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2024年1月18日 (木)

イサクとリベカの結婚(1)(創世記24章)

<誓いの中の嫁探し>
聖書の箇所は、24章1節から9節です。
神は何度もアブラハムに祝福をお与えになった、と出てきますが、この祝福について調べてみます。

 

聖書で使われている祝福という動詞は、ほとんどが強意形のピエル態(能動態で強い意味を表す)だそうです。
ということは、アブラハムを祝福するという行為は神が自ら強い意志の下になされることだということです。

 

そして、その神の祝福の意志は、アブラハムだけのものではなく、アブラハムの子孫が末広がりに永遠に祝福される神の恩寵だとします。
ですから、息子イサクにふさわしい嫁を探すことは、アブラハムに与えられた全財産を息子にゆずるとか息子イサクが結婚するというという単純な問題でもなく、永遠の将来を見据えた、信仰の継承、祝福の継承という点において、アブラハムにとってきわめて重要な課題であったのでしょう。。

 

 

 

聖書は、祝福という語句に強意形のピエル態を使用することにより、アブラハム、そして、神の全人類に対する祝福に対して強い意志をもっておられることを強調しているのでしょう。

 

ちなみに、ハガルの子供イシュマエルの妻は、母ハガルによってエジプトから迎えられています。イシュマエルもアブラハムの子供ですが、信仰の継承はなされません。

 

この24章は、そういう神の祝福の不思議な導きが詳しく記されています。
結論を先に言うならば、この信仰の継承、祝福の継承という点においても実に不思議な神の導きがあったのです。その導きを詳しく記しているのが24章です。

 

●1節.アブラハムは多くの日を重ね老人になり、主は何事においてもアブラハムに祝福をお与えになっていた。
●2節.アブラハムは家の全財産を任せている年寄りの僕に言った。「手をわたしの腿の間に入れ、

 

「アブラハムは家の全財産を任せている年寄りの僕」は、アブラハムの最年長者のしもエリエゼル(名前の意味は、神は私の助け。15章2節)としています。

 

「手をわたしの腿の間に入れ、」ですが、相手の腿の下に手を置く、というのは、親しい間柄で誓うとき時の行為で、「腿」は男性性器を表現し、当時の誓いの儀式で、創世記47章29節にもヤコブがヨセフに対して誓いを求めている箇所に同様の儀式があります。

 

誓いを求めている場所は、男性の生殖器ですから、一族が生まれ出てくるところに手を置くことによって、「子々孫々に誓約」したことを表すということでしょう。

 

●3節.天の神、地の神である主にかけて誓いなさい。あなたはわたしの息子の嫁をわたしが今住んでいるカナンの娘から取るのではなく、
●4節.わたしの一族のいる故郷へ行って、嫁を息子イサクのために連れて来るように。」

 

アブラハムの生涯の最後の仕事として、自分に与えられた主の祝福を継承するという仕事が残されていました。
それは息子に嫁を迎えることで、その務めをアブラハムは家の全財産を管理させている年寄りのしもべに託します。(3節・4節)

 

「今住んでいるカナンの娘から取るのではなく、わたしの一族のいる故郷へ行って、嫁を息子イサクのために連れて来るように。」でした。
アブラハムの子孫を祝福するという神の約束があります。

 

イサクはアブラハムの子供ですからイサクの嫁は同じ親族の中から選ぶという強い選民意識があります。
だから、「故郷へ行って、嫁を息子イサクのために連れて来るように。」というのは、パレスティナの先住民族カナン人の血を混ぜたくないということでしょう。

 

●5節.僕は尋ねた。「もしかすると、その娘がわたしに従ってこの土地へ来たくないと言うかもしれません。その場合には、御子息をあなたの故郷にお連れしてよいでしょうか。」

 

しもべは、約800キロも離れた未知の地でのこの仕事が容易でないことを悟ります。
そのような申し出を受ける女の人がいるのかどうかわかりません。
いない場合のことを考えて、「御子息をあなたの故郷にお連れしてよいでしょうか。」と問いかけます。

 

●6節.アブラハムは答えた。「決して、息子をあちらへ行かせてはならない。
●7節.天の神である主は、わたしを父の家、生まれ故郷から連れ出し、『あなたの子孫にこの土地を与える』と言って、わたしに誓い、約束してくださった。その方がお前の行く手に御使いを遣わして、そこから息子に嫁を連れて来ることができるようにしてくださる。
●8節.もし女がお前に従ってこちらへ来たくないと言うならば、お前は、わたしに対するこの誓いを解かれる。ただわたしの息子をあちらへ行かせることだけはしてはならない。」

 

「女がお前に従ってこちらへ来たくない」ですが、どうしてイサクを親族のもとへと連れて行くのをアブラハムは嫌がったのか。
それは、老年になってやっと生れた息子だから、旅の危険にさらさせたくなかったというでしょうか。いや、やはり9節に書いた、そこが気に入って、そこに住み続けると困るからかもしれませんね。

 

●9節.そこで、僕は主人アブラハムの腿の間に手を入れ、このことを彼に誓った。

 

アブラハムはしもべの問いに「決して、息子をあちらへ行かせてはならない。」と答えます。
それは、今いるカナンの地が主の約束の地です。

 

息子を生まれ故郷へ連れて行ったら、結婚しても、そこが気に入って、そこに住み続けるかもしれない。
そうすると、このカナンの地を与えるという主の約束を忘れてしまうかもしれない。

 

そしてその場合は、8節でアブラハムは「もし女がお前に従ってこちらへ来たくないと言うならば、お前は、わたしに対するこの誓いを解かれる。」とします。

 

それは、その女は主の御心ではないからという意味でしょう。
そして、ただし「息子をあちらへ行かせることだけはしてはならない。」と念を押します。

 

アブラハムにとっては、イサクの結婚よりも神の約束が最優先です。
そのうえで、しもべは「アブラハムの腿の間に手を入れ、このことを彼に誓った。」のです。(9節)

 

<神の備えた出会い>
聖書の箇所は、24章10節から32節です。
●10節.僕は主人のらくだの中から十頭を選び、主人から預かった高価な贈り物を多く携え、アラム・ナハライムのナホルの町に向かって出発した。

 

アブラハムに誓った最年長者のしもエリエゼルは、アブラハムの親族のいるアブラハムの生まれ故郷ナホルへと旅立ちます。
アラム・ナハライムはシリアの一地方です。

 

●11節.女たちが水くみに来る夕方、彼は、らくだを町外れの井戸の傍らに休ませて、
●12節.祈った。「主人アブラハムの神、主よ。どうか、今日、わたしを顧みて、主人アブラハムに慈しみを示してください。

 

しもべは目的地に着き、「女たちが水くみに来る夕方・・井戸の傍ら」で「主人アブラハムに慈しみを示してください。」と祈ります。

 

●13節.わたしは今、御覧のように、泉の傍らに立っています。この町に住む人の娘たちが水をくみに来たとき、
●14節.その一人に、『どうか、水がめを傾けて、飲ませてください』と頼んでみます。その娘が、『どうぞ、お飲みください。らくだにも飲ませてあげましょう』と答えれば、彼女こそ、あなたがあなたの僕イサクの嫁としてお決めになったものとさせてください。そのことによってわたしは、あなたが主人に慈しみを示されたのを知るでしょう。」

 

しもべは、当時旅人に水を飲ませるのは娘たちの役目でした。
しかし、10頭くらいのラクダに『どうぞ、お飲みください。らくだにも飲ませてあげましょう』というような娘はいないでしょうから、もし、いたらそれは主が働かれていることだとし、「あなたの僕イサクの嫁としてお決めになったものとさせてください。」と祈ったのです。

 

●15節.僕がまだ祈り終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せてやって来た。彼女は、アブラハムの兄弟ナホルとその妻ミルカの息子ベトエルの娘で、

 

イサクにとって、ベトエルはいとこにあたります。リベカは、その娘です。
ちなみにナホルの妻ミルカは、ナホルの姪です。

 

また、アブラハムの妻サラは、アブラハムの異母妹です。(20:12)。
このように近親婚が多いのは、やはり神の約束に民イスラエル民族の純血を守りたいというのが強い意識が働いているのでしょう。

 

●16節.際立って美しく、男を知らない処女であった。彼女が泉に下りて行き、水がめに水を満たして上がって来ると、
●17節.僕は駆け寄り、彼女に向かい合って語りかけた。「水がめの水を少し飲ませてください。」

 

「際立って美しく、男を知らない処女であった。彼女が泉に下りて行き、水がめに水を満たして上がって来る」と、しもべはさっそく彼女に「水がめの水を少し飲ませてください。」と語りかけます。
リベカは、「アブラハムの兄弟ナホルとその妻ミルカの息子ベトエルの娘で、 」とありますから、アブラハムにとっては甥の子供です。

 

●18節.すると彼女は、「どうぞ、お飲みください」と答え、すぐに水がめを下ろして手に抱え、彼に飲ませた。

 

彼女は、「どうぞ、お飲みください」と、躊躇なくすぐに答えます。

 

●19節.彼が飲み終わると、彼女は、「らくだにも水をくんで来て、たっぷり飲ませてあげましょう」と言いながら、
●20節.すぐにかめの水を水槽に空け、また水をくみに井戸に走って行った。こうして、彼女はすべてのらくだに水をくんでやった。
●21節.その間、僕は主がこの旅の目的をかなえてくださるかどうかを知ろうとして、黙って彼女を見つめていた。

 

水がめは水が満杯でしょうから、とても重かったでしょうが、リベカは、そのような振りもなく「どうぞ、お飲みください」としもべにみずを飲むように勧めて、しもべが飲み終わると「らくだにも水をくんで来て、たっぷり飲ませてあげましょう」といって、「水を水槽に空け、また水をくみに井戸に走って行った。」のです。そして「すべてのらくだに水をくんでやった。」のです。

 

まさにリベカはしもべが主に祈ったとおりの行動をしています。
しもべは、おそらくそのように思って、確認するためか、「黙って彼女を見つめていた。」のです。

 

しかし、驚きです。このようなことがわが身にあれば、どれだけうれしいか。
信仰のない人は運がよかったとみるのですね。

 

●22節.らくだが水を飲み終わると、彼は重さ一ベカの金の鼻輪一つと十シェケルの金の腕輪二つを取り出しながら、
●23節.「あなたは、どなたの娘さんですか。教えてください。お父さまの家にはわたしどもが泊めていただける場所があるでしょうか」と尋ねた。

 

しもべは、「らくだが水を飲み終わると、」お礼に「重さ一ベカの金の鼻輪一つと十シェケルの金の腕輪二つを取り出し」ながら娘の出身と泊る所があるかを確認しています。なお、1シェケルは約11.5グラムです。

 

●24節.すると彼女は、「わたしは、ナホルとその妻ミルカの子ベトエルの娘です」と答え、
●25節.更に続けて、「わたしどもの所にはわらも餌もたくさんあります。お泊まりになる場所もございます」と言った。

 

娘リベカは、すぐに「わたしは、ナホルとその妻ミルカの子ベトエルの娘です」と、更に続けて、「わたしどもの所にはわらも餌もたくさんあります。お泊まりになる場所もございます」と答えます。

 

●26節.彼はひざまずいて主を伏し拝み、
●27節.「主人アブラハムの神、主はたたえられますように。主の慈しみとまことはわたしの主人を離れず、主はわたしの旅路を導き、主人の一族の家にたどりつかせてくださいました」と祈った。

 

主に祈ったことがすべて叶えられたことを彼は確信したことでしょう。
さっそく、彼は主が介在されていることを認め、主に感謝をささげるために「ひざまずいて主を伏し拝み」、そして、すべてを主が導いてくださったことを思って、主をほめたたえ祈ります。

 

●28節.娘は走って行き、母の家の者に出来事を告げた。

 

リベカが、「母の家の者に出来事を告げた。」ということは、しもべの祈りを聞いたので、いきさつをすべて知ったからでしょう。
きっと、「母の家の者」はリベカの話の中で、アブラハムの名を聞き、兄弟だと知ったのでしょう。

 

「母の家」というのは、おそらく父ベトエルはすでに亡くなっていたからこのような呼び方をしているのでしょう。
以下ではリベカの兄ラバンが家の代表者として振舞っています。

 

●29節.リベカにはラバンという兄がいたが、ラバンはすぐに町の外れの泉の傍らにいるその人のところへ走った。
●30節.妹が着けている鼻輪と腕輪を見、妹リベカが、「その人がこう言いました」と話しているのを聞いたためである。彼が行ってみると、確かに泉のほとりのらくだのそばにその人が立っていた。

 

リベカが「妹が着けている鼻輪と腕輪を見」て、とありますから、兄ラバンは、損得にどん欲な人かもしれません。
驚いてしもべのいる「泉の傍らに」走っていきます。

 

●31節.そこで、ラバンは言った。「おいでください。主に祝福されたお方。なぜ、町の外に立っておられるのですか。わたしが、お泊まりになる部屋もらくだの休む場所も整えました。」
●32節.その人は家に来て、らくだの鞍をはずした。らくだにはわらと餌が与えられ、その人と従者たちには足を洗う水が運ばれた。

 

そこで、さっそく、しもべに「おいでください。主に祝福されたお方。なぜ、町の外に立っておられるのですか。わたしが、お泊まりになる部屋もらくだの休む場所も整えました。」と告げます。

 

リベカは、「ベトエル」の娘とあり、ベトエル(アブラハムの兄弟の子供)がこの家での主人ですから、その息子ラバンが、家のことを管理していたのでしょうか。

 

しもべは、リベカの家で休息します。

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