聖書の箇所は、コリントの信徒への手紙二11章16節から33節です。
●16節.もう一度言います。だれもわたしを愚か者と思わないでほしい。しかし、もしあなたがたがそう思うなら、わたしを愚か者と見なすがよい。そうすれば、わたしも少しは誇ることができる。
●17節.わたしがこれから話すことは、主の御心に従ってではなく、愚か者のように誇れると確信して話すのです。
17節の背景には、「愚か者にはその無知にふさわしい答えをせよ。彼が自分を賢者だと思い込まぬために。」(箴言26章5節)があるのでしょう。
自分が正しいことを話しても、コリントの人たちは外から来た偽使徒の影響を受けて、愚かな議論の中の渦中にありますから、パウロの言っていることが耳に入りません。
解説には、コリントの人々は、パウロがどのような人物なのか、その信用証明書のようなものが、どうしてもほしかったのではということです。
いわゆる、学歴とか、社会的地位とか、神学校を出ているとか、ここで言えばエルサレム共同体の使徒の証明書を持っているかでしょうか、その様なことでしょう。
パウロにとって、そのようなことはどうでもよかったのでしょう。
もし、その様なものが使徒として必要ならば、主にあって誇るのではなく、肉によって誇ることになるからです。
しかし、コリントの人たちが、彼らが判断する基準で、使徒としてどのような資格をパウロが持っているかを知れば、そのことによって彼らがキリストの福音から離れないで済むならば、すなわち、「もしあなたがたがそう思うなら、わたしを愚か者と見なすがよい。そうすれば、わたしも少しは誇ることができる。」(16節)と言って、自分のことを話します。
●18節.多くの者が肉に従って誇っているので、わたしも誇ることにしよう。
●19節.賢いあなたがたのことだから、喜んで愚か者たちを我慢してくれるでしょう。
かなり皮肉を込めた言い方です。
パウロは自分を愚か者として、偽使徒たちに影響されたコリントの人々を賢い者として、闇に高慢な態度を指摘しています。
●20節.実際、あなたがたはだれかに奴隷にされても、食い物にされても、取り上げられても、横柄な態度に出られても、顔を殴りつけられても、我慢しています。
パウロは、またまたコリントの人々に皮肉をこめて言います。
しかし、「奴隷にされても、食い物にされても、取り上げられても、横柄な態度に出られても、顔を殴りつけられても、」(20節)というのは、偽使徒たちがコリントの人たちに行ったことをそのまま言っているのでしょう。
彼らは信徒たちを奴隷のように酷使し、金を巻き上げ、横柄な態度で、暴力を振るいます。
パウロはコリントの人たちに、それでも「我慢している。」と皮肉をこめて言っているのです。
●21節.言うのも恥ずかしいことですが、わたしたちの態度は弱すぎたのです。だれかが何かのことであえて誇ろうとするなら、愚か者になったつもりで言いますが、わたしもあえて誇ろう。
「わたしたちの態度は弱すぎたのです。」とパウロは言っています。
そして、「愚か者になったつもりで・・・誇ろう。」です。
今まで自分の態度が弱すぎたから「わたしもあえて誇ろう」、つまり、自慢話をしょうということです。
自分の今までの実績を何も語らないままならば、コリントの人々はパウロの使徒としての資格に不信感を持ったままだからでしょう。
パウロの本心は誇りたくないが、必要ならば、愚か者になったつもりで誇りますと言っているのでしょう。
●22節.彼らはヘブライ人なのか。わたしもそうです。イスラエル人なのか。わたしもそうです。アブラハムの子孫なのか。わたしもそうです。
偽使徒たちがヘブライ人であることを誇るなら、自分もそうである。
イスラエル人であることを誇るなら、自分もそうである。
アブラハムの子孫だと誇るならばわたしもそうである、とパウロは言っているのでしょう。
●23節.キリストに仕える者なのか。気が変になったように言いますが、わたしは彼ら以上にそうなのです。苦労したことはずっと多く、投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。
パウロは、偽使徒たちがキリストに仕える者であることを誇るなら、自分は彼ら以上にそうなのだと、「気が変になったように言いますが」言わないではおれないのです。
ここからパウロは、伝道生活の生涯で体験した苦難を具体的にあげます。
なお、23節から25節はそれぞれの苦難体験の回数が数えられており、26節と28節は、出会った苦難の羅列です。
●24節.ユダヤ人から四十に一つ足りない鞭を受けたことが五度。
●25節.鞭で打たれたことが三度、石を投げつけられたことが一度、難船したことが三度。一昼夜海上に漂ったこともありました。
●26節.しばしば旅をし、川の難、盗賊の難、同胞からの難、異邦人からの難、町での難、荒れ野での難、海上の難、偽の兄弟たちからの難に遭い、
●27節.苦労し、骨折って、しばしば眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べずにおり、寒さに凍え、裸でいたこともありました。
彼ら偽使徒は、自分たちのことをキリストに仕える者と言っていました。
それに対しパウロは、自分が(彼ら以上に)どのようなことを行なってきたか、どのような目にあってきたかを強調します(27節まで)。
「気が変に」ですから、そのようなパウロの行動は、人々に気が変になったと受け止めたのでしょう。
●28節.このほかにもまだあるが、その上に、日々わたしに迫るやっかい事、あらゆる教会についての心配事があります。
パウロには、23節から27節で語ったこと以外に、「あらゆる教会についての心配事」がありました。
●29節.だれかが弱っているなら、わたしは弱らないでいられるでしょうか。だれかがつまずくなら、わたしが心を燃やさないでいられるでしょうか。
パウロは、「あらゆる教会についての心配事」がありながらも、誰かが弱っている時には弱り、誰かが躓いているなら心を燃やさざるを得ないと言っています。
キリストのある兄弟姉妹と自分はいつも、どのような時にも共にいると言っているのです。
●30節.誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう。
パウロは、誇ることがあるならば「弱さにかかわる事柄」を誇りましょうと言っています。
パウロが誇りとしていたのは、こうした弱さだったのです。それは、キリストと同じ道を歩むというものでした。
キリストの恵みは、弱さの中で最も発揮されるのです。パウロの根幹にあるのは、主にある喜びなのです。
●31節.主イエスの父である神、永遠にほめたたえられるべき方は、わたしが偽りを言っていないことをご存じです。
●32節.ダマスコでアレタ王の代官が、わたしを捕らえようとして、ダマスコの人たちの町を見張っていたとき、
●33節.わたしは、窓から籠で城壁づたいにつり降ろされて、彼の手を逃れたのでした。
23節では、「投獄されたこともずっと多く、鞭打たれたことは比較できないほど多く、死ぬような目に遭ったことも度々でした。」とあります。
この投獄は、もちろん、死刑を覚悟するような出来事でした。
それも何回もありました。
鞭打ちでも、ユダヤ教会堂による四十に一つ足りない鞭打ち刑(24節)が五度、ローマ法廷における鞭打ちが三度(25節)、石打ち刑が一度(25節)と具体的に列挙されています。
これらのことも多くは命を失うような危険な刑でした。
そのほか、伝道旅行においても色々な災難にあったことを羅列しています。
そして最後に、ダマスコにおいて、籠で城壁からつり降ろされて迫害を逃れた体験がつけ加えられています。
こうしてパウロは、キリストのゆえに受けた苦難の数々と大きさをあげて、自分がキリストの使徒であることの確かさを主張しているのです。
こうして見ると、パウロは偽使徒と比較するのに不思議な技や奇跡を誇らないで、苦しめられ痛めつけられた体験の大きさを誇っているのです。
そうです、「誇る必要があるなら、わたしの弱さにかかわる事柄を誇りましょう」(30節、12章9節参照)といって、強さを誇らずに、キリストにあって死に至る迫害に遭った弱さを誇っているのです。
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