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2023年4月の記事

2023年4月 7日 (金)

命の道と死の道(エレミヤ書21章)

聖書の箇所は、エレミヤ書21章1節から14節です。
2章から始まるエレミヤの預言は、ユダが犯している罪に対して、神の裁きが下ることについての内容でした。
主の言葉を語れば、彼らユダの民は、エレミヤに恥とそしりの言葉を浴びせ、彼らは、「恐怖が四方から迫る」「共に彼を弾劾しよう」と、エレミヤを呪いました。

 

20章では、主の宮の祭司パシュフルがエレミヤに鞭打ち、足かせにはめ、エルサレムの陶片の門でさらし者にしました。
そして、エレミヤは落ち込んで、自分の生まれたことさえ呪いました。

 

21章からは、具体的な王の名前、ヨシヤの死後、南ユダを治める王たちの名が出てきます。
登場する王は、エホアハズ、エホヤキム、エホヤキン、ゼデキヤの四人の王です。

 

前に書きましたが、南ユダ王国は、ヨシヤ王の死後、その子エホアハズが王になり、彼は三ヶ月でエジプトに捕え移されました。
次にエホヤキムが王になりましたが、彼はバビロンに反逆しましたので、バビロンの王ネブカデネザルによってユダは略奪の目に会います。

 

 

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エレミヤの告白(20章)

聖書の箇所は、20章7節から18節です。
●7節.主よ、あなたがわたしを惑わし/わたしは惑わされて/あなたに捕らえられました。あなたの勝ちです。わたしは一日中、笑い者にされ/人が皆、わたしを嘲ります。

 

エレミヤの心の叫びでしょう。
13節までは、嘆きと主に対する感謝の祈りです。

 

「あなたがわたしを惑わし」というのは、「あなたに捕らえられ」ですから、エレミヤが主の言葉を忠実に語ったその結果、このようになったと言いたいのでしょう。

 

それは、わたしは主が命じられている通りに預言しましたが、預言を受け入れる人があまり人少なく、挙句の果ては、捕らえられ、殺そうと企む者もいます。

 

 

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砕かれた壺(19章)

聖書の箇所は、19章1節から20章6節です。
●1節.主はこう言われる。「行って、陶器師の壺を買い、民の長老と、長老格の祭司を幾人か連れて、
●2節.陶片の門を出たところにある、ベン・ヒノムの谷へ出て行き、そこでわたしがあなたに語る言葉を呼ばわって、
●3節.言うがいい。ユダの王たち、エルサレムの住民よ、主の言葉を聞け。イスラエルの神、万軍の主はこう言われる。見よ、わたしは災いをこのところにもたらす。それを聞く者は耳鳴りがする。

 

ここは、18章はろくろの上にある粘土による例えでしたが、今度は完成された焼き物の瓶についての例えです。
場所は、「陶片の門を出たところ」とあります。

 

その門は、「陶片」ですから、要らなくなった瀬戸物を割って、廃棄するところなのでしょう。
ベン・ヒノムの谷は、7章31節にあるように、偶像礼拝のために息子、娘を火で焼いた場所です。

 

 

 

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エレミヤに対する計略(18章)

聖書の箇所は、18章18節から23節です。
●18節.彼らは言う。「我々はエレミヤに対して計略をめぐらそう。祭司から律法が、賢者から助言が、預言者から御言葉が失われることはない。舌をもって彼を打とう。彼の告げる言葉には全く耳を傾けまい。」

 

神の言葉を語ったエレミヤに対して、エルサレムの祭司や預言者たちは「我々はエレミヤに対して計略をめぐらそう。」と言っています。
「計略をめぐらそう。」は、エレミヤを殺害するための計略でしょう。

 

そして、「祭司から律法が、賢者から助言が、預言者から御言葉が失われることはない。」とも言っています。

 

ユダ(イスラエル)は、主の裁きにより断罪されるのですが、その原因は、(1) エルサレムを偶像礼拝で満たしたこと (特にマナセ王は大々的にそれを行ないました)

 

 

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陶工の手中にある粘土(18章)

聖書の箇所は、18章1節から17節です。 
●1節.主からエレミヤに臨んだ言葉。
●2節.「立って、陶工の家に下って行け。そこでわたしの言葉をあなたに聞かせよう。」
●3節.わたしは陶工の家に下って行った。彼はろくろを使って仕事をしていた。
●4節.陶工は粘土で一つの器を作っても、気に入らなければ自分の手で壊し、それを作り直すのであった。

 

「陶工の家に下って行け。そこでわたしの言葉をあなたに聞かせよう。」と主はエレミヤに告げていますが、わざわざ、陶工の家に行ってですから、陶工が仕事をしている前で預言を語ろうとされているのです。

 

 

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安息日の順守(17章)

聖書の箇所は、17章19節から27節です。
●19節.主はわたしにこう言われた。「行って、ユダの王たちが出入りする民の子らの門や、エルサレムのすべての門に立ち、
●20節.彼らに言うがよい。これらの門を入るユダの王たち、ユダのすべての者、エルサレムのすべての住民よ、主の言葉を聞け。
●21節.主はこう言われる。あなたたちは、慎んで、安息日に荷を運ばないようにしなさい。エルサレムのどの門からも持ち込んではならない。
●22節.また安息日に、荷をあなたたちの家から持ち出してはならない。どのような仕事もしてはならない。安息日を聖別しなさい。

 

エレミヤの預言の言葉で、「安息日を聖別しなさい。」です。
安息日は、主あっての自分たちであることを再認識する日といえます。

 

安息日には「どのような仕事もしてはならない。」とありますが、安息を守ることであって「日」を守ることではない。
安息日は、主が約束された約束のしるしといえます。

 

 

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エレミヤの嘆き(17章)

聖書の箇所は、17章14節から18節です。
●14節.主よ、あなたがいやしてくださるなら/わたしはいやされます。あなたが救ってくださるなら/わたしは救われます。あなたをこそ、わたしはたたえます。

 

エレミヤの祈りが続きます。
心が「いやされ」るのも、罪を「救ってくださる」のも主によって、エレミヤは主を信頼しています。

 

エレミヤは、ユダの民から嘲笑と迫害にさらされ、殺されかけ心に傷を受け自信を失ったエレミヤには主なる神しかありません。

 

エレミヤは、「主よ、あなたがいやしてくださるなら/わたしはいやされます。」と言っています。自分の心の傷をいやすのは、主のみだと言っています。

 

 

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人間の心を知り尽くす神(17章)

聖書の箇所は、17章9節から13節です。
●9節.人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか。

 

この個所の新改訳は「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。」と訳されています。
この「陰険」という言葉は、口語訳では「偽るもの」、新共同訳では「とらえ難く病んでいる」と訳されています。

 

●10節.心を探り、そのはらわたを究めるのは/主なるわたしである。それぞれの道、業の結ぶ実に従って報いる。

 

 

 

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主に信頼する人(17章)

聖書の箇所は、17章5節から8節です。
●5節.主はこう言われる。呪われよ、人間に信頼し、肉なる者を頼みとし/その心が主を離れ去っている人は。

 

ユダの罪は、神々に対する偶像礼拝だけではなく、「人間に信頼し、肉なる者を頼みとし、主から心が離れ去っていたことに問題がったのです。
この個所を歴史から推察すると、ユダはヨシヤ王が死んだ後に、エジプトに助けを求めて従属しましたが、バビロンが台頭してきましたので、ユダの王ヨヤキムは助けを求める先をエジプトからバビロンに鞍替えしました。

 

 

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ユダの罪と罰(17章)

聖書の箇所は、17章1節から4節です。
●1節.ユダの罪は/心の板に、祭壇の角に/鉄のペンで書きつけられ/ダイヤモンドのたがねで刻み込まれて

 

17章は、16章に続き私たちが主に対して犯した罪について、16章は偶像礼拝の罪でしたが、ここでは、神を認めない日常生活です。
神殿に赴き、祭壇に犠牲動物をささげて礼拝するのですが、その時に犠牲動物が屠られ、その動物の血が祭壇の角に塗り付けられます。

 

 

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2023年4月 1日 (土)

新しい出エジプト(16章)

聖書の箇所は、16章14節から21節です。
●14節.見よ、このような日が来る、と主は言われる。人々はもう、「イスラエルの人々をエジプトから導き上られた主は生きておられる」と言わず、
●15節.「イスラエルの子らを、北の国、彼らが追いやられた国々から導き上られた主は生きておられる」と言うようになる。わたしは彼らを、わたしがその先祖に与えた土地に帰らせる。

 

主は、「見よ、このような日が来る、」と宣告され、15節で「北の国、彼らが追いやられた国々から導き上られた主は生きておられる」とユダ(イスラエル)の民が言うようになると言われる。光がさしてきました。

 

「見よ」は、聖書では終わりの日の預言を指すことが多いですから、これは、主が全世界に離散した彼らを終わりの日に約束の地であるカナン(イスラエル)に帰還させるという預言です。

 

 

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預言者の孤独(16章)

聖書の箇所は、16章1節から13節です。
16章でようやく神の明確なイスラエルの救済計画を見ることができます。

 

それは完全に破壊して、そこから新しいものを建て上げることですが、それが人類全体の救済計画へつながるのでしょう。

 

●1節.主の言葉がわたしに臨んだ。
●2節.「あなたはこのところで妻をめとってはならない。息子や娘を得てはならない。」
●3節.このところで生まれる息子、娘、この地で彼らを産む母、彼らをもうけた父について、主はこう言われる。

 

「主の言葉がわたしに臨んだ。」ですが、主の言葉は絶対ですから、それは神の不可抗力的な出来事を意味します。
それは、「妻をめとってはならない。息子や娘を得てはならない。」です。

 

 

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エレミヤの苦しみと神の支え(15章)

聖書の箇所は、15章10節から21節です。
●10節.ああ、わたしは災いだ。わが母よ、どうしてわたしを産んだのか。国中でわたしは争いの絶えぬ男/いさかいの絶えぬ男とされている。わたしはだれの債権者になったことも/だれの債務者になったこともないのに/だれもがわたしを呪う。

 

エレミヤは預言者ですが、その預言で民に憎まれて殺されようとしています。
そんな自分を「国中でわたしは争いの絶えぬ男」とし、「わたしはだれの債権者になったことも/だれの債務者になったこともないのに/だれもがわたしを呪う。」と言って、嘆いています。

 

つまり、自分は主の言葉を伝えただけで、人に恨まれることなどしていないのになぜこんなに恨まれるのか、ということでしょう。
今、エレミヤの信仰が試されているのでしょう。

 

「わが母よ、どうしてわたしを産んだのか。」ですが、エレミヤは、自分の人生の苦難の発端は母のうちにあると、子供染みた人間の愛と憎悪の間に身を置き、エレミヤの預言者としての心は揺れ動いているのでしょう。

 

 

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干ばつの災い(14章)

聖書の箇所は、14章1節から22節,15章1節から9節です。
●1節.干ばつに見舞われたとき、主の言葉がエレミヤに臨んだ。

 

「干ばつに見舞われたとき」ですが、ハバクク書3章17節に同様の記載がありますから、ここからは当時ユダを襲った日照りが長く続いたことについての預言でしょう。

 

この干ばつは、おそらく、エリキヤムの時代に襲った激しい飢饉のことではないかとされています。
もちろん、これは主の言葉に従わなかった場合のユダに対しての裁きの預言です。

 

「干ばつ」とは雨が降らない状態のことですが、ここでは「干ばつ」ということばが複数形だということですから、一度だけでなく何度も起こることを意味しているのでしょう。

 

 

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罪の深さ(13章)

聖書の箇所は、13章23節から27節です。
●23節.クシュ人は皮膚を/豹はまだらの皮を変ええようか。それなら、悪に馴らされたお前たちも/正しい者となりえよう。

 

「クシュ人」とは、エチオピヤ人のことで、黒人です。
「クシュ人」を例えに使い、皮膚の色を黒から白にすることはできないだろう。それと同じように、「悪に馴らされたお前たちも/正しい者となりえよう。」ですから、悪に慣れ親しみ、それが性質になってしまったあなた方は、正しい者にならない、と主は仰っているのです。

 

正しい者になるには、正しい性質に帰られることが必要なのですが、人間は自分の力ではできないので、神の力によって性質を変えられることが必要です。

 

 

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王と太后(13章)

聖書の箇所は、13章18節から22節です。
●18節.王と太后に言え。「身を低くして座れ。輝かしい冠は/あなたたちの頭から落ちた。」

 

「輝かしい冠は/あなたたちの頭から落ちた。」と宣言し、「王と太后」が挙げられていますが、「太后」が入るのは珍しいです。
これはユダの王ヨシヤが死んだ後の状況を見ればわかります。

 

南ユダ王国は、ヨシヤ王の死後、エホアハズが王となりましたが、エジプトの王ネコは彼を退けてエホヤキムを立てましたが、彼がネブカデネザルに反逆したので、後に第一次バビロン捕囚でバビロンに捕え移されます。

 

 

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麻の帯とぶどう酒のかめ(13章)

聖書の箇所は、13章1節から17節です。
主は、エレミヤによって、新しいメッセージが語られます。
そのメッセージは、言葉でなくエレミヤの行動を用いてのメッセージです。

 

●1節.主はわたしにこう言われる。「麻の帯を買い、それを腰に締めよ。水で洗ってはならない。」

 

「麻の帯」は契約の民を表す象徴として用いられているそうです。
帯を腰に締めることは、主に対する神の民(イスラエルでありユダ)の神との契約と密接に関連付けられているのでしょう。

 

彼ら契約の民は、主の名声、栄誉、威光を示すものとして期待、それは、主の言葉に聞き従うことでしたが、彼らは「聞き従わなかった。」ので、それが主の裁きの理由とされています。。

 

 

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主の嗣業(12章)

聖書の箇所は、12章7節から17節です。
●7節.わたしはわたしの家を捨て/わたしの嗣業を見放し/わたしの愛するものを敵の手に渡した。

 

「わたし」は、神ご自身でしょう。
主が、イスラエル(カナン)の地を「わたしの嗣業」と呼ばれていますから、イスラエル(カナン)の地は主がイスラエルに相続させられた地だと言うことでしょう。

 

主は「わたしの愛するものを敵の手に渡した。」と言われ、そして「わたしの嗣業を見放し」ですから、イスラエルから土地を奪われるのですから、滅び民ユダは世界中に離散して、国がなくなるのでしょう。

 

主はイスラエル(ユダ)のことを「わたしの愛するもの」と言われ、10節では、「私のぶどう畑」といわれていますから、この事態は、いわば、ユダの人々に対する(やがて回復させることを前提にした)懲罰的リセットであるといえます。

 

 

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エレミヤの訴え(11章)

聖書の箇所は、11章18節から23節、12章1節から6節です。
●18節.主が知らせてくださったので/わたしは知った。彼らが何をしているのか見せてくださった。
●19節.わたしは、飼いならされた小羊が/屠り場に引かれて行くように、何も知らなかった。彼らはわたしに対して悪だくみをしていた。
「木をその実の盛りに滅ぼし/生ける者の地から絶とう。彼の名が再び口にされることはない。」

 

「主が知らせてくださったので/わたしは知った。」ですが、何をエレミヤが知ったかですが、それは、「彼らが何をしているのか見せてくださった。」、すなわち主は幻をもってエレミヤに、ご自身に対する彼らの企み、陰謀と同時に、「彼らはわたしに対して悪だくみをしていた。」ことを「主が知らせてくださった」のです。

 

エレミヤは、自分に対する殺害計画に気がついていなかったのです。
エレミヤ自身は、19節にあるように、「飼いならされた小羊が/屠り場に引かれて行くように、」ですから、屠り場に家畜を引いていく者の後に、何の疑いもなく、殺されることも知らないで、無邪気についていく人なつっこい小羊を例えに、エレミヤもそのようであったということでしょう。

 

 

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破られた契約(11章)

聖書の箇所は、11章1節から17節です。
●1節.主からエレミヤに臨んだ言葉。
●2節.「この契約の言葉を聞け。それをユダの人、エルサレムの住民に告げよ。
●3節.彼らに向かって言え。イスラエルの神、主はこう言われる。この契約の言葉に聞き従わない者は呪われる。
●4節.これらの言葉はわたしがあなたたちの先祖を、鉄の炉であるエジプトの地から導き出したとき、命令として与えたものである。わたしは言った。わたしの声に聞き従い、あなたたちに命じるところをすべて行えば、あなたたちはわたしの民となり、わたしはあなたたちの神となる。

 

エレミヤがこの預言を行なったのは、「これらの言葉はわたしがあなたたちの先祖を、鉄の炉であるエジプトの地から導き出したとき、命令として与えたものである。」(4節、出エジプト記19章4節と5節)ですから、おそらくユダの王がヨシヤの時のことでしょう。

 

 

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