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カテゴリー「ローマの信徒への手紙を読む」の記事

2019年2月 8日 (金)

前置き ローマの信徒への手紙

ローマの信徒への手紙の著者パウロの晩年(殉教に至るまで)は、諸説あってよくわからないそうです。

使徒言行録もローマ帝国による軟禁状態で終わっています。

判決も処刑があったかどうかも書かれていません。

使徒言行録の著者ルカは、そのことを知りながら書かなかったのか、書けなかったのかも不明です。

殉教した年度も、聖書学者M.ヘンゲルはローマで紀元64年ころ、新共同訳新約聖書注解の年表では紀元60年頃、岩波キリスト教辞典年表では、紀元64~67年頃とまちまちです。

いずれにしても、ユダヤ戦争(紀元70年にイスラエル崩壊)以前です。

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挨拶

聖書の箇所は、ローマの信徒への手紙1章1節から7節です。

パウロはいまアカイア州の州都コリントにいます。

パウロはこの土地で、冬の三ヶ月(55年から56年にかけての冬)を過ごしたということです。

パウロは、エルサレムの聖徒たちを援助すべく、マケドニア州とアカイア州の諸集会(フィリピ、 テサロニケ、コリントなど)で集めた献金を携えて、この諸集会の代表者たちと一緒にエルサレムへ向かうために、春になって海路が再開されるのを待っていたのでしょう。

この募金活動はパウロにとって異邦人への使徒としての自分の福音活動を受け入れてもらうためにどうしても成し遂げなければならない事業でした。

それは、イスラエル教会はキリスト教会の本家本元ですから、本家本元の了解なくてキリストの諸集会は成り立たないからです。

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ローマ訪問の願い

聖書の箇所は、ローマの信徒への手紙1章8節から15節です。

●8節.まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。

●9節.わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています。その神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、

●10節.何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。

パウロは8節で、「あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられている」ことを神に感謝しています。

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2019年2月10日 (日)

福音の力

聖書の箇所は、ローマの信徒への手紙1章16節から17節です。

●16節.わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。

パウロは「福音を恥としない」と言っています。

福音とは、一人のユダヤ人イエスが主であり世界の救済者であると宣べ伝えることです。

「恥としない」というのは、そのイエスがローマ総督によって罪人として十字架刑で処刑されましたが、そのような者を主であるとか世界の救済者であるとすることは、当時の偉大なギリシア・ローマ文明の世界から見れば愚かさの極みと見られていましたのでその様に表現したのだと思います。

そして、パウロは「福音は、・・信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。」と続け、その理由を述べています。

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人類の罪

聖書の箇所は、ローマの信徒への手紙1章18節から32節です。

●18節.不義によって真理の働きを妨げる人間のあらゆる不信心と不義に対して、神は天から怒りを現されます。

●19節.なぜなら、神について知りうる事柄は、彼らにも明らかだからです。神がそれを示されたのです。

●20節.世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。従って、彼らには弁解の余地がありません。

パウロは、前置きで、「信じる者すべてに救いをもたらす神の力」(16節)は、ユダヤ人であるかギリシア人(ユダヤ人以外の諸民族を代表しての意味)であるかに関係なく、「すべて信じる者に」働くのだと言っています。

神の力を信じなければ、神はその人に働きようがないのです。

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2019年2月12日 (火)

神の正しい裁き

聖書の箇所は、ローマの信徒への手紙2章1節から16節です。

●1節.だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。あなたも人を裁いて、同じことをしているからです。

パウロは1章で神に背いている人間の性の混乱と偶像崇拝の結果としての普遍的な姿を描いてきました。

パウロは、ここで自分を裁く側の立場に置いている者はユダヤ人であることを十分承知した上で、「すべて人を裁く者よ」と呼びかけます。

パウロがこのようにすべて人を裁く者と言っている相手は、17節で「ユダヤ人」であることは明確ですが、わたしはこのすべてには、キリスト教徒であれ、その他のどのような宗教の人であれ、もし自分を正しい者、裁かれる立場の者ではないとして他者を裁くならば、そのような人はここで言う「すべて人を裁く者よ」の中に含まれると思うのです。

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2019年2月14日 (木)

ユダヤ人と律法(1)

聖書の箇所は、ローマの信徒への手紙2章17節から29節です。

パウロは、創造者である唯一の神から離れて偶像を拝むユダヤ人以外の諸国民の人間性の退廃を非難してきましたが、この非難はユダヤ教徒の異邦人(異教徒)への非難(裁き)でもありました(2章1節から16節)。

そして、ここ17節から20節で、律法を持つことを誇りとするユダヤ人たちの誇る意識を具体的に取り上げて、羅列しています。

その様な強烈な選民意識を持って、ユダヤ人は異教徒たちの偶像宗教を非難し、唯一の創造神を拝む自分たちを誇り、自分たちを周囲の諸宗教の民と区別していました。

ユダヤ教をルーツとする宗教以外の宗教は、ほとんどが多神教だと思いますので、唯一の神というのが誇りであったのでしょう。

●17節.ところで、あなたはユダヤ人と名乗り、律法に頼り、神を誇りとし、

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ユダヤ人と律法(2)

聖書の箇所は、ローマの信徒への手紙3章1節から8節です。

●1節.では、ユダヤ人の優れた点は何か。割礼の利益は何か。

パウロは2章17節から29節で述べたように、ユダヤ人が神から与えられ守るように命じられた律法とか割礼は、パウロが言う通りならば、終わりの日の裁きの時には何の意味も持たないことになります。

そうであれば、ユダヤ人の数千年にわたる神との歴史は何であったのかということでしょう。

そこで「ユダヤ人の優れた点は何か。割礼の利益は何か。」を次節以降で取り上げます。

●2節.それはあらゆる面からいろいろ指摘できます。まず、彼らは神の言葉をゆだねられたのです。

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2019年2月16日 (土)

正しいものは一人もいない

聖書の箇所は、ローマの信徒への手紙3章9節から20節です。

●9節.では、どうなのか。わたしたちには優れた点があるのでしょうか。全くありません。既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです。

「わたしたち」とは、ユダヤ人を指し、この箇所は、ユダヤ人は異邦人より優れたところがあるのかと設問しているのでしょう。

同時に、パウロ自身もユダヤ人なのですが、パウロは自分自身も含めて「わたしたちには優れた点があるのでしょうか。全くありません。」と優れたところがないと否定しています。

そして、その理由として、「既に指摘したように、ユダヤ人もギリシア人も皆、罪の下にあるのです。」(9節後半)と言っています。

すなわち人間としてユダヤ人は特別ではなく異邦人と同じように罪の下にあると言っているのでしょう。

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信仰による義

聖書の箇所は、ローマの信徒への手紙3章21節から31節です。

●21節.ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。

「ところが今や、」とパウロは イエス・キリストの出現によって、神の救済史は新しい段階に入ったことを宣言します。

それは神の恩恵による義という光が全人類にもたらされたのです。

イエスの登場により、人類救済のみ業としてのイスラエルの時代は終わり、罪の支配の下にある人間すべてに神の怒りが注がれている時代は終わりました。

神はご自分に敵対する力が支配し、義人が迫害される現在の世(時代)からご自分に敵対する力が打ち砕かれて、神の支配が実現し、義人たちが栄光を受ける世(時代)、来るべき新しい世が始まったことを宣言したのです。

この新しい世は、キリストの復活によって始まったのですから、パウロは復活したキリストとの遭遇と、その後の自分の身に起こっている現実を宣言しているのです。

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