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2024年12月28日 (土)

テモテへの手紙一前置き

パウロのこれまでの手紙は、集会の信徒たちへの手紙でしたが、ここは牧者(指導者である牧師・教師)たちへの手紙になっています。
したがって、このテモテへの手紙と同様の牧者あての手紙であるテトスへの手紙、合わせて三通の手紙は「牧会書簡」と呼ばれています。

 

内容は、キリストの集会を教え導いていくために様々な指針、すなわち、堅く守らなければいけない教えを、さらに死守して、偽りの教え(口伝律法主義とかグノーシス主義)に対してキリスト信仰を守るために勇敢に戦わなければいけない、と教えています。

 

牧会する「牧者」(英語でPastor)という言葉は羊飼いを意味するラテン語に由来しているそうです。
パウロはテモテにこの書を書き送ったのですが、この時テモテはエフェソの集会で牧会をしていましたが、1章3節には、「あなたはエペソにとどまって」とありますので、集会内でいろいろと問題があり耐えきれず、エペソ教会を辞めようと思っていたようです。

 

 

そんなテモテを励ますためにパウロはこの書簡を書き送ったのでしょう。
パウロがこの手紙を書いたのは、西暦元年から 62 年の間とか西暦66年とかの意見があり一定しません。

 

背景を考えると、紀元64~66年頃の頃だと思うのですが、そうであれば紀元70年に敗北したユダヤ戦争はすでに始まっていて、キリスト信仰はパウロの集会のイスラエル教会からの分離とかイスラエル社会がローマ支配からの独立運動で混乱しているときでしょう。

 

なによりも、集会に集まった信徒の団結が優先されるときであったと思います。
背景には、この節の後の副題「異なる教えについての警告」にあるようです。

 

この手紙の内容から推察すると、この手紙がテモテ個人宛の手紙ではなく集会の職務にかかわる手紙のように思われます。
なぜならば、手紙の内容が職務としてテモテが遂行すべき事項とか、職務の中には他の人々に伝達すべき事柄も書かれているからです。

 

このように、これらの手紙はキリスト教会宛のものではなく二つのキリスト教会の指導者(テモテとテトス)宛となっていますが、内容から見て普通の個人宛の手紙ではなく、教会宛の手紙と個人宛の手紙の中間に位置するような性格をもっています。

 

テモテとテトスは、使徒ではなくパウロの同僚であり代行者であり、パウロの始めたキリスト伝道(エルサレム教会から離れ独自の道を歩む)を受け継いだ人々でした。

 

キリスト教会のことをパウロは3章15節で、「神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です。」と言っています。
教会は、エクレシアで神の教会ですから、建物ではなくキリストを救い主と信じる人々の集まりを指しています。

 

なお、現在大多数の研究者は、これら三つの手紙の執筆者はパウロではないという立場をとっているそうですが、わたしはそういう問題には触れず書かれた手紙を素直にそのまま読み解釈したいと思います。

 

三通の牧会書簡すべては、異端の教えに対する警告がなされています。
ここで問題になっている異端を調べてみると、「グノーシス主義」と呼ばれる神秘的な知(ギリシア語で「グノーシス」)を強調する分派のことでしょう。

 

特徴は、⑴異端者はユダヤ人(テトスへの手紙」1章10節)。⑵モーセ律法重視(テモテへの第一の手紙1章7節、テトスへの手紙」3章9節)。

 

⑶神話や系図中心(テモテへの第一の手紙1章4節、テトスへの手紙1章14節)。⑷禁欲主義(テモテへの第一の手紙4章3節、テトスへの手紙1章14〜15節)。⑸結婚禁止(テモテへの第一の手紙4章3節)。⑹死者からの復活はすでに起きたと主張(テモテへの第二の手紙2章18節)。⑺御国でなく自己の利益を追求(テモテへの第一の手紙6章5節)です。

 

なお、テモテ個人のことですが、テモテはガラテヤのリステラ出身で、彼の父親はギリシア人、母親はユダヤ人キリスト者です。
テモテはギリシア語で「ティモテオス」で、「神様を敬う人」とか「神様の栄光」といった意味があるそうです。

 

パウロとの出会いは、パウロが最初の伝道旅行でリステラ(使徒言行録14章8〜23節)に立ち寄った時に知り合いキリスト信仰者になり、パウロとの関係は「信仰によるまことの子」と呼ばれるほどになります(テモテへの第一の手紙1章2節)。

 

パウロはテモテを伝道旅行に同行させ、パウロがローマで最初に投獄される時までパウロ伝道団の一員であり続けたようです(フィリピの信徒への手紙2章20節、1章1節、コロサイの信徒への手紙1章1節、フィレモンへの手紙1節)。

 

テモテは異邦人ですが、割礼を受けています。それは、母親がユダヤ人であったからでしょう。(使徒言行録16章1〜4節)。
パウロはテモテを彼の代行者としてテサロニケに(テサロニケの信徒への第一の手紙3章1〜2、6節)、コリントに(コリントの信徒への第一の手紙4章17節、16章10節)、またフィリピに(フィリピの信徒への手紙2章19、23節)派遣しています。

 

テモテが、パウロの伝道団に加わった時は20歳くらいの若者でしたが、この手紙を受け取った時は、35歳くらいではということです。
また、テモテは病気がちで(テモテへの第一の手紙5章23節)また臆病でもあったようです。

 

パウロはテモテを励ましたり、その臆病さを叱咤したりしています(テモテへの第二の手紙1章7〜8節、2章3節、4章5節)。
伝承によればテモテはエフェソの教会の最初の教会長となり、97年に殉教の死を遂げています。

 

最後に、教会(集会)とはキリストを救い主として信じる者の集まりと書きましたが、信者の集まりにこの手紙に書かれているような監督者とか執事とか奉仕者などの肩書をつけることは、信徒の集会を組織化することになると思うのです。

 

人の集まりが組織化すると地位を得た人に支配欲、権力欲、物欲、金銭欲、色欲が生まれるのは必然です。
大きく立派な建物を建てるにはお金が要りますから、信者の負担も重くなります。

 

大きく立派な建物が建てば、教会は自分のもののように思う監督者が現れてもおかしくありません。
だから過去の教会を見ると、腐っていくというか誤った道を歩むことにもなると思うのです。

 

キリストは、信者が二人集まればそこにおられますから、それが教会(集会)です。キリストは、大きな建物もお金も地位も望んではおられません。

 

ただ、福音を全世界に伝え、隣人を自分のように愛しなさいと言われているだけです。
この聖書の時代は、外からの攻撃、異端による内部からの攻撃によって信者が集まり組織化して教会を守る必要があったので、この手紙はそのために書かれています。

 

組織化は、良い面もありますが悪い面もあります。しかし、キリスト教会を守るために必要です。

 

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