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カテゴリー「箴言を読む」の記事

2021年9月13日 (月)

前置き(箴言を読む)

箴言を辞書で引くと、戒めの言葉。教訓の意味をもつ短い言葉。格言。「箴言集」と解説がありました。

箴言は旧約聖書の中の知恵文学の一書で、道徳上の格言や実践的教訓を主な内容とし、英知による格言・金言・勧告が集められたものです。
内容は教訓の集合で、様々な徳や不徳とその結果、及び日常における知恵や忠告等です。

箴言のテーマは「知恵」と言えます。
知恵は、天と地の創造以前からあったものであり、いわば、天と地はこの「知恵」によって創造されたと言えます。
それは神に従うことによって得られるものです。
箴言は、その知恵を擬人化して書いています。

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序(箴言を読む)(1章)

聖書の箇所は、1章1節から7節です。
●1節.イスラエルの王、ダビデの子、ソロモンの箴言。
●2節.これは知恵と諭しをわきまえ/分別ある言葉を理解するため
●3節.諭しを受け入れて/正義と裁きと公平に目覚めるため。
●4節.未熟な者に熟慮を教え/若者に知識と慎重さを与えるため。

 

箴言はだれによって学ばれるべきなのかが、4節に記されています。
「未熟な者」)、すなわち「若い者」です。

 

「わきまえのない者」(新改訳)の他に、「思慮のない者」(口語訳))とも訳されます。
この当時の「若い者」とは、男の子で少年から青年を意味しますが、彼らを教育する側にいる者は、家庭生活においてはその両親(父親)であり、ユダヤの会堂であれば「ラビと言われる教師」、より大きなレベルでは「権威を与えられた者」(聖書がまだ正典とされていなかった時代においては「使徒」)と言えます。

 

 

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2021年9月20日 (月)

父の諭し⑴(1章)

聖書の箇所は、1章8節から19節です。
箴言における父の子に対する最初の教育レッスンがここ1章に記されています。
最初のレッスンのポイントは、8節と10節と15節にある「わが子よ」で始まっている箇所です。

 

●8節.わが子よ、父の諭しに聞き従え。母の教えをおろそかにするな。

 

父の諭しは「聞き従えで」、母の教えは、「おろそかにするな」、と言う禁止命令です。
いずれにしても「聞き従う」ことが重要なのですが、子供にとってこれが実は難しいのです。

 

●9節.それらは頭に戴く優雅な冠/首にかける飾りとなる。

 

1章から9章までの箇所で、「わが子よ」という呼びかけが数多く出てきます。
おそらくソロモンが父として子レハブアムなどに語りかけた言葉だと考えられます。

 

「父の諭しに聞き従え。母の教えをおろそかにするな」ですから、モーセの律法、「あなたの父と母を敬え。(出エジプト20:12)」を意識した言葉でしょう。

 

日頃の生活のことは、お母さんの教えを聞き従い、子供の躾、生活の全体的な方針、善悪の価値観などは父が諭します。
子どもは自分の親を選ぶことはできないし、親は子どもを選ぶこともできません。生まれて育つまでは、どんな子どもになるのか、親でさえわかりません。

 

だから、このような、親子間で選ぶことも予測することもできない関係に、神は、指針を与えてくださっているのでしょう。
もちろん、父には神を畏れて生きるように求めておられます。
その上での、「父の諭し」です。
9節は、そうすることのすばらしさをたたえています。

 

 

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知恵の勧⑴(1章)

聖書の箇所は、1章20節から33節です。
8節から19節で、父から子へ向けた教訓が語られた後に、ここ20節からは、擬人化された「知恵」が熱意をもって(預言者的に)人々に語りかけます。

 

ここでの「知恵」は複数形の名詞です。
ヘブル語の名詞が複数形で用いられるときはしばしば単数名詞として扱われているそうです。
畏敬や尊厳、強調や広がり「完全性」などを表したりするそうです。

 

●20節.知恵は巷に呼ばわり/広場に声をあげる。

 

この「知恵」は、複数形の名詞で、知恵の畏敬と尊厳を示すものだと言われています。
33節までは、知恵の訴えとそれに従う者に対する約束、訴えを拒絶して従わない者の破滅について記されています。

 

 

 

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2021年10月 2日 (土)

父の諭し⑵(2章)

聖書の箇所は、2章1節から22節です。
この箇所に出てくる「知恵」は、「この世の知恵」と「神の知恵」があり、それらは「信者と不信者」「正義と不法」「光と暗やみ」「主の宮と偶像」と同様、両者にはどんなつながりも、どんな交わりも、何の一致もない、全く異質なものです。

 

「この世の知恵」と「神の知恵」に違いをパウロの言葉を参考に示しますと
⑴「この世の知恵」
①「説得力のある知恵」
②「支配者たちの知恵」
⑵「神の知恵」・・この世の支配者たちは、誰一人悟ることはできない。悟には、御霊による啓示が必要。
①「成人(=成熟した者たち)の間で語られる知恵」
②「隠された奥義としての知恵」
③「御霊によって啓示された知恵」
④「神が、世界の始まる前から、あらかじめ定められた知恵」

 

 

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父の諭し⑶(3章)

聖書の箇所は、3章1節から12節です。
この章も2章と同様に「わが子よ」)で始まっています。

 

2章では、「もし・・・するなら、そのとき、あなたは・・するだろう。」という定型文となっていました。
3章1節から12節における「命令形」はすべて2人称男性単数で「・・しなさい。そうすれば・・であろう。」、「・・してはならない。(なぜなら)・・」という表現方法が使われています。

 

これは、文体によって子どもたちが父のことばを覚えやすいように工夫されているのでしょう。

 

●1節.わが子よ、わたしの教えを忘れるな。わたしの戒めを心に納めよ。
●2節.そうすれば、命の年月、生涯の日々は増し/平和が与えられるであろう。

 

両親は、「わたしの教えを忘れるな。わたしの戒めを心に納めよ。」と、子供に教え、命じなければいけません。
言い換えれば、子供は、主にあって訓戒し、主にあって教育するのでしょう。

 

それで初めて子供は(主からの)両親の助言に耳を傾け、両親に従うことができるのです。

 

 

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知恵の勧め⑵(3章)

聖書の箇所は、3章13節から20節です。
この箇所は、二つに分けることが出来ます。

 

ひとつは、幸いな人とは「知恵に到達した人」であり、その知恵によって得る者は、「銀によって得るものにまさり、」、彼女によって収穫するものは金にまさる」です。

 

もうひとつは、知恵は天と地の創造と根源的に深くかかわっているということです。

 

●13節.いかに幸いなことか/知恵に到達した人、英知を獲得した人は。
●14節.知恵によって得るものは/銀によって得るものにまさり/彼女によって収穫するものは金にまさる。
●15節.真珠よりも貴く/どのような財宝も比べることはできない。

 

 

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2021年10月10日 (日)

父の諭し⑷(3章)

聖書の箇所は、3章21節から35節です。
箴言3章では、ここちよい「快い眠り」を得るための秘訣を父が自分の息子に伝えようとしています。

 

父が経験していないことを子に教えられるはずがありません。その秘訣とは「すぐれた知性」と「思慮」から目を離さないことです。
●21節.わが子よ、力と慎重さを保って/見失うことのないようにせよ。
新改訳は「わが子よ。すぐれた知性と思慮とをよく見張り、これらを見失うな。」です。
●22節.そうすれば、あなたは魂に命を得/首には優雅な飾りを得るであろう。
新改訳は「それらは、あなたのたましいのいのちとなり、あなたの首の麗しさとなる。」です。
●23節.あなたは確かな道を行き/足はつまずくことがない。
新改訳は「こうして、あなたは安らかに自分の道を歩み、あなたの足はつまずかない。」です。
●24節.横たわるとき、恐れることはなく/横たわれば、快い眠りが訪れる。

 

新改訳は「あなたが横たわるとき、あなたに恐れはない。休むとき、眠りは、ここちよい。」です。

 

21節の「見失うことのないようにせよ。」と言うのは、21節を新改訳で見ると、「わが子よ、すぐれた知性と思慮等をよく見張り、これを見失うな。」と、22節は「それらは、あなたのたましいのいのちとなり、あなたの首の麗しさとなる。」、23節は「くして、あなたは安らかに自分の道を歩み、あなたの足はつまずかない。」とありますから、すぐれた知性と思慮をよく見失わないようによく見張りなさい。それらはたましいのいのちとなり、麗しさであるのです。

 

 

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父の諭し⑸(4章)

聖書の箇所は、4章1節から27節です。

 

●1節.子らよ、父の諭しを聞け/分別をわきまえるために、耳を傾けよ。

 

「わが子よ」ではなく「子らよ」で複数ですね。
自分は一人子であったが、自分の子供は複数である、と言うことでしょうか。

 

●2節.わたしは幸いを説いているのだ。わたしの教えを捨ててはならない。
●3節.わたしも父にとっては息子であり/母のもとでは、いとけない独り子であった。

 

新改訳は、「私が、私の父には、子であり、私の母にとっては、おとなしいひとり子であったとき、」です。
父が「わが子よ」とか「子らよ」と呼びかけて、伝えている教訓は、彼の父から譲り受けたものでした。

 

子の父をソロモンとすると、父はもちろんダビデで、母はベテ・シェバです。
ソロモンは、自分のことを「いとけない独り子」(新改訳はおとなしいひとり子」と呼んでいます。

 

 

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2021年10月23日 (土)

父の諭し⑹(5章)

聖書の箇所は、5章1節から23節です。
●1節.わが子よ、わたしの知恵に耳を傾け/わたしの英知に耳を向けよ。
●2節.そうすれば、あなたは唇に慎みを守り/知識を保つことができる。
●3節.よその女の唇は蜜を滴らせ/その口は油よりも滑らかだ。

 

「よその女」、つまりイスラエル人ではない他国の女であり、神の知識を持っていない女です。
よその女は初めに口で甘いことを滑らかな言葉で誘います。

 

男はこの甘い、滑らかな言葉に脆いのです。
この「よその女」は、新改訳は「他国の女」、口語訳は「遊女」となっています。

 

他に、だらしない女とか異国の女と訳されて、大方、誘惑して姦通する女を示す語として使われています。
この名詞の基になっている動詞には、「押しつぶす」「押し入る」「遠ざける」「迷う、迷わせる」「吐き気を催させる」などの意味があるそうです。

 

 

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