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カテゴリー「聖書の疑問いろいろ」の記事

2017年8月24日 (木)

新約聖書が生まれた経緯

わたしは聖書のことをあれこれ書いていますが、その知識は、わたしが聖書を読み研究者の書かれた本を読み得たものです。

 

わたしは神学者でもなく、聖職者でもありませんから知識は浅いものです。

 

でも、普通の人が初めて福音書を読むに際し、理解する為の手助けになれる程度にはまとめられるかなと思っています。
ですから、参考程度に読んでいただければ幸いです。

 

まず、福音書とは、一言で言えば、イエスの福音をまとめたもの、証するものだと思います。

 

それでは、福音とはなんぞやですが、一言で言うと、福音とは、復活されたイエスを神の右(神の次に権威ある地位)に上げられた主キリストとして告げ知らせる良き知らせと言うことでしょう。

 

そう、キリストがこの地上にお生まれになったことは神からいただいた祝福なのです。

 

その良き知らせは、イエスの地上での出来事、語られたことが歴史上の出来事としての背景を持って証されます。それが福音の根本と言えます。

 

 

 

 

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2017年8月20日 (日)

イエスが生きておられた時代

聖書を読むについて参考になると思いますので、2000年前のイエスがこの世に生きておられた時代のイスラエルの社会状況を垣間見てみたいと思います。

調べましたので、簡単にまとめておきます。

間違っているかもしれませんが、ご容赦ください。

聖書、特に新約聖書を読むに、当時の時代背景を知っておくのは決して無駄ではないと思うのです。

当時のイスラエルの社会(ユダヤ人社会=ユダヤ教を信じる人々の社会)は神権社会でした。

従って、権威ある最高の存在は神でした。

神と神の民の社会です。

その神と神の民の関係は、律法と神殿祭儀により保証されていました。

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2017年8月18日 (金)

聖書という書物

聖書は小説のように、一人の作者が、一つの物語として全体的に一貫性をもって書いたものではありません。

たとえば、「創世紀」とか「イザヤ書」とか「マタイの福音書」とか「ヨハネの黙示録」などこれらはそれぞれ書かれた年代も成立状況も著者も違う独立したテキストです。

書いた人も場所も、著者の職業も教養も境遇も異なっていて、書かれた年代も違っているので著者が互いに連絡することもできない状況で書かれています。

登場人物には、羊飼いがあり、貧乏人があり、放浪者があり、国王があり、金持ちがあり、宮廷の大臣があり、罪人があり、奴隷や囚人もでてきます。

 

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2012年3月20日 (火)

福音書について(3)

「福音書について(2)」からです。最終です。

神が聖書の編成を人間の手にゆだねられたということは、神は自分の意志を人間に伝えるのに、まことに人間らしい方法を取られたということではないでしょうか。

人間らしい方法と言えば、キリスト教の福音伝道も同じです。

個人から個人に神の言葉を伝えていくという誠に手間のかかる方法です。

神は自分の意志を伝えるのにこのような方法をあえてとられたのです。

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2012年3月17日 (土)

福音書について(2)

「福音書について(1)」からの続きです。

さて福音書に話を戻しますが、四福音書を比べてみると、四福音書も同じイエスの生前の言葉とか出来事を書いたものですが、四福音書間に食い違いや不一致、つまり、表現方法が違っていたり、イエスの言葉とか出来事の用い方が違っていたりするところがあります。

これは何を意味するかを考えますと、それは四人の福音書著者が書いたそれぞれのイエスの生前の出来事とかイエスの言葉が修正とか改ざんされずにそのまま大切に保管されていたと言うことではないでしょうか。

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2012年3月14日 (水)

福音書について(1)

三回に分けて福音書の内容の真偽につき、わたしが思うところを簡単にまとめてみました。

聖書は、キリスト教の聖典でイエス・キリストを証する書物です。

旧約聖書は1000年余りにわたってイスラエルの多数の預言者の手で書かれました。

預言者と言うのは、神の言葉を預かり告げる人ということで、未来を予言する予言者ではありません。

新約聖書の著者は、イエスの使徒や彼らに伝道されイエスの弟子となった信仰者たちで、一世紀に生きた人々です。 

 

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2012年2月20日 (月)

イエスの出来事は本当か

誰でもがつまずく新約聖書の奇跡やしるしが事実かどうかいについて考えてみたいと思います。


この問題は誰でもが聖書を読むうえで考えることだと思います。


たとえば、ルカの福音書第7章11節以下で、ナインのやもめの息子が死から生き返ったというのは、ほんとうの出来事でしょうか。


これは一つの例ですが、こういうことをどのようにとらえるかは、四観福音書全体を読む上で、最も大事な問題点だと思います。


もちろん、わたしはこの出来事は本当にあったものと信じています。

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2012年2月10日 (金)

人間救済の意味(2)

人間救済の意味(1)からの続きです。
マタイの福音書第5章48節のイエスの言葉、「だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」
このイエスの言葉によると、イエスは我々に完全になりなさいと言われています。
神が我々を導き始めたその目的地は、我々を神と共に生きることができる存在にすること。
それがイエスの言われる完全になりなさいと言う意味だと思うのです。
わたしたちが完全になるのは、おそらくこの世では無理なことで、来世のことだと思います。

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2012年2月 8日 (水)

人間救済の意味(1)

創世記よもやま話」という投稿文で、創世記第3章15節の「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く。」という聖句につき、色々と書きました。

 

そこで、イエスは人類が創造されるときにすでにこの世に来られること、十字架も復活の出来事も既に決まっていました。

 

その中ではたす悪魔の役割も決まっていたと書きましたが、よく考えると、旧約・新約聖書に書かれていることは、まさしく人間が創造されてから罪に陥る経緯から、罪から救済するための、いわば人類救済の歴史が書かれていると思うのです。

 

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2012年1月 8日 (日)

イエス受難時の出来事(3)

「イエス受難時の出来事(2)」からの続きです。

 

さてイエスの復活ですが、復活については他の投稿文と重複しているところもありますが、ここでは福音書の記事にそって書いてみたいと思います。

 

最初にイエスに従ってついてきた二人の女が、十字架の日から三日目にイエスの墓を見に行きました。

 

聖書にはその時の状況を次のように書いています。

 

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