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2025年3月 2日 (日)

個人的指示、結びの言葉(テモテ4章)

<個人的指示>
聖書の箇所は、テモテへの手紙二4章9節から18節です。
●9節.ぜひ、急いでわたしのところへ来てください。

 

パウロはテモテをローマで牢獄につながれている自分のもとに来てくれるように願っています。
後を託すテモテと手紙ではなく会って直接話したかったのでしょう。

 

次節を読むと、身近な弟子たちの中で去っていく者もあり寂しかったのでしょうか。

 

●10節.デマスはこの世を愛し、わたしを見捨ててテサロニケに行ってしまい、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマティアに行っているからです。

 

 

「この世を愛し」というのは、後の時代には「殉教を回避すること」という意味をもつようになったそうですが、これは必ずしも「信仰を捨てること」ではなく、おそらくデマスは、パウロの巻き添えをくらって殉教するのが嫌で、パウロを置き去りにして故郷のテサロニケに帰ってしまった、ということではないかと思うのです(参考箇所4章16節)。

 

彼は初め、パウロから「協力者」と呼ばれました(フイレモンへの手紙24節、コロサイ人への手紙4章14節)。
次節11節で、「ルカだけはわたしのところにいます。」と言っています。

 

ルカは、福音書と使徒言行録を書きました。
そのルカがパウロの宣教旅行に同伴していて、今、ローマのパウロのところにいるのです。

 

他の働き手、クレスケンスとテトスは、今はパウロから離れて、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマティアに行っています。
なお、「ダルマテヤ」はイリリコン州(ローマの信徒への手紙15章19節)のことで、現在のバルカン半島西部にあるそうです。
また、今のクロアチアのアドリア海沿岸地域一帯の名称です。

 

「テトス」は、テトスへの手紙のテトスでしょう。クレタ島での伝道が有名です。
パウロは、この二人が離れたことによって自分が淋しくなっているのでしょう。

 

●11節.ルカだけがわたしのところにいます。マルコを連れて来てください。彼はわたしの務めをよく助けてくれるからです。

 

ルカは、パウロの宣教旅行の途中から同行して、パウロが逮捕されてもパウロと一緒にいたのでしょう。
マルコは、一度、パウロの宣教旅行の一行から離れて、エルサレムに帰っています(使徒言行録13章13節)。

 

その理由は、宣教の苛酷さからなのかどうかわかりません。
パウロは第二次宣教旅行に行く際に、バルナバとマルコのことで激しく対立しています。

 

使徒言行録15章36節から39節で、パウロが第二次宣教旅行をバルナバに提案した際にバルナバは、「マルコと呼ばれるヨハネも連れていきたいと思った」が、しかしパウロは、マルコが「前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れていくべきではないと考えた。」とあります。

 

そこで、「意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって、バルナバはマルコを連れて、キプロス島に向かって船出したが、一方パウロは、シラスを選び」出発しました。

 

しかし、ここではテモテに「マルコを連れて来てください。彼はわたしの務めをよく助けてくれるからです。」と言っていますから、パウロとマルコの関係はこの手紙の書かれた時点では修復されていたようです。

 

新約聖書で重要な人物のなまえが二人出てきました。
ルカとマルコです。両者とも福音書を書きルカは使徒言行録も書いています。

 

パウロとの関係は、ルカは片時もパウロから離れませんでしたが、マルコはパウロと意見が合わないで、一時離れたこともあるようです。

 

ルカは、パウロはローマにとらえられ間もなく打ち首にされようとしていましたが、それでも彼はパウロから離れないでいました。
パウロが囚人としてローマに移送されたときにもルカは同行したようです。

 

●12節.わたしはティキコをエフェソに遣わしました。
●13節.あなたが来るときには、わたしがトロアスのカルポのところに置いてきた外套を持って来てください。また書物、特に羊皮紙のものを持って来てください。

 

「ティキコ」はアジア州出身で、たびたびパウロの手紙の配達人の役目を引き受けています(エフェソの信徒への手紙6章21〜22節、コロサイの信徒への手紙4章7〜8節、テトスへの手紙3章12節)。

 

そして、パウロの宣教旅行に同伴しています(使徒言行録20章4節)。
「トロアスのカルポ」のトロアスですが、「トロアス」は小アジヤにあるヨーロッパに行くための最後の港町で、そこに「カルポ」という兄弟がいたようです。

 

パウロは、カルポのところに外套を置いていたようです。
おそらく、その外套を寒い冬が来るまでに持って来てほしかったのでしょう。

 

また、パウロはテモテに、「書物、特に羊皮紙のものを持って来てください。」と頼んでいます。
もちろん、この羊皮紙の書物は、聖書(モーセ律法と預言の書か)に関する書物であったのでしょう。

 

●14節.銅細工人アレクサンドロがわたしをひどく苦しめました。主は、その仕業に応じて彼にお報いになります。

 

銅細工人アレクサンドロが、パウロをどのように苦しめたかは分かりませんが、彼についてはテモテ一1章20節では、「正しい良心を捨て、その信仰は挫折してしまいました。」と紹介されています。

 

彼はおそらく違った教えを説いて、パウロに激しく敵対したのでしょう。
「主はその仕業に応じて彼にお報いになります。」ですから、この件に関してテモテや教会が個人的にアレクサンドロに報復する必要はない。すべてを神様にお委ねするべきであるという意味でしょう。

 

●15節.あなたも彼には用心しなさい。彼はわたしたちの語ることに激しく反対したからです。

 

どうやら「銅細工人アレクサンドロ」は、パウロ等と「わたしたちの語ること」ですから、キリスト信仰、福音の真理の言葉に対し激しく反対したようです。

 

テモテ第一の手紙1章20節に「その中には、ヒメナイとアレクサンドロがいます。わたしは、神を冒涜してはならないことを学ばせるために、彼らをサタンに引き渡しました。」とあります。

 

●16節.わたしの最初の弁明のときには、だれも助けてくれず、皆わたしを見捨てました。彼らにその責めが負わされませんように。

 

「最初の弁明」ですから、ローマでパウロの受けた最初の裁判と投獄(使徒言行録28章16、30〜31節)の時のことでしょう。
どうやら、ローマ在住のキリスト信仰者たちは誰もパウロを弁護しようとしなかったようです。

 

おそらく、自分がパウロと同じ仲間であることが知られたら、命が危うかったのでしょう。

 

ローマにおける第一回目の投獄においては、まだ自由がありキリスト信仰者にも余裕がありましたが、皇帝ネロが紀元64年のローマの火事の責任をクリスチャンが放火したのだと丁稚あげて以降、キリスト者に対する迫害が激しくなりました。

 

そういう時代背景があり、「皆わたしを見捨てました。」と言っているように、パウロを見捨てるキリスト信仰者が多くいたのでしょう。

 

しかしパウロは「彼らにその責めが負わされませんように。」と祈っていますから、そのようなローマのキリスト信仰者たちのことを赦していたようです。

 

●17節.しかし、わたしを通して福音があまねく宣べ伝えられ、すべての民族がそれを聞くようになるために、主はわたしのそばにいて、力づけてくださいました。そして、わたしは獅子の口から救われました。

 

「わたしは獅子の口から救われました。」というのは、パウロはローマ帝国の正規な国民であったため(使徒言行録22章25〜29節)、獅子の餌食として闘技場に投げ出されることはなかったのですが、そのことを言っているのでしょうか。

 

それとも何か極めて困難状況から救われたことを比喩したものでしょうか。
「主はわたしのそばにいて」ですから、主はパウロが死に直面して、キリスト信仰の危機に直面しているときに現われて共にいてくださったのでしょう。

 

パウロの人生の中で最も暗黒のときに主はパウロのそばにいて、力づけてくださいました。

 

「獅子の口から救われました。」の獅子は、ペトロの手紙一5章8節に「あなた方の敵である悪魔が、ほえたける獅子のように」とありますから、悪魔を指しているのでしょう。

 

●18節.主はわたしをすべての悪い業から助け出し、天にある御自分の国へ救い入れてくださいます。主に栄光が世々限りなくありますように、アーメン。

 

「悪い業」とは、自分の福音宣教の働き(自分自身に対する悪魔の誘惑を含めて)を妨げる、悪魔の仕業を指しているのでしょう。
この18節を読むと、パウロは自分自身の命よりも主がご自分の御国に入れてくださるという信仰の方が勝り、確信を持っているのです。
「主はわたしをすべての悪い業から助け出し」という言葉が、そのことを表しています。

 

<最後の勧め>
聖書の箇所は、テモテへの手紙二4章19節から22節です。
●19節.プリスカとアキラに、そしてオネシフォロの家の人々によろしく伝えてください。

 

プリスカとアクラは夫婦で、エフェソの教会においてはじめて信仰を持ち、パウロの助け手でしたが、パウロが亡くなった今は、エフェソの教会にいるテモテを助けているユダヤ人キリスト信仰者ということです。

 

オネシフォロは、ローマで牢につながれたパウロを恥とも思わないで捜し出してくれた人です(第二テモテ1章16節と17節)。

 

●20節.エラストはコリントにとどまりました。トロフィモは病気なのでミレトスに残してきました。

 

「エラスト」 は、テモテとも古い仲で、パウロがアテネにいる時にパウロは「マケドニヤ州トアカイア州を通り、エルサレムへ行こうと決心し」ていた時に、マケドニヤ州にテモテとエラストを送り出したと使徒の働きにあります(使徒言行録19章22節)。

 

エラストはコリント市の経理係であり、パウロとテモテの同僚でもったようです(ローマの信徒への手紙16章23節、使徒言行録19章22節)。

 

「トロフィモは病気」とありますが、トロフィモは、テイキコと同じくアジア州出身で、パウロの第三次伝道旅行に参加し、仲が良かったようです(使徒言行録20章4節)。

 

しかし、トロフィモの病気は、パウロでも癒すことのできなかったのでしょうか。
病の癒しは、パウロの個人的な事情ではなく、主の憐れみと主権のみによって行なわれたと解釈すべきなのでしょう。

 

●21節.冬になる前にぜひ来てください。エウブロ、プデンス、リノス、クラウディア、およびすべての兄弟があなたによろしくと言っています。

 

冬の地中海は、荒れるそうです。だから航行する船がなくなる(使徒言行録27章)。
したがって、「冬になる前にぜひ来てください。」と言っています(使徒言行録27章12節および28章11節)。

 

信仰の兄弟の名を多く上げています。
パウロがまったくの孤独ではなかったのです。

 

●22節.主があなたの霊と共にいてくださるように。恵みがあなたがたと共にあるように。

 

パウロの最後の手紙の締めくくりですが、手紙の宛先の末尾の挨拶は複数形でテモテでなく「あなたがた」となっています。

 

「主があなたの霊」のあなたは単数形ですから、この手紙の宛先はテモテですが、末尾の「恵みがあなたがたと共にあるように。」とありますから、一般信徒に読まれることを想定して書かれたものでしょう。

 

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