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カテゴリー「ヤコブの手紙を読む」の記事

2019年11月 9日 (土)

前置き(ヤコブの手紙

このヤコブ書は、公同書簡とされています。

 

その意味は、書簡の宛先がキリスト教徒一般であるとみなされたことからそのように呼ばれているということです。

 

「公同書簡」と呼ばれる書簡はこのヤコブの手紙のほかに、「ペトロの手紙Ⅰ」、「ペトロの手紙Ⅱ」、「ヨハネの手紙Ⅰ」、「ヨハネの手紙Ⅱ」、「ヨハネの手紙Ⅲ」、「ユダの手紙」の六つの書簡があります。

 

それでは、ヤコブという名を新約聖書から拾ってみますと、ゼベダイの子ヤコブ (マルコ1章19節他)、アルパヨの子ヤコブ (マルコ3章18節他)、ヨセフとマリアの子、イエスの兄弟ヤコブ(マルコ6章3節他)、小ヤコブ (マルコ14章50節他)、使徒ユダの父ヤコブ (6章16節他)の五名が登場します。

 

解説によれば、この中で、著者が自ら「ヤコブ」と名乗っている「ヤコブの手紙」の著者である可能性があるのは、「ヨセフとマリアの子、イエスの兄弟ヤコブ」だけだということです。

 

 

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2019年11月11日 (月)

挨拶と信仰と知恵(1章)

聖書の箇所は、ヤコブの手紙1章1節から8節です。

 

●1節.神と主イエス・キリストの僕であるヤコブが、離散している十二部族の人たちに挨拶いたします。

 

著者は、エルサレムのユダヤ人キリスト信徒共同体の伝統を継承する者として、その代表者である主の兄弟ヤコブの名をもって、ヘレニズム世界の各地に離散し、苦しい状況にあるユダヤ人キリスト者に信仰生活の指針としての書簡を送ります。

 

なお、「十二部族」という表現は、イスラエルの民であるユダヤ人を指す定型的な用語だということですから、数字の数には意味がありません。

 

ヤコブは名の通った権威ある人物ではあったが、パウロのように使徒とは呼ばれていませんでした。

 

それは、ヤコブは、イエスの直弟子である十二人の使徒とか、パウロのように福音宣教に携わっていなかったからでしょう。

 

ここでヤコブは、自分はイエスの兄弟であるのに、自分のことを「神と主イエス・キリストの僕」と表現しています。

 

 

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2019年11月14日 (木)

貧しい者と富んでいる者(1章)

聖書の箇所は、ヤコブの手紙1章9節から11節です。

 

●9節.貧しい兄弟は、自分が高められることを誇りに思いなさい。

 

「貧しい兄弟は、・・誇りに思いなさい。」ですから、貧しいことも、神が与えられた一つの試練だから神の愛の表れとして誇りに思いなさいということでしょう。

 

神が与えられた試練は、神に愛されている証であり喜ばしいことです。

 

ですから、「自分を高める」ことになるのです。その試練が、神からのものでないのならば、絶望があるだけです。

 

イエスの言葉に、「低い者は高くされる」というのがありますが、意識しているのでしょう。

 

 

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試練と誘惑(1章)

聖書の箇所は、ヤコブの手紙1章12節から18節です。

 

●12節.試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。

 

ヤコブは、苦難は信仰を鍛えるための試練だと説きましたが、ここでは「試練を耐え忍ぶ人」の幸いを語ります。

 

試練を耐え忍ぶ人はなぜ幸いかというと、「その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです」。
「命の冠」の命とは、終わりの日に受け継ぐことを約束された命、すなわち、「永遠の命」を指しているのでしょう。

 

ただし、同じ永遠の命でも、パウロやヨハネは、現在信じる者が聖霊によって生きている命を指していますから少し違うと思うと思うのですが、いかがでしょうか。

 

ユダヤ教が言う永遠の命の考えが含まれていると思うのですが。

 

●13節.誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。

 

この13節から15節で、ヤコブは「誘惑」について語ります。

 

この誘惑という語句は、誘惑するという動詞形だそうです。

 

 

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2019年11月16日 (土)

神の言葉を聞いて実践する(1章)

聖書の箇所は、ヤコブの手紙1章19節から27節です。

 

●19節.わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。
ここは神の言葉を聞くときの姿勢を問うているのでしょう。

 

神の言葉は、「聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅い」のようでありなさいと勧めています。

 

もちろん、これは神の言葉でなくてもその様にすべきだと思います。

 

わたしたちは語るべき自分の意見、自分の信念、自分の生き方などを持っていれば、本来自己主張が性なので、語りたくて仕方なくなります。

 

しかし、ヤコブは「聞くのに早く」ですから、神の言葉を聞くのは早く、神の言葉を積極的に求めて、「話すのに遅く、」ですから、神の言葉を自分のものを語るのには遅くなりなさいといっています。

 

それは、神の言葉は慎重に語ること、軽はずみな言葉に警告を発しているのでしょう。

 

わたしたちは、語るべきことをたくさん持っていればいるほど語りたくなるし、語られる言葉が自分の信じていること、思っていることと合わない場合は、反論したくなるし、ときに怒りが込みあがってくることもあります。

 

 

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2019年11月19日 (火)

人を分け隔てしてはならない(2章)

聖書の箇所は、ヤコブの手紙2章1節から13節です。

 

●1節.わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません。

 

ここを直訳すると「人の分け隔ての中で、わたしたちの栄光の主イエス・キリストの信仰をもつことがないように」となるそうです。

 

●2節.あなたがたの集まりに、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来、また、汚らしい服装の貧しい人も入って来るとします。

 

●3節.その立派な身なりの人に特別に目を留めて、「あなたは、こちらの席にお掛けください」と言い、貧しい人には、「あなたは、そこに立っているか、わたしの足もとに座るかしていなさい」と言うなら、

 

●4節.あなたがたは、自分たちの中で差別をし、誤った考えに基づいて判断を下したことになるのではありませんか。

 

わたしたちには、意識しなくても、見かけや経済的なことで人の軽重を判断して、差別していることがよくあります。

 

このような差別は、無意識の中で、知らず知らずに行なっていることが多いのです。

 

 

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行いを欠く信仰は死んだもの(2章)

聖書の箇所は、ヤコブの手紙2章14節から26節です。

 

●14節.わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。

 

ヤコブは、御言葉を行うことの重要性を説きます。

 

そのことは、1章22節で「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。」と明確に言っています。

 

ここでは、そのことを直接的で明快に提示します。

 

行いの伴わない信仰を「そのような信仰」といって、その様な信仰で「彼を救うことができるか」と問題を提起しています。

 

●15節.もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、

 

●16節.あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。

 

ここでは14節の役に立たない信仰を、具体的に比喩をもって語ります。

 

「着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いている」ですから、生存のために必要な最小限の衣食がない人に、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えない場合を、行わない信仰が何の役にも立たないことの例示としてあげてます。

 

●17節.信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。

 

前節で具体的な事例をあげてその上で、「信仰もこれと同じです。

 

 

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2019年11月21日 (木)

舌を制御する(3章)

聖書の箇所は、ヤコブの手紙3章1節から12節です。

 

●1節.わたしの兄弟たち、あなたがたのうち多くの人が教師になってはなりません。わたしたち教師がほかの人たちより厳しい裁きを受けることになると、あなたがたは知っています。

 

「教師」は、それまでの霊的な信仰の事柄を教える教師のほかに、集会を指導する立場の人をも指しているのでしょう。

 

ここではおもにその人たちのことを言っているのではないでしょうか。

 

「多くの人」とありますから、教師になりたいと希望する信徒が多かったのでしょうか。

 

ヤコブは、「教師がほかの人たちより厳しい裁きを受ける」ことを理由にその人たちに忠告します。

 

わたしなど教師(牧師)になることは怖いです。

 

教師の発する言葉ひとつ、行いひとつ見ている人は、その教師の言葉とか行いの影響を受けます。

 

ましてや、相談される方の相談内容は、その人の人生の重大事項であることが大いにあります。

 

ですから、教師の言葉一つでその人の人生が変わることもあります。

 

 

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2019年11月23日 (土)

上からの知恵(3章)

聖書の箇所は、ヤコブの手紙3章13節から18節です。

 

●13節.あなたがたの中で、知恵があり分別があるのはだれか。その人は、知恵にふさわしい柔和な行いを、立派な生き方によって示しなさい。

 

ヤコブは行いが伴わない信仰の空しさを語りましたが、ここでは行いが伴わない知恵は偽りであることを語ります。

 

真の知恵は、「知恵にふさわしい柔和な行いを、立派な生き方によって」示すことにより現れるはずだとします。

 

自分の意見の主張や、議論や論争の中で、人々が犯す過ちがあります。

 

それは、自分が知っていると自負しているために起こる誤りであり論争です。

 

そうなれば、わたしたちは高慢になり、敵対的になり、相手の意見を受け入れたり尊重する余地がなくなります。

 

そこでヤコブは、その知恵を、「柔和な行いを、立派な生き方」によって示しなさい。と言っているのでしょう。

 

●14節.しかし、あなたがたは、内心ねたみ深く利己的であるなら、自慢したり、真理に逆らってうそをついたりしてはなりません。

 

●15節.そのような知恵は、上から出たものではなく、地上のもの、この世のもの、悪魔から出たものです。

 

●16節.ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるからです。

 

「内心ねたみ深く利己的」であるならば、「自慢したり、真理に逆らってうそをついたり」してはいけないとします。

 

 

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2019年11月25日 (月)

神に服従しなさい(4章)

聖書の箇所は、ヤコブの手紙4章1節から10節です。

 

●1節.何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。


「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こる」のかと、わざわざ問いかけています。

 

これは集会の中に「戦いや争い」があるからでしょう。

 

その原因は、3章16節で「ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがある」とありますから、欲望のぶつかり合いが「戦いや争い」を生むのです。

 

●2節.あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、

 

しかしここを読むと、キリストの民の間にも「戦いや争いが起こる」現実があったのですね。

 

それは、「得られないのは、願い求めないから」としていますが、その意味するところは、神に間違った(御心に沿わない)求め方をしているからで、それは神に求めていないのと同じことだと言っているのでしょう。

 

 

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