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2024年10月 9日 (水)

主の過ぎ越し(12章)

聖書箇所は、出エジプト記12章1節から28節です。
「過越の祭り」と「種の入らないパンの祭り」はワンセットになっていて、「五旬節」の祭りと秋の仮庵の祭りと並ぶ主の三大例祭の一つです。

 

年に三度、これらの祭りには壮年の男子は必ず集まらなければならず、もし集まらなければイスラエルの民から切り離されるという定めだそうです。当時、そのような目に合えば生きてはいけません。

 

それほどに神の民にとって重要な祭りであったということです。

 

種の入らないパンですが、イスラエルの民が「パン種」の入らないパンを食べるのは、聖書においては、「パン種」は常に「罪の象徴」だからということです。

 

 

ヘブル語で「パン種」のことを「ホーメツ」と言うそうで、その語彙には「酸っぱい」「苦い」という意味があるそうですが、それは私たちを「酸っぱく」し、「苦い」者としてしまうのが罪の性質だということです。

 

逆に、ヘブル語で「マッツァー」、すなわち「種の入らないパン」は「酸味のない甘いパン」という意味になり、罪のない生活の喜びや健全さを象徴しているということです。

 

纏めると、イスラエルの民は、過越の祭りを通して神によってエジプトから贖い出されたのは、傷もなく汚れもない小羊の血によったのであるということになり、罪から離れて神の民としてふさわしく生きるために七日間にわたる「種の入らないパンの祭り」が制定されたということです。

 

「七日間」は、完全数であることに注意。
なお、「種の入らないパン」を食べることを預言の面から見ると、神の人類救済の計画において、メシアであるイエスの生涯が全き罪なき生涯であったということと、主に召された者たちが、その思いと行いにおいて、聖なる方にならってふさわしく生きるようになるように目指すことを指すそうです。

 

●1節.エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。
●2節.「この月をあなたたちの正月とし、年の初めの月としなさい。

 

「この月」というのは、過ぎ越しの祭りの月で、その月を正月、つまり、年の初めの日としなさいと言われています。
現代の暦ですと、3月か4月になるそうです。

 

祭りは、ユダヤ暦のニサン月14日の夜(太陽暦の3月か4月)に始まり1週間続くそうです。

 

●3節.イスラエルの共同体全体に次のように告げなさい。『今月の十日、人はそれぞれ父の家ごとに、すなわち家族ごとに小羊を一匹用意しなければならない。

 

記念となる過越の祭りは、基本的に家族の祝いですが、主は、イスラエルの共同体全体に言われます。
それは、今月の十日に家族ごとに小羊を一匹用意するというものです。

 

イエス・キリストの十字架死と三日後の復活が、主の全人類の罪の贖いの御業で、主の過ぎ越しにあたります。
そう、小羊もイエスも生贄となるものは血が流されることによってその罪が贖われるのです。

 

●4節.もし、家族が少人数で小羊一匹を食べきれない場合には、隣の家族と共に、人数に見合うものを用意し、めいめいの食べる量に見合う小羊を選ばねばならない
●5節.その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。用意するのは羊でも山羊でもよい。

 

屠るのは小羊で、「傷のない一歳の雄」としています。
そして、その小羊は山羊でもよいとし、「隣の家族と共に、人数に見合うものを用意し」なさいとしています。

 

小羊は、「傷のない」羊ですから、生贄として屠られる小羊は、傷や欠陥があってはならないのです。
イエス・キリストが十字架ですが、イエスキリストには何の罪も見出されなかったとしています。(第一ペトロ1章18節)

 

●6節.それは、この月の十四日まで取り分けておき、イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、
●7節.その血を取って、小羊を食べる家の入り口の二本の柱と鴨居に塗る。

 

「この月の十四日」の夕暮れに、小羊がほふられます。
これは、だいたい3時過ぎから6時過ぎまでの間で、日没になると、ユダヤの暦では日没が一日の始まりですから、15日になります。

 

イエスが十字架の上で死なれたのは、この14日のことです。
羊の血を、門柱とかもいに塗るのは、イエス・キリストの十字架の全人類の罪を贖う血と同じ意味で、イスラエルの罪を贖いエジプトから救い出すという神の行為なのでしょう。

 

少し調べましたが、出エジプトはイスラエルの歴史に史実として認められているのかですが、今のところ聖書以外には証拠がなく史実としては認められていないそうです。
間違っていればすみません。

 

●8節.そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。また、酵母を入れないパンを苦菜を添えて食べる。

 

過越の食事は日没からが始まります。
食事には決められた順番があり、まず、テーブルの真中に置かれたほふった羊を、苦菜を添えて酵母を入れないパンと共に食べるのです。

 

「種入れぬパン」は、不純物を取り除くことを表し、エジプトの考えや習慣が生地の中で発酵(支配)することを避けさせるためであったのでしょう。

 

参考箇所、マタイの福音書26章26節
また、小羊の肉はパンに置き換えられ、主の復活の命を表します。(第一コリント10章16節から17節)

 

また、「苦菜を添えて食べる。」ですが、
過ぎ越しの食事には、さらに「苦菜」、「塩水」、ハローシェトと言われる「お菓子」(どのようなものか知りません)、それに「ぶどう酒」が添えられました。

 

苦菜は、塩水のはいったコップにわさびやチコリやレタスやはっかなどを入れて作るそうですが、その苦みはエジプトでの奴隷生活の苦しみを思い出すためなのでしょう。

 

塩水は、奴隷の時に流した悲しみの涙を表すという説と紅海の塩水を表すという説があります。
パンをこの塩水に浸して食べました。マルコの福音書14章20節

 

お菓子は、リンゴやナツメヤシやイチジクで作り、奴隷としてレンガ造りを強いられていた時の粘土を表すのでしょう。
このようにして、小羊を食べることによって、イスラエルはエジプトに下る災いから救い出されるのです。それは主の御業でした。

 

過ぎ越しの食事は、「神の裁きを過越す」食事です。
具体的には、用意された小羊は、罪の罰として頸(けい)動脈が切られ、血(命)を器に受けられ、その血は家のかもいと門柱に塗られます。

 

神はエジプトの罪を裁かれるのですが、イスラエルの民の家は羊の血をかもいと門柱に塗られているので、その中のイスラエルの民の罪の代価は支払い済となり、「主はその戸口を過ぎ越され」(12章23節)ます。

 

●9節.肉は生で食べたり、煮て食べてはならない。必ず、頭も四肢も内臓も切り離さずに火で焼かねばならない。

 

「火で焼かねばならない。」のは、火ですから、神の裁きを表しているからでしょう。

 

●10節.それを翌朝まで残しておいてはならない。翌朝まで残った場合には、焼却する。

 

「それを翌朝まで残しておいてはならない。」のは、夜のうちに全部焼かなければいけないということですから、それは夜のうちに主の過ぎ越し(罪の贖い)が完了し、新しい歩みが始まるからということでしょう。
すなわち、罪が処理されるのは夜のうちでなければならないのです。

 

●11節.それを食べるときは、腰帯を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べる。これが主の過越である。

 

「腰帯を締め」るのは、当時の服装裾の長い服でしたから、体を動かすときには、腰の帯を引き締めて、裾を上げて、動きやすくしたそうです。

 

「腰帯を締め、靴を履き、杖を手にし、急いで食べる。」ですが、イスラエルの民は、これからエジプトを出て行くことになるので、すぐに出立出来る準備を整えて食事に入るのでしょう。

 

過越の食事は、夕方6時ごろから9時ごろまでかけて行なうそうです。

 

●12節.その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの国のすべての初子を撃つ。また、エジプトのすべての神々に裁きを行う。わたしは主である。

 

過ぎ越しの食事で重要なことは、主がエジプトを打つためにエジプトの中を行き巡られるときに、傷のない小羊の血を見て、その戸口を過ぎ越されるということです。

 

主がエジプトとイスラエルを区別するための具体的な手続きをモーセとアロンに言われたのですが、それは次の通りです。
⑴ 家族ごとに羊一頭を用意すること。
⑵ その羊は傷のない小羊(1歳の雄)であり、それを確認するために4日を要すること。
⑶ その小羊をほふり、血を門の柱とかもいに塗ること。
⑷ ほふられた羊は主への過越のいけにえとして火で焼き、その日にすべて食べること。
⑸ 朝まで、だれも家の戸口から外に出てはならないこと、です。

 

さらにこの過ぎ越しの日を記念すべき主への祭りとして祝うことと、その祭りの七日間は「種を入れないパン」を食べること、さらにその期間は家からすべてのパン種を取り除くことが永遠の掟として規定されています。

 

●13節.あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。

 

羊の血が塗られた家を主が過越すことで、主は「わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。」と言われています。

 

主の災いが羊の血が塗られた家、すなわち、イスラエルの人々を過ぎ越すのです。

 

●14節.この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない。

 

主は、イスラエルがエジプトから救い出されるという出来事は、「主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない。」と命じられます。

 

●15節.七日の間、あなたたちは酵母を入れないパンを食べる。まず、祭りの最初の日に家から酵母を取り除く。この日から第七日までの間に酵母入りのパンを食べた者は、すべてイスラエルから断たれる。

 

ここからは、種なしのパンの祭りについての説明です。
羊がほふられる十四日(12章7節)の夕方から、つまり過越の祭りの次の日から、七日間祝われます。

 

種なしパンの祭りは、イスラエルの春の例祭の第二番目に当たります。
過越の祭りは、14日の1日だけの祭りですが、 種なしパン の祭りは、7日間行われます。

 

新約時代には、8日間をまとめて「種なしパンの祝い」と呼ばれています。
「この日から第七日までの間に酵母入りのパンを食べた者は、すべてイスラエルから断たれる。」とありますが、これはイスラエルの共同体から断ち切られることを意味し、当時共同体から断ち切られると生きてはいけないので死と同然でした。

 

すなわち、それだけ深刻な意味が、パン種の中には含まれているということでしょう。

 

●16節.最初の日に聖なる集会を開き、第七日にも聖なる集会を開かねばならない。この両日にはいかなる仕事もしてはならない。ただし、それぞれの食事の用意を除く。これだけは行ってもよい。

 

「最初の日」すなわち種なしパンの祝いの最初の日と第七日目には集会を開き、その日には食事の用意以外「いかなる仕事もしてはならない。」と命じられます。

 

つまり、他の祭りのときと同じく、種なしパンの祝いは安息していなければいけないのです。
その意味は、主がしなければいけないすべてのわざを、完成されたからでしょう。

 

主は、六日間で天地万物を創造され、七日目に休まれました。種なしパンの祝いにおいては、主のイスラエルの民に対する過ぎ越しの業、出エジプトの御業が成し遂げられたことを意味しているのでしょう。

 

●17節.あなたたちは除酵祭を守らねばならない。なぜなら、まさにこの日に、わたしはあなたたちの部隊をエジプトの国から導き出したからである。それゆえ、この日を代々にわたって守るべき不変の定めとして守らねばならない。

 

こうして、イスラエルの民にとって、過越の祭りと同様、種なしパンの祝いもまた「不変の定め」として守らなくてはならない掟になりました。

 

●18節.正月の十四日の夕方からその月の二十一日の夕方まで、酵母を入れないパンを食べる。
●19節.七日の間、家の中に酵母があってはならない。酵母の入ったものを食べる者は、寄留者であれその土地に生まれた者であれ、すべて、イスラエルの共同体から断たれる。
●20節.酵母の入ったものは一切食べてはならない。あなたたちの住む所ではどこでも、酵母を入れないパンを食べねばならない。』」

 

「酵母を入れないパン」は、「正月の十四日の夕方からその月の二十一日の夕方まで」ですから、1月に十四日から一週間食べることになるのですが、その間に酵母の入ったものを食べるとイスラエルの共同体から立たれます。

 

その対象となるのは、「寄留者であれその土地に生まれた者であれ、すべて」ですから、イスラエル人でなかったにせよ、差別なく共同体から断ち切られるのです。

 

非情に厳しい掟ですが、それは、過越の祭りが、種なしパンもまた、その血(羊の血を鴨居に塗るによって神の裁きを過ぎ越す)によって罪が取り除かれたことを意味しているからでしょう。

 

このようにパン種は、罪や悪を表しているのですが、その説明が下記のようになされていました。
パンを作るときにはイースト菌のはいったパンの一部を残すのですが、それを新しい粉のかたまりに混ぜると、粉全体をふくらませるそうです。

 

そしてそこからまた一部種ありパンを残しておくと、他の新しい粉と混ぜて、全体をふくらませることを繰り返すそうです。
したがって、わずかなパン種で、全体をふくまらせることができるので、罪も、最初は小さくてもイースト菌のように全体に広がり全体を滅ぼすことになるからだということです。

 

●21節.モーセは、イスラエルの長老をすべて呼び寄せ、彼らに命じた。
「さあ、家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。

 

モーセによる長老たちへの説明が終わり、今度は実行です。
それは家族ごとで羊を殺すことから始まります。

 

●22節.そして、一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居と入り口の二本の柱に鉢の中の血を塗りなさい。翌朝までだれも家の入り口から出てはならない。

 

モーセは、具体的に長老たちに命じます。
ヒソプは、食物の名で、鉢の中の羊の血に浸して「鴨居と入り口の二本の柱に鉢の中の血を塗り」翌朝までその入り口から出てはならないというものです。

 

●23節.主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血を御覧になって、その入り口を過ぎ越される。滅ぼす者が家に入って、あなたたちを撃つことがないためである。

 

この事を命じるのは、主がエジプトを裁かれるときに「鴨居と二本の柱に塗られた血を御覧になって、その入り口を過ぎ越される。」からだと説明されます。それは、「滅ぼす者が家に入って」イスラエルの民を撃つことがないようにするためです。

 

すなわち、主がエジプトの中をめぐり「滅ぼす者」によって裁かれるときに、玄関の鴨居に血が塗られてあるか否かを見ます。
血のある家は「裁きを過ぎ越し」、血がない家では裁かれるのです。

 

●24節.あなたたちはこのことを、あなたと子孫のための定めとして、永遠に守らねばならない。

 

主の裁きからあなた方を守るために、つまり、過越の祭りと同様、種なしパンの祝いを「不変の定め」として代々引き継いでいく方法を具体的に教えます。

 

●25節.また、主が約束されたとおりあなたたちに与えられる土地に入ったとき、この儀式を守らねばならない。
●26節.また、あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、
●27節.こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。」民はひれ伏して礼拝した。

 

主はこの儀式を、まず、イスラエルの民が約束の地であるカナンの地に入ったときに守らなければならないとし、子供、すなわち、子孫がこの儀式の意味を尋ねてきたときはその意味を、『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と説明しなさいと命じられます。

 

これらを聞いた民は、「民はひれ伏して礼拝した。」のです。

 

●28節.それから、イスラエルの人々は帰って行き、主がモーセとアロンに命じられたとおりに行った。

 

モーセに命じられた長老たちは民に説明し、民は家に帰り「主がモーセとアロンに命じられたとおりに行った。」のです。
これで出エジプトの準備が整いました。

 

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