前置き
この手紙は、パウロの名によって書かれていますが、用語と文体、および思想内容からして、パウロ自身の手によって書かれたものと受け取ることが困難とされています。
なお、パウロ自身の手によるとして、真正が問題とされない手紙は七書簡で、ローマ書、コリント書ⅠとⅡ、ガラテヤ書、フィリピ書、テサロニケ書Ⅰ、フィレモン書だと言うことです。
そのほかのパウロの手紙とされる、テサロニケ書Ⅱ、コロサイ書、エフェソ書などはパウロ以外の人物(パウロの協力者とか後継者)がパウロの名を用いて著した手紙であると見られています。
エフェソ書がなぜパウロのものとみられないかというと、パウロの福音の根幹である「信仰による義」が、本書ではほとんど扱われていなくて、あれほど問題にした「律法」は一度だけで、すでに克服されたものとして扱われている(2章15節)からです。
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