悔い改めへの招き(3章)
聖書の箇所は、3章19節から25節、4章1から4節です。
●19節.わたしは思っていた。「子らの中でも、お前には何をしようか。お前に望ましい土地/あらゆる国の中で/最も麗しい地を継がせよう」と。そして、思った。「わが父と、お前はわたしを呼んでいる。わたしから離れることはあるまい」と。
イスラエルと主(神、創造主)との関係を主は、イスラエルをわが子とし、アブラハムに約束された契約に従って、「あらゆる国の中で/最も麗しい地」カナンを与えようと思っておられます。
また主は、イスラエルが主を「わが父」と呼ぶことを望んでおられます。
そして、イスラエルは「わが父と、お前はわたしを呼んでいる。わたしから離れることはあるまい」と、思っておられたのです。
なお、現実にイスラエルは、エジプトやヨルダンから入れば、荒野の中にある巨大なオアシスのような状態になっているそうです。
また、イエスが、神を父と呼ばれ、クリスチャンが祈るときには、天のお父様と呼び掛けるのはここから来ているのですね。
●20節.だが、妻が夫を欺くように/イスラエルの家よ、お前はわたしを欺いたと/主は言われる。
●21節.裸の山々に声が聞こえる/イスラエルの子らの嘆き訴える声が。彼らはその道を曲げ/主なる神を忘れたからだ。
イスラエルは、神からわが子と呼ばれ「わたしから離れることはあるまい」」と期待されながらイスラエルは、妻が夫を裏切るように、主を裏切ってしまいました。
イスラエルは、神との契約によってこのすばらしい特権が与えられていたにもかかわらず、「彼らはその道を曲げ/主なる神を忘れ」てしまい、特権を失ってしまいました。
そのために、「裸の山々に声が聞こえる/イスラエルの子らの嘆き訴える声が。」と主は嘆かれるような事態になってしまいました。
それは、北イスラエルのアッシリア捕囚、南ユダのバビロン捕囚、そして、イスラエルの民の世界離散を言っているのでしょう。
●22節.「背信の子らよ、立ち帰れ。わたしは背いたお前たちをいやす。」「我々はあなたのもとに参ります。あなたこそ我々の主なる神です。
イスラエルを「背信の子らよ」と呼び、主は「立ち帰れ」と呼び掛けられます。そうすれば「わたしは背いたお前たちをいやす。」と言われています。
そう、「お前の犯した罪を認めよ」(13節)、すなわち、裏切りという罪を認めて、悔い改めて、もう一度神に立ち返れということですから、わたしを裏切って異教の神を礼拝するような偶像礼拝を止め、主なる神を神として崇めて生きるように、ということでしょう。
この異教の神は、イスラエルが入植したカナンの地の土着信仰であるバアルの神のことでしょう。
後半の「我々はあなたのもとに参ります。あなたこそ我々の主なる神です。」は、イスラエルの主の呼びかけに対する答えです。
●23節.まことに、どの丘の祭りも/山々での騒ぎも偽りにすぎません。まことに、我々の主なる神に/イスラエルの救いがあるのです。
●24節.我々の若いときから/恥ずべきバアルが食い尽くしてきました/先祖たちが労して得たものを/その羊、牛、息子、娘らを。
●25節.我々は恥の中に横たわり/辱めに覆われています。我々は主なる神に罪を犯しました。我々も、先祖も/若いときから今日に至るまで/主なる神の御声に聞き従いませんでした。」
22節後半から25節は、イスラエルの主の呼びかけに対する対応です。
内容は、イスラエルの悔い改めの祈りです。
すなわち、まず22節で、「「我々はあなたのもとに参ります。あなたこそ我々の主なる神です。」と確認し、23節で偶像礼拝は偽りであったとし、「我々の主なる神に/イスラエルの救いがある」と認め、24節で、そうした偶像礼拝の結果、「先祖たちが労して得たものを/その羊、牛、息子、娘らを。」偶像である「恥ずべきバアルが食い尽くしてきました」とします。
「恥ずべき」は、新改訳ではバアルと訳しているので、バアルと恥ずべきは同じことを言っているのでしょう。
25節でそういう自分たちを振り返り「恥の中に横たわり/辱めに覆われています」と言っています。
罪の告白、そしてイスラエルの神にこそ救いがあるという信仰告白です。
●4章1節.「立ち帰れ、イスラエルよ」と/主は言われる。「わたしのもとに立ち帰れ。呪うべきものをわたしの前から捨て去れ。そうすれば、再び迷い出ることはない。」
●2節.もし、あなたが真実と公平と正義をもって/「主は生きておられる」と誓うなら/諸国の民は、あなたを通して祝福を受け/あなたを誇りとする。
再び主は、「立ち帰れ、イスラエルよ」と呼び掛けます。
そして、「呪うべきもの(偶像の神バアル)をわたしの前から捨て去れ。そうすれば、再び迷い出ることはない。」と言われます。
そして、2節では、イスラエルが「真実と公平と正義をもって/「主は生きておられる」と誓うなら/諸国の民は、あなたを通して祝福を受け/あなたを誇りとする。」ですから、イスラエルが主のもとに回復すれば、イスラエルだけでなく、イスラエルを通して「諸国の民」ですから、つまり世界の異邦の人々がイスラエルを通して祝福を受け、その人たちが「あなたを誇りとする。」と言われているのです。
この預言は、終わりの日の艱難時代を経て千年王国(メシア王国)において実現します
前にも書きましたが、
このことはイエスが来臨されたことによってわかることですから、この時代のエレミヤには終わりの日の出来事は明確には認識していなかったと思います。
したがって、エレミヤ書で語る終わりの日の預言は、主がそのように語られたからそのようにエレミヤは語ったのでしょう。
●3節.まことに、主はユダの人、エルサレムの人に/向かって、こう言われる。「あなたたちの耕作地を開拓せよ。茨の中に種を蒔くな。
2節を受けて主は南ユダ、そして北イスラエルの人に「あなたたちの耕作地を開拓せよ。茨の中に種を蒔くな。」と言われます。
「耕作地」とは、何も植えられていない土地ですから、そこを「開拓せよ。茨の中に種を蒔くな。」ですから、耕作地というのは、世界の異邦の諸国の民を指し、そこをまず開拓し、すなわち、異邦の諸国の人々の頑なな心を耕して、それから種を蒔きなさい、そうすれば実るということでしょう。
これが預言者エレミヤを通して、イスラエルに課せられた使命でしょう。
なお、「茨の中に種を蒔くな。」というのは、茨の中に種を蒔くと、種が芽を出して成長しようとしても茨がそれをふさぐので成長できないということでしょう。
ですから、「茨」とは、種(神の言葉)の成長を妨げるもの、すなわち、この世の思い煩いや富の惑わしなどを指し、そのようなものに心を奪われていれば種(神の言葉)が実を結ぶことができないのです。
●4節.ユダの人、エルサレムに住む人々よ/割礼を受けて主のものとなり/あなたたちの心の包皮を取り去れ。さもなければ、あなたたちの悪行のゆえに/わたしの怒りは火のように発して燃え広がり/消す者はないであろう。」
主は「ユダの人、エルサレムに住む人々よ」と呼び掛けられます。
それは、前に書きましたが、北イスラエルは背信の罪を犯しただけですが、南ユダは「裏切り」の罪を犯しましたので、主はここで南ユダに対して改めて呼び掛けられているのでしょう。。
南ユダの人々(首都エルサレム)は、北イスラエルの崩壊とアッシリア捕囚をみてその理由(主への背信)を知っていながら、表面的にはユダヤ教の儀式を行い、神殿礼拝を行っていましたが、その心は真の神から遠く離れて、偶像礼拝にふけっていたのです。
「心の包皮を取り去れ」は、神の御霊による心の割礼を受けよということでしょう。
もし心が包皮(罪)で覆われていると、霊の働きがなくなり、神の言葉に鈍感になります。神の言葉の真意がわからない状態です。だから、「割礼を受けて主のものとなり/あなたたちの心の包皮を取り去れ。」と言われるのでしょう。
さもなければ「あなたたちの悪行のゆえに/わたしの怒りは火のように発して燃え広がり/消す者はないであろう。」とは、また、恐ろしい事態です。
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