旧約聖書の預言とヨハネの黙示録(4)
旧約聖書の預言とヨハネの黙示録(4)
比較8.イザヤ書34章5から6、9節、63章1から6とヨハネの黙示録19章13から16節(ハルマゲドンの戦い)
<旧約聖書の該当箇所>
●イザヤ書34章5から6、9節、63章1から6(エドムの審判、主の報復)
〇5節.天において、わが剣は血に浸されている。見よ、剣はエドムの上に下る/絶滅に定められた民を裁くために。
ここからは世界最終戦争(ハルマゲドンの戦い)の結果ですが、第一義的にはイザヤの時代のエドムにもたらされるのです。
エドムは、死海の南西の部分で、モアブはエドムの北にあります。
死海の東の地域一帯が、終わりの日の主と世界の反キリストの軍隊の戦場となるのでしょう。
〇6節.まことに、主の剣は血にまみれ/脂肪を滴らす。小羊と雄山羊の血にまみれ/雄羊の腎臓の脂肪を滴らす。主がボツラでいけにえを屠り/エドムの地で大いなる殺戮をなさるからだ。
〇7節.野牛は彼らと共に倒れ/子牛は雄羊と共に倒れ/彼らの土地は血に浸され/その土地は脂肪を滴らす。
主は世界の反キリストの軍隊が、死体となって転がっているのを動物のいけにえに例えておられます。
〇8節.まことに、主は報復の日を定められる/シオンにかかわる争いを正すための年を。
この戦いは主の報復であって、それは「シオンにかかわる争いを正すため」であるのです。
なぜこのようにエドムが滅亡するのかと言いますと、エドムは、ヤコブの兄エサウから出た氏族の総称であって、イエスを殺そうとしたヘロデ大王もその氏族の一人です。
エドムはエサウの弟ヤコブの子孫を憎み続け、その執念深い恨みには冷酷さがあります。(詩篇137篇7節参照)
ここはそのシオン(イスラエル)の民の訴えが叶えられ、復讐の時が来ることを預言しているのでしょう。
「報復の日」とは、エルサレムがバビロンのネブカデネザルによって破壊された日のことを指しているのでしょう。
なぜならば、その時、エドムはエルサレムを何度も略奪したからです。
エドムは、神の究極的なさばきの代表とも言えます。
〇9節.エドムの涸れ谷は変わってピッチとなり/その土は硫黄となる。その土地はピッチとなって燃え上がる。
●イザヤ書63章1節から6節(主の報復)
〇1節.「エドムから来るのは誰か。ボツラから赤い衣をまとって来るのは。その装いは威光に輝き/勢い余って身を倒しているのは。」「わたしは勝利を告げ/大いなる救いをもたらすもの。」
「エドムから来るのは誰か。ボツラから赤い衣をまとって来るのは。」とあります。「赤い衣」は、キリストの十字架の姿とする見方がありますが、「エドムから来るのは誰か。」という言葉がありますから、それは終わりの日に来られる地上再臨のメシアが「ボツラ」において神の民の救いために反キリストの軍勢と戦って、身に降りかかった血によるものだと考えます。
終わりの日の「ボツラ」は、イスラエル人が反キリストの軍勢から逃れて隠れた地です。
それで、ボツラのイスラエル人を根絶しようとエルサレムからボツラに進軍した反キリストの軍勢に復讐して帰ってくるキリストを「ボツラから赤い衣をまとって来る」と表現しているのでしょう。
なお、「ボツラ」はエドムの首都で、エドムはイスラエルよりも弱い国でした。
それでも、イスラエルが弱った時には、もともとイスラエルには屈折した憎悪をもっていましたので、必ず攻撃してきたそうです。
「エドム」はエサウの子孫ですが、「血」を意味し、エドムの主要都市である「ボツラ」は「ぶどうを摘み取る」ことを意味するそうです。
そのぶどうを摘み取って、ぶどうの酒ぶねを踏むことで着物が赤くなることと、戦いで血のしたたりがふりかかることを重ね合わせているのではということです。
エドムの場所ですが、死海の南方にある地域で、聖書では常に神の民イスラエルに敵対する民族として登場しています。
それはエドムの祖先であるエサウが、神の特別の祝福である長子の権利を、一杯の煮物と引き替えに双子の弟ヤコブに売り渡してしまったからです。
それで兄が弟に仕えることになってしまいました。
そのためにエサウはヤコブを憎むようになったのです。
その子孫であるエドム人は常にイスラエルに敵対する者として存在するようになってしまったのです。
〇2節.「なぜ、あなたの装いは赤く染まり/衣は酒ぶねを踏む者のようなのか。」
〇3節.「わたしはただひとりで酒ぶねを踏んだ。諸国の民はだれひとりわたしに伴わなかった。わたしは怒りをもって彼らを踏みつけ/憤りをもって彼らを踏み砕いた。それゆえ、わたしの衣は血を浴び/わたしは着物を汚した。」
〇4節.わたしが心に定めた報復の日/わたしの贖いの年が来たので
〇5節.わたしは見回したが、助ける者はなく/驚くほど、支える者はいなかった。わたしの救いはわたしの腕により/わたしを支えたのはわたしの憤りだ。
〇6節.わたしは怒りをもって諸国の民を踏みにじり/わたしの憤りをもって彼らを酔わせ/彼らの血を大地に流れさせた。
神の終末におけるマスタープランの中での「ボツラ」は、イスラエルの悔い改めの場所とされています。
キリストの地上再臨はエルサレムのオリーブ山ですが、それまで再臨されたキリストは、反キリストと戦われますが、その戦いの場所として重要なのは、有名なハルマゲドンの戦いの舞台となるイスラエル平原、エルサレム、ボツラだということです。
ここで終わりの日のキリスト再臨以降の出来事を黙示録で順を追って纏めてみます。
反キリストによる大患難期の終わり頃に、反キリストは神の民を破滅させるために、世界中からメギドの山の麓にあるイズラエル平原に軍隊を集結させます。
この後、反キリストの軍勢は南下しエルサレムの町を包囲して崩壊させますが、すでにユダヤ人たちはエドムの「ボツラ」に退避しています。
そのボツラにおいて、イスラエル人たちは「恵みと哀願の霊」が注がれ、悔い改めて、民族的な救いを経験します。4節の「わたしの贖いの年が来た」が、そのことを言っているのでしょう。
イスラエル人たちを根絶しようとエルサレムからボツラに進軍した反キリストの軍勢に復讐しているのが1~6節に預言されているメシアの姿です。
全世界から集まった反キリストの軍隊によってイスラエルは全滅の危機に瀕し、荒野に逃げる人もいれば、またエルサレムに残る人もいます。
反キリストの軍隊は、荒野に逃れたイスラエルの民を完全に滅ぼそうと戦いに出ます。
その時に天から地上再臨されたメシアが、彼らに戦われます。
そして戦いはエルサレムにまで及びます。
ヨハネの黙示録19章14節にハルマゲドンの戦いの時、「そして、天の軍勢が白い馬に乗り、白く清い麻の布をまとってこの方に従っていた。」とあります。
ハルマゲドンの最後の戦いは、ヨルダンからイスラエル一帯で繰り広げられ、イスラエルと神ご自身に敵対する者ども、反キリストの世界の軍隊をことごとく滅ぼされるのです。
不利になった反キリストの軍勢は再びエルサレムに引き返しますが、エルサレムのヨシャパテの谷で最終的な敗北を喫します。
その時、彼らが流す血を6節で「彼らの血を大地に流れさせた。」と簡単に書いていますが、ヨハネの黙示録14章19から20節は「そこで、その天使は、地に鎌を投げ入れて地上のぶどうを取り入れ、これを神の怒りの大きな搾り桶に投げ入れた。搾り桶は、都の外で踏まれた。
すると、血が搾り桶から流れ出て、馬のくつわに届くほどになり、千六百スタディオンにわたって広がった。」と表現しています。
なお、「ボツラ」という名称は「ぶどうを集める」ことを意味し、それを主が「地上のぶどうを取り入れ、これを神の怒りの大きな搾り桶に投げ入れた」と表現し、そして、押し潰し、ぶどう汁が「搾り桶から流れ出て」くるように、主が彼らを踏み潰すと予告されているということです。
その後、再臨のキリストは栄光の王としてエルサレムの東に面するオリーブ山の上に立ちます。
ゼカリヤ書14章4節に「その日、主は御足をもって/エルサレムの東にある/オリーブ山の上に立たれる。オリーブ山は東と西に半分に裂け/非常に大きな谷ができる。山の半分は北に退き、半分は南に退く。」とあります。
オリーブ山は、その真ん中で「東と西に半分に裂け」て非常に大きな谷ができますが、これは大地震によるものでしょう。
これによってエルサレムは世界で最も高い山となるそうです。
そこを中心にして、メシア(キリスト)による統治、千年王国が樹立されます。
おそらくそこに第四神殿も立つはずです。
<ヨハネの黙示録の対象箇所>
●ヨハネの黙示録19章13から16節(白馬の騎手)
〇13節.また、血に染まった衣を身にまとっており、その名は「神の言葉」と呼ばれた。
「血に染まった衣」は、イエスが十字架で流された血潮というよりも、敵対する軍隊を倒されるときに飛び散る血を指すのでしょう。イザヤ63章1節から6節「主の報復」の成就のことでしょう。
その名は「神の言葉」と呼ばれたとは、ヨハネの福音書1章1節から3節「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。」、そして、同14節の「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。」に対応しているのでしょう。
天地が創造されたときは、「光よあれ」という神の言葉によって造られましたが、今、同じ神の言葉をもって、敵対するものすべてを滅ぼされるのです。キリストは裁き主です。
〇14節.そして、天の軍勢が白い馬に乗り、白く清い麻の布をまとってこの方に従っていた。
「天の軍勢…白く清い麻の布をまとった」の「天の軍勢」は「白く清い麻の布を」来ていますから、キリストの花嫁でしょう。
それも、真のキリストの民、すなわち、すでに召されてキリストのもとにいる聖なる者たちと天使のことでしょう。
キリストの花嫁が、キリストに率いられて獣と偽預言者(20節)と戦います。
「白い馬」は、戦いに勝った将軍が乗るものです。一時的な存在で、平和をもたらす人気者として現れるのでしょう。
〇15節.この方の口からは、鋭い剣が出ている。諸国の民をそれで打ち倒すのである。また、自ら鉄の杖で彼らを治める。この方はぶどう酒の搾り桶を踏むが、これには全能者である神の激しい怒りが込められている。
キリストの口から「鋭い剣」が出ているは、御言葉によって諸国の民を打ち負かすということでしょう。
この「諸国の民」とは、最後まで神を信じることなく、最後まで悪魔に組みした不信者のことでしょう。
〇16節.この方の衣と腿のあたりには、「王の王、主の主」という名が記されていた。
「王の王、主の主」のギリシア語でも英語でも、王も主も大文字はすべて大文字で書かれているそうですから、主の栄光の完全な現われを表しているのでしょう。
●比較
イザヤ書34章5から6、9節、63章1から6とヨハネの黙示録19章13から16節が対応しています。
この箇所は、有名なハルマゲドンの戦いの箇所です。
すなわち、天の軍勢が獣(反キリスト)と王たちの軍勢との最後の戦いの場です。
ハルマゲドンという地に軍勢が集まるので、その名がつけられたのでしょう。
この戦いはヨルダンのボツラで行われるようです。
反キリストである獣、そして、偽預言者もとらえられ地獄に送りこまれます。
それ以外の者は、キリストに剣で切り殺され、鳥の餌食になります。
これをもって、7年間の艱難時代は終わります。
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