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カテゴリー「ホセア書を読む」の記事

2022年5月 4日 (水)

エフライムの終わり(2)〈ホセア書13章・14章)

聖書の箇所は、13章1節から14章10節です。(2)は14章1節から10節までです。
このホセア書、最後の章は、北イスラエル王国の崩壊後の回復と祝福について語られているのでしょう。
内容は、三つの部分からなります。

 

第一は、2-3節前半で、悔い改めと立ち返りへの勧告。
第二は、3節後半-4節で、民による悔い改めの祈り。
第三は、5-9節で、救いの約束としての神の応答。

 

●1節.サマリアは罰せられる。その神に背いたからだ。住民は剣に倒れ/幼子は打ち殺され/妊婦は引き裂かれる。

 

サマリアは、北イスラエルの首都です。
サマリアが罰せられるのは、「神の背いたかたら」とされます。
自分が躓くのは、やはり自分の不義なのですが、わたしたちはその真実を認めたくなくて、現実を避けようと、逃げよう、あるいは隠れようとします。

 

●2節.イスラエルよ、立ち帰れ/あなたの神、主のもとへ。あなたは咎につまずき、悪の中にいる。
●3節.誓いの言葉を携え/主に立ち帰って言え。「すべての悪を取り去り/恵みをお与えください。この唇をもって誓ったことを果たします。

 

「イスラエルよ、立ち帰れ」で巣から、主が悔い改めを促されているのです。
悔い改めというのは、「主に立ち帰って」「すべての悪を取り去り/・・」を主に誓うことです。

 

「あなたの神、主に立ち返れ」の意味は、単に主のところに立ち返れという意味ではなく、「もっと深く、もっと親しく、主のふところに届くように立ち返る」ことを求めていると言うことだと言うことです。
まさに「悔い改めと立ち返りへの勧告」です。

 

だから「この唇をもって誓ったことを果たします。」と、4節に続く祈りがあるのです。しかし、このような誓いは自らの力で主の立ち返ることが出来ない民にとって何の意味もなさないと思うのですが、ホセアの願望でしょうか。

 

 

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エフライムの終わり(1)(ホセア書13章-14章)

聖書の箇所は、13章1節から14章10節です。(1)は13章15節までです。
13章からは、エフライム(北エルサレム)の終わりを告げる預言です。

 

12章15節で神はエフライム(北エルサレム)を威嚇され、エフライムの終わりを告知されました。
1-3節は、神々と偶像礼拝について、4-8節は、牧者ヤーウェとその裁きについて、9-11節は、ヤーウェ(イスラエルの神の名)の怒りによって取り戻される王国について語っています。

 

●1節.エフライムが語れば恐れられ/イスラエルの中で重んじられていた。しかし、バアルによって罪を犯したので/彼は死ぬ。

 

エフラエムとイスラエルを同義語で扱っていましたが、エフライムは北イスラエルの中心的な部族の名前です。
北イスラエルがエフライムと呼ばれたのは、一言で言えば、エフライムは、イスラエル12部族の中で、首位を占める指導的部族であったと言うことでしょう。

 

約束の地カナンの侵攻・占領の際には、エフライム部族出身のヨシュアがイスラエルの12の部族を率いました。
またエフライム部族の地シケムに契約の箱が置かれました。

 

そこに人々は集まり、シナイ契約を更新しました。(ヨシュア24:1)。
また、ソロモン王の死後、北イスラエルの10部族をまとめた初代の王ヤロブアム1世は、エフライム族でした。

 

その言葉は、部族連合の中で尊重され、恐れられ、誰もこれに敢えて反抗しようとする者はなかった。
このようにエフライムは常にイスラエルの政治の中で中心的存在であったのです。

 

 

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ヤコブの罪(ホセア書12章)

聖書の箇所は、12章1節から15節です。
12章は、11章の最後の節からの続きになります。

 

そして、この12章と13章は、神とイスラエルとの関係の歴史を概観し、イスラエルの背教が、父祖ヤコブ以来の特性であったことを明らかにしています。

 

12章では、イスラエルの父ヤコブの罪を原形として、現在のイスラエルの人々の罪が物語られていますが、それは、イスラエルに伝えられる伝承を用いているが、その順序は歴史の順序に従っているわけではないと言うことです。
ですから、ホセアは、祭儀において伝えられた、口頭伝承を用いたと思われます。

 

●1節.エフライムは偽りをもって/イスラエルの家は欺きをもって/わたしを取り巻いた。ユダはいまだに神から離れてさまよい/偶像を聖なるものとして信頼している。

 

「偶像を聖なるものとして信頼している」という言葉は、主に背き、偶像の神へ示す、イスラエルの歪んだ信仰に対する預言者の皮肉と捉えることが出来ます。

 

 

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2022年4月30日 (土)

神の愛(ホセア書11章)

聖書の箇所は、11章1節から11節です。
この章の1-4節は、父の比喩で神の愛に満ちた護りと民の忘恩が語られ、5-6節は罰について、7-9節は神の愛の勝利について、10-11節は神の愛の結果としてのイスラエルの回心と救いについて、語っています。

 

●1節.まだ幼かったイスラエルをわたしは愛した。エジプトから彼を呼び出し、わが子とした。

 

「エジプトから彼を呼び出し」ですから、出エジプトの頃を思い出し主は語っておられるのでしょう。
原文に忠実に訳せば、「エジプトからわたしの子を呼び出した」となるそうです。

 

神がイスラエルをご自分の民として選び、エジプトから救い出されたのは、イスラエルが神の子となるためではなく、神の子であるからなのです。

 

主はアブラハムとその子孫イスラエルを選ばれ、エジプトから脱出させた時の主の心の中は、父の子に対する愛でした。
ご自分の手元に置いておきたいという父の子に対する愛でした。

 

●2節.わたしが彼らを呼び出したのに/彼らはわたしから去って行き/バアルに犠牲をささげ/偶像に香をたいた。

 

 

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2022年4月23日 (土)

イスラエルに臨む罰(ホセア書10章)

聖書の箇所は、10章1節から15節です。
●1節.イスラエルは伸びほうだいのぶどうの木。実もそれに等しい。実を結ぶにつれて、祭壇を増し/国が豊かになるにつれて、聖なる柱を飾り立てた。
●2節.彼らの偽る心は、今や罰せられる。主は彼らの祭壇を打ち砕き/聖なる柱を倒される。
「イスラエルは伸びほうだいのぶどうの木」というホセアの言葉は、イスラエルに対する嫌味の言葉に聞こえます。

 

ヤロブアムⅡ世の時代のイスラエルが経済的にも文化的にも繁栄した最後の栄光の時代を指しているのでしょう。
その繁栄は、つかの間のあだ花でしかなかったのです。

 

しかし、イスラエルは繁栄するにつれて、その祭儀をカナン風に華麗にし、祭壇の数を増やし、カナンのバアルの聖所から採用した石柱を飾り立てたそうです。

 

「祭壇を増し/国が豊かになるにつれて、聖なる柱を飾り立てた。」ですから、イスラエルは、その繁栄を礼拝祭儀に表していたのです。
ホセアは、2節においてそのようなイスラエルを非難しています。

 

「偽る心」は、通常、「ふたごころ」とか「わかれた」という訳もあると言うことですが、ヤーウェ(イスラエルの神の名)に対する純粋な信仰と礼拝の態度がもはや見られない姿を、ホセアは、カナン文化を取り入れた豪華な祭壇に見ているのでしょう。

 

イスラエルは、カナンの地で文化と共にその地の祭祀を受け入れ、その宗教を受け入れていたのです。
その結果、ヤーウェへの唯一信仰を放棄してしまっていたのです。
イスラエルの民は、豊かになればなるほど、主をほめたたえるのではなく、むしろ石の柱、すなわち偶像礼拝に走りました。
そう、祭儀をもっての二心の信仰です。

 

 

 

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2022年4月16日 (土)

ペオルとギルガクにおける罪(ホセア書9章)

聖書の箇所は、9章10節から17節です。
●10節.荒れ野でぶどうを見いだすように/わたしはイスラエルを見いだした。いちじくが初めてつけた実のように/お前たちの先祖をわたしは見た。ところが、彼らはバアル・ペオルに行った。それを愛するにつれて/ますます恥ずべきものに身をゆだね/忌むべき者となっていった。

 

「荒野のぶどう」また「いちじくが初めてつけた実」は、どちらも甘そうでおいしそうです。
主はそのように「お前たちの先祖をわたしは見た。」と言われるのです。

 

なお、「エフライム」(北イスラエルの一部族)という言葉の意味は「実り多い」と言うことですから、水のない荒れ地において、主が彼らにぶどうとイチジクを豊かに実らせ、祝福されたと言うことでしょう。
主のイスラエルに対しての愛を表しているのでしょう。

 

ところが、イスラエルは、その主の気持ちを台無しにします。
「バアル・ペオル」を調べますと、バアル・ペオルは、モアブの人々が慕っていた偶像で、イスラエルは、シティムに着くと、モアブの女たちと不品行を行い、彼女たちの神々を慕って偶像礼拝の罪を犯しました。

 

その結果24000人もの民が打たれて死にました(民数25章1~9節)。
という事件です。

 

 

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預言者への憎しみ(ホセア書9章)

聖書の箇所は、9章7節から9節です。
●7節.裁きの日が来た。決裁の日が来た。イスラエルよ、知れ。お前の不義は甚だしく、敵意が激しいので/預言者は愚か者とされ、霊の人は狂う。

 

「裁きの日が来た。決裁の日が来た」と、確実に来る主の裁きの日の到来をホセアは告げます。
「来た」は、完了形ですから、将来必ず実現することをあたかもそれが実現したかのように完了形で記されているのです。

 

「イスラエルよ、知れ。」の「知る」は未完了形で、「知るようになる」という意味だと言うことです。
しかし、「知るようになる」ときにはすでに遅いのですから、信仰が必要になるのでしょう。

 

「日」はヘブル語では複数形と言うことなので、裁きは短期間に終るのでなく、長期間に及ぶと言うことでしょう。
「預言者は愚か者とされ、霊の人は狂う。」ですが、ホセアが実際に体験した、民から受けた迫害の内容でしょう。

 

預言者の権威を崩すためにとられた手段は、預言者を笑い者にし、気が狂ったとして、誰も預言者が語ることを真面目に聞くことがないようにすることであったのでしょう。参考箇所サムエル記上10章5節以下

 

●8節.預言者はわが神と共にあるが/エフライムは彼を待ち伏せて/その行く道のどこにも鳥を取る者の罠を仕掛け/その神の家を敵意で満たす。

 

 

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2022年4月 9日 (土)

イスラエルの警告(ホセア書を読む)(8章)

聖書の箇所は、8章1節から9章6節です。
解説によると、本章は編集によって断片的な預言を集めて一つの大きな詩の形で統一されているちうことです。

 

1-3節の「契約の破棄」という主題の部分は、本章全体を総括しています。
4節以下の他の短い言葉の塊は、それぞれ独自の主題を持っています。

 

即ち、4節後半から7節は偶像に、4節の前半と8-10節は、王国と王国が外国の助けを借り、媚びを売ることに、11-13節は犠牲の祭儀に、14節は宮殿と堅固な町の建築に対しての預言です。

 

●1節.角笛を口に当てよ。鷲のように主の家を襲うものがある。イスラエルがわたしの契約を破り/わたしの律法に背いたからだ。
●2節.わたしに向かって彼らは叫ぶ。「わが神よ/我々はあなたに従っています」と。
●3節.しかし、イスラエルは恵みを退けた。敵に追われるがよい。
「イスラエルがわたしの契約を破り」ですから、此処から3節までは「契約の破棄」です。

 

「角笛を口に当てよ」ですが、預言者は、主の見張人として、「角笛を口に当てよ」と、「主の家を襲うものがある。」ですから、主の家に危険が迫ってくることを知らせるために、警笛を吹き鳴らせとの主からの命令を受けて語っていると言うことでしょう。

 

「主の家」とは、北イスラエルをさし、「鷲」で象徴される危険は、アッシリアの来襲を指しているのでしょう。
アッシリアが「鷲」のようにイスラエルを「襲う」という警告の根拠は、「イスラエルがわたしの契約を破り/わたしの律法に背いたからだ。」でしょう。

 

民がその存在の根拠である神の契約を破り、「律法」を守らないので、神の助けを失ったことを明らかにする裁きとして語られているのでしょう。

 

しかし、民は、「わが神よ/我々はあなたに従っています」と叫ぶのです。
しかし、真の告白は、口先の告白ではない。

 

 

 

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2022年4月 3日 (日)

イスラエルの罪(ホセア書6章)

聖書の箇所は、6章7節から7章16節です。
イスラエルはソロモン王以降、北イスラエル王国(エフライム)と南ユダ王国とに分裂しました。

 

それぞれの王国がたどった歴史を比較してみますと、南ユダ王国は一つの王朝が存立し続けたのに対し、北イスラエル王国は政治的混乱が続き、陰謀と謀反を繰り返して10の王朝が立ち上がります。

 

そして、最終的にはアッシリア捕囚を最後に国家はなくなります。

 

●7節.彼らはアダムで契約を破り/そこでわたしを裏切った。

 

アダムは主の命に従わず主を裏切りました。
主が喜ばれるのは、6節にあるように「わたしが喜ぶのは/愛であっていけにえではなく/神を知ることであって/焼き尽くす献げ物ではない。」と言うことでしょう。

 

行いによって神との契約を破ったアダムを喩に6節と同じことを言っているのでしょう。
主が喜ばれるのは、神へのいけにえの献げ物ではなく、神を知ることなのです。

 

 

 

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偽りの悔い改め(ホセア書6章)

聖書の箇所は、6章1節から6節です。
この箇所は、5章8-15節と同じ状況の中で語られているのでしょう。

 

即ち、北の強国アッシリアの脅威におびえる北イスラエルが、他国との同盟によってこれに対抗しようとしましたが、兄弟国である南ユダ王国はこれに加わらず、主の言葉をも聞かず、貢物をしてアッシリアに助けを求めます。

 

そのような状況の中で、シリア・エフライム戦争(前733年)が勃発します。
結果は、北イスラエル(エフライム)にとって惨澹たるものでした。

 

しかし、その悲惨の原因は、神ではなく政治的な力によって切り抜けようとする不信仰にあったのです。
このように、他者に助けを求めることで神を軽視する不信仰を、神は裁きます。

 

神は、「エフライムに対して獅子となり…引き裂いて過ぎ行く」(5章14節)ものとなり、「立ち去る」(5章15節)と言われます。
しかし、その期間は、「彼らが罪を認めて、わたしを尋ね求め、苦しみの中で、わたしを捜し求めるまで」(5章15節)といわれています。
神の裁きの目的は、裁きによって絶滅させることにあるのでなく、民が悔い改めて恵みに与かることにあったのです。

 

 

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