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2023年3月の記事

2023年3月18日 (土)

偶像とまことの神(10章)

聖書の箇所は、10章1節から25節です。
エレミヤは偶像とまことの神を対比しながら、まことの神を信じるようにと勧めています。

 

比較は四度にわたり、1から7節、8から10節、11から13節、そして14から16節です。
エレミヤがこのように偶像とまことの神の対比にこだわるのは、人は何を信じるかによってその生き方が決まる、人生において最も重要なことだとしているからでしょう。

 

●1節.イスラエルの家よ、主があなたたちに語られた言葉を聞け。

 

「イスラエルの家」ですから、イスラエル全体、すなわち、北イスラエル王国と南ユダ王国の両国に向かってエレミヤは語っています。

 

 

 

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ユダの堕落(9章)

聖書の箇所は、9章1節から25節です。
●1節.荒れ野に旅人の宿を見いだせるものなら/わたしはこの民を捨て/彼らを離れ去るであろう。すべて、姦淫する者であり、裏切る者の集まりだ。

 

「わたしはこの民を捨て」ですから、エレミヤは、主の裁きの真の理由もわからず、悔い改めもしないユダの民が、主の助けはなく、敵バビロンの手によって滅びていく未来を知り、自身の問題として苦悶していますが、同時に「荒れ野に旅人の宿を見いだせるものなら/わたしはこの民を捨て/彼らを離れ去るであろう。」とも言っています。

 

エレミヤは、ユダの民を愛し共に歩みながら、かつ(彼らを愛するゆえに彼らの罪を憎み)彼らから離れたいと願っているのです。

 

つまり、「荒れ野に旅人の宿を見いだせるものなら」ですから、活動の舞台から退いて、荒野に退き、隠遁者として生きることを願っているのでしょう。

 

 

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敵の攻撃(8章)

聖書の箇所は、8章14節から23節です。
●14節.何のために我々は座っているのか。集まって、城塞に逃れ、黙ってそこにいよう。我々の神、主が我々を黙らせ/毒の水を飲ませられる。我々が主に罪を犯したからだ。

 

14~17節にかけて、北からの敵(バビロン)の侵攻の様子が描かれています。そこには救いの希望は見られません。絶望とパニックのみです。

 

エレミヤは、この事態を引き起こした原因を「我々が主に罪を犯したからだ。」と民の言葉で断定しています。
その罪というのは、主に対する罪ですから、このような事態になったのは、罪に対する主の裁きの結果だということですが、そのことも民は知っていたと思います。

 

 

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民の背信(8章)

聖書の箇所は、8章4節から13節です。
●4節.彼らに言いなさい。主はこう言われる。倒れて、起き上がらない者があろうか。離れて、立ち帰らない者があろうか。

 

「起き上がらない者があろうか。離れて、立ち帰らない者があろうか。」ですが、この言葉は、人は倒れればすぐに起き上がるもの、誰でも「離れて」つまり、道に迷えばそれに気づいて、元の道に戻るものであるということを前提に「彼ら」ユダの民に問いかけられています。

 

主はユダの民には律法を授けどうすれば罪になるのかを「定め」てられましたので、民は自らの罪について、充分知っているはずですが、民は、知っていながら、警告をしてもかくなに聞こうとしないで、神に背き続けています。

 

 

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2023年3月11日 (土)

神殿での預言(7章)

聖書の箇所は、7章1節から8章3節です。
7章から10節までは、三回目のエレミヤのメッセージになります。

 

●1節.主からエレミヤに臨んだ言葉。
●2節.主の神殿の門に立ち、この言葉をもって呼びかけよ。そして、言え。「主を礼拝するために、神殿の門を入って行くユダの人々よ、皆、主の言葉を聞け。

 

三回目のエレミヤに対する主のメッセージは、「神殿の門」に礼拝のために入ってくるユダヤ人に対する言葉です。ユダの王が、エホヤキムの治世のころだと思います。

 

 

 

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エルサレムの攻城(6章)

聖書の箇所は、6章1節から30節です。
エレミヤ書1~6章までがエレミヤの初期の預言が集められたと言われています。

 

エレミヤが預言者として神に召されたのは、ヨシヤ王の治世の第13年目でした。
ヨシヤが、宗教改革への道を踏み出したのは治世第12年目でした。

 

そして、その治世第18年目(紀元前622)に神殿の修理を命じ、その工事が行われていた時に、エルサレム神殿から「律法の書」が発見されました。

 

「律法の書」の発見は、ヨシヤ王の宗教改革を画期的なものにし、すなわち、地方聖所を廃止し、エルサレムへの聖所に統一がなされました。
ただし、ヨシヤ王の宗教改革は、制度的な宗教改革で、民の罪の悔い改めには至らなかったということにおいては不徹底のまま挫折したのでしょう。

 

 

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2023年3月 4日 (土)

エルサレムの堕落(5章)

聖書の箇所は、5章1節から31節です。
●1節.エルサレムの通りを巡り/よく見て、悟るがよい。広場で尋ねてみよ、ひとりでもいるか/正義を行い、真実を求める者が。いれば、わたしはエルサレムを赦そう。
●2節.「主は生きておられる」と言って誓うからこそ/彼らの誓いは偽りの誓いとなるのだ。

 

ここはユダ(エルサレムが首都)の現実が、主の御心に反していることが描かれています。
そして主は、ユダに一人でも、「正義を行い、真実を求める者」が見つかるならば、ユダを赦そうと言われています。

 

 

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北からの敵(4章)

聖書の箇所は、4章5節から31節です。
●5節.ユダに知らせよ、エルサレムに告げて言え。国中に角笛を吹き鳴らし、大声で叫べ/そして言え。「集まって、城塞に逃れよう。
●6節.シオンに向かって旗を揚げよ。避難せよ、足を止めるな」と。わたしは北から災いを/大いなる破壊をもたらす。

 

「ユダに知らせよ」は、南ユダ王国に告げという警告の言葉でしょう。
その内容は、「シオンに向かって旗を揚げよ。避難せよ、足を止めるな」ですから、ユダのエルサレム以外に住む人々に城塞など防備のあるエルサレムに逃げよということでしょう。

 

「角笛を吹き鳴らし」は、危険が迫っていることを表しているのでしょう。
それは、「わたしは北から災いを/大いなる破壊をもたらす。」からだと主は言われています。ですからこれは主の裁きの預言となります。

 

「北から」とは、バビロンがやって来てユダに襲いかかり、ユダに破滅をもたらそうとしていたので、そのことを指しているのでしょう。
それはユダの民が、預言者を通して語られた神のことばを聞いても、神に立ち返らなかったからです。

 

 

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悔い改めへの招き(3章)

聖書の箇所は、3章19節から25節、4章1から4節です。
●19節.わたしは思っていた。「子らの中でも、お前には何をしようか。お前に望ましい土地/あらゆる国の中で/最も麗しい地を継がせよう」と。そして、思った。「わが父と、お前はわたしを呼んでいる。わたしから離れることはあるまい」と。

 

イスラエルと主(神、創造主)との関係を主は、イスラエルをわが子とし、アブラハムに約束された契約に従って、「あらゆる国の中で/最も麗しい地」カナンを与えようと思っておられます。
また主は、イスラエルが主を「わが父」と呼ぶことを望んでおられます。

 

そして、イスラエルは「わが父と、お前はわたしを呼んでいる。わたしから離れることはあるまい」と、思っておられたのです。

 

なお、現実にイスラエルは、エジプトやヨルダンから入れば、荒野の中にある巨大なオアシスのような状態になっているそうです。
また、イエスが、神を父と呼ばれ、クリスチャンが祈るときには、天のお父様と呼び掛けるのはここから来ているのですね。

 

 

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