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2022年11月の記事

2022年11月 5日 (土)

諸国民の受ける恥(45章)

聖書の箇所は、45章14節から25節です。
●14節.主はこう言われる。エジプトの産物、クシュの商品/背の高いセバ人が/あなたのもとに送り込まれ、あなたのものになる。彼らは鎖につながれて送り込まれ/あなたに従う。彼らはあなたにひれ伏し、あなたに願って言う。「神は確かにあなたのうちにいます。ほかにはおられない。他の神々はむなしい。

 

「セバ」はエジプトやエチオピア(クシュ)と結び付けられており,ヤコブの代わりに贖いとして与えられると言われています。
メド・ペルシャのキュロス王はバビロンを平定し、イスラエルの捕囚を解きましたが、エジプトは、キュロス王でなくその息子カンビュセスが平定しました。

 

ですから、「あなた」というのは、キュロス王の息子の代のメド・ペルシャを指します。
この箇所は、前に主がキュロス王に油を注ぎ、バビロンに捕らえられていたイスラエルの民を捕囚から解放するという預言が語られていましたが、それは、すべての人が、聖書の神こそ主であり、神であることを知るためでした。

 

 

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バビロンの偶像(46章)

聖書の箇所は、46章1節から13節です。
●1節.ベルはかがみ込み、ネボは倒れ伏す。彼らの像は獣や家畜に負わされ/お前たちの担いでいたものは重荷となって/疲れた動物に負わされる。
●2節.彼らも共にかがみ込み、倒れ伏す。その重荷を救い出すことはできず/彼ら自身も捕らわれて行く。

 

「ベル」は、バビロンの偶像の神で、「ネボ」はベルの息子ということです。
当時、バビロンには50ほどの偶像の神々があったそうです。その主神の名が「ベル」(別名、マルドゥークが主名)です

 

「ベルはかがみ込み、ネボは倒れ伏す。」というのは、やがてバビロンは滅ぼされ、彼らが信じていた偶像の神はお荷物になるということでしょう。

 

 

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2022年11月13日 (日)

バビロンの陥落(47章)

聖書の箇所は、47章1節から15節です。
47章は、バビロンの偶像でしたが、47章はバビロンの陥落です。

 

イスラエルは、ペルシヤのキュロス王によって捕囚から解放されます。
キュロス王は、主によって「油注がれた者」という肩書を与えられています。

 

世界征服を目指すキュロス王は、そのときに離散、奴隷状態にあったユダヤ人を捕囚から解放しますが、そのようなことは通常考えられないのですが、それは主がキュロス王に背後で働きかけられているからといえます。

 

やがてキリストは、再臨されこの地上世界を治められ、イスラエルを霊的に救いキリストの使者として用いられますが、そういう意味でキュロス王はそのキリストを指し示す人であったといえます。

 

このイザヤの預言をその後に神があらわされた新約聖書を読みながらこの個所を慎重に読むと、隠された意味はそのように解釈できます。

 

 

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2022年11月21日 (月)

預言の成就(1)(48章)

聖書の箇所は、48章1節から22節です。
二回に分けまして、(1)では、1節から10節を搭載します。
●1節.ヤコブの家よ、これを聞け。ユダの水に源を発し/イスラエルの名をもって呼ばれる者よ。まこともなく、恵みの業をすることもないのに/主の名をもって誓い/イスラエルの神の名を唱える者よ。

 

新改訳は、「これを聞け。ヤコブの家よ。あなたはイスラエルの名で呼ばれ、ユダの源から出て、主の御名によって誓い、イスラエルの神を呼び求めるが、誠実をもってせず、また正義をもってしない。」です。

 

「ヤコブの家」と「ユダの水に源を発し/イスラエルの名をもって呼ばれる者よ。」と「主の名をもって誓い/イスラエルの神の名を唱える者」は、同じ人を指しているのでしょう。

 

経緯を調べると、ヤコブとはずる賢い者とか、かかとをつかむ者という意味がありますが、それはヤコブの肉的な性質を表していて、そんなヤコブが神と格闘して砕かれ、イスラエル(意味は「神に支配された者」)と呼ばれるようになり「ユダの源から出て」と言われているのです。

 

 

 

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預言の成就(2)(48章)

聖書の箇所は、48章1節から22節です。
二回に分けまして、(2)では、11節から22節を搭載します。

 

●11節.わたし自身のために、わたし自身のために/わたしは事を起こす。わたしの栄光が汚されてよいであろうか。わたしはそれをほかの者には与えない。

 

主はユダヤ人を救われる動機をここではっきりと述べておられます。
それは、「わたし自身のために」であり、「わたしの栄光が汚され」ないためなのです。

 

なぜならば、このままではユダヤ人を選ばれた神の御名が、栄光が、ユダヤ人が滅びることによって汚されてしまうからなのです。

 

 

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主の僕の使命(49章)

聖書の箇所は、49章1節から9節です。
イザヤ書の後半部分、40章から66章の中で、二つ目の大きな区切りになります。
49章からは、「主の僕の使命」ですから、救われるための手段というところでしょうか。

 

●1節.島々よ、わたしに聞け/遠い国々よ、耳を傾けよ。主は母の胎にあるわたしを呼び/母の腹にあるわたしの名を呼ばれた。

 

この「わたし」は、新改訳では、神やキリストであれば平仮名で「わたし」、そうでなければ漢字で「私」と記していますから、ここは神やキリストを指すのではなく、人間を指しているのでしょう。

 

「母の胎にあるわたしを呼び/母の腹にあるわたしの名を呼ばれた。」ですから、やはり僕は人間として生まれたということでしょう。
5節にも「イスラエルを集めるために/母の胎にあったわたしを/御自分の僕として形づくられた主は」とあり、イスラエルを集めるために御自分の僕として形づくられた」ということは、やはり、「僕」は人の子として、人間として生まれたのです。

 

 

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シオンの回復(49章)

聖書の箇所は、49章10節から26節、50章1節から3節です。
●10節.彼らは飢えることなく、渇くこともない。太陽も熱風も彼らを打つことはない。憐れみ深い方が彼らを導き/湧き出る水のほとりに彼らを伴って行かれる。

 

この10節の描写は、ヨハネの黙示録7章16節で「彼らは、もはや飢えることも渇くこともなく、太陽も、どのような暑さも、彼らを襲うことはない。」と引用されています。

 

ここは天の御国で主に仕えている人々についての描写です。
大患難時代に殉教した聖徒たちが、天において害を受けることがないという慰めです。

 

 

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主の僕の忍耐(50章)

聖書の箇所は、50章4節から11節です。
●4節.主なる神は、弟子としての舌をわたしに与え/疲れた人を励ますように/言葉を呼び覚ましてくださる。朝ごとにわたしの耳を呼び覚まし/弟子として聞き従うようにしてくださる。

 

「主の僕」は、イエス・キリストを指していると書きましたが、「弟子としての舌」とか「疲れた人を励ますように」も神の言葉を預かるイエス・キリストを指すのでしょう。社会から疎外された人々とともに歩まれましたからね。

 

マタイの福音書11章28節のイエスの言葉を読むとそのように思います。
なお、僕は、「弟子としての舌をわたしに与え・・疲れた人を励ます・・弟子として聞き従う」ですから、神から学ぶ者、弟子と同じようになり、疲れた人のそばにいて、自分を低くし、神に聞き従う者となったのです。

 

 

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シオンへの帰還(51章)

聖書の箇所は、51章1節から16節です。
●1節.わたしに聞け、正しさを求める人/主を尋ね求める人よ。あなたたちが切り出されてきた元の岩/掘り出された岩穴に目を注げ。
●2節.あなたたちの父アブラハム/あなたたちを産んだ母サラに目を注げ。わたしはひとりであった彼を呼び/彼を祝福して子孫を増やした。

 

「わたしに聞け、正しさを求める人/主を尋ね求める人」は、「わたし」は神、「正しさ」は神の義、そして主(創造主)なる神を求める人は、「あなたたちが切り出されてきた元の岩/掘り出された岩穴」ですから、イスラエルの民は、自然発生的に形成された民族ではなく、主がイスラエルの父祖アブラハムを主の召しによって選ばれ、主が導き、育てられた民族だということでしょう。

 

「あなたたちを産んだ母サラに目を注げ。」は、イスラエルの先祖ヤコブの父はイサクです。イサクは、イスラエルの父祖アブラハムが100歳の時、そして妻サラが90歳の時に生まれた子供です。その時サラは、もう自分には子を宿す力がないことを知っていましたが、たとえ不可能に思える事でも、主が約束されたので信じました。

 

 

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