フォト
2025年3月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

カテゴリー

カテゴリー「コヘレトの言葉」の記事

2021年9月 4日 (土)

コヘレトの言葉 第12章

聖書の箇所は、12章1節から14節です。
コヘレトは、知恵を深めるにつれ、多くの格言を、良く考え、思索して、探求し、研究して、多くの格言(箴言)をまとめ(編集し)ました(12:9)。
その彼が最終的な結論を出しているのが、ここ最終章(12章)です。

 

●1節.青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と/言う年齢にならないうちに。

 

「お前の創造主に心を留めよ。」と、最後に創造主が出てきました。
この「太陽の下」の出来事は、何があっても、それは命を造られた創造主の支配の中の出来事、ということでしょうか。

 

その方を「心を留めよ。」と言っています。
そして、「苦しみの日々」というのは、愚かなことをして自分の身に災いをもたらすことを言っているのでしょう。

 

それから、「年を重ねることに喜びはない」というのは、神を知らずに年老いていく年月に喜びはない、空の空です。
だから「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。」ということでしょう。

 

まとめてみると、11章9節でコヘレトは、若い者に向かって、若さを喜び、青春時代を心の赴くままに謳歌せよと語っています。
しかし同時に「すべての事において、あなたは神のさばきを受けることを知っておけ。」と釘を刺し、11章10節で、もし、神を認めない人生を送るならば、「若さも、青春も、むなしいからだ」としています。

 

そしてこの後に12章1節に続きます。
「したがって、あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」となります。

 

●2節.太陽が闇に変わらないうちに。月や星の光がうせないうちに。雨の後にまた雲が戻って来ないうちに。

 

老衰していく世界を、今、太陽が出ているが雨雲が太陽をおおっていく姿に喩えているのでしょう。
ここ2節からは、老人の肉体の各部分の描写と他の比較を交えて、老年期を描写しています。


●3節.その日には/家を守る男も震え、力ある男も身を屈める。粉ひく女の数は減って行き、失われ/窓から眺める女の目はかすむ。
年を取ると暗い日々になるその理由をこの3節から書いています。

 

「家を守る男も震え」は、手足が震えてくる、「力ある男も身を屈める」は、背骨が曲がる、「粉ひく女の数は減って行き、失われ」は、歯が弱り、数も減ってくる、「窓から眺める女の目はかすむ」は、目、視力が衰えると言うことでしょう。

 

続きを読む "コヘレトの言葉 第12章" »

コヘレトの言葉 第11章

聖書の箇所は、11章1節から10節です。
●1節.あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。月日がたってから、それを見いだすだろう。

 

「パン」は命を指し、「水」は川であり海ですが、この時代や世の流れをも表すのでしょう。

 

「月日がたってから、それを見いだすだろう。」ですが、おそらくパンは、ふやけてしまって使い物にならなくなっているでしょう。
コヘレトも自ら実行したのでしょうね。

 

命を、世の流れに任せたその結果が、、2章1節から11節にある、コヘレトの言葉、すなわち「快楽を追い…笑いの世界へ…酒に…大規模の農場に…金銀財産を蓄え…側女を置き…。目に望ましく映るものは何一つ拒まず手に入れ…」ました。

 

しかし、「見よ。どれも空しく。風を追うようなことであった。太陽の下に、益となることはない」。との結論になるのです。
●2節.七人と、八人とすら、分かち合っておけ/国にどのような災いが起こるか/分かったものではない。

 

人は明日のこともわからないものです。不確実なこの世と自分への対処法は、「七人、八人と分かち合っておく」ことだと提案しているのでしょう。

 

 

続きを読む "コヘレトの言葉 第11章" »

2021年8月28日 (土)

コヘレトの言葉 第10章

聖書の箇所は、10章1節から20節です。

 

●1節.死んだ蠅は香料作りの香油を腐らせ、臭くする。僅かな愚行は知恵や名誉より高くつく。
18節の続きを喩えで話しています。

 

今まで一生懸命に築いてきた地位や名誉(香油)が、愚かな行為(死んだ蠅)によって台無しにしてしまうということでしょう。
一つの愚かな行為によって、例えば飲酒運転で人生を台無しにする、一つの姦淫によって、結婚、家族、また社会的地位を失うなどいろいろあります。

 

これくらいなら、かまわないだろうというちょっとした油断が、その人の生涯の良き働きを台無しにしてしまうということでしょう。

 

●2節.賢者の心は右へ、愚者の心は左へ。

 

 「賢者の心は右へ、愚者の心は左へ」は、古代において一般に、右と左が吉と凶を指すと考えられていたと言うことですから、これは格言でしょう。

 

1節の「僅かな愚行は知恵や名誉より高くつく」と並んで、愚かな者に臨む災い、罰、呪いを示しているのでしょう。

 

●3節.愚者は道行くときすら愚かで/だれにでも自分は愚者だと言いふらす。

 

「愚者は道行くときすら愚かで、だれにでも自分は愚者だと言いふらす」とありますが、しかし、「自分は愚者だ」と言いふらす愚者はいるのでしょうか。

 

でも、自分で「わたしは知者だ」と言いふらす人とか、「ほかの者は皆愚か者だ」と言いふらす人はいるでしょう。
そのような人のことを、知恵の足りない人、愚かな人というのではないでしょうか。

 

何事にも謙虚であるべきだと、教えているのではないでしょうか。
思いあがっているときには、注意散漫になり、思わぬ失敗をするものです。

 

 

 

続きを読む "コヘレトの言葉 第10章" »

コヘレトの言葉 第9章

聖書の箇所は、9章1節から18節です。
9章は、8章16節からの続きになります。

 

コヘレトは、神が正しい方であることを知っているはずです。
そして、「太陽の下」で起こることだけを見ていれば、悪者も、正しい人も、その行ないにふさわしい報いを受けていないことに気づいています。

 

それに、両者とも同じように死ぬ定めには変わりがないことにも気づいています。
その上で、自分が今、知恵を尽くして物事を探り出そうとしても、神のなされていることはそれを超えていて、悟ることはできない、と言っています。

 

ですから焦って、「これは、こうであるべきだ。ああであるべきだ。」と判断して、また拙速に動く必要がなく、分からないのだから主に任せよう、という姿勢が必要です。

 

●1節.わたしは心を尽くして次のようなことを明らかにした。すなわち/善人、賢人、そして彼らの働きは/神の手の中にある。愛も、憎しみも、人間は知らない。人間の前にあるすべてのことは

 

 

続きを読む "コヘレトの言葉 第9章" »

2021年8月21日 (土)

コヘレトの言葉 第8章

聖書の箇所は、8章1節から17節です。

 

●1節.「人の知恵は顔に光を添え、固い顔も和らげる。」賢者のように、この言葉の解釈ができるのは誰か。
●2節.それは、わたしだ。すなわち、王の言葉を守れ、神に対する誓いと同様に。

 

「人の知恵は顔に光を添え、固い顔も和らげる」、「・・この言葉の解釈ができるのは誰か。」と問い、「それは、わたしだ」と言います。
それでは、「人の知恵」とは何かですが、それは、「王の言葉を守れ、神に対する誓いと同様に。」となるのでしょう。

 

ローマ書13章1節にも「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。」と記しています。

 

王の言葉は、「神に対する誓いと同様」ですから、神の言葉です。
しかし、歴史上の災いは権力者によって引き起こされてきました。

 

それに、地上の王(権力者)の命令に従うのは、自分が生き栄えるためでもあります。
でもその王の言葉の背後には神がおられるのですから、神はわたしを信じて王の言葉に従いなさいと言われているのでしょう。
神の言葉に従うことは、命じた神に神の約束を成就していただくことです。

 

 

続きを読む "コヘレトの言葉 第8章" »

コヘレトの言葉 第7章

聖書の箇所は、7章1節から29節です。
●1節.名声は香油にまさる。死ぬ日は生まれる日にまさる。
●2節.弔いの家に行くのは/酒宴の家に行くのにまさる。そこには人皆の終りがある。命あるものよ、心せよ。

 

当時香油は高価な物でしたが、名声はその富よりも勝るが「死ぬ日は生まれる日にまさる。」ですから、その名声も終わりという限界があり、死の先に持って行けません。

 

だから、生まれて来て空しい人生を送るよりも、死ぬ日の方が勝るではないか、なぜならその日が苦しみを終える日となるから…と言うことでしょうか。

 

一般的には、人の誕生は祝いの日であり、死ぬ日は忌中と言って忌み嫌います。
しかし、「死ぬ日は生まれる日にまさる」とコヘレトは言います。

 

 

続きを読む "コヘレトの言葉 第7章" »

2021年8月15日 (日)

コヘレトの言葉 第6章

聖書の箇所は、6章1節から12節です。
●1節.太陽の下に、次のような不幸があって、人間を大きく支配しているのをわたしは見た。
●2節.ある人に神は富、財宝、名誉を与え、この人の望むところは何ひとつ欠けていなかった。しかし神は、彼がそれを自ら享受することを許されなかったので、他人がそれを得ることになった。これまた空しく、大いに不幸なことだ。

 

神は、ある人に「富、財宝、名誉を与え、」、その人は「望むところは何ひとつ欠けて」いませんでした。
富、財宝、名誉は相続とかその人の努力によって得たのでしょう。

 

人生の成功者そのものです。神はその人に大きな賜物を与えられたのです。
「彼がそれを自ら享受することを許されなかった」と言うのは、その人は苦労して「富、財宝、名誉」を得たが、神の御心によりそれを自ら享受できなかったのです。

 

他人が享受したのですから、事業をおこして成功したのちに買収されて取られたのか、騙されて取られたのかわかりませんが、他人の物になってしまったのです。

 

 

続きを読む "コヘレトの言葉 第6章" »

2021年8月12日 (木)

コヘレトの言葉 第5章

聖書の箇所は、5章1節から19節です。
●1節.焦って口を開き、心せいて/神の前に言葉を出そうとするな。神は天にいまし、あなたは地上にいる。言葉数を少なくせよ。

 

「口を開き・・神の前に言葉を出す」とは、神の対する祈り方についての教えでしょう。
供え物については何も記していません。

 

祈りは、「供え物」ではなく神の声を「聞く」ことが大切なのです。
神は、死ぬほどわが身を犠牲にして、誰よりも多くの供え物をして、祈ることを求めておられません。

 

神が私たちに求めておられるのは、そのような犠牲ではなく、砕けた心をもってみ言葉を聞き従うことでしょう。

 

●2節.夢を見るのは悩みごとが多いから。愚者の声と知れるのは口数が多いから。

 

「夢を見るのは悩み事が多いから」とは、地に足を踏んでいない、浮ついた状態になっていて、これをしなければ、あれをしなければと夢想している状態も表しているのでしょう。

 

 

 

続きを読む "コヘレトの言葉 第5章" »

コヘレトの言葉 第4章

聖書の箇所は、4章1節から17節です。
●1節.わたしは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た。見よ、虐げられる人の涙を。彼らを慰める者はない。見よ、虐げる者の手にある力を。彼らを慰める者はない。

 

「太陽の下に行われる虐げ」ですが、人が集う所には必ず虐げがあります。
権力者が被支配者を虐げ、強者は弱者を虐げ、国は国を虐げ、民族が民族を虐げます。さらに、親が子を虐げ、子が成長して親を虐げるなど尽きません。

 

虐げを防ぐため、権力の歯止め、教育、経済格差、法整備など手を尽しますが決して無くなりません。 
虐げの根本原因は、人が自分を自分で救わねばならないからです。
「彼らを慰める者はない。」とコヘレトは言います。 

 

なぜ「彼らを慰める者はない」のか、それは、人は自分が虐げられないために自分を他者よりも上に置かねばなりませんから、そのためには他者を虐げることが必要になります。

 

そう、他者を虐げて自分を慰める際限のない自己満足の世界に陥ります。
その根本原因は、人が神から離れて生きる「罪」にあるのでしょう。

 

 

続きを読む "コヘレトの言葉 第4章" »

2021年8月 7日 (土)

コヘレトの言葉 第3章

聖書の箇所は、3章1節から22節です。

 

●1節.何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
●2節.生まれる時、死ぬ時/植える時、植えたものを抜く時

 

人がこの世を生きていくうえで、三つの生き方があると言われています。
どの生き方をとっても、この地上での出来事には「定められた時が」あります。
一つ目は、他者を顧みない自己中心的な生き方です。

 

2章にあるような、快楽、笑い、酒、愚行、事業や財産に多くの側女など、自分の欲望のままに生きることです。
二つ目は、自分を殺し他者と妥協して、言い換えれば他者を配慮して生きる生き方です。

 

三つ目は、十字架に付かれたキリストと共に生きる生き方です。
永遠の神を基準に、神から受けた愛と隣人を愛をもって生きる生き方です。

 

コヘレトが、上の一つ目の生き方、すなわち、自己中心的に、知恵と知識と権力を用いありとあらゆることを行った結果に気付いたことは、「定められた時」があると言うことでした。

 

そして、定められた時、すなわち、「生まれる時、死ぬ時/植える時、植えたものを抜く時」があると言うことは、「定めたお方がいる」ということに気が付いたのでしょう。

 

人生で一番大切な、「生まれる時・死ぬ時」も、自分では早めることも遅らせることもできません。
さらに、親や人種や性別や生まれる国も自分では選ぶこともできません。

 

これは、この地上に生まれ生きているすべての人に言えることです。
人の営みにも、「植える時、植えたものを抜く時」があるのと同じで定められた時があるのです。そう、定められた時に支配されているのです。

 

 

続きを読む "コヘレトの言葉 第3章" »

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

おじさんの聖書 お知らせ ちょっと寄り道 アモス書を読む イエス・キリストの預言 イザヤ書を読む エゼキエル書を読む エフェソの信徒への手紙を読む エレミヤ書を読む オバデヤ書を読む ガラテヤの信徒への手紙を読む キリスト教とは コヘレトの言葉 コリントの信徒への手紙一を読む コリントの信徒への手紙二を読む コロサイの信徒への手紙を読む ゼカリヤ書を読む ゼファニヤ書を読む ダニエル書を読む テサロニケの信徒への手紙一を読む テサロニケの信徒への手紙二を読む テトスへの手紙を読む テモテへの手紙ニを読む テモテへの手紙一を読む ナホム書を読む ハガイ書を読む ハバクク書を読む フィリピの信徒への手紙を読む フィレモンへの手紙を読む ヘブライ人への手紙を読む ペトロの手紙一を読む ペトロの手紙二を読む ホセア書を読む マラキ書を読む ミカ書を読む ヤコブの手紙を読む ユダの手紙を読む ヨエル書を読む ヨナ書を読む ヨハネの手紙を読む ヨハネの福音書を読む ヨハネの黙示録を読む ローマの信徒への手紙を読む 一世紀のキリスト教 使徒言行録を読む 共観福音書を読む 出エジプト記を読む 創世記を読む 娘の部屋 心に残る聖書の言葉 箴言を読む 聖書と人生 聖書のよもやま話 聖書の疑問いろいろ