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カテゴリー「ペトロの手紙二を読む」の記事

2019年12月22日 (日)

前置き(ペトロの手紙二

本書は手紙の形式で書かれていますが、内容は書簡形式の文書です。

 

そして、本書でペトロは死を間近にしている者(1章12~15節)として、使徒ペトロの遺訓の形で書かれています。

 

そして、著者は読者に、この使徒ペトロの勧告に従うように強く勧めています。

 

内容も、使徒ペトロは、世を去る時が近いことを予感し、教えをまとめ、後に残る者たちに将来に起こる危険を予告・警告し、それに対処する心構えを書いています。

 

この手紙は、ペトロが書いたものではなく、ペトロの死後に別の人物が ペトロの名によって書いた文書であることは明らだとされています。

 

その理由は、文書内容もさることながら、この書簡はギリシア語で書かれていて、アラム語を母語とするペトロのものとは考えられない。

 

 

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挨拶と神の素晴らしい約束(1章)

聖書の箇所は、ペトロの手紙二1章1節から15節です。

 

ここは、使徒ペトロの説教を要約しているようです。

 

内容は、主イエスがわたしたちのためになされたことを3節から4節に、そのことによってわたしたちが努め行うべき実践的な勧告を5節から9節に、そして、最後に、それを行うならば終わりの日に与えられる栄光の約束を10節と11節に記載しています。

 

●1節.イエス・キリストの僕であり、使徒であるシメオン・ペトロから、わたしたちの神と救い主イエス・キリストの義によって、わたしたちと同じ尊い信仰を受けた人たちへ。

 

ペトロは、自分のことを僕(しもべ)と呼んでいます。

 

主人であるイエス・キリストに自己を明け渡している僕としての立場で語ります。

 

「わたしたちの神と救い主イエス・キリストの義」ですが、これはわたしたちの義ではなく、父なる神が主イエス・キリストによって示された義によって、わたしたちは救われた、の意味でしょう。

 

●2節.神とわたしたちの主イエスを知ることによって、恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。

 

 

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2019年12月24日 (火)

キリストの栄光、預言の言葉(1章)

聖書の箇所は、ペトロの手紙二1章16節から21節です。

 

●16節.わたしたちの主イエス・キリストの力に満ちた来臨を知らせるのに、わたしたちは巧みな作り話を用いたわけではありません。わたしたちは、キリストの威光を目撃したのです。

 

●17節.荘厳な栄光の中から、「これはわたしの愛する子。わたしの心に適う者」というような声があって、主イエスは父である神から誉れと栄光をお受けになりました。

 

●18節.わたしたちは、聖なる山にイエスといたとき、天から響いてきたこの声を聞いたのです。

 

著者は、使徒ペトロの「キリスト来臨」の告知につき、「キリスト来臨」の約束が決して「巧みな作り話」によるものではないことを、力を込めて強調しています。

 

「キリストの威光を目撃した」者の証言であるとして、ペトロが繰り返し語ったと考えられる「山上の変容」(マルコ9章2節から8節ほか)の出来事を17節と18節で引用します。

 

 

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2019年12月28日 (土)

偽教師についての警告(2章)

聖書の言葉、ペトロの手紙二2章1節から22節です。

 

世を去ろうとしている使徒ペトロが将来起ころうとしている危険について予告し、警告しているのですが、危険な状況はこの手紙が書かれているペトロの遺志を引き継ぐ著者の時代の現実の状況でもあるのでしょう。

 

ここの主題は、ずばり「偽教師」です。

 

●1節.かつて、民の中に偽預言者がいました。同じように、あなたがたの中にも偽教師が現れるにちがいありません。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを贖ってくださった主を拒否しました。自分の身に速やかな滅びを招いており、

 

「かつて、民の中」の民は、イスラエルの民を指すのでしょう。

 

「偽預言者」ですが、神の民イスラエルの中にも、御霊によって動かされた真の預言者がいた一方で、自分勝手に、自分の思いによって語る偽預言者もいました。

 

偽預言者については、エレミヤ書14章14節に「主はわたしに言われた。「預言者たちは、わたしの名において偽りの預言をしている。わたしは彼らを遣わしてはいない。彼らを任命したことも、彼らに言葉を託したこともない。彼らは偽りの幻、むなしい呪術、欺く心によってお前たちに預言しているのだ。」

 

 

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主の来臨の約束(3章)

聖書の箇所は、ペトロの手紙二3章1節から18節です。

 

著者は、ペトロの名で「異端」の教えに対する警戒を使徒の遺訓として述べた後、本来の「キリスト来臨」の確認に戻ります。

 

著者にとって、異端の教師たちの堕落の原因は、彼らがキリスト来臨の信仰と待望を捨てたところにあるとし、来臨待望のゆるみと倫理的放縦は表裏一体と見ているのでしょう。

 

ここの主題は9節の「主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです。」ということでしょう。

 

●1節.愛する人たち、わたしはあなたがたに二度目の手紙を書いていますが、それは、これらの手紙によってあなたがたの記憶を呼び起こして、純真な心を奮い立たせたいからです。

 

●2節.聖なる預言者たちがかつて語った言葉と、あなたがたの使徒たちが伝えた、主であり救い主である方の掟を思い出してもらうためです。

 

著者は、手紙の読者が「ペトロの手紙一」を知っていることを前提にして、ペトロの名で二度目の書簡を書いていると思います。

 

この二つの手紙の目的は、この手紙によって、異端の偽教師たちに惑わされているあなたたちを、「記憶を呼び起こして、純真な心を奮い立たせた」せて、「(旧約の)聖なる預言者たちがかつて語った言葉と、あなたがたの使徒たちが伝えた、主であり救い主である方の掟を思い出してもらうため」であると明記しています。

 

 

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