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カテゴリー「ヤコブの手紙を読む」の記事

2019年11月29日 (金)

忍耐と祈り(5章)

聖書の箇所は、ヤコブの手紙5章7節から20節です。

 

●7節.兄弟たち、主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。

 

●8節.あなたがたも忍耐しなさい。心を固く保ちなさい。主が来られる時が迫っているからです。

 

最後にヤコブは、主の再臨が迫っているとし、それまで忍耐するように励まします。

 

ヤコブはそれを「秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待つのです。」と表現し、農夫を引き合いに出して、農夫はみなそうして「大地の尊い実りを」待っているのだから、「あなたがたも忍耐しなさい」と説きます。

 

なお、解説によると、イスラエルの農業は、日本と違い地中海性気候ですから、雨は貴重な資源で、「秋の雨」というのは、11月ごろの雨のことを言い、その後に農夫は種を蒔くそうです。

 

 

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富んでいる人たちに対して(5章)

聖書の箇所は、ヤコブの手紙5章1節から6節です。

 

●1節.富んでいる人たち、よく聞きなさい。自分にふりかかってくる不幸を思って、泣きわめきなさい。

 

「富んでいる人たち、」は「自分にふりかかってくる不幸を思って、泣きわめきなさい。」といっています。

 

この「自分にふりかかってくる不幸」というのは、終わりの日の神の裁きを言っているのでしょう。

 

では、なぜ、富んでいる人に不幸が降りかかってくるのでしょか。

 

富を得るとなぜ不幸になるのでしょうか。

 

それは、富を得るのが悪いのではなく、自分のためだけに富を得るのは、神のご性質と真っ向から対立するから不幸が降りかかるということでしょう。

 

神はあらゆる富をお持ちの方ですが、見返りを期待しないで惜しみなく分け与えられるのも、また、神の性質です。

 

ですからそういうようにありなさいということでしょう。

 

「愛」というのは、まさに見返りを期待しないで、自分のものを分け与えることであり、自分の欲望はあくまでも、分け与える中において満たされるものだということでしょう。

 

 

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誇り高ぶるな(4章)

聖書の箇所は、ヤコブの手紙4章13節から17節です。

 

●13節.よく聞きなさい。「今日か明日、これこれの町へ行って一年間滞在し、商売をして金もうけをしよう」と言う人たち、
兄弟たち「よく聞きなさい。」と呼びかけます。

 

その人たちは「商売をして金もうけをしよう」とする人たちです。

 

そこには神はいないと断罪します。

 

その人たちは、自分の命が明日もあることを前提にして、時を定め、場所を定め、期間を定めてもうけることを定めます。

 

それに対し、14節でヤコブは反論します。

 

 

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2019年11月25日 (月)

兄弟を裁くな(4章)

聖書の箇所は、ヤコブの手紙4章11節から12節です。

 

●11節.兄弟たち、悪口を言い合ってはなりません。兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟を裁いたりする者は、律法の悪口を言い、律法を裁くことになります。もし律法を裁くなら、律法の実践者ではなくて、裁き手です。

 

●12節.律法を定め、裁きを行う方は、おひとりだけです。この方が、救うことも滅ぼすこともおできになるのです。隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか。

 

イエスも「人を裁くな」と説きました。

 

ヤコブはすべてを律法との関わりで考えていますから、「兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟を裁いたりする者」は、「律法の悪口を言い、律法を裁くことになり」、「律法の実践者ではなくて、裁き手」となることだとして、「兄弟を裁く」ことを厳しく批判しています。

 

兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟を裁いたりする者は、律法の悪口を言い、律法を裁くことになるというのは、自分の行為によって、それを禁じた律法を無視し、嘲笑することになるという論理でしょう。

 

そして、その律法を嘲笑する行為は、「律法を定め、裁きを行う(おひとりの)方」の権限を侵すことで、そのように「律法を裁くなら」自分を律法を与えられて神の立場の者とする神の行為(越権行為)だと戒めています。

 

神に服従しなさい(4章)

聖書の箇所は、ヤコブの手紙4章1節から10節です。

 

●1節.何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがた自身の内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。


「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こる」のかと、わざわざ問いかけています。

 

これは集会の中に「戦いや争い」があるからでしょう。

 

その原因は、3章16節で「ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがある」とありますから、欲望のぶつかり合いが「戦いや争い」を生むのです。

 

●2節.あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、

 

しかしここを読むと、キリストの民の間にも「戦いや争いが起こる」現実があったのですね。

 

それは、「得られないのは、願い求めないから」としていますが、その意味するところは、神に間違った(御心に沿わない)求め方をしているからで、それは神に求めていないのと同じことだと言っているのでしょう。

 

 

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2019年11月23日 (土)

上からの知恵(3章)

聖書の箇所は、ヤコブの手紙3章13節から18節です。

 

●13節.あなたがたの中で、知恵があり分別があるのはだれか。その人は、知恵にふさわしい柔和な行いを、立派な生き方によって示しなさい。

 

ヤコブは行いが伴わない信仰の空しさを語りましたが、ここでは行いが伴わない知恵は偽りであることを語ります。

 

真の知恵は、「知恵にふさわしい柔和な行いを、立派な生き方によって」示すことにより現れるはずだとします。

 

自分の意見の主張や、議論や論争の中で、人々が犯す過ちがあります。

 

それは、自分が知っていると自負しているために起こる誤りであり論争です。

 

そうなれば、わたしたちは高慢になり、敵対的になり、相手の意見を受け入れたり尊重する余地がなくなります。

 

そこでヤコブは、その知恵を、「柔和な行いを、立派な生き方」によって示しなさい。と言っているのでしょう。

 

●14節.しかし、あなたがたは、内心ねたみ深く利己的であるなら、自慢したり、真理に逆らってうそをついたりしてはなりません。

 

●15節.そのような知恵は、上から出たものではなく、地上のもの、この世のもの、悪魔から出たものです。

 

●16節.ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるからです。

 

「内心ねたみ深く利己的」であるならば、「自慢したり、真理に逆らってうそをついたり」してはいけないとします。

 

 

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2019年11月21日 (木)

舌を制御する(3章)

聖書の箇所は、ヤコブの手紙3章1節から12節です。

 

●1節.わたしの兄弟たち、あなたがたのうち多くの人が教師になってはなりません。わたしたち教師がほかの人たちより厳しい裁きを受けることになると、あなたがたは知っています。

 

「教師」は、それまでの霊的な信仰の事柄を教える教師のほかに、集会を指導する立場の人をも指しているのでしょう。

 

ここではおもにその人たちのことを言っているのではないでしょうか。

 

「多くの人」とありますから、教師になりたいと希望する信徒が多かったのでしょうか。

 

ヤコブは、「教師がほかの人たちより厳しい裁きを受ける」ことを理由にその人たちに忠告します。

 

わたしなど教師(牧師)になることは怖いです。

 

教師の発する言葉ひとつ、行いひとつ見ている人は、その教師の言葉とか行いの影響を受けます。

 

ましてや、相談される方の相談内容は、その人の人生の重大事項であることが大いにあります。

 

ですから、教師の言葉一つでその人の人生が変わることもあります。

 

 

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2019年11月19日 (火)

行いを欠く信仰は死んだもの(2章)

聖書の箇所は、ヤコブの手紙2章14節から26節です。

 

●14節.わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。

 

ヤコブは、御言葉を行うことの重要性を説きます。

 

そのことは、1章22節で「御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。」と明確に言っています。

 

ここでは、そのことを直接的で明快に提示します。

 

行いの伴わない信仰を「そのような信仰」といって、その様な信仰で「彼を救うことができるか」と問題を提起しています。

 

●15節.もし、兄弟あるいは姉妹が、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとき、

 

●16節.あなたがたのだれかが、彼らに、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。

 

ここでは14節の役に立たない信仰を、具体的に比喩をもって語ります。

 

「着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いている」ですから、生存のために必要な最小限の衣食がない人に、「安心して行きなさい。温まりなさい。満腹するまで食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えない場合を、行わない信仰が何の役にも立たないことの例示としてあげてます。

 

●17節.信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。

 

前節で具体的な事例をあげてその上で、「信仰もこれと同じです。

 

 

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人を分け隔てしてはならない(2章)

聖書の箇所は、ヤコブの手紙2章1節から13節です。

 

●1節.わたしの兄弟たち、栄光に満ちた、わたしたちの主イエス・キリストを信じながら、人を分け隔てしてはなりません。

 

ここを直訳すると「人の分け隔ての中で、わたしたちの栄光の主イエス・キリストの信仰をもつことがないように」となるそうです。

 

●2節.あなたがたの集まりに、金の指輪をはめた立派な身なりの人が入って来、また、汚らしい服装の貧しい人も入って来るとします。

 

●3節.その立派な身なりの人に特別に目を留めて、「あなたは、こちらの席にお掛けください」と言い、貧しい人には、「あなたは、そこに立っているか、わたしの足もとに座るかしていなさい」と言うなら、

 

●4節.あなたがたは、自分たちの中で差別をし、誤った考えに基づいて判断を下したことになるのではありませんか。

 

わたしたちには、意識しなくても、見かけや経済的なことで人の軽重を判断して、差別していることがよくあります。

 

このような差別は、無意識の中で、知らず知らずに行なっていることが多いのです。

 

 

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2019年11月16日 (土)

神の言葉を聞いて実践する(1章)

聖書の箇所は、ヤコブの手紙1章19節から27節です。

 

●19節.わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。
ここは神の言葉を聞くときの姿勢を問うているのでしょう。

 

神の言葉は、「聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅い」のようでありなさいと勧めています。

 

もちろん、これは神の言葉でなくてもその様にすべきだと思います。

 

わたしたちは語るべき自分の意見、自分の信念、自分の生き方などを持っていれば、本来自己主張が性なので、語りたくて仕方なくなります。

 

しかし、ヤコブは「聞くのに早く」ですから、神の言葉を聞くのは早く、神の言葉を積極的に求めて、「話すのに遅く、」ですから、神の言葉を自分のものを語るのには遅くなりなさいといっています。

 

それは、神の言葉は慎重に語ること、軽はずみな言葉に警告を発しているのでしょう。

 

わたしたちは、語るべきことをたくさん持っていればいるほど語りたくなるし、語られる言葉が自分の信じていること、思っていることと合わない場合は、反論したくなるし、ときに怒りが込みあがってくることもあります。

 

 

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