前置き
このコリントの信徒への手紙二は、コリントの信徒への手紙一から三年ほどのち、紀元50年代半ばころに書かれた手紙だということです。
パウロはエフェソにいるときクロエの家の者から、コリントにある教会にいろいろと問題が生じていることを聞きました(コリントの信徒への手紙一1章11節)のでパウロは、彼らの過ちを正すために厳しい手紙をテモテに託し、テモテはコリントに持っていったようですが、問題は解決しなかったようです。
パウロは五旬節が終わってからコリントに出発する予定(コリントの信徒への手紙16章8節)でしたが、思いがけない事情で果たせなくなります。
それは次の二つの大きな問題を抱えていたからでしょう。
その一つは、エフェソの集会の問題。もう一つはコリントの集会の問題です。
問題の内容を調べてみますと、最初のエフェソの集会の問題は、パウロがエフェソにいたとき、パウロがテモテとエラストの二人をマケドニア州に送り出すのですが、二人を送り出した後で、アルテミス神殿の銀細工師デメテリオの扇動によって「ただならぬ騒動が起こった」(使徒言行録19章21節から41節)ことが伝えられています。
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