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2024年10月 1日 (火)

いなごの災い、暗闇の災い(10章)

<いなごの災い>
聖書箇所は、出エジプト記10章1節から20節です。
●1節.主はモーセに言われた。「ファラオのもとに行きなさい。彼とその家臣の心を頑迷にしたのは、わたし自身である。それは、彼らのただ中でわたしがこれらのしるしを行うためであり、
●2節.わたしがエジプト人をどのようにあしらったか、どのようなしるしを行ったかをあなたが子孫に語り伝え、わたしが主であることをあなたたちが知るためである。」

 

主がファラオとその家臣の心をかたくなにしたのは、主自身で「これらのしるしを行うため」であるとしています。
そして、その主のしるしをイスラエルの子孫が聞き「わたしが主であることをあなたたちが知るためである。」としています。

 

これから先イスラエル人は、エジプトから出て行って、荒野をさまようこと40年、約束の地カナンへ導かれ、そこに居住し国家を形成、また、世界に離散するなど波乱の歴史を送りますが、霊的指導者や預言者たちはどこにいても出エジプトを、イスラエルの民をエジプトから救い出してくださった主を語り継ぐでしょう。

 

 

主がファラオとその家臣の心をかたくなにしてまでなされた不思議としるしは、イスラエルの民の心にご自分が民の主であることを深く刻むこむためであったのです。

 

●3節.モーセとアロンはファラオのところに行き、彼に言った。「ヘブライ人の神、主はこう言われた。『いつまで、あなたはわたしの前に身を低くするのを拒むのか。わたしの民を去らせ、わたしに仕えさせなさい。
●4節.もし、あなたがわたしの民を去らせることを拒み続けるならば、明日、わたしはあなたの領土にいなごを送り込む。
●5節.いなごは地表を覆い尽くし、地面を見ることもできなくなる。そして、雹の害を免れた残りのものを食い荒らし、野に生えているすべての木を食い尽くす。

 

モーセとアロンはファラオのところに行き主の言葉を伝えます。

 

「わたしの民を去らせ、わたしに仕えさせなさい。・・わたしの民を去らせることを拒み続けるならば、明日、わたしはあなたの領土にいなごを送り込む。・・そして、残りのものを食い荒らし、野に生えているすべての木を食い尽くす。」です。

 

いなごは、「残りのものを食い荒らし、野に生えているすべての木を食い尽くす。」ですから、今までの災いで、まだ残っていた食物をも根こそぎ食い荒らすのです。

 

●6節.また、あなたの王宮、家臣のすべての家、エジプト中の家にいなごが満ちる。それは、あなたの先祖も、先祖の先祖も,この土地に住み着いた時から今日まで見たことがないものである』と。」彼が身を翻してファラオのもとから退出すると、

 

しかし、いなごの災いは、すごいです。「王宮、家臣のすべての家、エジプト中の家にいなごが満ちる。」というのです。

 

なぜ、イスラエルの人々がこのような目に合わなければいけないのか、それは1節と2節に記載されていますが、それは、「彼とその家臣の心を頑迷にしたのは、わたし自身である。」とし、彼らのただ中でわたしがこれらのしるしを行うためであり、わたしがエジプト人をどのようにあしらったか、どのようなしるしを行ったかをあなたが子孫に語り伝え、わたしが主であることをあなたたちが知るためである。」としています。

 

●7節.ファラオの家臣が王に進言した。「いつまで、この男はわたしたちを陥れる罠となるのでしょうか。即刻あの者たちを去らせ、彼らの神、主に仕えさせてはいかがでしょう。エジプトが滅びかかっているのが、まだお分かりになりませんか。」

 

ファラオの家臣は、かたくなになり現実を見ようとしないファラオに対し進言します。おそらくエジプトは滅びると思い、恐れて進言したのでしょう。

 

「エジプトが滅びかかっているのが、まだお分かりになりませんか。」ですから、家臣たちも必死です。
家臣たちの進言内容は、「即刻あの者たちを去らせ、彼らの神、主に仕えさせ」ると言いうものです。

 

●8節.モーセとアロンがファラオのもとに呼び戻されると、ファラオは二人に言った。「行って、あなたたちの神、主に仕えるがよい。誰と誰が行くのか。」
●9節.「若い者も年寄りも一緒に参ります。息子も娘も羊も牛も参ります。主の祭りは我々全員のものです」とモーセが答えると、

 

家臣の進言に対し、ファラオは、モーセとアロンを呼び戻し「行って、あなたたちの神、主に仕えるがよい。誰と誰が行くのか。」一応、主に仕えることは認めて「誰と誰が行くのか」と尋ねます。

 

それに対しモーセらは、「主の祭りは我々全員のものです」から羊も牛も含めて全員ですと答えます。

 

●10節.ファラオは二人に言った。「よろしい。わたしがお前たちを家族ともども去らせるときは、主がお前たちと共におられるように。お前たちの前には災いが待っているのを知るがよい。
●11節.いや、行くならば、男たちだけで行って、主に仕えるがよい。それがお前たちの求めていたことだ。」ファラオは自分の前から彼らを追い出した。

 

11節で ファラオはモーセらに、「行くならば、男たちだけで行って、主に仕えるがよい。」と,行くのは壮年の男子にのみ認めているのです。
女子どもが行くことを許しませんでした。

 

これをどのように理解すればよいのかわかりかねますが、壮年の男子だけが主に仕えるのは、「それがお前たちの求めていたことだ。」と言っています。

 

おそらくそれは、イスラエルの主の信仰の中心は壮年の男子であり、妻子までは及ばないと解釈し、イスラエルの民全員の出エジプトに必死に抵抗してるのでしょう。

 

もちろん、妻子と羊とか山羊をも主の祭りに行かせれば、帰ってこないかもという恐れがあったのでしょう。
9節でモーセは、「主の祭りは我々全員のものです」と言っているにもかかわらずです。

 

●12節.主はモーセに言われた。「手をエジプトの地に差し伸べ、いなごを呼び寄せなさい。いなごはエジプトの国を襲い、地のあらゆる草、雹の害を免れたすべてのものを食い尽くすであろう。」
●13節.モーセがエジプトの地に杖を差し伸べると、主はまる一昼夜、東風を吹かせられた。朝になると、東風がいなごの大群を運んで来た。
●14節.いなごは、エジプト全土を襲い、エジプトの領土全体にとどまった。このようにおびただしいいなごの大群は前にも後にもなかった。
●15節.いなごが地の面をすべて覆ったので、地は暗くなった。いなごは地のあらゆる草、雹の害を免れた木の実をすべて食い尽くしたので、木であれ、野の草であれ、エジプト全土のどこにも緑のものは何一つ残らなかった。

 

モーセは主の言葉に従って、「エジプトの地に杖を差し伸べると、主はまる一昼夜、東風を吹かせられた。朝になると、東風がいなごの大群を運んで来た。」のです。

 

それで、「いなごが地の面をすべて覆ったので、地は暗くなった。いなごは地のあらゆる草、雹の害を免れた木の実をすべて食い尽くしたので、木であれ、野の草であれ、エジプト全土のどこにも緑のものは何一つ残らなかった。」のです。

 

しかし、いなごの大群が地の面を覆うと、あたかも夜になったかのように地は暗くなりました。
そして、そのいなごの大群が、全土で、木や野の草を食いつくしたので、「木であれ、野の草であれ、エジプト全土のどこにも緑のものは何一つ残らなかった。」のです。

 

●16節.ファラオは急いでモーセとアロンを呼んで頼んだ。「あなたたちの神、主に対し、またあなたたちに対しても、わたしは過ちを犯した。
●17節.どうか、もう一度だけ過ちを赦して、あなたたちの神、主に祈願してもらいたい。こんな死に方だけはしないで済むように。」

 

エジプト全土がいなごの大群によって「緑のものは何一つ残らなかった。」という災難に会い「ファラオは急いでモーセとアロンを」呼びます。

 

「わたしは過ちを犯した。・・あなたたちの神、主に祈願してもらいたい。こんな死に方だけはしないで済むように。」と言っていますが、自分の過ちを悔い改めたのでしょうか。

 

それでも、「モーセとアロンに、こんな死に方だけはしないで済むように。もう一度だけ過ちを赦して、あなたたちの神、主に祈願してもらいたい。」と言っていますから、必死だったのでしょう。

 

●18節.モーセがファラオのもとを退出して、主に祈願すると、
●19節.主は風向きを変え、甚だ強い西風とし、いなごを吹き飛ばして、葦の海に追いやられたので、エジプトの領土全体にいなごは一匹も残らなかった。

 

ファラオの言葉を受けてモーセは、「ファラオのもとを退出して、主に祈願」します。
それで主は、「風向きを変え、甚だ強い西風とし、いなごを吹き飛ばして、葦の海に追いやられた」ので、エジプト全土に一匹のいなごも残らないようにされました。

 

●20節.しかし、主がファラオの心をかたくなにされたので、ファラオはイスラエルの人々を去らせなかった。

 

主は、「エジプト全土に一匹のいなごも残らないようにされました。」が、主は再びファラオの心を頑なにされたので、彼はイスラエルの子らを去らせませんでした。危機ものど元を去れば熱さを忘れる、ですね。

 

もちろん、主がファラオの心を何度も頑なにされるのは、イスラエルの神、主の力をエジプト人だけでなく、イスラエルの民に対して、そして全世界に対し示されるためでした。

 

<暗闇の災い>
聖書箇所は、出エジプト記10章21節から29節です。
●21節.主はモーセに言われた。「手を天に向かって差し伸べ、エジプトの地に闇を臨ませ、人がそれを手に感じるほどにしなさい。」
●22節.モーセが手を天に向かって差し伸べると、三日間エジプト全土に暗闇が臨んだ。

 

九つ目の災いは、闇です。
人は真っ暗闇の中におかれると、数時間で精神がおかしくなると言われています。それで今度は、最初から三日と区切られていたのでしょう。エジプト人はそれを三日間、味わいます。

 

●23節.人々は、三日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立ち上がることもできなかったが、イスラエルの人々が住んでいる所にはどこでも光があった。

 

エジプト人が住んでいるところは、三日間闇に覆われたのですが、イスラエルの人々が住んでいるところは、「光があった」のです。

 

●24節.ファラオがモーセを呼び寄せて、「行って、主に仕えるがよい。ただし、羊と牛は残しておけ。妻子は連れて行ってもよい」と言うと、

 

ファラオは、主に全面降伏するかと思ったのですが、「行って、主に仕えるがよい。ただし、羊と牛は残しておけ。妻子は連れて行ってもよい」と、まだ条件を出してモーセに妥協を求めています。

 

●25節.モーセは答えた。「いいえ。あなた御自身からも、いけにえと焼き尽くす献げ物をいただいて、我々の神、主にささげたいと思っています。
●26節.我々の家畜も連れて行き、ひづめ一つ残さないでしょう。我々の神、主に仕えるためにその中から選ばねばなりません。そこに着くまでは、我々自身どれをもって主に仕えるべきか、分からないのですから。」
●27節.しかし、主がまたファラオの心をかたくなにされたので、ファラオは彼らを去らせようとはしなかった。

 

条件を出して抵抗するファラオにモーセは、ファラオ自身も主にささげ物をするように申し出ます。
そして、モーセは、「我々の家畜も連れて行き、ひづめ一つ残さないでしょう。我々の神、主に仕えるためにその中から選ばねばなりません。」といって、24節のファラオの妥協案「羊と牛は」残すという条件を断ります。

 

●28節.ファラオが、「引き下がれ。二度とわたしの前に姿を見せないよう気をつけよ。今度会ったら、生かしてはおかない」と言うと、
●29節.モーセは答えた。「よくぞ仰せになりました。二度とお会いしようとは思いません。」

 

とうとうモーセとファラオは決裂しました。モーセは「二度とお会いしようとは思いません。」と言っています。」

 

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