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カテゴリー「コロサイの信徒への手紙を読む」の記事

2019年9月10日 (火)

結びの言葉(4章)

聖書の箇所は、コロサイの信徒への手紙4章7節から4章18節です。

 

ここの手紙の結びの挨拶を読むと、この手紙がパウロ本人によって書かれたと思えますね。

 

しかし、最近の調査では、この手紙はパウロ名によるパウロの後継者の書簡とされていますので、そのつもりで書きました。

 

この手紙の著者は、コロサイの危険な状況に対処するために、自分たち(パウロ系共同体)の間でキリストの使徒としての権威が確立しているパウロの名によって、すなわちパウロの名代としてこの文書を書きました。したがって、著者はパウロの手紙の形式を踏襲しています。

 

 

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勧めの言葉(4章)

聖書の箇所は、コロサイの信徒への手紙4章2節から4章6節です。

 

●2節.目を覚まして感謝を込め、ひたすら祈りなさい。

 

著者は、この手紙の結びの勧告として、「ひたすら祈りなさい。」とし、そして感謝をこめた祈りの中で目覚めているように勧告します。

 

この「目を覚まして」は、キリストの再臨が近いから目覚めているようにということもあるでしょうが、世の思いに埋没しないように、ひたすら目を覚まして祈りなさいと言うことでしょう。

 

ひたすら祈りなさいと著者は言っていますが、それでは、神のご計画とわたしたちの祈りとはどのような関係にあるのでしょうか。

 

神は被造物であるわたしたちを、ご計画を持って創造されました。

 

 

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家族に対して(3章)

聖書の箇所は、コロサイの信徒への手紙3章18節から4章1節です。

 

ここは「家族に対して」ですが、内容は当時のローマ社会の家庭倫理をそのまま踏襲しているそうです。

 

そして、それを根拠づけるために「主を信じる者」という視点から書かれています。

 

内容は、まず、下位の者に服従を求めています。

 

当時のローマ社会が父権的な家父長制の家族であったことの表れでしょう。

 

キリストに属する者も、家庭においては、そのようにすることを求められます。

 

その上で上位に立つ者(夫、父親、主人)に、下位の者への配慮をするように勧告しています。

 

 

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2019年9月 7日 (土)

日々新たにされて(2章)

聖書の箇所は、コロサイの信徒への手紙2章20節から3章17節です。

 

●20節.あなたがたは、キリストと共に死んで、世を支配する諸霊とは何の関係もないのなら、なぜ、まだ世に属しているかのように生き、
●21節.「手をつけるな。味わうな。触れるな」などという戒律に縛られているのですか。

 

キリストに属する者は「キリストと共に死んで世を支配する諸霊」の支配から離脱しているのであるから、その「世の諸々の霊」から出る様々な(宗教的)戒律には縛られていないことを「何の関係もない」と強調しているのでしょう。

 

とすると、パウロと少し違いますね。

 

パウロにとって、キリストと共に死ぬことは罪に対して死ぬことでしたが、ここでは、キリストと共に死ぬことは諸霊が支配するこの世(コスモス)に対して死ぬことです。

 

「手をつけるな。味わうな。触れるな」という戒律は何を指すのでしょうか。

 

おそらく「手をつけるな」は性交の禁止、「味わうな」は断食とか特定の食物の禁止、「触れるな」は何か特定の事物への接触の禁止を指しているのではないかと考えられます。

 

 

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キリストに結ばれた生活(2章)

聖書の箇所は、コロサイの信徒への手紙2章6節から19節です。

 

●6節.あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストに結ばれて歩みなさい。

 

●7節.キリストに根を下ろして造り上げられ、教えられたとおりの信仰をしっかり守って、あふれるばかりに感謝しなさい。

 

「キリストを悟る」(2節)とは、頭の中の知識の問題ではなく、自己の全存在をもって体験的に認識することですから、そのことを「キリストに結ばれて歩みなさい。」と表現しているのでしょう。

 

具体的には、「キリストに根を下ろして造り上げられ、」ですから、自分が教えられたところのキリストの基本的な教え(最初の正しい教え)の中に留まりその教えを根として、すなわち「教えられたとおりの信仰をしっかり守って、」(そうでないと、別の教えとか行ないを取り入れてしまう事になるから、)成長していかなければならないと言うことでしょう。

 

その結果、「あふれるばかりに感謝しなさい」となります。

 

このあふれるばかりの感謝の生活が、「キリストの基本的な教えの中に留まりその教えを根として、すなわち「教えられたとおりの信仰をしっかり守って、」歩むことによってはじめて結ばれる実ということでしょう。

 

 

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2019年9月 5日 (木)

パウロに与えられた務め(1章)

聖書の箇所は、コロサイの信徒への手紙 1章24節から2章5節です。

 

●24節.今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています。

 

このような表現から推察すると、この手紙の著者は、23節から引き続き、パウロの苦難とその活動を意義づけようとしているのでしょう。

 

すなわち、キリストの受難は人間の罪の贖いのためであり、そのためでは十分であるが、その贖いの救済を人々にもたらすための活動と、キリストの集会(エクレーシア)形成のための苦しみ、すなわち、そのことを「キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています」と言っているのでしょう。

 

だから、決して、キリストが十字架の上で受けた苦しみが欠けていたということを言っているのではないのです。

 

●25節.神は御言葉をあなたがたに余すところなく伝えるという務めをわたしにお与えになり、この務めのために、わたしは教会に仕える者となりました。

 

 

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2019年9月 3日 (火)

御子キリストによる創造と和解(1章)

聖書の箇所は、コロサイの信徒への手紙1章9節から23節です。

 

この手紙ではパウロのように終末的視点から現在を見るのではなく、「神の言葉の真の理解を追究することが信仰生活の主要目標になっているようです。

 

このような変化は、パウロの救済史的な視点がヘレニズム世界の影響を受けて、霊的現実の認識を重視する宗教に移行してきたのではと見受けられます。

 

●9節.こういうわけで、そのことを聞いたときから、わたしたちは、絶えずあなたがたのために祈り、願っています。どうか、“霊”によるあらゆる知恵と理解によって、神の御心を十分悟り、

 

●10節.すべての点で主に喜ばれるように主に従って歩み、あらゆる善い業を行って実を結び、神をますます深く知るように。

 

●11節.そして、神の栄光の力に従い、あらゆる力によって強められ、どんなことも根気強く耐え忍ぶように。喜びをもって、

 

●12節.光の中にある聖なる者たちの相続分に、あなたがたがあずかれるようにしてくださった御父に感謝するように。

 

著者はここでコロサイの信徒のために祈り願っていると言っています。

 

 

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2019年9月 1日 (日)

神への感謝(1章)

聖書の箇所は、コロサイの信徒への手紙 1章3節から8節です。

 

●3節.わたしたちは、いつもあなたがたのために祈り、わたしたちの主イエス・キリストの父である神に感謝しています。

 

●4節.あなたがたがキリスト・イエスにおいて持っている信仰と、すべての聖なる者たちに対して抱いている愛について、聞いたからです。

 

「わたしたちは、」と言うのは、この手紙の著者で、著者は、「聞いたからです。」ですから、福音がコロサイの町にまで広がっていることを聞いて知っていたから、彼らのことを祈りの中でいつも神に感謝していました。

 

感謝しているのは、キリスト・イエス に対する信仰と、すべての「聖なる者たち」に対する愛を彼らが抱いていることに対してでしょう。

 

 

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挨拶(1章)

聖書の箇所は、コロサイの信徒への手紙1章1節から2節です。

 

●1節.神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロと兄弟テモテから、

 

●2節.コロサイにいる聖なる者たち、キリストに結ばれている忠実な兄弟たちへ。わたしたちの父である神からの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

 

著者はコロサイの信徒あてに「パウロと兄弟テモテ」の名で、手紙の形式で書いています。

 

まず、挨拶ですが、パウロがいつも使う挨拶からこの手紙は始まっています。

 

コロサイという町は、小アジヤ地方にあり、エフェソの町の東側にあるそうです。

 

コロサイの集会は、エフェソでパウロと共に活動していたエパフラスという人によって建て上げられました(1章7節)。

 

パウロはこのコロサイの集会には一度も言ったことがないと言う説もあります。

 

この手紙は、パウロの弟子によって書かれたパウロの名による手紙だと書きましたが、パウロの弟子がパウロに代わってこのような手紙を書けると言うことは、その弟子は誰もが認める異論のないパウロの弟子であったのではないでしょうか。

 

同時に、すでにこの時には、パウロの権威は相当なものであったのでしょう。

 

前置き(コロサイの信徒への手紙

この手紙は、パウロ系集会の中心地となったアジア州で生み出されたとされるエフェソ書と同様の「パウロの名による書簡」と言われています。

 

この手紙で気になるのは、ほかのパウロの書簡では、自分を多くの使徒の中の一人としているのですが、この手紙では、パウロをほとんど唯一の使徒として扱っているところです。

 

ですから、この手紙はパウロの没後、パウロの忠実な後継者が、パウロから受け継いだ信仰を確立するために、パウロの名によって(パウロの権威を後ろ盾にして)書いた文書ではないかということです。

 

この手紙の中心議題は、「人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。

 

それは、世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません。」(2章8節)ではないでしょうか。

 

 

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