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2024年10月 1日 (火)

はれ物の災い、雹の災い(9章)

<はれ物の災い>
聖書箇所は、出エジプト記9章8節から12節です。
●8節.主はモーセとアロンに言われた。「かまどのすすを両手にいっぱい取って、モーセはそれをファラオの前で天に向かってまき散らすがよい。
●9節.それはエジプト全土を覆う細かい塵となって、エジプト全土の人と家畜に降りかかり、膿の出るはれ物となるであろう。」

 

六番目の災いは、「膿の出るはれ物」の災いです。
「かまどのすす」を「ファラオの前で天に向かってまき散らす」と、「エジプト全土の人と家畜に降りかかり、膿の出るはれ物となる」というのです。

 

●10節.二人はかまどのすすを取ってファラオの前に立ち、モーセがそれを天に向かってまき散らした。すると、膿の出るはれ物が人と家畜に生じた。

 

モーセらは主に言われた通り「かまどのすすを取ってファラオの前に立ち、モーセがそれを天に向かってまき散らした。」のです。
そうすると、「膿の出るはれ物が人と家畜」、つまり、エジプト人と家畜に生じます。

 

 

●11節.魔術師もこのはれ物のためにモーセの前に立つことができなかった。はれ物は魔術師のみならず、エジプト人すべてに生じた。

 

かまどのすすを蒔いたことによりできた「膿の出るはれ物」は、魔術師のみならず「エジプト人すべてに生じた。」のです。

 

●12節.しかし、主がファラオの心をかたくなにされたので、彼は二人の言うことを聞かなかった。主がモーセに仰せになったとおりである。

 

ここでも主は、「ファラオの心をかたくなにされたので、」モーセらの言うことを聞き入れませんでした。
主は、どうしてもご計画通り、予定された不思議としるしをエジプト人の前で行われるつもりです。

 

しかし、11節に魔術師にも膿の出るはれ物が生じたとわざわざ特定されていますが、これは、エジプトで癒しの神として信じられていた偶像の神々に対する裁きでしょう。

 

疫病を支配する神「セクメット」、癒しの神として信じられていた「セラピス」、そして、薬の神として信じられていた「イムホテプ」などで、それらの神々の偶像の神々では、エジプトの民を膿の出るはれ物から守ることができなかったことを明らかにしているのでしょう。

 

<雹の災い>
聖書箇所は、出エジプト記9章13節から35節です。
第七番目の災害です。ここからは、人命を奪う災害となりますから、新局面と言えます。
それは、前代未聞の災害が引き起こされ、国家経済への破壊力がきわめて大きい天災です。
また、ここからは、モーセの杖によって災害が天からもたらされるようになります。

 

●13節.主はモーセに言われた。「明朝早く起き、ファラオの前に立って、彼に言いなさい。ヘブライ人の神、主はこう言われた。『わたしの民を去らせ、わたしに仕えさせよ。
●14節.今度こそ、わたしはあなた自身とあなたの家臣とあなたの民に、あらゆる災害をくだす。わたしのような神は、地上のどこにもいないことを、あなたに分からせるためである。

 

主は、モーセに「明朝早く起き、ファラオの前に立って」ご自分の言葉を告げ知らせよと言われます。
それは、『わたしの民を去らせ、わたしに仕えさせよ』です。
そして、「今度こそ、わたしはあなた自身とあなたの家臣とあなたの民に、あらゆる災害をくだす。」と言われています。

 

●15節.実際、今までにもわたしは手を伸ばし、あなたとあなたの民を疫病で打ち、地上から絶やすこともできたのだ。
●16節.しかしわたしは、あなたにわたしの力を示してわたしの名を全地に語り告げさせるため、あなたを生かしておいた。
●17節.あなたはいまだに、わたしの民に対して高ぶり、彼らを去らせようとしない。

 

主は、今まで、「わたしは手を伸ばし、あなたとあなたの民を疫病で打ち、地上から絶やすこともできた」が、「あなたにわたしの力を示してわたしの名を全地に語り告げさせるため、あなたを生かしておいた。」とされ、そして、14節の「今度こそ・・・」につながるのです。
18節以降を読むと今度は雹の災いですが、この災いの目的は何でしょうか。

 

それは、14節にあるように「わたしのような神は、地上のどこにもいないことを、あなたに分からせるためである。」です。
そして、イスラエルの民をエジプトから去らせようとしないから(17節)、「見よ、明日の今ごろ、エジプト始まって以来、今日までかつてなかったほどの甚だ激しい雹を降らせる。」(18節)です。

 

そして、19節で、「それゆえ、今、人を遣わして、あなたの家畜で野にいるものは皆、避難させるがよい。野に出ていて家に連れ戻されない家畜は、人と共にすべて、雹に打たれて死ぬであろう』と。」警告されます。

 

だから、「人を遣わして、あなたの家畜で野にいるものは皆、避難させるがよい。」・・ということでしょう。(19節)
17節を読むと、ファラオがここまで強情なのは、主がファラオの心をかたくなにされているということもあるのでしょうが、「わたしの民に対して高ぶり」だと言っておられます。

 

●18節.見よ、明日の今ごろ、エジプト始まって以来、今日までかつてなかったほどの甚だ激しい雹を降らせる。

 

いよいよ主は「今日までかつてなかったほどの甚だ激しい雹を降らせる。」と言われる。
今までなかったような雹による災害です。

 

●19節.それゆえ、今、人を遣わして、あなたの家畜で野にいるものは皆、避難させるがよい。野に出ていて家に連れ戻されない家畜は、人と共にすべて、雹に打たれて死ぬであろう』と。」
●20節.ファラオの家臣のうち、主の言葉を畏れた者は、自分の僕と家畜を家に避難させたが、
●21節.主の言葉を心に留めなかった者は、僕と家畜を野に残しておいた。

 

ここの「あなたの家畜」のあなたは、ファラオを指しますから、エジプト人の家畜でしょう。
それも「ファラオの家臣のうち」ですから、「自分の僕と家畜」を持っていたのは「ファラオの家臣」がほとんどであったのでしょう。

 

その家臣の中で「主の言葉を心に留め」た者は、主の言葉に従い、「自分の僕と家畜を家に避難させ」たのです。
異邦人であるエジプト人にも主は悔い改める機会を与えておられるのです。

 

主の警告があったのにもかかわらず、家畜と僕を野に残しておいた者たちもいました。

 

●22節.主はモーセに言われた。「あなたの手を天に向かって差し伸べ、エジプト全土に、人にも家畜にも、野のあらゆる草の上にも雹を降らせるがよい。」

 

ファラオとその家臣らに警告した主はモーセに、「あなたの手を天に向かって差し伸べ、エジプト全土に、人にも家畜にも、野のあらゆる草の上にも雹を降らせるがよい。」と言われます。

 

●23節.モーセが天に向かって杖を差し伸べると、主は雷と雹を下され、稲妻が大地に向かって走った。主はエジプトの地に雹を降らせられた。

 

モーセは主の指示に従い「天に向かって杖を差し伸べると、」稲妻が大地に走り、雷と雹がエジプトの地に降ります。
野の作物にこれによって被害が及びます。その様は24節以降に記されている。

 

●24節.雹が降り、その間を絶え間なく稲妻が走った。それは甚だ激しく、このような雹が全土に降ったことは、エジプトの国始まって以来かつてなかったほどであった。
●25節.雹は、エジプト全土で野にいるすべてのもの、人も家畜も残らず打った。雹はまた、野のあらゆる草を打ち、野のすべての木を打ち砕いた。
●26節.ただし、イスラエルの人々の住むゴシェンの地域には雹は降らなかった。

 

稲妻と雹による「エジプトの国始まって以来かつてなかったほど」の災害でした。
だが、イスラエルの民が宿営する「ゴシェンの地域には雹は降らなかった。」のです。

 

主は、イスラエルの民とエジプト人を区別され、イスラエルの民を守られたのです。
これによって、この稲妻と雹の災害が主によることが明確になります。

 

●27節.ファラオは人を遣わし、モーセとアロンを呼び寄せて言った。

 

「今度ばかりはわたしが間違っていた。正しいのは主であり、悪いのはわたしとわたしの民である。
おやおや、ファラオは、自分の過ちを認めたようです。
ファラオが、ここまで言うのは、よっぽどひどい災害であったのでしょう。

 

●28節.主に祈願してくれ。恐ろしい雷と雹はもうたくさんだ。あなたたちを去らせよう。これ以上ここにとどまることはない。」

 

ファラオは、自分お過ちを認めて、さらに、雷と雹の災害から逃れたいので主に祈願してくれと言っています。
といっても、自分の過ちを悔い改めたわけではないと思います。

 

ただ、今の苦しみというか困難から逃れたい一心であったのでしょう。
30節にはそのことが書かれています。

 

●29節.モーセは言った。「町を出たら、早速両手を広げて主に祈りましょう。雷はやみ、雹はもう降らないでしょう。あなたはこうして、大地が主のものであることを知るでしょう。
●30節.しかし、あなたもあなたの家臣も、まだ主なる神を畏れるに至っていないことを、わたしは知っています。」

 

モーセは、ファラオの本音を見抜いています。ただ、今の苦しみを逃れたいだけです。
それでもモーセは、「町を出たら、早速両手を広げて主に祈りましょう。雷はやみ、雹はもう降らないでしょう。」と言っています。
そのうえで、フアラオも家臣も「まだ主なる神を畏れるに至っていないことを、わたしは知っています。」と言っています。

 

●31節.亜麻と大麦は壊滅した。大麦はちょうど穂の出る時期で、亜麻はつぼみの開く時期であったからである。
●32節.小麦と裸麦は壊滅を免れた。穂の出る時期が遅いからである。

 

30節で、モーセはフアラオも家臣も「まだ主なる神を畏れるに至っていないし、と言っていますが、それを受けて31節と32節だと思いますが、その意味はどういうことでしょうか。

 

解説では、この雹の災害が、「大麦はちょうど穂の出る時期で、亜麻はつぼみの開く時期」であったから壊滅したのです。
ということは、「穂の出る時期で、亜麻はつぼみの開く時期」ですから、この災害があったのは、1月から2月にかけてではないでしょうか。

 

反対に「小麦と裸麦は壊滅を免れた。穂の出る時期が遅いから」とされています。
「小麦と裸麦」が実をつけるのは、4月から5月にかけてのことではないかとされています。

 

ということは、この雹の災害はその間、2月から3月にかけて起こったと考えられます。
このように、大麦と亜麻は雹で打ち倒されましたが、小麦と裸麦は雹の災害から免れました。

 

●33節.モーセは、ファラオのもとから退出し町を出ると、両手を広げて主に祈った。すると、雷も雹もやみ、大地に注ぐ雨もやんだ。
●34節.ファラオは、雨も雹も雷もやんだのを見て、またもや過ちを重ね、彼も彼の家臣も心を頑迷にした。
●35節.ファラオの心はかたくなになり、イスラエルの人々を去らせなかった。主がモーセを通して仰せになったとおりである。

 

モーセの祈りにより、「雷も雹もやみ、大地に注ぐ雨もやんだ。」のですが、それを見てファラオはまたもや過ち「彼も彼の家臣も心を頑迷、」にし、「イスラエルの人々を去らせなかった。」のです。

 

「主がモーセを通して仰せになったとおり」でした。
もちろん、ファラオが、イスラエルの子らをエジプトから去らせなかった原因には、大麦と亜麻は雹で打ち倒されましたが、小麦と裸麦は雹の災害から免れたことも大きく影響しているのでしょう。

 

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