇所は、4章1節から3節です。
●1節.この言葉を聞け。サマリアの山にいるバシャンの雌牛どもよ。弱い者を圧迫し、貧しい者を虐げる女たちよ。「酒を持ってきなさい。一緒に飲もう」と/夫に向かって言う者らよ。

 

「この言葉を聞け」と、サマリヤの貴婦人たちに叱責されます。
アモスは、サマリヤの貴婦人たち(サマリヤにいる上流階級の夫人たちです。)を、「サマリヤの山にいるバシャンの雌牛ども」に喩えています。

 

これは、彼女たちが脂肪に満ちた「バシャンの雌牛」のように肥え太っていたことを嘲ったものでしょう。
なお、「バシャン」は、ギルアデの北、ヘルモン山の南にある高原、今のゴラン高原です。肥沃な地であり、強い雄牛、雄羊、雄やぎなどを育成していたことで知られていました。

 

 

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かたくななイスラエル(アモス書を読む)4章

聖書箇所は、4章4節から13節です。
●4節.ベテルに行って罪を犯し/ギルガルに行って罪を重ねよ。朝ごとにいけにえを携え/三日目には十分の一税を納めるがよい。
●5節.感謝の献げ物に酵母を入れたパンを焼け。大声で、随意の献げ物をする、と触れ回れ。イスラエルの人々よ/それがお前たちの好んでいることだと/主なる神は言われる。

 

「ベテル」は、北イスラエルの南端にある町で、北イスラエルにおける聖所があり、北端の町ダンと並んで金の子牛があったところだと言うことです。

 

「ギルガル」は、イスラエルの民のカナン侵入後の最初の拠点で、ヨルダン川からエリコに行くまでのところにある町で、サウルがそこで王として即位したところで、また彼が勝手に祭壇でいけにえを捧げるという重大な罪を犯して王位から退けられたところで、いわば、ギルガルは自分勝手な礼拝をささげた場所の象徴と言えます。

 

いわゆる、両方とも偶像礼拝の盛んな所です。

 

 

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悲しみの歌(アモス書を読む)5章

聖書箇所は、5章1節から3節です。
●1節.イスラエルの家よ、この言葉を聞け。わたしがお前たちについてうたう悲しみの歌を。

 

再び、「聞け」という命令の言葉っで始まっています。
「イスラエルの家」ですから、イスラエルの家全体(北イスラエル・南ユダ)に対して語っておられます。

 

そして何を聞け課と言うと、「悲しみの歌を。」ですから、哀歌です。
哀歌は人が死んで哀しむ時に歌うものですが、ここではイスラエルの家が倒れてしまうことを哀しみ歌います。

 

それは、4章6,8,10,11節の「しかし、お前たちはわたしに帰らなかった」と言うことでしょう。
この後、「哀歌」は16節と17節でも出てきます。

 

 

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2022年5月15日 (日)

わたしを求めて生きよ(アモス書を読む)5章

聖書箇所は、5章4節から15節です。
●4節.まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。わたしを求めよ、そして生きよ。
●5節.しかし、ベテルに助けを求めるな/ギルガルに行くな/ベエル・シェバに赴くな。ギルガルは必ず捕らえ移され/ベテルは無に帰するから。

 

ベテルはイスラエルとユダの国境付近、ギルガルはベニヤミン領・ヨルダン川西岸付近、そして、ベエル・シェバはユダ南端の町です。
イスラエルは、これらの地での礼拝は、真実な礼拝ではなく、主を悲しませる偽りの礼拝、偶像礼拝であったのです。

 

だから主は、「ベテルに助けを求めるな/ギルガルに行くな/ベエル・シェバに赴くな。」と言われているのです。

 

ベテルはイスラエルとユダの国境付近、ギルガルはベニヤミン領・ヨルダン川西岸付近、そして、ベエル・シェバはユダ南端の町で、いずれも偶像礼拝の盛んなところです。

 

これまで何度も主は、わたしに立ち帰るようにと、預言者らを遣わしてイスラエルの民に呼びかけていましたが、彼らは応答しようとしなかったのです。

 

 

 

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