イサクとリベカの結婚(2)(創世記24章)
<出会い>
聖書の箇所は、24章33節から51節です。
●33節.やがて食事が前に並べられたが、その人は言った。「用件をお話しするまでは、食事をいただくわけにはまいりません。」「お話しください」とラバンが答えると、
●34節.その人は語り始めた。「わたしはアブラハムの僕でございます。
●35節.主がわたしの主人を大層祝福され、羊や牛の群れ、金銀、男女の奴隷、らくだやろばなどをお与えになったので、主人は裕福になりました。
●36節.奥様のサラは、年をとっていましたのに、わたしの主人との間に男の子を産みました。その子にわたしの主人は全財産をお譲りになったのです。
●37節.主人はわたしに誓いを立てさせ、『あなたはわたしの息子の嫁を、わたしが今住んでいるカナンの土地の娘から選び取るな。
●38節.わたしの父の家、わたしの親族のところへ行って、息子の嫁を連れて来るように』と命じました。
●39節.わたしが主人に、『もしかすると、相手の女がわたしに従って来たくないと言うかもしれません』と申しますと、
●40節.主人は、『わたしは今まで主の導きに従って歩んできた。主は御使いを遣わしてお前に伴わせ、旅の目的をかなえてくださる。お前は、わたしの親族、父の家から息子のために嫁を連れて来ることができよう。
しもべを「その人」と呼び変えています。
しもべは長い旅路の後で、疲れておなかもすいていたでしょう。それに、通常、用向きを話すのは、食事の後に行われるのが習慣ですが、どうしても、食事の前に最後の確認をしたかったのでしょう。
まず「わたしはアブラハムの僕でございます。」(34節)と語り始めます。
まず、主人アブラハムのこと、その息子イサクのことを紹介し始めます。
主人アブラハムは、主に祝福され裕福なこと。男の子がいること。そして、その子に全財産が譲っていることです。
●41節.そのとき初めて、お前はわたしに対する誓いを解かれる。またもし、わたしの親族のところに行っても、娘をもらえない場合には、お前はこの誓いを解かれる』と言いました。
しもべが、「わたしの親族のところに行っても、娘をもらえない場合には、お前はこの誓いを解かれる』」といったのは、リベカの家の者に決断を迫っているのでしょう。
主人であるアブラハムは「わたしに誓いを立てさせ、」、すなわち、『あなたはわたしの息子の嫁を、わたしが今住んでいるカナンの土地の娘から選び取るな。わたしの父の家、わたしの親族のところへ行って、息子の嫁を連れて来るように』と命じました。
そのうえで、「もし、わたしの親族のところに行っても、娘をもらえない場合には、お前はこの誓いを解かれる』と言いました。」と話します。
しもべは、リベカの家の者たちが、リベカをイサクの嫁にする申し出を受け入れてくれるように、起こったことをそのまま話したのです。
いろいろ小細工するより主が選ばれた娘ならば、必ずそのようになるのですから、そのまま話した方がよいのでしょう。
●42節.こういうわけで、わたしは、今日、泉の傍らにやって来て、祈っておりました。
『主人アブラハムの神、主よ。わたしがたどってきたこの旅の目的を、もしあなたが本当にかなえてくださるおつもりなら、
●43節.わたしは今、御覧のように、泉の傍らに立っていますから、どうか、おとめが水をくみにやって来るようになさってください。彼女に、あなたの水がめの水を少し飲ませてください、と頼んでみます。
●44節.どうぞお飲みください、らくだにも水をくんであげましょう、と彼女が答えましたなら、その娘こそ、主が主人の息子のためにお決めになった方であるといたします。』
しもべは、泉の傍らに来てリベカと出会い、出会ってからのいきさつをそのまま語ります。
●45節.わたしがまだ心に言い終わらないうちに、リベカさまが水がめを肩に載せて来られたではありませんか。そして、泉に下りて行き、水をおくみになりました。わたしが、『どうか、水を飲ませてください』と頼みますと、
●46節.リベカさまはすぐに水がめを肩から下ろして、『どうぞお飲みください。らくだにも飲ませてあげましょう』と答えてくださいました。わたしも飲み、らくだも飲ませていただいたのです。
●47節.『あなたは、どなたの娘さんですか』とお尋ねしたところ、『ナホルとミルカの子ベトエルの娘です』と答えられましたので、わたしは鼻輪を鼻に、腕輪を腕に着けて差し上げたのです。
●48節.わたしはひざまずいて主を伏し拝み、主人アブラハムの神、主をほめたたえました。主は、主人の子息のために、ほかならぬ主人の一族のお嬢さまを迎えることができるように、わたしの旅路をまことをもって導いてくださいました。
●49節.あなたがたが、今、わたしの主人に慈しみとまことを示してくださるおつもりならば、そうおっしゃってください。そうでなければ、そうとおっしゃってください。それによって、わたしは進退を決めたいと存じます。」
最後にしもべは、「わたしの主人に慈しみとまことを示してくださるおつもりならば、そうおっしゃってください。そうでなければ、そうとおっしゃってください。それによって、わたしは進退を決めたいと存じます。」と、自分の立場を明らかにし、話を終えます。
「進退を決めたい」は直訳すると「右か左に向かなければ」という意味だということです。
●50節.ラバンとベトエルは答えた。「このことは主の御意志ですから、わたしどもが善し悪しを申すことはできません。
●51節.リベカはここにおります。どうぞお連れください。主がお決めになったとおり、御主人の御子息の妻になさってください。」
50節と51節は、家族の反応です。
まず、「このことは主の御意志」とし、「どうぞお連れください。主がお決めになったとおり、御主人の御子息の妻になさってください。」と言います。
ラバンが、すべてを決めています。
先述の通り、おそらくリベカの父ベトエルは既に亡くなっているのでしょう。
「主がお決めになったとおり、」と言っていますから、アブラハムが信じていた神は、その家の者たちにも強い影響を与えていたのでしょう。
<リベカの旅立ち>
聖書の箇所は、24章52節から67節です。
●52節.アブラハムの僕はこの言葉を聞くと、地に伏して主を拝した。
「この言葉」は、51節の承諾の言葉を指すのでしょう。しかし、本人の意思は書かれていません。
●53節.そして、金銀の装身具や衣装を取り出してリベカに贈り、その兄と母にも高価な品物を贈った。
日本でも昔はそうであったように、古代イスラエルでも自由恋愛による結婚などはなく、女性は男性社会で家と家の関係をとりもって維持するための財産というか、人質のような存在であったのでしょう。
●54節.僕と従者たちは酒食のもてなしを受け、そこに泊まった。
次の朝、皆が起きたとき、僕が、「主人のところへ帰らせてください」と言うと、
●55節.リベカの兄と母は、「娘をもうしばらく、十日ほど、わたしたちの手もとに置いて、それから行かせるようにしたいのです」と頼んだ。
●56節.しかし僕は言った。「わたしを、お引き止めにならないでください。この旅の目的をかなえさせてくださったのは主なのですから。わたしを帰らせてください。主人のところへ参ります。」
兄と母は、リベカを嫁に出すのには同意しましたが、あまりにも突然であったので人間情としてもう少し一緒にいて別れを惜しみたい。
しかし、しもべにとっては主が決められたのですから、出発を後らせる理由は何一つ見出さなかったのでしょう。
●57節.「娘を呼んで、その口から聞いてみましょう」と彼らは言い、
●58節.リベカを呼んで、「お前はこの人と一緒に行きますか」と尋ねた。「はい、参ります」と彼女は答えた。
否応がない婚約ですが、嫁入りの際の社交辞令としてこういう一連のやりとりが伝統的にあったのでしょうか。
というより、このように神は信仰を継承する家族を創造し、また祝福の継承という使命を担わせるために、最もふさわしい人物をイサクの妻として与えた、ということでしょう。
こうしてみると、まさに神の導きは神の祝福のひとつのかたちと言えます。
●59節.彼らは妹であるリベカとその乳母、アブラハムの僕とその従者たちを一緒に出立させることにし、
●60節.リベカを祝福して言った。
「わたしたちの妹よ
あなたが幾千万の民となるように。
あなたの子孫が敵の門を勝ち取るように。」
この言葉はしもべが祈りで、主がアブラハムに約束された言葉でしょう。
アブラハムはしもべにこれを話し、しもべはリベカの家族の者たちにこのことを話したのでしょう。
●61節.リベカは、侍女たちと共に立ち上がり、らくだに乗り、その人の後ろに従った。僕はリベカを連れて行った。
こうしてリベカの旅が始まります。
しかし、約800キロという長い距離です。乗り物はらくだですから大変であったことでしょう。
●62節.イサクはネゲブ地方に住んでいた。そのころ、ベエル・ラハイ・ロイから帰ったところであった。
「ベエル・ラハイ・ロイ」とは「活ける方ロイの井戸」という意味だそうです。サラが妊娠中のハガルを妬んでネゲブ砂漠へと追い出してしまったとき、そのハガルにヤハウェ(エル・ロイ)が語りかけたのがここでした。(16章14節)。
●63節.夕方暗くなるころ、野原を散策していた。目を上げて眺めると、らくだがやって来るのが見えた。
●64節.リベカも目を上げて眺め、イサクを見た。リベカはらくだから下り、
イサクはネゲブの地に住んでいたのですが、日の入るころベエル・ラハイ・ロイにやって来ました。
イサクは野原を散策していて、ふと目を上げて見ると、ちょうど、らくだがやって来るのが見えました。
リベカは目を上げてイサクを見た。彼女はらくだから下ります。
●65節.「野原を歩いて、わたしたちを迎えに来るあの人は誰ですか」と僕に尋ねた。「あの方がわたしの主人です」と僕が答えると、リベカはベールを取り出してかぶった。
「あの方がわたしの主人です」ですから、しもべはイサクのしもべになっているのですね。
「リベカはベールを取り出してかぶった。」というのは、初夜の時までは肌を見せないということでしょうか。
●66節.僕は、自分が成し遂げたことをすべてイサクに報告した。
しもべは、事の経過を主人であるイサクに報告します。
●67節.イサクは、母サラの天幕に彼女を案内した。彼はリベカを迎えて妻とした。イサクは、リベカを愛して、亡くなった母に代わる慰めを得た。
「リベカを愛して、亡くなった母に代わる慰めを得た」とはどういうことなのでしょうか。
男が最初に出会う女は母です。男はいつも母を慕う。母の愛の中で初めて、男は心が休まるのでしょう。イサクは、リベカの中に母の愛を見たのでしょうか。
なお、「イサクは、母サラの天幕に彼女を案内した。」とは、⺟サラの天幕がイサクとリベカの新居となるという意味だということです。
また、この「慰めを得た」を発展的に考えれば、リベカの存在も、神のご計画にある神の「慰め」を継承する存在と考え、単なる個⼈的・⼼情的な意味ではなく、むしろ、神のご計画(全人類救済)を担う者としての新たな⼒としての慰めを与えられたと解釈できるのではということです。
リベカは、この後エサウとヤコブという双子の子供を産み、その双子は、神のご計画を担う者とそうでない者に分かれます。
すなわち、エサウの子孫となるヘロデ一家と、ヤコブの子孫であるイスラエル(ユダ族、イェシュア、イェシュアの弟子たち)です。
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初めまして。趣味で聖書や気になった宗教本、解釈記事など読み歩いている者です。
ここ最近おじさんの記事に出会ったのですが、より聖書への解釈が深まっていく感覚があり、とても楽しませて頂いております。
余談ですが、ここ最近出会った文芸社の「神の教え」という本もとても興味深い内容でしたので、ご関心がありましたらおじさんにもご一読いただけたら嬉しいなと思いつつ、お節介ながらもここで共有させて頂ければと存じます。
これからもバックナンバーを拝読させて頂きつつ、おじさんの新作記事をとても楽しみにしております。
投稿: | 2024年1月23日 (火) 23時12分