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2024年8月 1日 (木)

赦しの再確認・ヨセフの死(創世記50章)

<赦しの再確認>
聖書の箇所は、50章15節から21節です。
●15節.ヨセフの兄弟たちは、父が死んでしまったので、ヨセフがことによると自分たちをまだ恨み、昔ヨセフにしたすべての悪に仕返しをするのではないかと思った。

 

ヨセフの兄弟たちは、自分たちがヨセフにした悪い行い(ヨセフをエジプトに奴隷として売った)にまだ悩まされていました。

 

ヨセフが今まで自分たちに仕返しをしなかったのは、父ヤコブがいたからではないか、と言っています。
罪責感はなかなか消えないものです。

 

ヨセフは弟ですがエジプトの宰相ですから、兄たちの罪責感と恐れはよくわかります。

 

 

父ヤコブがいなければ、兄たちはヨセフを兄弟としてよりも、エジプトの宰相としての存在を強く認識するようになるでしょう。

 

実際は、ヨセフはすでに自分を売った兄たちを許しているのですが、それは、親への義理と兄弟たちへの情けだけではなく、20節のヨセフの言葉「あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。」ということでしょう。

 

●16節.そこで、人を介してヨセフに言った。「お父さんは亡くなる前に、こう言っていました。

 

この16節の兄たちの言葉は本当でしょうか。
父の言葉として権威づけて語ります。それも人を介して恐る恐るです。

 

●17節.『お前たちはヨセフにこう言いなさい。確かに、兄たちはお前に悪いことをしたが、どうか兄たちの咎と罪を赦してやってほしい。』お願いです。どうか、あなたの父の神に仕える僕たちの咎を赦してください。」これを聞いて、ヨセフは涙を流した。

 

「これを聞いて、ヨセフは涙を流した。」とありますから、この父の生前の許しの言葉を恐る恐る語る兄たちの姿を見て作り話だと思ったのでしょう。

 

兄たちは助かりたい一心で、父の言葉として権威をつけて自己を弁解する、自分を守ろうとするその哀れな姿に涙を流したのでしょう。
でも、その兄たちの嘘の父の言葉は、父ヤコブがヨセフに願っていたことでもあったのではないでしょうか。

 

●18節.やがて、兄たち自身もやって来て、ヨセフの前にひれ伏して、「このとおり、私どもはあなたの僕です」と言うと、

 

「私どもはあなたの僕です」と、ヨセフにひれ伏す哀れな兄たちの姿ですが、ここまで言うのですから、自分たちがヨセフを奴隷に売ったのですから、自分たちも奴隷になる覚悟を決めていたのかもしれません。

 

それとも、この奴隷になる覚悟は生き延びるための駆け引きでしょうか。

 

●19節.ヨセフは兄たちに言った。「恐れることはありません。わたしが神に代わることができましょうか。

 

「わたしが神に代わることができましょうか。」というのは、わたしには兄たちの本心がわからないので、神のように正しいさばきはできないということでしょう。

 

ヨセフは、「恐れることはありません。」と兄たちに語りました。
ということは、ヨセフが兄たちを許したのは、神が許すようにヨセフに示されたからということでしょう。

 

●20節.あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。

 

ヨセフが兄たちを許す理由として、「神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。」と言っています。

 

それが神のご計画だからと言っているのです。

 

「多くの民の命を救うため」というのは、過去に兄たちが自分にしたことは、今日のように家族が飢饉を逃れエジプトに来て生き残るためであったからだと言っています。まさに、神の御業であったのです。

 

●21節.どうか恐れないでください。このわたしが、あなたたちとあなたたちの子供を養いましょう。」ヨセフはこのように、兄たちを慰め、優しく語りかけた。

 

ヨセフは、父が死んでも、彼らが自分にした罪を神の御業(ご計画)だという理由で許しました。

 

つまり、「わたしが神に代わることができましょうか。」「神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。」という理由で許したのです。

 

<ヨセフの死>
聖書の箇所は、50章22節から26節です。
●22節.ヨセフは父の家族と共にエジプトに住み、百十歳まで生き、

 

ヨセフは110歳まで生きました。
彼が宰相となったのは30歳。家族を呼び寄せたのは、7年の豊作の後の飢饉に入ってからですから40歳頃でしょう。
彼がエジプトに売られてから93年。エジプトの宰相になり家族を呼び寄せて70年の年月が経っていました。

 

●23節.エフライムの三代の子孫を見ることができた。マナセの息子マキルの子供たちも生まれると、ヨセフの膝に抱かれた。
●24節.ヨセフは兄弟たちに言った。「わたしは間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます。

 

ヨセフは長男マナセと次男エフライムの子供を膝の上にのせて抱きます。
24節は、先祖と父ヤコブから引き継がれてきた神の約束を改めて息子たちに延べ確認します。

 

●25節.それから、ヨセフはイスラエルの息子たちにこう言って誓わせた。「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨をここから携えて上ってください。」

 

「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。」とし、その時には「わたしの骨をここから携えて上ってください。」と、父ヤコブと同じようにカナンの地のマクベラの畑地に葬られることを「イスラエルの息子たち」に誓わせています。

 

「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。」という言葉は突然出てきてちょっとわかりにくいのですが、これは、この時から300年も先の「出エジプト」についての預言ではないでしょうか。

 

この時点では、出エジプトなど想像もつかないことです。
ですから、その後に続く言葉の意味は、イスラエルの民がエジプトを出て行く時、自分の骨を携え「カナンの地のマクベラの畑地」に葬ることを強く誓わせ、遺言したということでしょう。

 

それはカナンが父祖アブラハムからの神の約束の地だからです。
そのようになるとヨセフは(神の言葉によって)信じているのです。

 

●26節.ヨセフはこうして、百十歳で死んだ。人々はエジプトで彼のなきがらに薬を塗り、防腐処置をして、ひつぎに納めた。

 

ヨセフは110歳で死に、亡骸は防腐処理されて棺に納められました。
その後のヨセフの亡骸は、300年後に下記の箇所でイスラエルの息子たちによって、ヨセフに立てた誓いが果たされたことを確認できます。

 

出エジプト記13章19節「モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが、「神は必ずあなたたちを顧みられる。そのとき、わたしの骨をここから一緒に携えて上るように」と言って、イスラエルの子らに固く誓わせたからである。」

 

ヨシュア記24章32節「イスラエルの人々がエジプトから携えてきたヨセフの骨は、その昔、ヤコブが百ケシタで、シケムの父ハモルの息子たちから買い取ったシケムの野の一画に埋葬された。それは、ヨセフの子孫の嗣業の土地となった。」

 

以上で創世記は終わります。
そして話はすぐに出エジプト記につながっています。

 

創世記は、壮大なドラマです。
天地創造からアダムの誕生、人間の堕落、罪の世の苦しみ、神による救済、人の神への応答の物語、新しい人類の創造、それらが全50章100ページに収められています。

 

そして、今も現在進行形でその神の壮大なご計画が進行中です。
その神、イスラエルの神、ひいては人類創造の神の名は、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」、これが永遠にわたる神の名です。

 

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