神への賛美(16章)
聖書の箇所は、ローマの信徒への手紙16章25節から27節です。
●25節.神は、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって、あなたがたを強めることがおできになります。この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するものです。
●26節.その計画は今や現されて、永遠の神の命令のままに、預言者たちの書き物を通して、信仰による従順に導くため、すべての異邦人に知られるようになりました。
聖書の箇所は、ローマの信徒への手紙16章25節から27節です。
●25節.神は、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって、あなたがたを強めることがおできになります。この福音は、世々にわたって隠されていた、秘められた計画を啓示するものです。
●26節.その計画は今や現されて、永遠の神の命令のままに、預言者たちの書き物を通して、信仰による従順に導くため、すべての異邦人に知られるようになりました。
聖書の箇所は、ローマの信徒への手紙16章17節から24節です。
●17節.兄弟たち、あなたがたに勧めます。あなたがたの学んだ教えに反して、不和やつまずきをもたらす人々を警戒しなさい。彼らから遠ざかりなさい。
パウロは、何か心配事をもっているのでしょう。
手紙の最後に「あなたがたの学んだ教えに反して、不和やつまずきをもたらす人々」に警戒しなさいと付け加えています
これまで気になりながら明言してなかった心配事を、最後に書かないではおれなかったのでしょう。
その心配事である「あなたがたが学んだ教え」とは、伝えられて学んだ「教え」(教えの規範ともいわれています)ですから、福音の基本的な内容を指しているのでしょう。
このような福音の基本的な教えに反した教えを持ち込んで、「不和やつまずきをもたらす人々」は、集会内での異なった意見を持つ人たちや批判する人たちを指すのではなく、外から入ってきて、「異なる福音」によって集会を分裂させ、信徒をつまずかせようとする人たちを指しているのではないでしょうか。
聖書の箇所は、ローマの信徒への手紙16章1節から16節です。
この16章の全部または一部が、別の手紙が付け加えられたものではないかという問題があるそうですが、その様なことはこの手紙を読むのにあまり関係なさそうですのでわたしは深入りしません。
●1節.ケンクレアイの教会の奉仕者でもある、わたしたちの姉妹フェベを紹介します。
この1節と2節は、姉妹フェベの紹介状です。
この姉妹と言うのは親族関係の姉妹ではなく、キリストにある者の兄弟姉妹のことでしょう。
姉妹フェベがこのローマ書を携えてローマの集会に行ったことになります。
解説によると、「フェベ」という女性名は、ギリシア神話の「フォイベ」からきていて、当時、奴隷には神話の中の名をつけ、解放された後も
聖書の箇所は、ローマの信徒への手紙15章22節から33節です。
●22節.こういうわけで、あなたがたのところに何度も行こうと思いながら、妨げられてきました。
「こういうわけで」というのは、14節から21節でパウロが言っているように、異邦人への使徒としての使命から、「キリストの名がまだ知られていない所で福音を告げ知らせる」働きを果たさなければならないという事情を指しているのでしょう。
「何度も行こうと思いながら、」ですから、そういう事情があるがローマを訪れることはすぐにはできなかったと言い訳しているのでしょう。
聖書の箇所は、ローマの信徒への手紙15章14節から21節です。
●14節.兄弟たち、あなたがた自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができると、このわたしは確信しています。
パウロは、「兄弟たち」と同じ志を持つ兄弟として親しみをこめて呼びかけます。
パウロはまだ一度もあっていない兄弟に「あなたがた自身は善意に満ち、あらゆる知識で満たされ、互いに戒め合うことができると、このわたしは確信しています。」と語ったのは、ローマの集会に対する配慮でしょう。
「かなり思い切って書きました。」というのは、パウロはこの手紙を、とくにユダヤ人キリスト信徒を念頭において書いているのですが、その中には「ところどころ」ユダヤ人キリスト信徒が驚くようなこと(その理由は15節以降)を「かなり思い切って」書いたと意識しているのでしょう。
聖書の箇所は、ローマの信徒への手紙15章7節から13節です。
●7節.だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。
ユダヤ教律法の食物規定の問題で対立するローマの信徒たちに対して、パウロは「キリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。」と互いに受け入れることを求めます。
キリストに属する民として、あなたたちが互いに受け入れるならば、それは神の栄光を顕すことになり、互いに受け入れず裁き合うならば、それは神の栄光を傷つけることになる。だから「神の栄光のために」互いに受け入れなさいと言うことでしょう。
●8節.わたしは言う。キリストは神の真実を現すために、割礼ある者たちに仕える者となられたのです。それは、先祖たちに対する約束を確証されるためであり、
聖書の箇所は、ローマの信徒への手紙14章13節から23節です。
●13節.従って、もう互いに裁き合わないようにしよう。むしろ、つまずきとなるものや、妨げとなるものを、兄弟の前に置かないように決心しなさい。
おじさんの聖書 お知らせ ちょっと寄り道 アモス書を読む イエス・キリストの預言 イザヤ書を読む エゼキエル書を読む エフェソの信徒への手紙を読む エレミヤ書を読む オバデヤ書を読む ガラテヤの信徒への手紙を読む キリスト教とは コヘレトの言葉 コリントの信徒への手紙一を読む コリントの信徒への手紙二を読む コロサイの信徒への手紙を読む ゼカリヤ書を読む ゼファニヤ書を読む ダニエル書を読む テサロニケの信徒への手紙一を読む テサロニケの信徒への手紙二を読む テトスへの手紙を読む テモテへの手紙ニを読む テモテへの手紙一を読む ナホム書を読む ハガイ書を読む ハバクク書を読む フィリピの信徒への手紙を読む フィレモンへの手紙を読む ヘブライ人への手紙を読む ペトロの手紙一を読む ペトロの手紙二を読む ホセア書を読む マラキ書を読む ミカ書を読む ヤコブの手紙を読む ユダの手紙を読む ヨエル書を読む ヨナ書を読む ヨハネの手紙を読む ヨハネの福音書を読む ヨハネの黙示録を読む ローマの信徒への手紙を読む 一世紀のキリスト教 使徒言行録を読む 共観福音書を読む 出エジプト記を読む 創世記を読む 娘の部屋 心に残る聖書の言葉 箴言を読む 聖書と人生 聖書のよもやま話 聖書の疑問いろいろ
最近のコメント