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2024年10月14日 (月)

過ぎ越しの規定(12章)

聖書箇所は、出エジプト記12章43節から51節です。
●43節.主はモーセとアロンに言われた。「過越祭の掟は次のとおりである。外国人はだれも過越の犠牲を食べることはできない。
●44節.ただし、金で買った男奴隷の場合、割礼を施すならば、彼は食べることができる。
●45節.滞在している者や雇い人は食べることができない。

 

イスラエルの出エジプトには外国人も入り混じっていたので、主は、過越祭の掟として設けたのでしょう。
主は、「外国人はだれも過越の犠牲を食べることはできない。」と言います。
ところが、例外として、金で買った男奴隷は割礼を施せば食べることができます。ただし、雇い人や寄留者はだめです。

 

 

 

●46節.一匹の羊は一軒の家で食べ、肉の一部でも家から持ち出してはならない。また、その骨を折ってはならない。

 

さらに、過越祭の掟として、一匹の羊は一軒の家で食べ、家から持ち出してはならない、また、その骨を折ってはならないとします。

 

●47節.イスラエルの共同体全体がこれを祝わなければならない。
●48節.もし、寄留者があなたのところに寄留し、主の過越祭を祝おうとするときは、男子は皆、割礼を受けた後にそれを祝うことが許される。彼はそうすれば、その土地に生まれた者と同様になる。しかし、無割礼の者は、だれもこれを食べることができない。
●49節.この規定は、その土地に生まれた者にも、あなたたちの間に寄留している寄留者にも、同じように適用される。」

 

過越祭の掟は、寄留者や雇い人ではなく、定住する者は、割礼を受ければ過越の食事を取ることができるということでしょう。
ですから、割礼は非常に重要視されています。

 

それは、割礼は、主は、アブラハム契約(創世記12章1節から3節)を定め、そのしるしとして、創世記17章10節から11節で割礼を定めているからです。

 

イスラエルの民も異邦人も割礼を受ければ主の祝福を受けるのです。つまり、神の民になることが絶対条件なのです。

 

●50節.イスラエルの人々はすべて、主がモーセとアロンに命じたとおりに行った。
●51節.まさにこの日に、主はイスラエルの人々を部隊ごとにエジプトの国から導き出された。

 

イスラエル人はすべて、主がモーセとアロンに命じられたとおりに行ないました。
ちょうどその日に、主はイスラエルの人々を、部隊ごとに、エジプトの国から連れ出されました。

 

<モーセ五書と神の民の確立>
13章19節に出エジプトの際にモーセは「ヨセフの遺骸を携えて来た」とありますが、これは「創世記」と「出エジプト記」が連続していることを裏付けることになるのでしょう。

 

同じ子孫であっても、モーセと創世記に記されているエジプト寄留の民の先祖であるヤコブの末の子ヨセフが生きた時代は400年ほどの間隙があります。

 

二人は個人的に会ったこともなく、当然それ以前のヨセフの父祖であるヤコブ(イスラエル)、イサク、アブラハムとも接触がありません。
また、イスラエルの神を啓示する場合「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と表現しますが、そのように啓示されたのもモーセが初めてなようです。

 

モーセが旧約聖書の最初の五書「律法」を著したとされていますが、その内容は、まず「出エジプト記」がモーセの時代に神の民が成立したことを記し、そこへ至る神の人類救済のご計画のはじまりとしての「創世記」、出エジプト後の「レビ記」は神と神の民との正しいかかわり方を記し、「民数記」は、神の民としての訓練を記し、さらに「申命記」は、神の民の自立の重要性を記しています。

 

このように「モーセ五書」が記された趣旨は、(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)は、「神の民の確立」でしょう。
神の民の確立は、イスラエルの民が出エジプトを経験したからことから始まっているのでしょう。

 

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