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2025年7月の記事

2025年7月21日 (月)

イエスを知らなくて死んだら(1)

イエスを知らなくて死んだら(1)
キリスト教では、人間は地上でイエスを知り福音を信じたら、天国へいけますよ、信じなかったら永遠の苦しみ、つまり地獄いきですよ、そして、信じるのは今ですよ、今がそのときですよ、と教えます。

 

これは、未信者が殆どであるこの日本のことを考えると、どうしても納得できないので、未信者のままで死んだ父のこともあり、いろいろ牧師とか学者の意見を調べてみましたが、結論は、そのことについては、何も決まっていないし、分からないというのが真実だということがわかりました。

 

聖書のどこにも「この地上でイエスを知り福音を信じた」救われるとは、書いていません。
第一、そうして人を脅かしてキリスト信仰に導こうとするやりかたは納得いきません。

 

 

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2025年7月13日 (日)

救いの御業(7)(おじさんの聖書)

ここでは救いの御業についてイエスの言葉から考えてみたいと思います。
ご自分を殺そうとしているユダヤ教指導者層に対する執り成しの祈りで、そこには(生きている人間、既に死んでいる人間を含む)全人類の罪の許しを願うイエスの強い思いが込められています。

 

イエスの言葉が神の言葉なら、この言葉は必ず実現します。

 

●ルカの福音書23章34節。
「〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕人々はくじを引いて、イエスの服を分け合った。

 

・・イエスの十字架死は全人類の罪(原罪)を贖うための死です。
この出来事には、全人類を罪から救いあげたいという神の強い意志があり、目的があります。

 

それは神の愛と憐れみの故ですが、神の全人類救済計画の一環であるともいえます。

 

 

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2025年7月 1日 (火)

救いの御業(6)(おじさんの聖書)

ここではイザヤ書45章を読み救いの御業について考えてみたいと思います。
●イザヤ書45章18節から25節
〇18節.神である方、天を創造し、地を形づくり/造り上げて、固く据えられた方/混沌として創造されたのではなく/人の住む所として形づくられた方/主は、こう言われる。わたしが主、ほかにはいない。

 

・・「わたしが主、ほかにはいない。」と、ご自分が天地万物の創造神であることを宣言されています。

 

そして、神はこの地球を「混沌として創造されたのではなく/人の住む所として形づくられた方」としていますから、創造するだけでなく天地万物を秩序をもって創造したといわれているのです。

 

その創造は、異邦人も含みますから、神はわれわれイスラエル以外の異邦の諸国の民に対しても、ご自分の救いを受け入れるよう呼びかけておられると言えます。

 

 

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救いの御業(5)(おじさんの聖書)

●ヨハネの黙示録20章12節・13節
〇12節「わたしはまた、死者たちが、大きな者も小さな者も、玉座の前に立っているのを見た。幾つかの書物が開かれたが、もう一つの書物も開かれた。それは命の書である。死者たちは、これらの書物に書かれていることに基づき、彼らの行いに応じて裁かれた。」
〇13節「海は、その中にいた死者を外に出した。死と陰府も、その中にいた死者を出し、彼らはそれぞれ自分の行いに応じて裁かれた。」

 

・・・救われていない死者(命の書に名前がない死者)は、行いによって裁くとありますが、裁くとあって地獄に送るとは書いていません。

 

第一、救われないで死ねば地獄に行くのならば、わざわざ行いで裁く必要はありません。
死ねば即地獄に送ればよいことです。

 

 

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救いの御業(4)(おじさんの聖書)

先にも書いたように、この世はあらゆる面で絶対的な公平は存在しませんから、キリストを知る機会も公平に与えられることはありません。
この世界は新しい人類の創造という神の目的のための御計画の中で必要なことを体験する場であり運命を決定する場ではないと言うことです。

 

誰がみても人は生まれた時代、生まれた国、生まれた両親、育った環境、持って生まれた資質も違います。それぞれが全部異なります。それもその人の責任によらないのです。

 

それなのに、この地上の世界に生きていた時だけを取り上げてその人の生涯を裁くのは、不公平極まりないと思います。
もちろん、キリストの教えが、選ばれた者だけが天国に行き、そのために利用されたその他の人々は、使い捨ての命として最後には地獄に行くという教えならば、そういうことでしょう。

 

 

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