イスラエルの贖い(44章)
聖書の箇所は、44章21節から23節です。
●21節.思い起こせ、ヤコブよ/イスラエルよ、あなたはわたしの僕。わたしはあなたを形づくり、わたしの僕とした。イスラエルよ、わたしを忘れてはならない。
「ヤコブよ/イスラエルよ、あなたはわたしの僕」ですから、(イスラエルの先祖ヤコブは自分で造った神を拝んでいるのではなく、自分を造られた神を拝んでいるから、「あなたはわたしの僕」ということでしょう。
だが今は違う、「わたしを忘れてはならない。」ということでしょう。
●22節.わたしはあなたの背きを雲のように/罪を霧のように吹き払った。わたしに立ち帰れ、わたしはあなたを贖った。
場面が変わり、「わたしはあなたの背きを雲のように/罪を霧のように吹き払った。」と、すでに起こったこととして過去形で書かれているのは、それは必ず実現するからです。
「あなたを贖った。」、つまりイスラエルの罪が完全に取り去られる預言でしょう。
そして、だから、「わたしに立ち帰れ」ということでしょう。
これは私たち異邦の全人類にも言えることでしょう。
キリストの十字架で、あなたの罪は「わたしはあなたを贖った」のだから、悔い改めてわたしに立ち返れ、と呼び掛けておられるのです。
●23節.天よ、喜び歌え、主のなさったことを。地の底よ、喜びの叫びをあげよ。山々も、森とその木々も歓声をあげよ。主はヤコブを贖い/イスラエルによって輝きを現された。
「主はヤコブを贖い/イスラエルによって輝きを現された。」ですから、主によってイスラエルが悔い改め罪が贖われたとき、「天よ、喜び歌え」ですから、「地の底」、つまり、自然界に爆発的な喜びをもたらすのです。
このことが実現するのは、やはり、終わりの日の千年王国においてでしょう。
その様は、イザヤ書44章の神の選ばれたエシュルン(3節から5節、イスラエル)に対してなされた主の約束を指すのでしょう。
それは、「わたしは乾いている地に水を注ぎ、あなたの子孫にわたしの霊を注ぎ、あなたの末にわたしの祝福を与える。彼らは草の生い茂る中に芽生え水のほとりの柳のように育つ。ある者は「わたしは主のもの」といい、ある者はヤコブの名を名乗り、またある者は手に「主のもの」と記し「イスラエル」をその名とする。」です。
この「ある者」とは、ヤコブ(エシュルン)の仲間となる者たちのことで、イスラエルに接ぎ木された者たちのことで、ユダヤ人と異邦人(ある者)とが共にキリストにある相続財産(祝福)を受けることが預言されているのでしょう。
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