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カテゴリー「エフェソの信徒への手紙を読む」の記事

2019年7月22日 (月)

前置き

この手紙は、パウロの名によって書かれていますが、用語と文体、および思想内容からして、パウロ自身の手によって書かれたものと受け取ることが困難とされています。

 

なお、パウロ自身の手によるとして、真正が問題とされない手紙は七書簡で、ローマ書、コリント書ⅠとⅡ、ガラテヤ書、フィリピ書、テサロニケ書Ⅰ、フィレモン書だと言うことです。

 

そのほかのパウロの手紙とされる、テサロニケ書Ⅱ、コロサイ書、エフェソ書などはパウロ以外の人物(パウロの協力者とか後継者)がパウロの名を用いて著した手紙であると見られています。

 

エフェソ書がなぜパウロのものとみられないかというと、パウロの福音の根幹である「信仰による義」が、本書ではほとんど扱われていなくて、あれほど問題にした「律法」は一度だけで、すでに克服されたものとして扱われている(2章15節)からです。

 

 

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2019年7月24日 (水)

挨拶(1章)

聖書の箇所は、エフェソの信徒への手紙1章1節から2節です。

●1節.神の御心によってキリスト・イエスの使徒とされたパウロから、エフェソにいる聖なる者たち、キリスト・イエスを信ずる人たちへ。

●2節.わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

 

まず、この1節と2節で分かることは、この手紙はパウロ名の書簡ですから、著者は手紙の差出人であるパウロの資格を、「神の御心によってキリスト・イエスの使徒」とされた者とし、使徒パウロの奥義の継承者として、聖なる者たちである「キリスト・イエスを信ずる人たち」(1節)にその奥義を伝え、励まそうとしているのだと思います。

 

前書きにも書きましたが、「キリスト・イエスを信ずる人たちへ」ですから、本書は特定の集会にあてられた手紙ではなく、広く「キリスト・イエスを信ずる」聖なる者たちに向かって語られた手紙で、説教、あるいは地域の諸集会に回される回状であったと考えられています。

 

「キリスト・イエス」という呼び方は、「キリストであるイエス」という意味で、「キリスト」は終わりの日の救済者、救い主の称号です。

 

なお、2節で「主イエス・キリスト」と「主」が頭についていますが、調べてみると、これは、「イエス・キリスト」がギリシヤで固有名詞化してしまったので、イエスがキリストであることを明確にするために「主」を頭につけたのではないかと言うことです。

 

神の恵みはキリストにおいて満ちあふれる(1)(1章)

聖書の箇所は、エフェソの信徒への手紙1章3節から14節です。

二回に分けて」、一回目は7節までとします。

著者は、長い神への賛美を始めます。

 

その内容は、「主イエス・キリストにおいて」与えられた祝福と恵みに対する賛美です。三位一体の神への賛美です。

賛美は、「わたしたちの主イエス・キリストの父である神は、ほめたたえられますように。」(3節)という言葉から始まります。

 

内容は、「天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選び」、キリストにあって「天のあらゆる霊的な祝福で満たして」下さった神(3節から6節)への賛美です。

 

 

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神の恵みはキリストにおいて満ちあふれる(2)(1章)

聖書の箇所は、エフェソの信徒への手紙1章3節から14節を読みます。

この段落は二回に分けて」、二回目は、8節から14節とします。

●8節.神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、

●9節.秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。

●10節.こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。天にあるものも地にあるものもキリストのもとに一つにまとめられるのです。

 

「時が満ちるに及んで、救いの業が完成され」ですから、神があらかじめ決められていた時が到来して、神の人類救済のご計画が完成した時には、キリストにあっていっさいのものが一つに集められます、ということでしょう。

 

 

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2019年7月26日 (金)

パウロの祈り(1章)

聖書の箇所は、エフェソの信徒への手紙1章15節から23節です。

著者は、前段において三位一体の神を賛美し、その賛美において、父なる神の人類救済のご計画として、キリストによる贖い、そして聖霊による証のしるしを述べました。

 

そしてここでは、この霊的祝福を主イエス・キリストの神、栄光の源である御父が、あなたがたに知恵と啓示との霊を与えることによって、神を深く知ることができるように、悟ることができるようにと祈ります。

 

●15節.こういうわけで、わたしも、あなたがたが主イエスを信じ、すべての聖なる者たちを愛していることを聞き、

 

手紙の著者は、長い祈りを始めます。

 

 

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2019年7月29日 (月)

死から命へ(2章)

聖書の箇所は、エフェソの信徒への手紙2章1節から10節です。

●1節.さて、あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。

●2節.この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んでいました。

 

1節の「過ちと罪」は複数形ですが、ここでは、律法の諸規定に対する違反行為ではなく神に背く生き方の多様性を指していると考えられています。

 

そのような生き方は、「この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者」に働く不従順な霊(21節)に従って歩んでいる生き方だと言っているのでしょう。

不従順な霊とは、悪魔とか悪霊を指しているのでしょう。

 

●3節.わたしたちも皆、こういう者たちの中にいて、以前は肉の欲望の赴くままに生活し、肉や心の欲するままに行動していたのであり、ほかの人々と同じように、生まれながら神の怒りを受けるべき者でした。

 

 

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キリストにおいて一つになる(1)(2章)

聖書の箇所は、エフェソの信徒への手紙2章11節から22節です。

二回に分けまして、(1)は16節までとします。

 

●11節.だから、心に留めておきなさい。あなたがたは以前には肉によれば異邦人であり、いわゆる手による割礼を身に受けている人々からは、割礼のない者と呼ばれていました。

 

著者は、2章1節から10節を受けて、「だから、心に留めておきなさい。」と呼びかけます。

そして、まずこの手紙の読者に、キリストに結ばれるまでの時期の姿を思い起こさせます。

 

「あなたがたは以前には肉によれば異邦人」ですから、この手紙の読者のほとんどは異邦人キリスト者なのでしょう。

 

解説では、エフェソを中心とするアジア州でのパウロの宣教活動は実を結び、パウロが去ってから後も弟子たちの働きにより福音は進展し、エフェソと周辺各都市にキリストの集会が形成され、この手紙が書かれる頃(おそらく80年代以降)は、集会に集う信徒のほとんどが異邦人であったと見られると言うことです。

 

 

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2019年8月 1日 (木)

キリストにおいて一つになる(2)(2章)

聖書の箇所は、エフェソの信徒への手紙2章11節から22節です。

二回に分けまして、(2)は17節から22節までとします。

 

●17節.キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。

 

イエスは、十字架を通して、「両者を一つの体として神と和解させ」敵意を滅ぼされたのです。

 

「敵意を滅ぼ」すとは、神はわたしたちに対する敵意を、ご自分の子イエスに置かれ、イエスを十字架に架けられることにより敵意を滅ぼされ、和解の場を設けられたと言うことでしょう。

 

あくまで和解の場を設けられただけですから、和解の告知を受け入れてその場に入るか否かはわたしたちにかかっているのです。
そのことを「平和の福音」と言っているのでしょう。

 

「キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがた(神から遠く離れていた異邦人)・・近くにいる人々(イスラエルの民)にも、平和の福音を告げ知らせられました。」ということは、当然キリストは十字架にかけられて死んでおられませんから、キリストの御霊の働きを指し、使徒たちの福音宣教において、キリストが世に来て今も働いておられるという理解が背景にあるのでしょう。

 

14節から18節の長い一文の主語はキリストと言うことですから、そういうことでしょう。

 

●18節.それで、このキリストによってわたしたち両方の者が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。

 

 

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異邦人のためのパウロの働き(3章)

聖書の箇所は、エフェソの信徒への手紙3章1節から13節です。

著者は、1章において、この霊的祝福を具体的に描きました。

 

すなわち、父なる神からの祝福、子なるキリストによる祝福、そして聖霊の祝福です。

それから2章において、この祝福を受ける前、わたしたちがどのような状態にいたのかを描きます。

 

すなわち、今は、キリストとともに生かされ、キリストにあって、神の民とさせられ、神の家族の中に入れられたことです。

 

 

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2019年8月 3日 (土)

キリストの愛を知る(3章)

聖書の箇所は、エフェソの信徒への手紙3章14節から21節です。

神のご計画があまりにも深淵で、 栄光に富み、恵みに富んでいるので、わたしたちが、その霊的祝福の中にどのように生きていけばよいのかが分からなくなってしまう、という問題があります。

そこで、著者はパウロの言葉で、エクレシア(キリストの民の集会、共同体)のために神のご計画の中に生きるための祈りを始めます。


●14節.こういうわけで、わたしは御父の前にひざまずいて祈ります。

 

著者は、自分がキリストの民に願っていることを、使徒パウロの祈りとして伝えているのでしょう。

「ひざまずいて」ですが、これは神に対する畏敬の念を表すためのものですね。

 

そして、15節を読めば祈っている相手を、親しみを込めた呼び方である「御父」と言っていますから、単にキリストの民の願っていることを祈るのではなく、わたしたちを愛してやまない人格を持った父として、親しみをもって接してくださることを願って祈っているのです。

 

●15節.御父から、天と地にあるすべての家族がその名を与えられています。

 

 

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