エレミヤの手紙(エレミヤ書29章)
聖書の箇所は、29章1節から23節です。
偽預言者の言及は、ユダの捕囚の民の共同体を脅かすものとして存在していたとしてなされています。
29章は、ユダの民の悲劇を説明し、現在に対する勇気と将来に対する希望を預言しています。
●1節.以下に記すのは、ネブカドネツァルがエルサレムからバビロンへ捕囚として連れて行った長老、祭司、預言者たち、および民のすべてに、預言者エレミヤがエルサレムから書き送った手紙の文面である。
●2節.それは、エコンヤ王、太后、宦官、ユダとエルサレムの高官、工匠と鍛冶とがエルサレムを去った後のことである。
●3節.この手紙は、ユダの王ゼデキヤが、バビロンの王ネブカドネツァルのもとに派遣したシャファンの子エルアサとヒルキヤの子ゲマルヤに託された。
●4節.「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。わたしは、エルサレムからバビロンへ捕囚として送ったすべての者に告げる。
●5節.家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。
●6節.妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない。
●7節.わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから。
エレミヤはエルサレムから第一次バビロン捕囚(BC597年)で、捕らえ移された長老、祭司、預言者たちと民のすべてに手紙を書き送りました(1節)。3節にその手紙は「ユダの王ゼデキヤが、バビロンの王ネブカドネツァルのもとに派遣したシャファンの子エルアサとヒルキヤの子ゲマルヤに託された。」とあります。
手紙の内容は、「家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない。」(5,6節)と、捕囚先の町の平安を祈りなさいというものです。(7節)
ということは、捕囚は長期になるから、捕囚先で定着して平安に暮らせるようにしなさいということでしょう。
それは、「あなたたちのところにいる預言者や占い師たちにだまされてはならない。」(8節)とありますから、「偽言者や占い師」がすぐにエルサレムに帰れると民に言っていたのです。(28章3節・21節を参照)
なお、エレミヤの手紙を携えた二人の使者は、ゼデキヤ王がバビロンの王ネブカドネツァルに遣わした使者ですから、ゼデキヤ王はその手紙の内容を了解していたと推測できます。
ということは、ゼデキヤ王はエレミヤと信頼関係があり、バビロンに対抗する意思がないということです。
また、使者「シャファンの子エルアサ」も、26章24節によれば、エレミヤが、ヨヤキム王に命を狙われた際、シャファンの子アヒカムによって保護されたことがありましたので、エルアサはその兄弟ですから、エレミヤとも信頼関係があったのかもしれません。
たしかに、ユダの民はこの後捕囚先のバビロンで、70年という時を過ごします。
そうであれば、捕囚先バビロンになじみ、定着してこと平安が望めるものです。
それを主は望んでおられたのでしょう。
主の裁きの怒りが収まるのに70年を要し、70年は、当時の平均寿命を考慮すると人の一生を示す期間ですから、捕囚された人々が、赤子を含めてすべて亡くなる期間でもあるわけです。
7節の「あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。」という主の言葉に主のユダの民をいとおしむ思いがうかがわれます。
主は義なるがゆえにユダの罪を裁きますが、裁きが終われば、ユダの民をいとおしむ心をお持ちなのです。
12節から14節で、主は、「そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしに出会うであろう」と言われています。
●8節.イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。あなたたちのところにいる預言者や占い師たちにだまされてはならない。彼らの見た夢に従ってはならない。
●9節.彼らは、わたしの名を使って偽りの預言をしているからである。わたしは、彼らを遣わしてはいない、と主は言われる。
主は「バビロンへ捕囚として送ったすべての者」に捕囚先のバビロンに定住し、平安に暮らすように手紙を書かせ告知しましたが、それは偽預言者がすぐにでも帰れると捕囚先の民に預言していたこともあるのでしょう。
主は「あなたたちのところにいる預言者や占い師たちにだまされてはならない。」と言われています。
背景には、偽預言者らにそそのかされて、捕囚者の動向に不穏な気配を察知したネブカデネザル王がいて、こうした事態に対応する必要があったのかもしれません。
●10節.主はこう言われる。バビロンに七十年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す。
●11節.わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。
●12節.そのとき、あなたたちがわたしを呼び、来てわたしに祈り求めるなら、わたしは聞く。
●13節.わたしを尋ね求めるならば見いだし、心を尽くしてわたしを求めるなら、
主は、ユダの民のバビロン捕囚は七十年になると、その期間を明確にされています。もちろん、現実にバビロン捕囚は70年をもって終わりました。
このように期間を明確に定めておられるということは、民に平安を与え、希望を与えます。しかし、70年は長いです。その時に生きていた者は、全て亡くなる期間ですから、主は、捕囚先で、「家を建てて住み、園に果樹を植えてその実を食べなさい。妻をめとり、息子、娘をもうけ、息子には嫁をとり、娘は嫁がせて、息子、娘を産ませるように。そちらで人口を増やし、減らしてはならない。」(5節と6節)と言われたのです。
そして、7節で「その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから。」と言われています。
まさに、定住し、子孫を増やし、平安に暮らしなさい、そのようになるように祈りなさいです。
●14節.わたしに出会うであろう、と主は言われる。わたしは捕囚の民を帰らせる。わたしはあなたたちをあらゆる国々の間に、またあらゆる地域に追いやったが、そこから呼び集め、かつてそこから捕囚として追い出した元の場所へ連れ戻す、と主は言われる。
14節は主の「あらゆる国々の間に、またあらゆる地域に」離散させたユダヤ人に対する約束です。
11節で主は、ユダの民のバビロン捕囚は「それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」と言われています。
「あらゆる国々」は、バビロンが単なる国ではなく複数の国の集合体で、帝国であったからそのように表現されたのではと解説されていました。
●15節.あなたたちは、『主が我々のために、バビロンでも預言者を立ててくださった』と言っている。
●16節.そこで、ダビデの王座についている王と、この都に住む民のすべて、すなわち捕囚としてあなたたちと共に出て行かなかった同胞に対して、主はこう言われる。
●17節.万軍の主はこう言われる。わたしは彼らに剣、飢饉、疫病を送り、腐って食べられない、いちじくのようにする。
「彼ら」は、「ダビデの王座についている王と、この都に住む民のすべて、すなわち捕囚としてあなたたちと共に出て行かなかった同胞」を指すのでしょう。
24章5節で、「良いいちじく」とは、捕囚とされた民の方であって、「悪いいちじく」とは、ユダに残った民とエジプトに住み着いた者のこと」で、この者たちが滅びることをエレミヤは告げている、と書きましたが、ここでも主は
「あなたたちと共に出て行かなかった同胞(つまり、悪いいちじく)・・彼らに剣、飢饉、疫病を送り、腐って食べられない、いちじくのようにする。」と言われています。
●18節.わたしは、剣、飢饉、疫病をもって、彼らを追い、全世界の国々の嫌悪の的とし、わたしが追いやる国々で、呪い、驚愕、物笑い、恥さらしとする。
●19節.彼らがわたしの言葉に聞き従わなかったからである、と主は言われる。わたしは、わたしの僕である預言者たちを通して、この言葉を繰り返し伝えたが、彼らは少しも聞こうとしなかった、と主は言われる。
●20節.しかし、あなたたちは主の言葉を聞きなさい。わたしがエルサレムからバビロンへ送ったすべての捕囚の民よ。
18節で主が「わたしが追いやる国々で、呪い、驚愕、物笑い、恥さらしとする。」と言われたのは、「悪いいちじく」と言われている、ユダに残った民とエジプトに住み着いた者を指すのでしょう。
「彼ら」は、エルサレムに居残っている人々のほうが幸いで、バビロンに捕囚
された人々だと思っていたのでしょう。
でも、預言も実際もその逆であったのです。
●21節.イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。それは、わたしの名を使って、あなたたちに偽りの預言をしているコラヤの子アハブとマアセヤの子ゼデキヤに対してである。今、わたしは彼らをバビロンの王ネブカドレツァルの手に渡す。王は彼らをあなたたちの目の前で殺す。
●22節.この二人のことは、呪いの言葉として使われ、バビロンにいるユダの捕囚民は皆、『主が、お前をバビロンの王に火あぶりにされたゼデキヤとアハブのようにしてくださるように』と言うようになるだろう。
偽預言者は、主はバビロンを打ち、あなた方は救われる、と預言していました。
「偽りの預言をしているコラヤの子アハブとマアセヤの子ゼデキヤ」の二人の偽預言者を主は「彼らをバビロンの王ネブカドレツァルの手に渡す。王は彼らをあなたたちの目の前で殺す。」と言われています。
実際に、この二人の偽預言者は、バビロンの王ネブカドレツァルによって火で焼かれます。
二人の偽預言者が、預言通り火で焼かれたことの背景には、バビロンに対する謀反などの計画もあったようです。(26節以降参照)
●23節.これは彼らがイスラエルにおいて愚かな行いをし、隣人の妻と姦通し、また命じもしないのに、わたしの名を使って偽りを語ったからである。わたしはこのことを知っており、証言をする、と主は言われる。」
この二人の偽預言者は、主の名をかたるばかりか、「隣人の妻と姦通」など、愚かな行いをしていたようです。
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