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カテゴリー「テサロニケの信徒への手紙一を読む」の記事

2019年9月13日 (金)

前置き(テサロニケの信徒への手紙一

この手紙は、真正が問題となっていないパウロ七書簡の一つです。

 

ローマ書、コリント書ⅠとⅡ、ガラテヤ書、フィリピ書、テサロニケ書Ⅰ、フィレモン書に入っています。

 

テサロニケ書二は、パウロ以外の人物(パウロの協力者とか後継者)がパウロの名を用いて書いた書簡であると見られています。
テサロニケはマケドニアに栄えた古代有数の大都市で、ローマ時代を通してマケドニア州の首都でした。

 

現在のテッサロニキ(英名サロニカ)がそれであると言うことです。

 

テサロニケは大都会であって、多くのユダヤ人が居住していましたので、ユダヤ人の会堂がありました。

 

パウロはユダヤ人の会堂に入り、メシアは苦しみを受け、 死者の中から復活するように定められていること、十字架につけられたイエスがそのメシアであることを宣べ伝えます。

 

 

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2019年9月15日 (日)

主に倣う者(1章)

聖書の箇所は、テサロニケの信徒への手紙一1章1節から10節です。

 

●1節.パウロ、シルワノ、テモテから、父である神と主イエス・キリストとに結ばれているテサロニケの教会へ。恵みと平和が、あなたがたにあるように。

 

手紙としての通常の挨拶の言葉で始まります。

 

発信人としてパウロは自分の他にシルワノとテモテという二人の協力者の名前をあげていますが、実際に語っているのはパウロだけでしょう。

 

「シルワノ」とありますが、これはシラスのことだということです。

 

パウロはわざわざ自分の資格を書いていませんが、それだけテサロニケの信徒と親しかったと言うことでしょう。

 

受取人は「父である神と主イエス・キリストとに結ばれているテサロニケの教会(エクレシア)へ」となっています。

 

 

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テサロニケでのパウロの宣教(2章)

聖書の箇所は、テサロニケの信徒への手紙一2章1節から16節です。

 

●1節.兄弟たち、あなたがた自身が知っているように、わたしたちがそちらへ行ったことは無駄ではありませんでした。

 

パウロたちが、テサロニケに行ったのは、「無駄ではありませんでした。」と言っているのは、無駄であったのではないかと思っていたと言うことです。

 

しかし、無駄ではなかったのです。無駄ではなかった理由は次節です。

 

●2節.無駄ではなかったどころか、知ってのとおり、わたしたちは以前フィリピで苦しめられ、辱められたけれども、わたしたちの神に勇気づけられ、激しい苦闘の中であなたがたに神の福音を語ったのでした。

 

「わたしたちは以前フィリピで苦しめられ、辱められた」は使徒言行録17章にあります。

 

マケドニヤ州第一の都市であるフィリピで騒動に巻き込まれて、牢屋にぶちこまれ、むち打ちに遭ったことでしょう(使徒言行録16章6節以降、16章16節以降、17章1節以降参照)。

 

パウロが小アジヤにいたときに、マケドニヤ人が助けてくださいとパウロに願っているのを幻で見ます(使徒言行録16章6節以降)。

 

そこでマケドニヤ州第一の都市フィイリピの町にやって来たのですが、そこでパウロとシラスは、人々の扇動により、牢屋にぶちこまれ、またむち打ちに遭いました(使徒言行録16章16節以降)。

 

パウロはひどい仕打ちを受けてフィリピの町を去り、テサロニケにやって来ました。

 

 

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2019年9月17日 (火)

テサロニケ再訪の願い(2章)

聖書の箇所は、テサロニケの信徒への手紙一2章17節から3章13節です。

 

●17節.兄弟たち、わたしたちは、あなたがたからしばらく引き離されていたので、――顔を見ないというだけで、心が離れていたわけではないのですが――なおさら、あなたがたの顔を見たいと切に望みました。

 

●18節.だから、そちらへ行こうと思いました。殊に、わたしパウロは一度ならず行こうとしたのですが、サタンによって妨げられました。
パウロは、「あなたがたの顔を見たいと切に望みました。」(17節)と言って、あなたがたに切に会いたいと願っています。

 

ところが、「サタンによって妨げられました。」と言っています。

 

パウロの小アジヤの旅行を続けるのを妨げたのは、サタンだと言っています。

 

サタンが福音伝道を妨げるときは、神の言葉は伝えるには何か問題がある。

 

サタンが働くときは、神の言葉は人々の心の根づかないで、しおれてしまいます。

 

●19節.わたしたちの主イエスが来られるとき、その御前でいったいあなたがた以外のだれが、わたしたちの希望、喜び、そして誇るべき冠でしょうか。

 

 

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2019年9月19日 (木)

神に喜ばれる生活(4章)

聖書の箇所は、テサロニケの信徒への手紙一4章1節から12節です。

 

パウロがテサロニケの信徒に「神に喜ばれる生活」、すなわち、「聖なる者」となるように求めるときに最初に来るのが性関係における清さです。

 

●1節.さて、兄弟たち、主イエスに結ばれた者としてわたしたちは更に願い、また勧めます。あなたがたは、神に喜ばれるためにどのように歩むべきかを、わたしたちから学びました。そして、現にそのように歩んでいますが、どうか、その歩みを今後も更に続けてください。

 

●2節.わたしたちが主イエスによってどのように命令したか、あなたがたはよく知っているはずです。

 

パウロは、テサロニケを離れるに際し、いままでテサロニケの信徒に教えてきたことを、今後も守り続けてほしいと願っているのです。

 

この願いの背景には、3章13節の「そして、わたしたちの主イエスが、御自身に属するすべての聖なる者たちと共に来られるとき、あなたがたの心を強め、わたしたちの父である神の御前で、聖なる、非のうちどころのない者としてくださるように、」(13節)があるのでしょう。

 

●3節.実に、神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです。すなわち、みだらな行いを避け、

 

 

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主は来られる(4章)

聖書の箇所は、テサロニケの信徒への手紙一4章13節から18節、5章1節から5章11節です。

 

●13節.兄弟たち、既に眠りについた人たちについては、希望を持たないほかの人々のように嘆き悲しまないために、ぜひ次のことを知っておいてほしい。

 

テモテがパウロのもたらした報告の中に、おそらく信徒の中に、あるいは自分の身内に既に死んだものがあり、「既に眠りについた人たち」は(キリストを信じて)主イエス再臨の際にどのようになるかを心配して、嘆き悲しむ者がいるという報告があったのでしょう。

 

そこでパウロは、彼らを励ますために「死者の復活」について改めて書き送ります。

 

それがこの13節から18節でしょう。

 

パウロは福音を宣べ伝える際に、復活された主イエスが栄光の中に再臨される日が近いことを語ってきました。

 

この時代は、主イエスの再臨は、自分たちが生きているうちに実現すると考えられていたようです。

 

キリスト信仰勃興期においては、そういう思想は、自分たちに厳しい社会情勢もあり、組織の守りを固めるためにも必要であったのかもしれません。

 

 

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2019年9月21日 (土)

結びの言葉(5章)

聖書の箇所は、テサロニケの信徒への手紙一5章12節から28節です。

 

パウロは、キリスト再臨の際には、キリストに結ばれた者は裁きを受けないで救いに与るとし、「兄弟たち、あなたがたは暗闇の中にいるのではありません。

 

ですから、主の日が、盗人のように突然あなたがたを襲うことはないのです。」と言っています。

 

キリストの結ばれた者は、神の怒りを見ることなく、天に引き上げられる約束が与えられているのですが、それまでの間、この地上において、どのような生き方をしていけばよいのかを、パウロは12節から書いています。

 

●12節.兄弟たち、あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主に結ばれた者として導き戒めている人々を重んじ、

 

●13節.また、そのように働いてくれるのですから、愛をもって心から尊敬しなさい。互いに平和に過ごしなさい。

 

聖書の中における「平和」とは、わたしたちが考える平和とは異なります。

 

わたしたちが考える平和は、自分の暮らし向きのことで、その場かぎりの平穏を平和だと言っているのだと思います。
しかし、聖書が与える平和はそのようなものではないのです。

 

 

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