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2024年4月の記事

2024年4月27日 (土)

シケムでの出来事(創世記34章)

聖書の箇所は、34章1節から30節です。
34章は、ヤコブの娘ディナがヒビ人ハモルの子シケムと問題を起こした事件を記しています。
シケムという名は12章6節で、アブラハムの時代に「シケムの聖所」と指摘されています。

 

ヤコブはすぐにべテル(神の家。イスラエル)に行って神との誓いを果たし、それから両親のいる所に帰るはずであったのに、シケムに行って土地を買い、そこに家を建てて田地を買い、安楽に暮すようになりました。

 

この経過が、34章の娘の不道徳を生み殺人事件を引き起こすのでしょう。
流れを見ると、不道徳事件の発端は1節から4節、不道徳事件の進展は、5節から17節、ヤコブの息子たちの欺きの言葉とヤコブの反応は5節、ハモルの反応は6節、ヤコブの子たちの反応は7節と13節から16節、事件の終局は、18節から31節です。

 

 

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2024年4月21日 (日)

エサウとの再会(創世記33章)

聖書の箇所は、33章1節から20節です。
ヤコブをはじめとして、ヤコブの妻も子どもみなエサウに対して「ひれ伏し」(おじをする)たのです。(33章3節、6節7節)
ヤコブの場合は七回も「ひれ伏し」(おじをする)たのです。(33章3節)

 

これは、兄エサウに対する謝罪と和解のための行為ではなく、兄エサウが四百人の僕を連れてくるのを知り、兄が怒っているのだと思い、兄を恐れてその怒りをなだめるためから出た行為と言えるでしょう。

 

七回というのは、七は完全を表しますから、当時、王に対する礼拝の行為だと言われています。
それでヤコブは、この恐れから解放されることを願って、夜通し神の祝福を求め祈ったのでしょう。

 

しかし、エサウに主の配慮が働いたのでしょう、「案ずるより産むが易し」で、実際はヤコブが心配していたようにはならず、ヤコブがひとり相撲をとっていた、とりこし苦労をしていたことになります。

 

 

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ペヌエルでの格闘(創世記32章)

聖書の箇所は、32章23節から33節です。
●23節.その夜、ヤコブは起きて、二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡った。
●24節.皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡してしまうと、
●25節.ヤコブは独り後に残った。そのとき、何者かが夜明けまでヤコブと格闘した。

 

「その夜」、ヤコブは「二人の妻と二人の側女、それに十一人の子供を連れてヤボクの渡しを渡り、・・皆を導いて川を渡らせ、持ち物も渡し」ヤコブは一人だけ、あとに残りました。

 

さて、ここからのことを信じるか否かは自由ですが、不思議なことが起こります。

 

 

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2024年4月13日 (土)

エサウとの再会の準備(創世記32章)

聖書の箇所は、32章1節から22節です。
●1節.次の朝早く、ラバンは孫や娘たちに口づけして祝福を与え、そこを去って自分の家へ帰って行った。
●2節.ヤコブが旅を続けていると、突然、神の御使いたちが現れた。

 

伯父ラバンは、主の計らいにより、ヤコブとの間で石塚を設置し、記念碑とし、ともに食事をして機嫌よく自分の家に帰っていきます。
ヤコブが旅を続けていると、突然、神の使いたちが彼の前に現れました。

 

●3節.ヤコブは彼らを見たとき、「ここは神の陣営だ」と言い、その場所をマハナイム(二組の陣営)と名付けた。

 

ヤコブは御使いたちを見て、「ここは神の陣営だ。」と言って「その場所をマハナイム(二組の陣営)と名付けた。」。
ヤコブは、その御使いが戦いの陣営を組んでいるのを見て「ここは神の陣営だ」と思ったのでしょう。それもその陣営は二組であったのでしょう。

 

 

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ヤコブとラバンの契約(創世記31章)

聖書の箇所は、31章43節から54節です。
ヤコブとラバンの対立は、一触即発でしたが、神の介入によって事は大事に至りませんでした。
ヤコブの言い分は38節から42節ですが、伯父ラバンの言い分は43~44節です。

 

●43節.ラバンは、ヤコブに答えた。「この娘たちはわたしの娘だ。この孫たちもわたしの孫だ。この家畜の群れもわたしの群れ、いや、お前の目の前にあるものはみなわたしのものだ。しかし、娘たちや娘たちが産んだ孫たちのために、もはや、手出しをしようとは思わない。
●44節.さあ、これから、お前とわたしは契約を結ぼうではないか。そして、お前とわたしの間に何か証拠となるものを立てよう。」

 

伯父ラバンは、「この娘たちはわたしの娘だ。この孫たちもわたしの孫だ。この家畜の群れもわたしの群れ、いや、お前の目の前にあるものはみなわたしのものだ。」と自分の言い分を強引に正当化しています。

 

これではまるで、ヤコブは使用人、奴隷の扱いです。
しかしヤコブや妻たちは長年ラバンに仕えた自分たちの当然の報酬だと思っているわけです。両者の言い分は、全くかみ合っていません。

 

もし、ここで両者が自分の言い分の是非を永遠と論じ合ったとしたならばどうなっていたことでしょうか。
その衝突を避けるために主は、予め、伯父であるラバンに夢の中で警告されたのでしょう。

 

 

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ラバンの追跡(創世記31章)

聖書の箇所は、31章22節から42節です。
●22節.ヤコブが逃げたことがラバンに知れたのは、三日目であった。
●23節.ラバンは一族を率いて、七日の道のりを追いかけて行き、ギレアドの山地でヤコブに追いついたが、
●24節.その夜夢の中で神は、アラム人ラバンのもとに来て言われた。「ヤコブを一切非難せぬよう、よく心に留めておきなさい。」

 

ヤコブの家族が逃げるようにしてラバンのもとを去りましたが、ラバンがそのことを知ったのは三日目でした。
ラバンは、一族を率いて「七日の道のりを追いかけて行き、ギレアドの山地でヤコブに」追いつきます。

 

ラバンがここまで追いかけてきたのは、娘二人とほとんどの財産を持って逃げたのですから、その怒りはすさまじいものがあったでしょう。

 

だがそれ以上に、30節を読むと「なぜわたしの守り神を盗んだのか。」とありますから、ラケルが勝手に持ってきた、偶像の守り神を取り戻すことが主であったのでしょう。

 

 

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2024年4月 2日 (火)

ヤコブの脱走(創世記31章)

聖書の箇所は、31章1節から21節です。
●1節.ヤコブは、ラバンの息子たちが、「ヤコブは我々の父のものを全部奪ってしまった。父のものをごまかして、あの富を築き上げたのだ」と言っているのを耳にした。
●2節.また、ラバンの態度を見ると、確かに以前とは変わっていた。

 

30章を読めば確かにヤコブはずるく、賢く立ち回っています。
それで、ヤコブは自分の羊と山羊を増しますが、逆に伯父ラバンのものは減っていきます。

 

そうなると、伯父ラバンの息子たちが文句を言うのは当然です。
ヤコブは、そのことを9節で、「神はあなたたちのお父さんの家畜を取り上げて、わたしにお与えになったのだ。」と言っています。
主の名を借りた開き直りに聞こえます。

 

 

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ヤコブの工夫(創世記30章)

聖書の箇所は、30章37節から43節です。
ヤコブは、わざわざ価値の低い山羊と羊を、ラバンの同意のもとで手に入れることができました。

 

ヤコブは、山羊や羊の世話を長年していたので、価値の低い山羊と羊から、強い山羊や羊を多く増やすにはどのようにすればよいのかを知っていたのでしょう。

 

これからヤコブは、ラバンのところで6年間かけて、自分の所有となる山羊や羊を多く生み出し、しかも、より丈夫なものにしていきます。
ヤコブは、山羊や羊が水を飲みに来るところに皮をはいだ枝を入れることで、その山羊や羊にさかりがつくことを知っていました。

 

 

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