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カテゴリー「一世紀のキリスト教」の記事

2016年2月 6日 (土)

イエスを待ちわびて

参考とする聖句は次の通りです。

●ルカの福音書18章1節「イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。

●同2節.ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。

●同3節.ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。

●同4節.裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。

●同5節.しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」

この箇所は、前段の「神の国が来る」(ルカの福音書17章)の流れから、また、内容的にも、神の国到来のことを扱っていると理解できるし、再臨遅延の問題を扱っているのは明らかです。

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2016年2月 2日 (火)

エルサレム神殿崩壊後

紀元70年にエルサレムはローマ軍によって破壊され、ユダヤ教の神殿も破壊されました。

この事件は、ユダヤ教内のキリスト信仰として、ある意味、ユダヤ教の庇護の下で生き延びてきた「イエスをキリストと告知する福音宣教運動」にも大きな影響を及ぼすことになります。

ユダヤ教は、エルサレムの神殿崩壊により、神殿を権力の基盤としていたサドカイ派祭司階級は没落し、ユダヤ戦争に参加したエッセネ派も、本拠地クムランをローマ軍によって破壊され勢いを失います。

もちろんユダヤ戦争を主導した熱心党は壊滅します。

したがって、エルサレム神殿破壊後のユダヤ教を担ったのは、ファリサイ派のラビたちだけとなりました。

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2016年2月 1日 (月)

イエスの再臨を待つエルサレム共同体

イエスが過越祭のときに十字架刑によって処刑されたのを見て、ペトロたちは巻き添えを食うのを恐れてエルサレムから故郷ガリラヤに逃げ帰ります。

故郷に逃げ帰ったペトロたちは、もともとガリラヤの漁師であったので、漁師の仕事に戻ります。
そのペトロたちに復活されたイエスが姿を現します。

ペトロら弟子たちがガリラヤに戻って復活者したイエスに会った体験は、生前のイエス(あるいは天使)が告知していることでもありました(マルコ14章28節、16章7節)。

おそらくイエスは、弟子たちが逃げ帰るのをご存じであったので、そのように告知したのでしょう。

それでは、なぜユダヤ教の最高法院などエルサレムのユダヤ教指導層を恐れてガリラヤに逃げ帰っていたペトロら弟子たちが、復活したイエスに故郷ガリラヤで会った後、再び危険なエルサレムに戻ってきて、エルサレムに在住していた信徒と共に集まり再起を図ったのでしょうか。

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2016年1月27日 (水)

アンティオキア教会

パウロは、アンティオキア教会の指導的な一員として、二度のエルサレム訪問の間十四年を過ごしたと思います。

三度にわたる宣教旅行もこの教会を拠点として行われたと思います。

アンティオキア教会の成立の経緯は、エルサレム教会におけるステファノの殉教事件をきっかけにして起こった迫害のために、エルサレムから散らされたヘレニストのエルサレム共同体のギリシア語系ユダヤ人信徒が離散先であるアンティオキアでユダヤ人以外の、すなわち、ギリシア語を話す人々に初めて独自で主キリストの福音を伝えたのが始まりと言われています。

その宣教活動において、多くの非ユダヤ人(ユダヤ人から見れば「異邦人」)が信仰に入り、アンティオキアにユダヤ人と異邦人の両方を含む集会が成立します。

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2016年1月26日 (火)

熱心党

熱心党とは、ユダヤ民族の独立(この時はローマ帝国から)を現実的に切望する急進的集団で、手段を選ばないで、すなわち、暴力を以ってでも目的を遂行しようという当時の急進的な組織です。

エルサレム崩壊に導いたのは、この熱心党だと言われています。

熱心党は、紀元6年からエルサレム崩壊までの70年までの間、エルサレムに大きな影響を及ぼします。

聖書を読む上で大切なことと思いますので調べてまとめておきます。

先祖からの伝承(律法)を守るのに熱心なユダヤ教運動の流れは、ハスモニア時代とヘロデの時代を通してずっと続いていました。

紀元6年にアルケラオスが追放されて、ユダヤはローマ皇帝直属の属州となりました。それにともなって、人口調査がローマの手によって行われました。

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2016年1月23日 (土)

パウロとユダヤ教

パウロはキリキアのタルソスでユダヤ人を両親(フィリピ3章5節)として生まれました(使徒言行録9章11節、22章3節など)。

タルソスの町はキリキア州の州都で、経済的に豊かであっただけでなく、文化的にもアテネやアレキサンドリアと同様ギリシア文化が栄えた都市でした。

ステファノが殉教した時に、「サウロという若者」(使徒言行録7章58節、パウロのこと)がいたとありますから、彼はイエスよりは若かったのかもしれません。

解説には、パウロが生まれたのは紀元後10年前後くらいではないかとあります。

言語は、ギリシア語を母語とし、ギリシア語の初等教育を受けたことは確かとみられています。

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2016年1月22日 (金)

パウロの人類救済史

パウロは、イスラエルの民に臨まれた天地万物の創造者である神は唯一で、その神がアブラハムを選び(同時に子孫であるイスラエル民族をご自身の民として選び)、人類を救済する働きを進めておられると理解していたはずです。

それはイスラエルの歴史そのものなのです。その歴史を著す旧約聖書は、イスラエルの神話であり歴史です。

救済史とは、人類を罪の中から救いあげるための神のご計画であり、そのご計画は人類の歴史の中でなされていると言う理解です。

キリスト教は、そういう見方で神の救いの働きを見る宗教です。

よって、神の人類救済史を明らかにする書です。ほかの宗教とはずいぶん違うと思いませんか。

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2016年1月18日 (月)

パウロの宣教活動

キリストの民を捕縛するためにダマスコに向かっていたパウロは、強い光に打たれて倒れます。

パウロとイエスは同年代の人物で、どちらも有名人で、ユダヤ人ですから、パウロはダマスコでの出来事でキリストに会うのですが、それより前にイエスを知っていたと思います。

パウロは、熱心なユダヤ教徒で、律法学者(フワリサイ派)として、イエスを信じるギリシア語を話す離散ユダヤ人がモーセ律法と神殿祭儀について批判的な態度をとるのを見て、彼らの教師であるイエスとその弟子たちを許すことができなかったのでしょう。

したがって、パウロは最初、キリスト教徒の迫害者としてイエスの弟子たちの前に現れたのです。

パウロの劇的な回心ですが、パウロがダマスコの信徒を捕縛しようとしてダマスコ途上を急いでいたときにパウロは突然強い光に打たれて倒れます。

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2016年1月16日 (土)

イエス当時のユダヤ教諸派

生まれたばかりのイエスをメシアと信じる人々が集まるエルサレム共同体を周囲のユダヤ教社会は迫害しました。

その迫害の内容を調べましたので、簡潔にまとめて書いておきます。

当時の時代背景を知ることは、福音書の理解に大切だと思うからです。

というのは、ユダヤ教社会と言っても、それは一色ではないからです。

ユダヤ教は、当時サドカイ派、ファリサイ派、エッセネ派の三派でした。

その三つの派のエルサレムのキリスト共同体に対する対応は一律ではなくそれぞれ違った対応をしています。

他にも「熱心党」というのがありますが、ユダヤ教の一派ではないとする説がありますのでここでは省略します。
使徒たちを逮捕し、死刑の判決を下そうとしたのはサドカイ派だということです。

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2016年1月15日 (金)

聖霊降臨(ペンテコステ)

まず、使徒言行録の聖霊降臨の時の様子は次の通りです。

2章1節.五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、

2節.突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。3節.そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。

4節.すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。

1節の五旬節(ペンテコステ)とは、過越祭と仮庵祭と並んで、ユダヤ教の三大巡礼祭の一つです。

「五旬祭の日」は、春先の過越祭の五十日後に行われます(七週の祭りともいわれます)。

昔は「刈り入れの祭り」と呼ばれ、小麦の刈り入れの祭りでした(出エジプト34章22節)。

過越祭を構成する「種入れぬパンの祭り」が穀物の収穫の開始を告げたのに対し、わずか一日の五旬節の祭りが収穫の結びを飾ることになります。

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