初子の奉献、除酵祭、初子について、火の柱、雲の柱(13章)
1節と2節は、主がモーセになされた命令で、3~16節は、モーセが民に告げた主の命令ですが、そのうち、9~16節は3~8節を詳しく記したものです。
旧約聖書の祭りですが、アビブの月、3月半ばから4月半ばの最初の月3月の14日の夕方(ニサン15日)から始まる「過越の祭り」のことを「ペサハ」と言い、その祭りと連動して、翌日から「種の入らないパンの祭り」を7日間することが命じられていますから、7日間「種の入らないパン」を食べなければなりません。
しかも、7日間の最初と終わりには聖なる会合を開き、一切の仕事が禁じられます。
また、その間の安息日(週の7日目と定められていて土曜日にあたる。)も一切の仕事はできません。
なお、旧約聖書の1日は、基本的に日没で区切るので、「土曜日」というのは金曜日の日没から土曜日の日没までの間を言います。
また、「種を入れないパンの祭り」では、7日間を通して、毎日、全焼のいけにえと穀物のいけにえ、そして罪のためのいけにえを規定に従ってささげなければなりませんでした。
このように、「過越の祭り」と「種の入らないパンの祭り」はワンセットになっていて、「五旬節」の祭りと秋の仮庵の祭りと並ぶ主の三大例祭の一つです。
年に三度あるこれらの祭りには、壮年の男子は必ず集まらなければならず、もし集まらなければイスラエルの民から切り離されるという定めでした。
それほどに神の民によっては重要な祭りであったということです。
<初子の奉献>
聖書箇所は、出エジプト記13章1節から2節です。
●1節.主はモーセに仰せになった。
●2節.「すべての初子を聖別してわたしにささげよ。イスラエルの人々の間で初めに胎を開くものはすべて、人であれ家畜であれ、わたしのものである。」
「すべての初子を聖別してわたしにささげよ。」の「わたしにささげよ」というのは、それを殺して私に捧げよということです。
「すべての初子」ですから、人間も入るわけですが、家畜の場合はそれができますが、ある特定の動物や人の場合はそれができませんので、その場合にどうするかするかが13節で、「ただし、ろばの初子はみな、羊で贖わなければならない。もし贖わないなら、その首を折らなければならない。」と書かれています。
ろばがささげ物にならないのは、汚れた動物の類に入っているからということです。
<除酵祭>
聖書箇所は、出エジプト記13章3節から10節です。
3~16節は、モーセが民に告げた主の命令です。
●3節.モーセは民に言った。「あなたたちは、奴隷の家、エジプトから出たこの日を記念しなさい。主が力強い御手をもって、あなたたちをそこから導き出されたからである。酵母入りのパンを食べてはならない。
モーセは民に、「主が力強い御手をもって」、「奴隷の家」であった「エジプトから出たこの日を記念しなさい。」ですから、主への感謝の日として代々受け継ぎ覚えていなさい、ということでしょう。
●4節.あなたたちはアビブの月のこの日に出発する。
アビブの月は、太陽暦(グレゴリオ暦)では3月半ばから4月半ばまでの期間に相当し、ユダヤ人がバビロンから帰還した後,ニサンと呼ばれるようになったそうです。
●5節.主が、あなたに与えると先祖に誓われた乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ヒビ人、エブス人の土地にあなたを導き入れられるとき、あなたはこの月にこの儀式を行わねばならない。
●6節.七日の間、酵母を入れないパンを食べねばならない。七日目には主のための祭りをする。
●7節.酵母を入れないパンを七日の間食べる。あなたのもとに酵母入りのパンがあってはならないし、あなたの領土のどこにも酵母があってはならない。
5~7節では、主の約束の地カナンの地に入れば、「この月にこの儀式
、つまり、「酵母を入れないパンを七日の間食べる。」ことが命じられています。
過ぎ越しの祭りと七日間の除酵祭(種なしパンの儀式)は、約束の地に入ってからも行なって、代々その儀式を記念として行い絶えず思い出すことが命じられています。
なぜ、「酵母を入れないパン」なのかを考えますと、ほんの少しの酵母がパン全体を膨らませるのをたとえに、人は霊(命の息)によって「生きる者」(創2章7節)になったのですが、その「息」が人間を支配するということで、神のパン種であり、神の聖霊であり、神の言葉ということでしょう。
●8節.あなたはこの日、自分の子供に告げなければならない。『これは、わたしがエジプトから出たとき、主がわたしのために行われたことのゆえである』と。
モーセは、この出来事が『これは、わたしがエジプトから出たとき、主がわたしのために行われたことのゆえである』、すなわち、主の御業を子供ですから、子孫に代々語り告げることを命じています。
エジプトから出る前夜の「過越しの食事」は、罪が許され奴隷から解放される記念の食事でした。
主は、この食事を年に一度、代々に渡って守るようにイスラエルの民にモーセを通して命じます。
●9節.あなたは、この言葉を自分の腕と額に付けて記憶のしるしとし、主の教えを口ずさまねばならない。主が力強い御手をもって、あなたをエジプトから導き出されたからである。
●10節.あなたはこの掟を毎年定められたときに守らねばならない。
モーセは、「この言葉」「この掟」は同じことを言っているのでしょう。
「この言葉を自分の腕と額に付けて記憶のしるしとし、主の教えを口ずさまねばならない。」と言っています。
また、この掟を「毎年定められたときに守らねばならない。」と、毎年定められた時に守り行なうことが命じられています。
ユダヤ人の男子は祈るときに、律法の出エジプト13章1から10節、申命記6章4から9節、11章13から21節を羊皮紙に書きつけ、小さく折りたたんで、小箱に入れて、左手首と額にひもで結びつけたそうです。
もちろん、「教えを口ずさまねばならない。」とある通り、「この言葉」忘れないように常に口ずさんでいたようです。
<初子について>
11節から15節は、主が先祖に導きいれると誓われた地、カナンの地にイスラエルの民が入った時になすべき主の命令です。
聖書箇所は、出エジプト記13章11節から16節です。
●11節.主があなたと先祖に誓われたとおり、カナン人の土地にあなたを導き入れ、それをあなたに与えられるとき、
●12節.初めに胎を開くものはすべて、主にささげなければならない。あなたの家畜の初子のうち、雄はすべて主のものである。
イスラエルの民が、主に導かれカナンの地を与えられたときになすべきことが12節に書かれています。
それは、「家畜の初子のうち、雄はすべて主のもの」、すなわち、家畜の雄の初子をあがなうことが命じられています。
なお、15節には、「家畜の初子のうち、雄」は、主のものであることの理由が記されています。
この「主のもの」は、「あがない」を指し、主がエジプトの人と家畜を殺され、それによってイスラエルの民を救い出されたことから来ているのでしょう。
●13節.ただし、ろばの初子の場合はすべて、小羊をもって贖わねばならない。もし、贖わない場合は、その首を折らねばならない。あなたの初子のうち、男の子の場合はすべて、贖わねばならない。
「ろば」は、イスラエルでは汚れた動物ですから、罪の贖いの犠牲としての捧げものにはふさわしくありませんから、「小羊をもって贖わねばならない。」としています。
男の子の初子の場合は、レビ記27章には金銭によって贖うことになっています。
つまり、初めての男の子の赤ちゃんが生まれたら、この子はすでに神のものですが、神殿にて献金をすれば、自分のものとして育てることができる、ということです。
●14節.将来、あなたの子供が、『これにはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、こう答えなさい。『主は、力強い御手をもって我々を奴隷の家、エジプトから導き出された。
●15節.ファラオがかたくなで、我々を去らせなかったため、主はエジプトの国中の初子を、人の初子から家畜の初子まで、ことごとく撃たれた。それゆえわたしは、初めに胎を開く雄をすべて主に犠牲としてささげ、また、自分の息子のうち初子は、必ず贖うのである。』
雄の初子が主のものであることの理由が記されています。
この「贖う」は、主がエジプトの人と家畜を殺され、それによってイスラエルの民を救い出されたことに起因があるのでしょう。
●16節.あなたはこの言葉を腕に付けてしるしとし、額に付けて覚えとしなさい。主が力強い御手をもって、我々をエジプトから導き出されたからである。」
罪からの救いは明確であらねばならない、ということでしょう。
14節で、「あなたの子供が、『これにはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、」どのように答えるかを14節と15節で説明します。
<火の柱、雲の柱>
聖書箇所は、出エジプト記13章17節から22節です。
●17節.さて、ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。
それは約束の地カナンへの近道であったのに、回り道をさせるために「神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。」のは、「民が戦わねばならぬことを知って、後悔し、(出エジプトを悔いて)エジプトに帰ろうとするかもしれない、」と主が思われたからでしょう。
なお、その「回り道」は、山間の狭い険しい道で、前方は紅海、左右は山々がそびえ立ち、いわば地形的に言えば、彼らを閉じ込めるような「袋小路」の場所であったそうです。
●18節. 神は民を、葦の海に通じる荒れ野の道に迂回させられた。イスラエルの人々は、隊伍を整えてエジプトの国から上った。
その回り道は、決して平たんでなく「荒れ野の道」であったのです。
その道は、外敵は少ないのですが、外敵が少なければ内敵、すなわち、不平、不満の敵が多くなるのでしょう。
しかし、イスラエルの民はこの荒野を40年間さ迷ったのです。
ここの「葦の海」という訳は、「紅海」と訳すことができるそうです。
●19節.モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが、「神は必ずあなたたちを顧みられる。そのとき、わたしの骨をここから一緒に携えて上るように」と言って、イスラエルの子らに固く誓わせたからである。
モーセはヨセフの遺骸を携えていました。それは、ヨセフの遺言であったからです。
ヨセフは信仰によって「ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子らの脱出について語り、自分の遺骨について指図を与えました。」(ヘブライ11章22節)。
ヨセフは、自分の墓をエジプトに設けないで、カナンの地に埋葬することを命じたのです。
●20節.一行はスコトから旅立って、荒れ野の端のエタムに宿営した。
●21節.主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。
●22節.昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。
スコトは、出エジプトから荒野に至る最初の寄留地です。(12章37節)
イスラエルの民は、出エジプトの後荒野の入り口エタムに宿営します。
主は、民をエジプトから脱出させた後も「昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされ」導かれました。
この雲と火は、神の顕著な御臨在を表しているのでしょう。
その象徴として「柱」ですから、神と人との縦の関係を強調しているのでしょう。
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