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カテゴリー「箴言を読む」の記事

2022年2月17日 (木)

ソロモンの箴言(補遺)(26章)

聖書の箇所は、26章1節から28節です。
●1節.夏の雪、刈り入れ時の雨のように/愚か者に名誉はふさわしくない。
新改訳は、「誉れが愚かな者にふさわしくないのは、夏の雪、刈り入れ時の雨のようだ。」です。

 

神から受ける誉が愚かな者にふさわしくないのは、夏に雪が降り、刈入れの時に雨が降るようなものだ、と言っています。
要するに、神から受ける誉は愚かな者は受けられないのです。

 

●2節.鳥は渡って行くもの、つばめは飛び去るもの。理由のない呪いが襲うことはない。
新改訳は、「逃げる雀のように、飛び去るつばめのように、いわれのないのろいはやって来ない。」です。

 

「いわれのないのろいはやって来ない。」と書いています。
スズメは近づくとすぐに飛び去ってしまいますが、同じようにいわれのない呪いというのは、やってこないのです。
同じように、不幸が襲ってきてもそれが神の御心ならば、誰が避けることが出来ようか。

 

●3節.馬に鞭、ろばにくつわ/愚か者の背には杖。
新改訳は、「馬には、むち。ろばには、くつわ。愚かな者の背には、むち。」です。

 

要するに愚かな者の背にはさばきの鉄の杖があるのです。
知恵と知識は求めることをしない人には与えられないのでしょう。

 

そして知恵と知識がなければ、どんなに言葉で戒めても、その心は変えられないのでしょう。
したがって知恵と知識のない愚かな者には鞭が与えられます。だから、私たちを変えるのは、知恵のある叱責の言葉か、あるいは鞭かのどちらかとなります。

 

●4節.愚か者にはその無知にふさわしい答えをするな/あなたが彼に似た者とならぬために。
新改訳は、「愚かな者には、その愚かさにしたがって答えるな。あなたも彼と同じようにならないためだ。」です。

 

 

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ソロモンの箴言(補遺)(25章)

聖書の箇所は、25章1節から28節です。
●1節.これらもまた、ソロモンの箴言である。ユダの王ヒゼキヤのもとにある人々が筆写した。
新改訳は、「次もまたソロモンの箴言であり、ユダの王ヒゼキヤの人々が書き写したものである。」です。

 

25章から29章も、後世の人たちが、ソロモンがこれらの箴言を書いた約250年後に、ヒゼキヤの配下にいた書記官らがまとめました。
ヒゼキヤは、主に従う人であったのでしょう。

 

そのヒゼキヤが知恵を得るために250年前のソロモンの箴言をまとめさせたのです。
王の職務と王として知っておかなければいけないことなどが中心に描かれています。

 

●2節.ことを隠すのは神の誉れ/ことを極めるのは王の誉れ。
新改訳は、「事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王の誉れ。」です。

 

事を隠すには神の誉であり、事を窮める(突詰める)のは、王の仕事なる誉である。
分かりにくいのですが、すべての知恵と知識を持っておられるのが神であり、神は、ご自分が良しとされる時にはその一部を人にも啓示されますが、多くの部分は私たちから隠しておられるのです。
王には御霊の働きによりそれを極めるための能力が与えられている。

 

●3節.天の高さと地の深さ、そして王の心の極め難さ。
新改訳は、「天が高く、地が深いように、王の心は測り知れない。」です。

 

天の高さ地の深さが極め難いように、神の奥義は人には極め難い、しかし、王は神の奥義を明らかにする(悟る)ことができるとしています。
「王の心が測り知れない」と言うのは、御霊の働きで、王は計り知れない天地創造の神の御心を知る能力、すなわち、霊的な事柄を探る特権とその知識に満足する特権が与えられています。

 

だから王の心は平安に満たされているのですが、他の人にはそれが理解できないと言うことでしょう。

 

 

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2022年2月11日 (金)

有能な妻(31章)

聖書の箇所は、31章10節から31節です。
いよいよ最後です。
ここは母が教える魅力的な女性の紹介です。妻としてふさわしい女性は、男が求める単なる美しさではないことを教えています。

 

●10節.有能な妻を見いだすのは誰か/彼女は真珠よりもはるかに価値がある。
新改訳は、「しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値うちは真珠よりもはるかに尊い。」です。

 

だれが賢い妻を見つけることができるか、賢い妻は宝石よりもすぐれて尊い。
真珠よりも貴い賢い妻は、知恵をかなえ備えた女性ということができます。
「しっかりした妻の「しっかりとした」は、英語では「高貴な」という訳になっているそうです。

 

●11節.夫は心から彼女を信頼し/儲けに不足することはない。
新改訳は、「夫の心は彼女を信頼し、彼は「収益」に欠けることがない。」です。

 

●12節.彼女は生涯にわたって/夫に幸いをもたらし、災いをもたらすことはない。
新改訳は、「彼女は生きながらえている間、夫に良いことをし、悪いことをしない。」です。

 

貴い賢い妻は、非常に働き者で、家計を支えています。その具体例が次から書かれています。

 

●13節.羊毛と亜麻を求め/手ずから喜んで仕立て上げる。
新改訳は、「彼女は羊毛や亜麻を手に入れ、喜んで自分の手でそれを仕上げる。」です。

 

彼女は自分の手で衣類などを仕立てます。また後で詳しい描写されます。

 

●14節.商人の船のように/遠くから食物を運んで来る。
新改訳は、「彼女は商人の舟のように、遠い所から食糧を運んで来る。」です。

 

彼女は、商人の舟のように、遠い国から食糧を運んでくるのです。
家族のための食糧の調達は女性の仕事であったのでしょう。
当時は、市場に行って、それぞれのお店で値段交渉をしながら歩き回ります。
そして、いっぱい食糧を抱えて帰ってきます。それはさながら、商人の舟のようだと言うことでしょう。

 

●15節.彼女は夜明け前に起き出して一家の食事を整え/働く若い女たちに指図を与える。
新改訳は、「彼女は夜明け前に起き、家の者に食事を整え、召使の女たちに用事を言いつける。」です。

 

彼女は、朝早くから食事の支度をします。召使の女に日用の仕事を言いつけます。

 

●16節.よく思い巡らしたうえで畑を購入し/手ずから得たもうけの果実でぶどう畑を設ける。
新改訳は、「彼女は畑をよく調べて、それを手に入れ、自分がかせいで、ぶどう畑を作り、」です。

 

彼女は畑をよく考えてそれを買い、手を入れて、その働きで実を実らせ、ぶどう畑をつくり、

 

●17節.力強く腰に帯をし/腕に力を入れる。
新改訳は、「腰に帯を強く引き締め、勇ましく腕をふるう。」です。
●18節.取り引きが好調であることを確かめ/灯は夜も消えることがない。
新改訳は、「彼女は収入がよいのを味わい、そのともしびは夜になっても消えない。」です。

 

彼女はぶどうという商品の収入が良いのを知っている、そのともしびは終夜消えることがないのです。
賢い妻は、副業をして夫を助けます。聖書では、妻が副業をするる能力があることは、称賛に値することなのです。

 

●19節.彼女は手をはずみ車に伸べ/手のひらは紡ぎ棒を操る。
新改訳は、「彼女は糸取り棒に手を差し伸べ、手に糸巻きをつかむ。」です。
●20節.彼女は苦しむ人に手を開き/貧しい人に手を差し伸べる。
新改訳は、「彼女は悩んでいる人に手を差し出し、貧しい者に手を差し伸べる。」です。
彼女は、自分の家庭だけにうずもれることなく、「悩んでいる人」「貧しい者」にも手を差し伸べています。

 

原文は「手のひらを広げて、手を差し伸べて」とあるそうです。
「手をひらを広げる」とは「気前よく与える」ことを意味し、「手を差し伸ばす」とは「親切を施す」ことを意味するそうです。

 

●21節.雪の日も一家に恐れはない/家族は皆、衣を重ねているからだ。
新改訳は、「彼女は家の者のために雪を恐れない。家の者はみな、あわせの着物を着ているからだ。」です。

 

彼女は、副業で夫を助け、貧しい者に手を差し伸べて、皆が寒い思いをしないように家族のこともよく考えています。
「あわせの着物」の原語は「二、二重」を意味しますが、七十人訳聖書では「緋の衣」と訳しています。
なぜなら緋色は「二度染め」を意味するそうですから、ここは「二枚重ねになった贅沢な服」と理解できます。

 

●22節.彼女は自分のために上掛けを織り/上質の亜麻布と紫の衣を着る。
新改訳は、「彼女は自分のための敷き物を作り、彼女の着物は亜麻布と紫色の撚り糸でできている。」です。
●23節.彼女は自分のために上掛けを織り/上質の亜麻布と紫の衣を着る。
新改訳は、「夫は町囲みのうちで人々によく知られ、土地の長老たちとともに座に着く。」です。

 

「町囲み」というのは門のことで、行政的な手続きが行なわれる所です。
つまり夫は、行政的な手続きをしている仕事に携わっていて、それを賢い妻が支えています。

 

●24節.彼女は上質の亜麻布を織って売り/帯を商人に渡す。
新改訳は、「彼女は亜麻布の着物を作って、売り、帯を作って、商人に渡す。」です。

 

彼女の作った衣類は、家庭だけでなく販売して家計の足しにしています。

 

●25節.力と輝きが彼女の衣服。/彼女は前途に憂いなくほほ笑む。
新改訳は、「彼女は力と気品を身につけ、ほほえみながら後の日を待つ。」です。

 

「後の日を待つ」ですから、彼女は、勤勉に働いているので安定した未来を期待できる、ということでしょう。

 

●26節.口を開いて知恵を語り/慈しみの教えをその舌に乗せる。
新改訳は、「彼女は口を開いて知恵深く語り、その舌には恵みのおしえがある。」です。

 

彼女は勤勉に働くだけでなく、口を開けば、その生活を物語っている恵みの言葉が出てくるのでしょう。

 

●27節.一家の歩みによく目を配り/怠惰の食物を貪ることはない。
新改訳は、「彼女は家族の様子をよく見張り、怠惰のパンを食べない。」です。

 

女は家の事をよくかえりみて、怠りのかてを食べることをしないのです。
怠けようとすれば、怠けられるのが主婦業ですが、怠惰のパンを食べないとしています。

 

●28節.子らは立ち上がって彼女を祝し/夫も彼女をたたえて言う。
新改訳は、「その子たちは立ち上がって、彼女を幸いな者と言い、夫も彼女をほめたたえて言う。」です。

 

子供からほめられるだけでなく、夫もほめられています。

 

●29節.「有能な働きをなす女は多いが/あなたはそのすべてにまさっている。」
新改訳は、「 「しっかりしたことをする女は多いけれど、あなたはそのすべてにまさっている。」と。」です。
●30節.あでやかさは偽り、美しさは空しい。/主を畏れる彼女こそ、誇ることができる。
新改訳は、「麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる。」です。

 

あでやかさは偽りであり、美しさはつかのまである、しかし主を恐れる女はほめたたえられるのです。
箴言の最後の言葉は、「主を恐れる女はほめたたえられる。」です。
箴言の最初も、主を恐れることが知恵の始めということが書かれていました。

 

●31節.彼女の手の実りを彼女に与え/その働きを城門でたたえよ。
新改訳は、「彼女の手でかせいだ実を彼女に与え、彼女のしたことを町囲みのうちでほめたたえよ。」です。

 

箴言31章10〜31節は、イスラエルの理想的な妻とはどういう妻かが取り上げられているのでしょう。
賢い女を纏めてみると、家事の一切を取り仕切り、朝早くから夜遅くまで忙しく働き、家のしもべたちに一日の仕事を割り当て、料理のみならず、家族のために衣服づくりをします。

 

その衣服つくりは、糸をつむぐことからはじまり、布を織って服を仕立てるのです。なんとまあ、手間のかかることをするのでしょう。
そのおかげで家族は冬の寒さからも守られています。

 

また彼女は、そうして作った着物を商人に売り、その利益によって土地(畑)を手に入れ、それをぶどう畑にすることで家の経済を豊かにしています。

 

その勤労さのゆえにたくわえが増えて、生活は安定し、将来も心配がありません。
夫は、町の門の役人で、「夫は町囲みのうちで人々によく知られ、土地の長老たちとともに座に着く。」ですから、多くの人に知られていますので、有能な妻を持った夫は、理想的な家庭としてほめたたえられます。

 

まだありましたね、悩む者や貧困者に対しても、彼女は「手を差し伸べて」親切にしています。
そして、彼女は、知恵深く(神に従っている人)語る口をもち、その舌には恵みのおしえがあり、気品と知恵があります。

 

それゆえ、彼女の子どもたちは自分の母を幸いな者と言い、夫も彼女を「しっかりしたことをする女は多いけれど、あなたはそのすべてにまさっている」と称賛しています。

 

そして箴言は、このような「しっかりした妻をだれが見つけることができよう」と問いかけています。

 

レムエルの言葉(31章)

聖書の箇所は、31章1節から9節です。
●1節.マサの王レムエルが母から受けた諭しの言葉。
新改訳は、「マサの王レムエルが母から受けた戒めのことば。」です。

 

マッサの王レムエルの言葉、すなわちその母が彼に教えたものです。
レムエルというのはソロモンの母バテ・シェバが、自分の子ソロモンを呼んだ時のニックネームではないか、と言われています。

 

●2節.ああ、わが子よ/ああ、わが腹の子よ/ああ、わが誓いの子よ。
新改訳は、「私の子よ、何を言おうか。私の胎の子よ、何を言おうか。私の誓願の子よ、何を言おうか。」です。

 

レムエルの母は、子供が生まれる前に神に誓願を立てています。

 

●3節.あなたの力を女たちに費やすな。王さえも抹殺する女たちに/あなたの歩みを向けるな。
新改訳は「あなたの力を女に費やすな。あなたの生き方を王たちを消し去る者にゆだねるな。」です。

 

 

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アグルの言葉(30章)

聖書の箇所は、30章1節から33節です。
30章と31章の著者は、ソロモンの言葉ではありません。
この二つの章が、これまでの箴言のまとめで、30章では自分に知恵が欠けていることの告白から始まり、31章では、知恵のあるすぐれた女が登場します。

 

●1節.ヤケの子アグルの言葉。託宣。この人は言う、神よ、わたしは疲れた。神よ、わたしは疲れ果てた。
新改訳は、「マサの人ヤケの子アグルのことば。イティエルに告げ、イティエルとウカルに告げたことば。」です。

 

「マサの人ヤケの子アグルのことば」となっています。
このアグルを聖書で検索しましたが、ここに出てくる以外ありませんでした。
ソロモンの箴言を読んで影響を受けている人なのでしょう。

 

●2節.まことに、わたしはだれよりも粗野で/人間としての分別もない。
新改訳は、「確かに、私は人間の中でも最も愚かで、私には人間の悟りがない。」です。

 

わたしは確かに人間の中で最も愚かで、人間の悟りがない。
なぜならば、その心は「神よ、わたしは疲れた。神よ、わたしは疲れ果てた。」と叫んでおり、
苦渋に満ちている状態だからだ。

 

●3節.知恵を教えられたこともなく/聖なる方を知ることもできない。
新改訳は、「私はまだ知恵も学ばず、聖なる方の知識も知らない。」です。

 

なぜならば、主が言われる意味は、完全であれといわれるからいまだに到達していない気がする、でしょうか。
彼は自分は「人間の中で最も愚かだ」と言っています。
そして彼は、「聖なる方の知識も知らない」と言っています。

 

 

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2022年2月 5日 (土)

ソロモンの箴言(補遺)(29章)

聖書の箇所は、29章1節から27節です。
●1節.懲らしめられることが多いと人は頑固になる。彼は突然打ち砕かれ、もう癒すことはできない。
新改訳は、「責められても、なお、うなじのこわい者は、たちまち滅ぼされて、いやされることはない。」です。

 

「うなじのこわい者」ですが、頑固な者を意味するそうです。
何度叱られても、なおかつ頑なに愚かなことをするから、悔い改めることがないので、矯正することはできない、と言うことでしょう。
そのさばきの時の結末です。
神の数々の警告に耳を傾けなかったら、残っているのは滅びるだけです。

 

●2節.神に従う人が大いになると民は喜び/神に逆らう人が支配すると民は嘆く。
新改訳は、「正しい人がふえると、民は喜び、悪者が治めると、民は嘆く。」です。

 

28章28節と同じですね。正しい者が権力を得れば民は喜ぶが、悪者が権力を得ると民はうめき苦しむのです。
指導者には、正しくあって欲しいと国民は願いますが、実際に正しい人、人間的に尊敬しうる人が指導者になるわけではありません。
4節にあるように、正しい人は残され、不正や金によって動く指導者は、いずれ失脚していくと思うものです。そう、歴史には、自らに修復機能があると思うのですが、いかがでしょうか。

 

●3節.知恵を愛する人は父を喜ばせる。遊女を友とする者は財産を失う。
新改訳は、「知恵を愛する人は、その父を喜ばせ、遊女と交わる者は、財産を滅ぼす。」です。

 

知恵を愛する人は、その作り主である父なる神を喜ばせ、遊女と交わる者は、その資産を浪費する。
まさに実感です。

 

●4節.王が正しい裁きによって国を安定させても/貢ぎ物を取り立てる者がこれを滅ぼす。
新改訳は、「王は正義によって国を建てる。しかし重税を取り立てる者は国を滅ぼす。」です。

 

支配者が、重税を取り立てるようになれば国がおかしくなります。
指導者には、正しくあって欲しい、これは国民が願うことですが、実際に正しい人、人間的に尊敬しうる人が指導者になるわけではありません。
期待通りの人がトップに立ってくれるとは限らないのですが、2節にも書いたように、歴史には、自らに修復機能があると私は信じるのです。

 

 

 

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2022年2月 1日 (火)

ソロモンの箴言(補遺)(28章)

聖書の箇所は、28章1節から28節です。
●1節.神に逆らう者は追う者もないのに逃げる。神に従う人は若獅子のように自信がある。
新改訳は、「悪者は追う者もないのに逃げる。しかし、正しい人は若獅子のように頼もしい。

 

神を知らない悪者は、何か悪いことをすると、ちょっとした物音でも、びくっとしておじけづきます。
自分が悪いことをしたことは分かっているので、いつか暴かれるのではないかと怖がっているのです。
一方、正しい人は創造主を知っている(具体的には、神の前で良心をきよく保っている)ので、その言葉に自信があるので大胆でいられ動じることがないので、若獅子のように「頼もしい」存在となることができるということでしょう。

 

●2節.反乱のときには国に首領となる者が多く出る。分別と知識のある人ひとりによって安定は続く。
新改訳は、「国にそむきがあるときは、多くの首長たちがいる。

 

しかし、分別と知識のあるひとりの人によって、それは長く安定する。」です。
「国にそむき(神に背く)があるときは、多くの首長たちがいる」とは、国全体が神に逆らい、神の示す善悪の基準がなくなると、首長の地位が不安定になり、家来が王に逆らうことも正当化され、その結果、続けざまに治める者が変わる(同時にではなく、続けざまにという意味)ことを言っているのでしょう。

 

例えば、北王国イスラエルには九つもの王朝が次々と生まれました。
それはクーデターによって古い王が廃され、新しい王が誕生したためでした。
一方、「しかし、分別と知識のあるひとりの人によって、それは長く安定する」ですから、神を恐れる「ひとりの人」が首長に立てば、社会全体が安定し、国が長く保つのです。

 

●3節.貧しい者が弱者を搾取するのは/雨が洗い流してパンがなくなるようなものだ。
新改訳は、「寄るベのない者をしいたげる貧しい者は、押し流して食物を残さない豪雨のようだ。」です。

 

貧しい者をしえたげる貧しい人は、押し流して食物を残さない豪雨のようだ。
要するに、それだけ、貧しい者は苦境に立たされているのであるが、それをしえたげる貧しい人は、なおさらだと言うことでしょう。

 

貧しい人が、他の貧しい人に同情するとか哀れみを持つことが出来るかと言えば、一概に言えなくて、かえって暴虐をふるまうことが多いのです。
それが、貧しさの中で、心の中まで貧しくなっているからです。

 

 

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ソロモンの箴言(補遺)(27章)

聖書の箇所は、27章1節から27節です。
●1節.明日のことを誇るな。一日のうちに何が生まれるか知らないのだから。
新改訳は、「あすのことを誇るな。一日のうちに何が起こるか、あなたは知らないからだ。」です。

 

明日のことを誇ってはならない。なぜならば、わたしたちは一日のうちに何が起こるかを知らないから。

 

●2節.自分の口で自分をほめず、他人にほめてもらえ。自分の唇でではなく、異邦人にほめてもらえ。
新改訳は、「自分の口でではなく、ほかの者にあなたをほめさせよ。自分のくちびるでではなく、よその人によって。」です。

 

要するに、己自ら誇る者は愚かだと言うことでしょう。それよりも他人がおのれの言葉の意味に自ら気がついて褒められた方がよいのです。
1節のこの2節も自慢というか、自分を誇ることについての戒めです。

 

ヤコブがヤコブの手紙4章14節で「あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えていく霧にすぎません。」。

 

●3節.石は重く、砂も目方がかかる。無知な者が不機嫌なのはどちらよりも重い。
新改訳は、「石は重く、砂も重い。しかし愚か者の怒りはそのどちらよりも重い。」です。

 

石は重く、砂も軽くはない、しかし「無知な者(愚か者)が不機嫌」なのはどちらよりも重い。なぜならば、愚か者の不機嫌は和らぐことがないから、でしょうか。

 

 

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2022年1月27日 (木)

賢人の言葉㈡(24章)

聖書の箇所は、24章23節から34節です。
●23節.これらもまた、賢人の言葉である。裁判でえこひいきをするのは良くない。
新改訳は、「これらもまた、知恵ある者による。さばくときに、人をかたより見るのはよくない。」です。

 

これらもまた知恵ある者の箴言です。
片寄ったさばきをするのは、よくないと言うことでしょう。
知恵ある者の三十句は終わりましたが、さらに付け加えられます。

 

●24節.罪ある者を正しいと宣言するなら/すべての民に呪われ、すべての国にののしられる。
新改訳は、「悪者に向かって、「あなたは正しい。」と言う者を、人々はののしり、民はのろう。」です。
●25節.罪ある者を懲らしめる人は喜ばれる。恵みと祝福がその上にある。
新改訳は、「しかし、悪者を責める者は喜ばれ、彼らにはしあわせな祝福が与えられる。」です。

 

23節以降は、裁判官に対する格言です。正しい裁判を民衆は望んでいますが、罪を犯したのが明確で誰もが知っているのに、裁判では無罪になったりすると、その悪しき者を責める者は喜ばれ、また祝福が与えられるのです。

 

●26節.正しい答えをする人は、くちづけをする人。
新改訳は、「正しい答えをする者は、そのくちびるに口づけされる。」です。

 

 

 

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2022年1月22日 (土)

賢人の言葉㈠(24章)

聖書の箇所は、24章1節から22節です。
●1節.悪者のことに心を燃やすな/彼らと共にいることを望むな。
新改訳は、「悪い者たちをねたんではならない。彼らとともにいることを望んではならない。」です。

 

19番目の格言です。悪い者へのねたみを止めよ、という戒めです。
23章17節にもありましたが、悪い者(神を信じていない者)が繁栄を誇り、贅沢な生活をし、何の不自由もなく、誰もがうらやむような生活をしているのを見たときに、思わずねたみたくなるものです。
そういう時、その見ている悪をうらやむことがあってはならない。また彼らと共におることを願ってはならない。と言っています。

 

●2節.悪者が心に思いめぐらすのは暴力。唇が語るのは労苦を引き起こすこと。
新改訳は、「彼らの心は暴虐を図り、彼らのくちびるは害毒を語るからだ。」です。

 

悪者は、その心に暴虐を図り、その唇は害毒を語る、すなわち、人を損なうことを語るからです。

 

●3節.家は知恵によって築かれ、英知によって固く立つ。
新改訳は、「家は知恵によって建てられ、英知によって堅くされる。」です。

 

20番目の格言です。
この「家」は、文字通りの家でもあるし、また霊の家(信徒の集まり、教会)でもあるのでしょう。
家というものは知恵によって建てられ、英知(悟り)によって堅く頑丈なものが出来上がると言うことでしょう。

 

 

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