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カテゴリー「聖書の疑問いろいろ」の記事

2007年7月23日 (月)

イエスを知らなくて死んだら

キリスト教では、人間は地上でイエスを知りイエスを信じたら、つまりクリスチャンになり罪を悔い改めたら罪が赦され(これをキリスト教では救いといいます)死ねば天国へいけますよ、信じなかったら永遠の苦しみ、つまり地獄いきですよ、そして、信じるのは今ですよ、今がそのときですよ。
と言って伝道しています。

これは、未信者が殆どであるこの日本のことを考えると、どうしても納得できないので、未信者のままで死んだ父のこともあり、いろいろ牧師とか学者の意見を調べてみましたが、結論は、そのことについては、何も決まっていないし、分からないというのが真実だということがわかりました。

しかし、わたしは「死後にも救いのチャンスはある」と思いたい。

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2007年7月24日 (火)

続.イエスを知らなくて死んだら

わたしが過去に読んだ本にこのようなことが書いてありました。

納得し、その通りだと思いましたので概略を書き留めていたからここに登載します。

過去・現在・未来に生まれた、生まれるすべての人間の中でキリストを知らなかった未信者がすべて地獄に行くならば、そのチャンスもないままほとんどの人間が地獄に行くことになります。

これも重大問題であります。

そのような重大な問題だから必然的にどのように信じたら救われるのかという、信仰は個人の問題だからその程度が分からないのでその信じ方に問題が移ると思います。

地獄は永遠の苦しみの場所であります。

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2009年3月 1日 (日)

有神論的進化論

最近はじめて「有神論的進化論」という言葉を知りました。

わたしは今までブログ投稿文に記載していましたとおり、創造論、つまり人間を含めてこの世のものはすべて神が今ある姿で創造されたと言う考え方でした。

創世記の創造物語は字義通りと受け止める考え方です。

もちろん、神は一日24時間、7日間でこの宇宙を創造されたとは考えていませんが、アメーバが進化して人間になったなんてとんでもないと考えていました。

しかし、進化論がなぜこんなにも受け入れられているのか?

日本では進化論万能です。

そこには

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2010年3月24日 (水)

地獄について

教会により、永遠の地獄を強く主張し、実際に、時間的に永遠に火にあぶられるとさえ主張するところもあります。

脅かしてイエスを信じるように導くと言うのは、わたくしにはちょっと抵抗があるのですが、なんだか脅かされているような気がします。

現世でキリストを信じなくて死ねば全員地獄へ行くと言われる方もおられますが、聖書にはキリストを信じないで死んだ人は行いにより裁くとなっていますのでそれはないと思います。

キリストを信じなくて死ねば地獄なら、その人が死んだ時点で裁きは決まっていますから、最後の審判での裁きの必要はありません。

わたしはそれよりも、地獄というところは、何度試みに合わされても悔改めない、根っから邪悪な人間が集まるところと解釈したいと思います。

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2010年7月13日 (火)

創世記1章と2章の違い

創世記1章における人間の創造と、2章におけるアダムの創造とエデンの園物語のそれとは状況がまったく違います。

 

前者では、神は先に動植物を造っておいてから人間を造り、後者では、アダムという人間を造った後に、動植物を造ってエバ(女)を造りました。

 

この矛盾をどのように解釈するか、2000年来永遠とキリスト教界の中で議論が続いています。

 

きっとこれからも議論は続き結論は出ないでしょう。

 

創世記は口伝伝承などを編集して書かれたのでしょうが、創世記が編集された時代に行って編集者に確かめることもできません。

 

二千数百年後の読者であるわたしたちがこの矛盾に気づいているのですから、旧約聖書の編集者がこの矛盾に気がつかなかったはずがないと思います。

 

 

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2010年11月 8日 (月)

聖書は不完全か

聖書には、不明瞭なところがあります。

誰でもが聖書を読み始めて感じることです。

他の箇所とつじつまの合わないようなところもあります。

なぜそれが神の言葉か。人間が霊感を受けて書いたのなら、もっと正確であっても良いのではないか。

でも、よく考えると、霊感を受けて書いたというのは、神様が手とり足とり、人間の手を強制的に動かして、あるいは神が人間の言葉で話してそれを書き写したとかで一字一句神の意図することを正確に書いたのではなく、霊感を受けて人間が、そう、人間が書いたのですね。

霊感を受け取った人間が不完全だから、たとえ発信されたメッセージが完全であっても、不完全なものができあがる、と思いませんか。

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2011年2月17日 (木)

十字架の疑問

わたしは聖書を読んでいて、ふと次のような疑問を持ちました。

神は人間が罪を犯すのは当たり前だと思える状況を作っておいて、あえてそのようにされたのはなぜだろうか。

しかも旧約聖書では、歴史上の起こるべき出来事は預言されていて、必ず起こることと決まっているのです。

イスラエル民族はそのことを歴史の中で見出し、信仰を深めたのだと思うのですが、神から見るとまさに歴史の面ではデキレースです。

それに、罪の中でもがき苦しむ人間に永遠の命を与えるために神は御子である霊イエスを人間と同じ肉体の体でこの世に送り、十字架で人間に殺させて、死から復活させ、個人から個人へイエスの言葉を伝えるという方法で救おうとされている。他に方法はなかったのだろうか。

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2011年3月 8日 (火)

人間の構造

聖書では、人間は肉体を持っていますが霊的存在だと書いてあります。

一般には魂と一緒にして霊魂と書かれています。

霊魂の意味を辞書で見ると、

1 肉体と別に、それだけで一つの実体をもち、肉体から遊離したり、死後も存続することが可能と考えられている非物質的な存在。魂。魂魄(こんぱく)。

2 人間の身体内に宿り、精神的活動の根源・原動力として考えられる存在。

とあります。

人間は霊の働きにより生かされているということです。

聖書は、その霊は、イエスの御霊、聖霊を宿しているか宿していないかで分かれると言っていると思います。

具体的にいえば、イエスの御霊、聖霊と交流ができていれば活霊(この言葉は聖書には無いと思うのですが「死霊」と言う言葉があるならこのような呼び方があっても良いのではと思い使いました。)で、交流がなければ死霊(イザヤ書第26章14節他)というわけです。

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2011年3月20日 (日)

奇跡について

奇跡という言葉があります。

聖書には数多く出てきます。

奇跡をいつもの通り辞書で引くと、奇跡とは、人間の力や自然現象を超えたできごと。神の力などとされ、宗教と結びついていることが多い、と書いてあります。

それでは、聖書に出てくる奇跡を見てみます。

イエスが生前盛んになされた奇跡はどのような仕組みになっているのでしょうか。

イエスが行う数々の奇跡は、聖書の論理では、それはイエスの父なる神への信仰によってなされたと思います。
イエスと神は聖霊によってその意識が一体の時、イエスが発する言葉により奇跡が行われたといえます。

その力は、父なる神から来ている。

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2011年4月 2日 (土)

続・地獄について

地獄について書いてみます。

このようなイエスの言葉があります。

ルカの福音書第12章 5節「だれを恐れるべきか、教えよう。それは、殺した後で、地獄に投げ込む権威を持っている方だ。そうだ。言っておくが、この方を恐れなさい。」

神はなぜ人をそのような恐ろしい地獄に送るのでしょうか。

神はなぜ地獄に送る人と天国に送る人を分け隔てするのでしょうか。

父の子に対する愛をお持ちの、慈悲の愛をお持ちの神を知るとそのあまりの違いに困惑を覚えます。

第一人間を地獄へ送るために創造するなんておかしいと思いませんか。

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