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カテゴリー「エフェソの信徒への手紙を読む」の記事

2019年8月13日 (火)

結びの言葉(6章)

聖書の箇所は、エフェソの信徒への手紙6章21節から24節です。

 

●21節.わたしがどういう様子でいるか、また、何をしているか、あなたがたにも知ってもらうために、ティキコがすべて話すことでしょう。彼は主に結ばれた、愛する兄弟であり、忠実に仕える者です。

 

●22節.彼をそちらに送るのは、あなたがたがわたしたちの様子を知り、彼から心に励ましを得るためなのです。

 

●23節.平和と、信仰を伴う愛が、父である神と主イエス・キリストから、兄弟たちにあるように。

 

●24節.恵みが、変わらぬ愛をもってわたしたちの主イエス・キリストを愛する、すべての人と共にあるように。

 

この手紙の著者は、結びで本書をパウロの手紙としての形式をもって結びます。

 

すなわち、パウロが他の手紙でも通例そうしているように、個人的な知らせと祝福の言葉とで結んでいます。

 

ここの祝福の言葉で、「信仰を伴う愛」は、解説によると、「信仰に伴う愛」と理解すべきではということです。

 

ティキコは、パウロがローマで鎖につながれているとき、傍で世話をしていました。

 

この手紙の著者は、このティキコから獄中のパウロの言葉を聞き、それをもとにこの手紙を書いたのかも知れません。

 

「平和と、信仰を伴う愛が、・・兄弟たちにあるように。恵みが、変わらぬ愛をもって・・主イエス・キリストを愛する、すべての人と共にあるように。」と、著者は、祈りの言葉を持って、この手紙を締めくくります。

 

 

 

悪と戦え(6章)

聖書の箇所は、エフェソの信徒への手紙6章10節から20節です。

 

●10節.最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。

 

手紙の著者は、「最後に言う」と言っています。

 

この「最後に」というのは、「残されたもの」という意味だそうです。

 

著者がこの手紙を書いて、最後に残されている大切なことを、今から書こうとしていると言うことでしょう。

 

それは、「主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。」ということです。

 

悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさいということでしょう。

 

 

 

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2019年8月11日 (日)

奴隷と主人(6章)

聖書の箇所は、エフェソの信徒への手紙6章5節から9節です。

 

●5節.奴隷たち、キリストに従うように、恐れおののき、真心を込めて、肉による主人に従いなさい。

 

今度は、奴隷と主人の関係ですが、なぜこれを取り上げたかは、奴隷もローマ社会の家族を構成する一員であったからでしょう。

 

家族の中の最も下の奴隷に「肉による主人に従いなさい。」と求めています。

 

奴隷制ローマ社会で、奴隷が主人に従うのは当然ですが、「キリストに従うように」ですから、奴隷として肉の主人に従うのを、キリストへの信仰によってということでしょう。

 

それも、「恐れおののき、真心を込めて、」従うように求めています。

 

これは現在の雇用者と被雇用者との関係にも用いられるでしょう。

 

 

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子と親(6章)

聖書の箇所は、エフェソの信徒への手紙6章1節から4節です。

 

●1節.子供たち、主に結ばれている者として両親に従いなさい。それは正しいことです。

●2節.「父と母を敬いなさい。」これは約束を伴う最初の掟です。

●3節.「そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる」という約束です。

 

5章で妻と夫の関係を語った著者は、続いて「主に結ばれている者として、両親に従いなさい」(1節)とします。

 

 

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2019年8月 9日 (金)

妻と夫(5章)

聖書の箇所は、エフェソの信徒への手紙5章21~33節です。

神に倣う歩みは三つあります。

 

一つは、キリストにおいて神の愛のうちに歩むこと、二つは、光の子どもらしく歩むこと、最後に、賢い人のように歩むことです。

神に倣う三つの歩みのためには、御霊に満たされることが必要です。

 

だから著者は、「酒に酔いしれないで、御霊に満たされなさい。」と勧めました。

そして、その御霊の満たしの現われとして、主に賛美と感謝の念がおのずと心の底から湧きあがると言っています。

不思議ですが、わたしもそのように思います。

 

ここで言っていることは、キリストに結ばれた民として、外の世界での社会生活の場面での歩み方ですが、夫と妻、親と子、主人と奴隷という家庭内の人間関係に限られています。

 

国家権力との関係とか社会人としての生き方一般は問題にされていません。

 

 

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2019年8月 7日 (水)

新しい生き方(2)(4章)

聖書の箇所は、エフェソの信徒への手紙4章25節から5章5節です。

二回に分けまして、(2)は5章1節から5章5節までとします。

 

●5章1節.あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者となりなさい。

 

「神に愛されている子供」ですが、子供は親が言うこと、行なうことを真似しながら生きています。

それと同じように、わたしたちも神に愛されている子供として、親である神に倣う者になりなさいということでしょう。

「神に倣う者」とは、ギリシヤ語では、「模倣する」とか「真似をする」という意味だそうです。

 

32節で、「神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように」、それを基準に赦し合いなさいとと言われても、到底自分にはできない高尚な生き方だなあ、と感じてしまのですが、神に倣う者に、すなわち、神の物まねをしたらできると言われているのですね。

 

 

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新しい生き方(1)(4章)

聖書の箇所は、エフェソの信徒への手紙4章25節から5章5節です。

二回に分けまして、(1)は4章32節までとします。

 

●25節.だから、偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。わたしたちは、互いに体の一部なのです。

 

先の17節から24節でキリストに属する者の在り方と歩みについての原則を語り、ここではその原則を日常の生活の中で実現するための具体的な方法を語っています。

 

24節を受けて、「だから、」と切り出します。

「偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を」進んで語ることが求められます。

 

真実を語る「隣人」は、「隣人を愛しなさい」の隣人ですから、キリストの民の共同体であるエクレシアの交わりの中にいる兄弟を指しているのでしょう。

 

 

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2019年8月 5日 (月)

古い生き方を捨てる(4章)

聖書の箇所は、エフェソの信徒への手紙4章17節から24節です。

 

著者はまずエクレシア(召された者の集まり)を構成する信徒に対して「御霊の一致」を追求すべきことを強調しました(4章1節から16節)。
ここではエクレシアの外に目を向けます。

エクレシアの外の世界は異邦人(ユダヤ人以外の諸国民)の世界です。

 

著者は、外の異邦人と比べてキリストの民の一員としての歩み方を説きます。

ただしここの異邦人は、非ユダヤ人全般を指すのではなく、エクレシアの交わりの外にいる人たち、すなわちキリスト教徒ではない「異教徒」という意味で用いられていると思います。

 

●17節.そこで、わたしは主によって強く勧めます。もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。彼らは愚かな考えに従って歩み、
著者は、パウロの言葉で(実際にパウロはその様に言っていたのでしょう)勧告します。

 

それは、「異邦人と同じように歩んではなりません。」です。

 

 

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キリストの体は一つ(2)(4章)

聖書の箇所は、エフェソの信徒への手紙4章1節から16節です。

二回に分けまして、(2)は11節から16節までとします。

 

●11節.そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師とされたのです。

 

4章8節の「人々に賜物を分け与えられた」を受けて、エクレシアに与えられた様々な賜物を「そして、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を福音宣教者、ある人を牧者、教師」とされたのですとします。

 

ここで上げられているエクレシアに与えられた様々な賜物は、コリントの信徒への手紙一12章12節から28節と較べると、「奇跡を行う者、病気を癒す者、異言を語る者」というような、いわゆる「カリスマ的」な霊能者が欠けていて、「使徒、預言者、宣教者、牧者、教師」というような役職的な働きだけになっています。

 

これは、パウロの時代とこの手紙が書かれた時代の時代背景が違っているからでしょう。

 

つまり、この時代は(80年ごろ)御霊の働きと共に、大きくなったエクレシア(キリストの共同体)の運営のために働きとして、使徒以下の役職が重要視されるようになり、このように列挙されたのではないでしょうか。

 

 

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2019年8月 3日 (土)

キリストの体は一つ(1)(4章)

聖書の箇所は、エフェソの信徒への手紙4章1節から16節です。

二回に分けまして、(1)は1節から10節までとします。

 

●1節.そこで、主に結ばれて囚人となっているわたしはあなたがたに勧めます。神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、

●2節.一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、

●3節.平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。

 

著者はまず、「神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、」なさい。と、キリストの民の歩み方についての基本的なあり方を述べます(1節)。

 

 

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