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2024年9月の記事

2024年9月17日 (火)

あぶの災い、疫病の災い(8章・9章)

<あぶの災い>
聖書箇所は、出エジプト記8章16節から28節です。
●16節.主はモーセに言われた。「明朝早く起きて、水辺に下りて来るファラオを出迎えて、彼に言いなさい。主はこう言われた。『わたしの民を去らせ、わたしに仕えさせよ。
●17節.もしあなたがわたしの民を去らせないならば、見よ、わたしはあなたとあなたの家臣とあなたの民とあなたの家にあぶを送る。エジプトの人家にも人が働いている畑地にもあぶが満ちるであろう。
●18節.しかし、その日、わたしはわたしの民の住むゴシェン地方を区別し、そこにあぶを入り込ませない。あなたはこうして、主なるわたしがこの地のただ中にいることを知るようになる。

 

このあぶの災いは、「ゴシェン地方を区別し、そこにあぶを入り込ませない。」と言われていますので、そのとおりになれば、あぶの災いは主によるものと明確になります。

 

 

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2024年9月14日 (土)

蛙の災い、ぶよの災い(7章・8章)

<蛙の災い>
聖書箇所は、出エジプト記7章25節から8章11節です。

 

●25節.主がナイル川を打たれてから七日たつと、
●26節.主はモーセに言われた。「ファラオのもとに行って、彼に言いなさい。主はこう言われた。『わたしの民を去らせ、わたしに仕えさせよ。
●27節.もしあなたが去らせることを拒むならば、わたしはあなたの領土全体に蛙の災いを引き起こす。 主がナイル川を打たれてから七日たちました。主は、モーセにファラオのもとに行って、『わたしの民を去らせ、わたしに仕えさせよ。・・拒むならば、わたしはあなたの領土全体に蛙の災いを引き起こす。』と伝えよと命じられます。
●28節.ナイル川に蛙が群がり、あなたの王宮を襲い、寝室に侵入し、寝台に上り、更に家臣や民の家にまで侵入し、かまど、こね鉢にも入り込む。
●29節.蛙はあなたも民もすべての家臣をも襲うであろう』と。」
●8章1節.主は更にモーセに言われた。「アロンにこう言いなさい。杖を取って、河川、水路、池の上に手を伸ばし、蛙をエジプトの国に這い上がらせよ。」
●2節.アロンがエジプトの水の上に手を差し伸べると、蛙が這い上がってきてエジプトの国を覆った。
●3節.ところが、魔術師も秘術を用いて同じことをし、蛙をエジプトの国に這い上がらせた。

 

それでも、ファラオはイスラエルの民の出国を拒んだので、エジプト全体に蛙の災いが襲います。
それも、蛙は「王宮を襲い、寝室に侵入し、寝台に上り、更に家臣や民の家にまで侵入し、」ました。

 

こうなるとファラオも、知らんふりはしていられないでしょう。
おやおや、魔術師らも秘術を用いて同じことをしたようです。

 

●4節.ファラオはモーセとアロンを呼んで、「主に祈願して、蛙がわたしとわたしの民のもとから退くようにしてもらいたい。そうすれば、民を去らせ、主に犠牲をささげさせよう」と言うと、

 

とうとうファラオは音を上げて、モーセとアロンに「主に祈願して、蛙がわたしとわたしの民のもとから退くようにしてもらいたい。そうすれば、民を去らせ、主に犠牲をささげさせよう」と告げます。

 

●5節.モーセはファラオに答えた。

 

「あなたのお望みの時を言ってください。いつでもあなたとあなたの家臣と民のために祈願して、蛙をあなたとあなたの家から断ち、ナイル川以外には残らぬようにしましょう。」

 

●6節.ファラオが、「明日」と言うと、モーセは答えた。「あなたの言われるとおりにしましょう。あなたは、我々の神、主のような神がほかにいないことを知るようになります。

 

ファラオは、今ではなくなぜ「明日」といったのでしょうか。
そんなに苦しいのであればそのような余裕はないはずで、「今すぐに取り除いてほしい」と願うのが普通です。

 

ということは、もしかしたら明日になれば事態が解消されているかもしれないと、根拠もない期待を持ったのかもしれません。

 

●7節.蛙はあなたとあなたの王宮、家臣や民の間から退いて、ナイル川以外には残らなくなるでしょう。」

 

6節で、モーセはファラオと蛙を去らせる日の約束をしましたが、このように期限を定めて、その通り蛙が去れば、この事態がイスラエルの神によることが明確になりファラオもそれを否定できなくなります。

 

●8節.モーセとアロンがファラオのもとから出て来ると、モーセはファラオを悩ました蛙のことで主に訴えた。

 

モーセは、ファラオと蛙を去らせる約束をしましたので、さっそく主に訴えます。

 

●9節.主はモーセの願いどおりにされ、蛙は家からも庭からも畑からも死に絶えた。
●10節.人々はその死骸を幾山にも積み上げたので、国中に悪臭が満ちた。

 

主は、モーセの訴え通りにされたので、「蛙は家からも庭からも畑からも死に絶え」ました。
それで、蛙の死骸が「幾山にも積み上げたので、国中に悪臭が満ちた。」のです。

 

●11節.ファラオは一息つく暇ができたのを見ると、心を頑迷にして、また二人の言うことを聞き入れなくなった。主が仰せになったとおりである。

 

蛙の災害が去り、一段落するとファラオは、またまたかたくなになりモーセらの願いを拒否するようになります。

 

<ぶよの災い>
聖書箇所は、出エジプト記8章12節から8章15節です。

 

●12節.主はモーセに言われた。「アロンに言いなさい。『杖を差し伸べて土の塵を打ち、ぶよにさせてエジプト全土に及ぼせ』と。」
三つ目は、ぶよによる災害です。

 

主は、ファラオが二つの災いで警告を聞かなかったので、今度は警告もなくぶよによる災害をもたらせます。

 

そして、主はアロンに、『杖を差し伸べて土の塵を打ち、ぶよにさせてエジプト全土に及ぼせ』と言われます。

 

●13節.彼らは言われたとおりにし、アロンが杖を持った手を差し伸べ土の塵を打つと、土の塵はすべてぶよとなり、エジプト全土に広がって人と家畜を襲った。

 

アロンは、主に言われた通り「杖を持った手を差し伸べ土の塵を打つと、土の塵はすべてぶよとなり、エジプト全土に広がって人と家畜を襲った。」のでした。

 

しかし、土の塵はすべてぶよになったのですから、逃げることもできないのです。想像するだけでも身の毛がよだちます。

 

●14節.魔術師も秘術を用いて同じようにぶよを出そうとしたが、できなかった。ぶよが人と家畜を襲ったので、
●15節.魔術師はファラオに、「これは神の指の働きでございます」と言ったが、ファラオの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞かなかった。主が仰せになったとおりで

 

エジプトの魔術師らが同じようにぶよを出そうとしましたが、できませんでした。

 

それで、魔術師らはファラオに、「これは神の指の働きでございます」と進言しましたが、ファラオの心はかたくなになり、魔術師らの言うことを聞き入れませんでした。

 

アロンの杖、血の災い(7章)

<アロンの杖>
聖書箇所は、出エジプト記7章8節から13節です。

 

●8節.主はモーセとアロンに言われた。
●9節.「もし、ファラオがあなたたちに向かって、『奇跡を行ってみよ』と求めるならば、あなたはアロンに、『杖を取って、ファラオの前に投げよ』と言うと、杖は蛇になる。」

 

5節で主は、「わたしがエジプトに対して手を伸ばし、イスラエルの人々をその中から導き出すとき、」といわれ、この手を伸ばしは主がなされる不思議としるしを表します。

 

その不思議としるしをエジプト王ファラオの前、エジプトの民の前で行うと言われているのです。

 

 

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2024年9月 8日 (日)

モーセとアロンの系図、アロンの役割(6章・7章)

<モーセとアロンの系図>
聖書箇所は、出エジプト記6章14節から27節です。
モーセとアロンの系図が書かれています。
モーセとアロンの系図が必要なのは、彼らが神から遣わされた二人であることを証しし、これから、イスラエル人の指導者として主の大きなみわざをなすその器になることを明らかにするためでしょう。

 

7章以降に、主の大いなる御業が書かれていますので、その前に履歴書を記す必要があったのでしょう。
聖書著者はこのことによって、出エジプトという偉大な神の御業を成し遂げるためにモーセとアロンが神から遣わされたこと、彼らはアブラハム契約を成就するためにどこから出てきたかを明らかにしているのでしょう。

 

モーセとアロンの系図が25節まで続きますが、この系図は全てを記していないと思います。
ヤコブの12人の息子たちの記述も、ルベン、シメオン、レビまでで終わっています。モーセとアロンはヤコブの息子のうちレビから始まっています。

 

 

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モーセの使命(6章)

聖書箇所は、出エジプト記6章2節から13節です。
●2節.神はモーセに仰せになった。「わたしは主である。
●3節.わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主というわたしの名を知らせなかった。

 

2節以降は、主が1節のご自分の言葉について語られているのでしょう。
2節の「わたしは主である。」の主は、「アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れた」主であるということと同時に、他の何にも依存せず、それだけで存在することができる方、自存の神であるという意味でしょう。

 

つまり、すべての存在の根源者で、いかなる限界もない全能の神であることを表しているのでしょう。

 

 

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2024年9月 1日 (日)

ファラオとの交渉(5章)

聖書箇所は、出エジプト記5章1節から6章1節です。
●1節.その後、モーセとアロンはファラオのもとに出かけて行き、言った。「イスラエルの神、主がこう言われました。『わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい』と。」

 

モーセとアロンの兄弟は、主の言葉に従い、イスラエルの民を救うためにエジプトの王ファラオのもとに出かけます。
大国エジプト大国王に砂漠の羊飼いが会いに行くのです。とても勝負にはなりませんが、モーセには主が共におられます。

 

モーセがファラオに言った言葉は、『わたしの民を去らせて、荒れ野でわたしのために祭りを行わせなさい』です。

 

●2節.ファラオは、「主とは一体何者なのか。どうして、その言うことをわたしが聞いて、イスラエルを去らせねばならないのか。わたしは主など知らないし、イスラエルを去らせはしない」と答えた。

 

 

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モーセ、エジプトに戻る(4章)

聖書箇所は、出エジプト記4章18節から31節です。
●18節.モーセがしゅうとのエトロのもとに帰って、「エジプトにいる親族のもとへ帰らせてください。まだ元気でいるかどうか見届けたいのです」と言うと、エトロは言った。「無事で行きなさい。」

 

モーセは義父であり、かつ雇用主であるエトロに親族のもとに帰りたいと申し出、エトロは「「無事で行きなさい。」と了承します。
しかし、モーセはエジプトに帰りたいと言いましたが、その理由は家族に会いたいで主の召命とは言っていません。

 

モーセは、エジプトに帰るのは主の召命で主の計画を成すため、つまり、エジプトにいる同胞を救うために帰るのですが、そのことを一言も言っていません。

 

これは、義父エトロは異邦人で、イスラエルの神のことを説明しても理解できなかったからだと思います。

 

 

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使命に伴うしるし(4章)

聖書箇所は、出エジプト記4章1節から17節です。
●1節.モーセは逆らって、「それでも彼らは、『主がお前などに現れるはずがない』と言って、信用せず、わたしの言うことを聞かないでしょう」と言うと、

 

「彼ら」とは、イスラエルの長老あるいはエジプト王を指すのでしょう。
モーセの言い訳が続きます。

 

『主がお前などに現れるはずがない』と言って信じないといっています。

 

主は、「わたしは必ずあなたと共にいる。」(3章12節)と言われ、また、ご自分の名前を、「わたしはある。わたしはあるという者だ」(3章14節)と、また、ご自分を「あなたたちの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」(3章15節)と紹介しなさいと言われたのわかりますが、「『主がお前などに現れるはずがない』と言って、」私の言葉を信じない人もいます、と疑問を投げかけます。

 

 

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