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カテゴリー「ホセア書を読む」の記事

2022年2月26日 (土)

前置き(ホセア書を読む)

ホセア書は、12の小預言書のひとつで、8世紀の預言者です。
小預言書と言いましても、単純に預言の量が少ないことからそう分類されたと言うことです。中身ではありません。
ホセア書全体のテーマは、「姦通する女への愛」です。

 

ホセアは、神の命により、不幸な結婚を通して神の愛を体験的に知ることが出来ました。
神が異邦の神バアル(カナンの土着信仰)を慕うイスラエルに対して、なおもご自分の愛を傾けられますが、その姿を預言者ホセア自身が、姦通する女を娶ることによって体験し預言するというものです。

 

さて、ホセアが預言者として立てられたのは北イスラエル王国ヤロベアム二世の晩年(前750年頃)の頃です。
当時の北イスラエルは、統一イスラエルから分裂した後、ヤロベアム二世が統治したのですが、その時代は政治的に安定し、経済も栄えていましたが、貧富の格差が拡大し、道徳心は低下し、不正と不義が横行していました。

 

 

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2022年2月27日 (日)

ホセアの妻と子(ホセア書1節)

聖書の箇所は、1章1節から9節です。
●1節.ユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代、イスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムの時代に、ベエリの子ホセアに臨んだ主の言葉。

 

ホセア書の時代背景は、「ユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代」です。
この時代は、イザヤが預言した時と同じだと言うことです。

 

イザヤは、ウジヤ王の死後に天の御座の幻を見て神によって遣わされ、アハズに預言しました。
また、イザヤは、ヒゼキヤが王位に着いていた時に、アッシリヤ軍がエルサレムを包囲しました。
それでヒゼキヤ王は衣を引き裂いて主の宮に行って祈り、イザヤに祈ってほしいと要請しました 。

 

したがって、ホセアはイザヤと同時代の預言者で、ホセア書はイザヤ書と同時代と言うことになります。
ただ、場所が違います。イザヤは南ユダ王国での預言であったのに対して、ホセアは北イスラエルでの預言です。
北イスラエルについては「イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムの時代」とあります。

 

 

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2022年3月 8日 (火)

イスラエルの回復(ホセア書2章)

聖書の箇所は、2章1節から3節です。
2章は1章と文学的にはつながっていません。2章はホセアの預言を集めたものですが時間軸に沿っていないのです。
2章は、1章のイスラエルの裁きと、3章の物語による救いの思想との関連が明らかにされている点で、1章と実質的な関係があります。

 

つまりこの章は、ホセア書全体の中で、1章と3章をつなぐ橋としての役割を果たしていて、1-3章の文学的なまとまりを形成しています。

 

そのまとまりは五つの預言からなっていて、1-3節(イスラエルの回復)、4-15節(イスラエルの背信)、16・17節(イスラエル救いの日)、18-22節(イスラエル救いの日)、23-25節(イスラエル救いの日)の5つです。

 

イスラエルの民の裁きを通して救いへと導く、神の意志を知らせるものです。
1-3節の救いの預言は、4節以下の裁きの言葉を越えて、25節へとつなげています。

 

1章に比べて2章が、神の救いが支配するとの言葉で始まっているため、その事態の急展開に戸惑いを覚えさせられます。
それは、神の福音と言うものは、終わりになって始めて完全に理解できるものであるから人間には驚くべきもの、戸惑いを覚えるもの、人間の理解を超えた彼方にあるものだと言うことでしょう。

 

キリストの十字架による救いなどは、本当にわたしたちの理解を超えた彼方の出来事です。ホセアには想像も出来なかった事態でしょう。

 

 

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イスラエルの背信(ホセア書2章)

聖書の箇所は、2章4節から15節です。
●4節.告発せよ、お前たちの母を告発せよ。彼女はもはやわたしの妻ではなく/わたしは彼女の夫ではない。彼女の顔から淫行を/乳房の間から姦淫を取り除かせよ。

 

「お前たち」とは、先ほどの、娼婦との間で産まれた子供であるロ・ルハマとロ・アミのことでしょう。
「母」を比喩とすれば、「お前たちの母」は、北イスラエルの民のことでしょう。

 

神は、罪を持っているまま、霊的な姦淫を犯している状態の母の子らを、親しく愛することはできないということです。
神はそのままの貴方を愛されています、ではないのです。

 

「彼女はもはやわたしの妻ではなく わたしは彼女の夫ではない」(4節)という離婚の宣告の言葉が告げられています。
と言っても、神はイスラエルの民を棄てたわけではないでしょう。

 

これが悔い改めの呼びかけなのでしょう。
「彼女の顔から淫行を/乳房の間から姦淫を取り除かせよ。」との警告も同時にされているからです。

 

●5節.さもなければ、わたしが衣をはぎ取って裸にし/生まれた日の姿にして、さらしものにする。また、彼女を荒れ野のように/乾いた地のように干上がらせ/彼女を渇きで死なせる。

 

 

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2022年3月12日 (土)

イスラエルの救いの日(ホセア書2章)

聖書の箇所は、2章16節から25節です。
文中に「その日」という言い回しがよく出てきます。

 

これは神が究極的にご自分の救いを完成してくださる、神が定められた日と言う意味です。
ここでは「その日」という言い回しは、三回出てきます。多くの場合、終わりの時に実現します。

 

●16節.それゆえ、わたしは彼女をいざなって/荒れ野に導き、その心に語りかけよう。
●17節.そのところで、わたしはぶどう園を与え/アコル(苦悩)の谷を希望の門として与える。そこで、彼女はわたしにこたえる。おとめであったとき/エジプトの地から上ってきた日のように。

 

「彼女」と言うのは、イスラエルの民のことでしょう。
16節の「それゆえ」という言葉は、裁きと救いの神の行為を指しているのでしょう。

 

17節の主の言葉「彼女はわたしにこたえる。おとめであったとき/エジプトの地から上ってきた日のように。」は、主の救いの預言で、イスラエルの民は、裁きを恐れて神の下に立ち帰ることを決心するのですが、主はそれにこたえてその愛をあらわにされておられるのです。
「わたしは彼女をいざなって」という言葉には、その思いが込められています。

 

ですから、この17節は、現実にイスラエルが再び荒野に帰ってしまうことを意味しているのでなく、荒野時代に培った神と民との関係の回復、信仰の回復が語られているのでしょう。

 

荒野で「わたしはぶどう園を与え」(17節)る、と主はいわれます。
それは、荒野で神によって甘いぶどうの実をならせるということです。

 

と言うことは、人間にはできないことを神によって実現するのですから、神によるその救いは、新たな創造としての働きだと言うことです。
「アコルの谷」は、エリコ地方にある谷間の一つで、ここから約束の地の中心部の高原地帯に上ることができると言うことですから、この谷は、天然の門のような役割を果たしていたのでしょう。

 

 

 

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2022年3月20日 (日)

神の愛による回復(ホセア書3章)

聖書の箇所は、3章1節から5節です。
この箇所は、姦淫の妻の買戻し、すなわちイスラエルの買戻しです。

 

ホセアはゴメルを妻として娶ったが、彼女は他の男と姦淫を繰り返し、次々に子を産みます。
ホセアは自分の子でない子を与えられ、苦しみます。

 

ホセアは自己の経験を通して、愛する民に裏切られる神の苦しみを知るのです。
しかしやがて妻ゴメルは、他の男のところに行きます。

 

●1節.主は再び、わたしに言われた。「行け、夫に愛されていながら姦淫する女を愛せよ。イスラエルの人々が他の神々に顔を向け、その干しぶどうの菓子を愛しても、主がなお彼らを愛されるように。」

 

ゴメルは姦淫の罪を犯していました。
二人の子を産み、それから、ついに彼からも離れて行ったのでしょう。

 

主は、ホセアに「行け、夫に愛されていながら姦淫する女を愛せよ。」と命令されます。
つまり、自分の妻として引き取り、また契りを結びなさいということです。

 

「干しぶどう菓子」というのは、天の女王であるアシェラへの供え物(エレミヤ7:18)ですから、その偶像礼拝をしている時に、なおのこと主はイスラエルの民を愛しておられたと言うことでしょう。
それはちょうど、ホセアが姦淫するゴメルを愛するようにです。

 

●2節.そこで、わたしは銀十五シェケルと、大麦一ホメルと一レテクを払って、その女を買い取った。

 

ゴメルは奴隷市場で売られていました。
1節の「女」には「妻」という意味があるということで、文脈を考えるならば、当然ここでの「女」とはかつての妻ゴメルであると理解できます。

 

 

 

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主の告発〈ホセア書4章)

聖書の箇所は、4章1節から19節です。
この4章は、イスラエルの堕落に対する主の告発と裁きの章です。

 

前756年ヤラベアム2世は死に、北イスラエルは政治的混乱期を迎え、無政府状態になりました。
息子ゼカリヤは即位後半年で暗殺され、エヒュウ王朝は終わります。

 

権力を得たシャルムは1ヶ月後にメナヒムに殺され、メナヒムの息子ペカヤは軍司令官のペカに殺され、ペカもまたホセアの陰謀に倒れ、そのホセアの時代に北イスラエル王国はアッシリアに攻められて滅亡(紀元前723年)します。

 

これらの社会的混乱や関連して起こる飢饉、外敵の侵略等の災いこそ、イスラエルの罪に対する神の裁きであると預言者は告発します。

 

 

 

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2022年3月26日 (土)

イスラエルに対する審判(ホセア書5章)

聖書の箇所は、5章1節から7節です。
第5章は、主が、北イスラエルに、国家の滅亡が迫る中で、危機感も持たず快楽を求める指導者たちと民衆を告発し、その結果、大国アッシリアの介入による国家危機を招くと預言した章です。

 

預言者ホセアが活動を始めたのは、北イスラエルにおいて最も長い治世(41年)を誇ったヤラベアム2世の時代です。
この時代は北イスラエルが繁栄と平和を誇った時代でした。

 

北イスラエルの繁栄と平和は、「姦淫の霊」に支配された指導者たちの偶像礼拝によってもたらされました。
ヤラベアム二世の時代は、イスラエル王国は一時的に栄えましたが、次のザカリヤはわずか六ケ月後に暗殺されました。

 

国際情勢は緊迫化していましたが、北イスラエル国内では、その後の相次ぐ政権交代(20年間に5人も王が交代しました。)の中で、指導者である王家や貴族、祭司たちは自分たちの権力維持と快楽追求に時を費やしていました。

 

現実が見えない支配者たちにホセアの苛立ちは募ります。
ペカの時代で、次の王ホセアは、最初アッシリアに服従していましたが、724年にエジプトに頼って、アッシリアへの貢を中止し、臣属関係を破棄しました。

 

 

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戦争の罪と罰(ホセア書5章)

聖書の箇所は、5章8節から15節です。
シリアとエフライム(北イスラエル最大の部族)は、反アッシリア同盟を形成し、南ユダ王国を誘うが南ユダ王国は参加しなかった。

 

シリア・エフライム同盟軍は大軍で南ユダ王国の首都エルサレムを囲みますが、南ユダ王国の王アハズはアッシリアに支援を求め、アッシリアはパレスチナに攻め入り、シリアは滅ぼされ、北イスラエルは降服します。

 

●8節.ギブアで角笛を/ラマでラッパを吹き鳴らせ。ベト・アベンで鬨の声をあげよ。ベニヤミンよ、背後を警戒せよ。

 

ギブア、ラマ、ベト・アベン(「悪の家」の意、ベテルのこと)の三つの町は、いずれもベニヤミン族の領域にあり、北イスラエルの南の国境近いところにあったので、南ユダ王国からの攻撃にさらされていました。

 

そして、この三つの町は、分裂した王国時代(北イスラエルと南ユダ王国)を通じて、両国の間で常にその領有権が争われた領域でもありました。

 

「ベニヤミンよ、背後を警戒せよ」と言うのは、ベニヤミンが、南ユダ王国に直に接しているからでしょう。
ギブアとラマは、ベニヤミン領で、ベト・アベンは北イスラエルと南ユダ王国との境にあります。

 

 

 

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2022年4月 3日 (日)

偽りの悔い改め(ホセア書6章)

聖書の箇所は、6章1節から6節です。
この箇所は、5章8-15節と同じ状況の中で語られているのでしょう。

 

即ち、北の強国アッシリアの脅威におびえる北イスラエルが、他国との同盟によってこれに対抗しようとしましたが、兄弟国である南ユダ王国はこれに加わらず、主の言葉をも聞かず、貢物をしてアッシリアに助けを求めます。

 

そのような状況の中で、シリア・エフライム戦争(前733年)が勃発します。
結果は、北イスラエル(エフライム)にとって惨澹たるものでした。

 

しかし、その悲惨の原因は、神ではなく政治的な力によって切り抜けようとする不信仰にあったのです。
このように、他者に助けを求めることで神を軽視する不信仰を、神は裁きます。

 

神は、「エフライムに対して獅子となり…引き裂いて過ぎ行く」(5章14節)ものとなり、「立ち去る」(5章15節)と言われます。
しかし、その期間は、「彼らが罪を認めて、わたしを尋ね求め、苦しみの中で、わたしを捜し求めるまで」(5章15節)といわれています。
神の裁きの目的は、裁きによって絶滅させることにあるのでなく、民が悔い改めて恵みに与かることにあったのです。

 

 

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