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カテゴリー「フィリピの信徒への手紙を読む」の記事

2019年8月15日 (木)

前置き(フィリピの信徒への手紙)

この手紙は、真正が問題とされていないパウロ七書簡であるローマ書、コリント書ⅠとⅡ、ガラテヤ書、フィリピ書、テサロニケ書Ⅰ、フィレモン書のひとつです。

 

パウロは獄中からフィリピの集会あてにこの手紙を書いています。

 

成立年代は、紀元55年・56年だということです。

 

獄中と言うのは、おそらくエフェソでの騒乱(使徒言行録19章21節以下参照)の際に巻き込まれて数人の仲間と共に投獄された際のことを言っているのではと思います。

 

 

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挨拶(1章)

聖書の箇所は、フィリピの信徒への手紙1章1節から2節です。

 

●1節.キリスト・イエスの僕であるパウロとテモテから、フィリピにいて、キリスト・イエスに結ばれているすべての聖なる者たち、ならびに監督たちと奉仕者たちへ。

 

●2節.わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

 

フィリピは小アジヤとギリシヤの間にあるマケドニヤ地方にあります。

 

この手紙では、パウロは自分が使徒であるという立場にあまりこだわらないで、1節にあるように、「キリスト・イエスの僕」とだけ名乗っています。


ということは、パウロは自分が使徒であることをわざわざ強調する必要が無かったということですが、それは、自分を全面的に信頼して慕ってくれているフィリピの集会に対してはその必要がなかったということでしょう。

 

「僕」というのは、ここでは神に特別に召されて働きの器として仕える者と言うことでしょう。

 

ただし、パウロの場合は、「キリスト・イエスの僕」ですから、キリストに仕えることが神に仕えることなのでしょう。

 

 

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2019年8月17日 (土)

フィリピの信徒のための祈り(1章)

聖書の箇所は、フィリピの信徒への手紙1章3節から11節です。

 

●3節.わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、

 

●4節.あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。

 

●5節.それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。

 

パウロは、「あなたがたのことを思い起こす度に」(3節)、つまりフィリピの人たちを思い出すたびに神に感謝をささげていました。
それは、フィリピの人たちが「最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。」(5節)。

 

 

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2019年8月20日 (火)

わたしにとって生きるとは、キリストを生きること(1章)

聖書の箇所は、フィリピの信徒への手紙1章12節から30節です。

 

少し長いのですが、一気に読みます。

 

●12節.兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。

 

●13節.つまり、わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、

 

●14節.主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです。

 

ここでパウロは現在自分の身に起こっていることについて語り始めます。

 

福音を宣べ伝えたことによって逮捕され投獄されたことは、通常福音を宣べ伝えることの障害になるのですが、逆に「福音の前進に役立った」(12節)と言っています。

 

 

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キリストを模範とせよ(2章)

聖書の箇所は、フィリピの信徒への手紙2章1節から11節です。

 

●1節.そこで、あなたがたに幾らかでも、キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、それに慈しみや憐れみの心があるなら、
パウロは1章で、集会の外との戦いについて語った後、ここでは集会の内側の問題を語ります。

 

外に向かって福音のために戦うには、「心を合わせて」共に戦うことが何よりも重要なことです。

 

内輪で争っていては、戦えません

 

ですから、パウロは集会に何よりも「愛の慰め、“霊”による交わり、」による一致を願っています。

 

パウロは27節で「ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を」送りなさい、と言っています。

 

そのためには主にあって心を一つにする必要があるのですが、それには集会でのキリストの御霊の働きが不可欠です。

 

「キリストによる励まし、愛の慰め、“霊”による交わり、」という言葉には、キリスト・(父なる)神・聖霊の三位一体論の芽があると言われています。

 

 

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2019年8月22日 (木)

共に喜ぶ(2章)

聖書の箇所は、フィリピの信徒への手紙2章12節から18節です。

 

●12節.だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。

 

パウロは、「恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。」と言っています。

 

「自分の救い」と言っていますね。救われ方は皆一様ではないのです。

 

「だから」という語は、先の「キリスト賛歌」の中の、「(イエスは)死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(8節)を受けて、「だから、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、」(12節)となるのでしょう。

 

すなわち、イエスは死に至るまで従順であったから神は彼を高く上げキリストとされたのだから、あなたがたも最後まで従順でいて「自分の救いを達成するように努めなさい。」と励ましているのでしょう。

 

 

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テモテとエバフロディトを送る(2章)

聖書の箇所は、フィリピの信徒への手紙2章19節から30節です。

 

●19節.さて、わたしはあなたがたの様子を知って力づけられたいので、間もなくテモテをそちらに遣わすことを、主イエスによって希望しています。

 

パウロは、今自分の傍らにいる同労者テモテを、フィリピの人たちのところに送ることを願っています。

 

それは、フィリピの人たちの様子を詳しく知って、自らの励ましとしたいと言うことでしょう。

 

●20節.テモテのようにわたしと同じ思いを抱いて、親身になってあなたがたのことを心にかけている者はほかにいないのです。

 

パウロは、テモテもパウロと同じように「親身になってあなたがたのことを心にかけている者」だと言っています。

 

 

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2019年8月25日 (日)

キリストを信じるとは(3章)

聖書の箇所は、フィリピの信徒への手紙3章1節から11節です。

 

●1節.では、わたしの兄弟たち、主において喜びなさい。同じことをもう一度書きますが、これはわたしには煩わしいことではなく、あなたがたにとって安全なことなのです。

 

パウロは何度も「喜びなさい」を繰り返しています。

 

くどいと思っているのか「同じことをもう一度書きます」と言っています。

 

喜びなさいと言う前にパウロは、「主において喜びなさい。」と言っています。

 

周りの状況にあって喜ぶのではなく、主にあって喜ぶのです。

 

主にあることが喜びだと言っているのです。

 

 

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目標を目指して(3章)

聖書の箇所は、フィリピの信徒への手紙3章12節から4章1節です。

 

●12節.わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。

 

キリストに結ばれても「既にそれを得た」わけではありませんから、ある意味、現在の安定した生活から追い出されて、不安定なところに置かれることになります。内住された御霊がその様にされるのです。

 

「それ」というのは、御霊によって完成したわたしたちの姿、新しい人間の姿です。

 

わたしたちはキリストにあってもこの世に生きているのですから肉のままです。未完成で、不完全です。

 

そういう意味で、わたしたちはすべて「求道者」と言えます。

 

だからパウロが「何とかして捕らえようと努めている」と言っているのでしょう。

 

 

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2019年8月27日 (火)

勧めの言葉(4章)

聖書の箇所は、フィリピの信徒への手紙4章2節から9節です。

 

●2節.わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。

 

●3節.なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。

 

エボディアとシンティケケと言う名が出てきました。

 

どちらも女性だと言うことです。

 

彼女らはどのような人かは、次節以降に書かれています。

 

「主において同じ思いを抱きなさい。」(2節)とありますから、二人の間にちょっとした思いの違い、確執があったのかもしれません。

 

 

 

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