ヤコブの埋葬(創世記50章)
聖書の箇所は、50章1節から14節です。
いよいよ創世記最後の章です。
50章はヨセフ物語の締めくくりです。
内容は、父ヤコブの荘厳な葬儀とヨセフとその兄たちの真の和解です。
ここでヨセフ物語が終結し、次の出エジプト記につながります。
ヨセフ物語の終結は、ヨセフの次の言葉です。
「ヨセフは兄たちに言った。「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。」(50章19節、20節)です。
神は父祖アブラハムに「わたしはあなたを大いなる国民にし、」(創世記12章2節)、13章16節では、「あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。」。
また、17章8節では「わたしは、あなたが滞在しているこのカナンのすべての土地を、あなたとその子孫に、永久の所有地として与える。わたしは彼らの神となる。」と約束されました。
この言葉は、神の人類救済のご計画、新しい人類の創造の始まりとご計画を述べたものですが、そのご計画は現在進行形です。
それらの約束を実現すべく、神は歴史の中でヨセフを通して働かれたのです。
ですから、ヨセフ物語も兄弟の和解を伴う一家族の物語の話だけではなく、アブラハム、イサク、ヤコブへと受け継がれてきた神の約束が背後でどのように働かれて実現していくかの通過点としての位置づけをもって見ていく必要がある思います。
ヤコブの家族がひとつの民族、イスラエルとして形成されていくその要の部分にヨセフが用いられたのです。
●1節.ヨセフは父の顔に伏して泣き、口づけした。
●2節.ヨセフは自分の侍医たちに、父のなきがらに薬を塗り、防腐処置をするように命じたので、医者はイスラエルにその処置をした。
ヨセフは、父ヤコブの死を見届け、「侍医たちに、父のなきがらに薬を塗り、防腐処置をするように命じたので」すから、ヤコブの死体をミイラにしたのです。
父ヤコブの遺体をミイラにしたのは、父ヤコブとの約束、「アブラハムがヘト人エフロンから買い取った墓地」(マクベラの畑地)に葬るためそれまで腐敗しないようにしたのでしょうか。
しかし、そもそも人をミイラ化するのは、その人をより長く記念に残すためです。
●3節.そのために四十日を費やした。この処置をするにはそれだけの日数が必要であった。エジプト人は七十日の間喪に服した。
イスラエル(ヤコブ)はミイラにされますが、そのために四十日を費やした、とあります。そして、エジプト人は「七十日の間喪に服した。」のです。
●4節.喪が明けると、ヨセフはファラオの宮廷に願い出た。「ぜひともよろしくファラオにお取り次ぎください。
●5節.実は、父がわたしに誓わせて、『わたしは間もなく死ぬ。そのときは、カナンの土地に用意してある墓にわたしを葬ってくれ』と申しました。ですから、どうか父を葬りに行かせてください。わたしはまた帰って参ります。」
ヨセフは父ヤコブの遺言通り、ヤコブをカナンの地に葬るため、パロに許可を求めました。
それは父の遺言であるが、やはり、イスラエルの神の約束の言葉がヨセフには大きかったと思います。
ヨセフがわざわざパロに「どうか父を葬りに行かせてください。わたしはまた帰って参ります。」と伺いを立てたのは、ヨセフは今のエジプトにはなくてはならぬ存在であったからでしょう。王を納得させる必要があります。
今のエジプト王の権力と繁栄があるのは、ヨセフが夢を解き、宰相として行政を担ったからでした。
パロは、ヨセフに絶大な信頼を寄せ、全てはヨセフに任せ切りです。
だからヨセフは、わざわざ「わたしはまた帰って参ります。」という言葉を付け加えたのでしょう。
●6節.ファラオは答えた。「父上が誓わせたとおりに、葬りに行って来るがよい。」
パロはヨセフの望み通り、「父上が誓わせたとおりに、葬りに行って来るがよい。」と了承します。
●7節.ヨセフは父を葬りに上って行った。ヨセフと共に上って行ったのは、ファラオの宮廷の元老である重臣たちすべてとエジプトの国の長老たちすべて、
ヤコブをマクベラの畑地に葬るために行ったのは「ヨセフと共に上って行ったのは、ファラオの宮廷の元老である重臣たちすべてとエジプトの国の長老たちすべて、」となっています。
ヤコブの埋葬が、エジプトの国を挙げて行われたようです。
●8節.それにヨセフの家族全員と彼の兄弟たち、および父の一族であった。ただ幼児と、羊と牛の群れはゴシェンの地域に残した。
●9節.また戦車も騎兵も共に上って行ったので、それはまことに盛大な行列となった。
●10節.一行はヨルダン川の東側にあるゴレン・アタドに着き、そこで非常に荘厳な葬儀を行った。父の追悼の儀式は七日間にわたって行われた。
●11節.その土地に住んでいるカナン人たちは、ゴレン・アタドで行われた追悼の儀式を見て、「あれは、エジプト流の盛大な追悼の儀式だ」と言った。それゆえ、その場所の名は、アベル・ミツライム(エジプト流の追悼の儀式)と呼ばれるようになった。それは、ヨルダン川の東側にある。
ヨセフと一行は、カナンの地でヤコブの葬儀を7日間かけて行いました。
それを見た土地のカナン人たちは「あれは、エジプト流の盛大な追悼の儀式だ」と噂します。
●12節.それから、ヤコブの息子たちは父に命じられたとおりに行った。
●13節.すなわち、ヤコブの息子たちは、父のなきがらをカナンの土地に運び、マクペラの畑の洞穴に葬った。それは、アブラハムがマムレの前にある畑とともにヘト人エフロンから買い取り、墓地として所有するようになったものである。
●14節.ヨセフは父を葬った後、兄弟たちをはじめ、父を葬るために一緒に上って来たすべての人々と共にエジプトに帰った。
ヨセフらは、神の約束を信じ、父ヤコブの命を守るためにマクベラの畑地に父ヤコブを葬り「兄弟たちをはじめ、父を葬るために一緒に上って来たすべての人々と共にエジプトに帰った。」のでした。
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