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2024年10月14日 (月)

初子の死・エジプトの国を去る(12章)

<初子の死>
聖書箇所は、出エジプト記12章29節から36節です。
●29節.真夜中になって、主はエジプトの国ですべての初子を撃たれた。王座に座しているファラオの初子から牢屋につながれている捕虜の初子まで、また家畜の初子もことごとく撃たれたので、

 

主は、エジプトの裁きを実行されます。
「エジプトの国ですべての初子を撃たれた。・・また家畜の初子もことごとく撃たれた」のです。

 

「ファラオの初子」も「牢屋につながれている捕虜の初子」も撃たれたのです。

 

 

 

なお、このファラオは、エジプト王朝ではアメンホテプ2世(第十八王朝)と言われています。その後を継いだのはトトメス4世ですが、彼はアメンホテプ2世の長子ではないそうです。長子は、このときに死んでしまったからでしょうか。

 

エジプトは、十度に及ぶ奇跡によって警告されたが、神がファラオを頑なにされたので、その目的も終わったのでしょう、いよいよその神の御業も最終段階になります。

 

●30節.ファラオと家臣、またすべてのエジプト人は夜中に起き上がった。死人が出なかった家は一軒もなかったので、大いなる叫びがエジプト中に起こった。

 

ファラオと家臣らが夜中に起き上ったとあります。
ファラオと家臣らの衝撃は非常に大きく、夜が明けるのを待っておれなかったのでしょう。

 

イスラエルの民の初子には何もなく、エジプトの民のエジプト中の初子がすべて死んだのですから、その驚きというか、恐怖は想像できます。
ファラオもこのような事態はイスラエルの神、主の御業とはっきり認識したことでしょう。

 

●31節.ファラオは、モーセとアロンを夜のうちに呼び出して言った。
「さあ、わたしの民の中から出て行くがよい、あなたたちもイスラエルの人々も。あなたたちが願っていたように、行って、主に仕えるがよい。

 

さっそくファラオは、「モーセとアロンを夜のうちに呼び出し・・わたしの民の中から出て行くがよい、」と命じます。
イスラエルの民は、とうとう奴隷から解放される日がやって来ました。

 

この年は、ヤコブの時代にヤコブの親族が飢饉を逃れエジプトに移り住んでから430年目でした。

 

●32節.羊の群れも牛の群れも、あなたたちが願っていたように、連れて行くがよい。そして、わたしをも祝福してもらいたい。」

 

ファラオはモーセとアロンに、エジプトから出ていくように命じましたが、「わたしをも祝福してもらいたい。」とも言っています。
このような事態によほど懲りたのでしょう。

 

●33節.エジプト人は、民をせきたてて、急いで国から去らせようとした。そうしないと自分たちは皆、死んでしまうと思ったのである。

 

「エジプト人は、民をせきたてて、急いで国から去らせようとした。」ですが、イスラエルの民がエジプトにいてるからこのような事態になったと思っているのでしょう。初子が死んで、次は自分かと思い、恐怖心に駆られて何を置いても、恐ろしかったのでしょう。

 

●34節.民は、まだ酵母の入っていないパンの練り粉をこね鉢ごと外套に包み、肩に担いだ。
●35節.イスラエルの人々は、モーセの言葉どおりに行い、エジプト人から金銀の装飾品や衣類を求めた。
●36節.主は、この民にエジプト人の好意を得させるようにされたので、エジプト人は彼らの求めに応じた。彼らはこうして、エジプト人の物を分捕り物とした。

 

イスラエルの民はエジプトを出ていくときに、「酵母の入っていないパンの練り粉」を肩に担ぎ、「エジプト人から金銀の装飾品や衣類を求め」ました。

 

それは、主が「エジプト人の好意を得させるようにされた」でした。
イスラエルの民が、エジプト人から金銀や装飾品を奪っていくのは、なぜでしょうか。

 

主がそのようにせよと命じられたからでしょうが、もうひとつわかりません。

 

イスラエルの民がエジプトで奴隷として働いた代償でしょうか、やがて幕屋を造るときに用いるのでしょうか、荒野で長旅をするための物資でしょうか、カナンの地に居住するときに安定するまでの生活を支えるために用いるのでしょうか。

 

「分捕り物とした」とありますから、エジプトで奴隷として働いた代償であることは確かでしょう。

 

<エジプトの国を去る>
聖書箇所は、出エジプト記12章37節から42節です。
出エジプトが実際にあったのかどうかがよく問題になりますが、入エジプトも出エジプトもその根拠は聖書にしかないそうです。

 

これだけの民族の大移動であればほかの歴史書にも出てくるはずですが、史実として出てこないのです。
ただし、イスラエルの一部の民がエジプトで奴隷であったり、エジプトを逃げ出したりしたのは事実だとする解説はあります。

 

また、出エジプトも家族を併せれば数百万人規模の民族大移動になりますが、これは過大な誇張であり、それだけの大移動であれば当時のエジプトの歴史資料に出てくるはずですが、その痕跡は残っていないそうです。

 

しかし、もし、入エジプトと出エジプトが事実でないとするならば、その当時イスラエルの民はどこでどのように暮らしていたのでしょうか。
もち、これが完全な物語ならば、この出来事をこれほど細かく作成し、旧約聖書を矛盾なく編集などできるのでしょうか。

 

●37節.イスラエルの人々はラメセスからスコトに向けて出発した。一行は、妻子を別にして、壮年男子だけでおよそ六十万人であった。
エジプトを出ていくイスラエルの民は、「壮年男子だけでおよそ六十万人」としています。

 

女子供を加えると、200万人は超えるのではないでしょうか。
エジプトに入ったときはヤコブ一族70人でしたが、430年間(40節)のエジプト寄留の間にそこまで膨れ上がったのです。
スコトは、出エジプトから荒野に至る最初の寄留地です。

 

●38節.そのほか、種々雑多な人々もこれに加わった。羊、牛など、家畜もおびただしい数であった。

 

出エジプトは、「種々雑多な人々もこれに加わった。」とあります。
おそらく、イスラエルの民と同じく奴隷になっていたセム系の民族であったと思いますが、この人たちは、後の記述を読むと、あまりイスラエルの民に良い影響を与えていなかった。

 

なえイスラエルの民について出エジプトをしたのか、その理由がわかりません。主を信じていたわけではないでしょう。

 

●39節.彼らはエジプトから持ち出した練り粉で、酵母を入れないパン菓子を焼いた。練り粉には酵母が入っていなかった。彼らがエジプトから追放されたとき、ぐずぐずしていることはできなかったし、道中の食糧を用意するいとまもなかったからである。

 

イスラエルの民のエジプト出立は、「道中の食糧を用意するいとまもなかった」としています。
ファラオは、目の前の現実に恐怖を覚え、すぐに出ていくように命じていましたからね。

 

●40節.イスラエルの人々が、エジプトに住んでいた期間は四百三十年であった。
●41節.四百三十年を経たちょうどその日に、主の部隊は全軍、エジプトの国を出発した。

 

ヤコブ一族70人が飢饉を逃れエジプトに居住してから430年が経ちました。
ヨセフが亡くなった後は、イスラエルの民は奴隷の状態で寄留を続けました。

 

イスラエルの民は奴隷としてエジプトの民の生活になくてはならない状態になっていたことでしょう。

 

●42節.その夜、主は、彼らをエジプトの国から導き出すために寝ずの番をされた。それゆえ、イスラエルの人々は代々にわたって、この夜、主のために寝ずの番をするのである。

 

「主は、彼らをエジプトの国から導き出すために寝ずの番をされた。」とあります。
親が子供を守るために寝ないで看病するように、主は、エジプトから出る民を、寝ずの番をして見守っておられましたのです。

 

この事にちなんで、過ぎ越しの祭りの日(14日)は、イスラエルの民は代々にわたって主を思い寝ずの番をするのです。

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