ゼファニヤ書前置き
旧約聖書には、預言書は、大預言書が5、小預言書が12ありますが、ゼファニヤ書は小預言書のひとつで、捕囚期前の預言書です。
「ゼファニヤ」と表記される預言者の名前の意味は、「主が隠される」、あるいは、「主が隠し、秘め置いている事柄」だと言うことです。
それは同時に、主が隠された事柄が、主を尋ね求める者によってのみ開示されることを示唆しているとも考えられています。
「預言者ゼファニヤ」は、「主の日」に主がなそうとしておられることを当時の南ユダ王国(首都エルサレム)の人々に語り伝えました。
時代背景は、預言者ゼファニヤは自分の系図を開示し、5世代前まで遡って明らかにしています。
ヒゼキヤ(善王)―マナセーアモンーヨシヤ(善王)です。
4世代前は、ヒゼキヤ(1章1節)ですから、自分が「ヒゼキヤ」という南ユダの王の系譜にある者であることを伝えたかったのでしょうか。
ゼファニヤは、ヨシヤ王の時代に南ユダ王国で活躍した預言者です。
「ユダの王アモンの子ヨシヤの時代」(1節)の時代です。ヨシヤの治世は紀元前640年から609年です。
ゼファニヤ書が著わされたのは、その内容から、ヨシヤ王が徹底的な宗教改革を行う紀元前622年よりも前、630年ごろのことではないかと想定されています。
マナセとアモンは悪い王であったようで、特にマナセ王の時代55年間にわたる親アッシリヤ政策に対して、預言者は真っ向から反発し、非難の声を上げたそうでした。
預言者の反発に対し、マナセは弾圧政策をもって報い、その弾圧は徹底して行われ、預言者たちだけでなく、偶像礼拝に身を汚すことを拒絶した者たちも同様に弾圧されたと言われています。
父ヒゼキヤの宗教改革を完全に覆して背教の道を進んだマナセの悪行は、息子のアモンにも受け継がれ(僅か2年の治世)、マナセの孫であるヨシヤ王の賢明な宗教改革によってしても、その後遺症からユダ王国を救い得なかったほどでした。
この時(ヨシヤ王の治世の初期)に王族の身内であるゼファニヤが北イスラエルはすでに滅び、南ユダ王国もやがては滅びることになると、主の裁きと悔い改めの言葉を語ったのです。
ゼパニヤ書の構造は以下の三つの部分からなっています。
(1) 南ユダ王国の首都エルサレムに対する裁きの宣告と悔い改めの勧告(1:1~2:3)
(2) 諸国民(異邦人)の滅亡の宣告(2:4~3:8)
(3) 異邦人とエルサレムに対する回復の預言(3:9~20)
最後に、小預言書のオバデヤ書、ナホム書、ハバクク書、ゼパニヤ書は、みな小預言書ですが、そこ預言の内容を纏めておきます。
(1) オバデヤ書・・ヤコブの兄エサウの系譜にあるエドムの裁き
(2) ナホム書・・・アッシリアとその首都二ネベに対する裁き
(3) ハバクク書・・南ユダ王国(エルサレム)に対する裁きと破滅からの回復
(4) ゼファニヤ書・・南ユダ王国(エルサレム)とその周辺諸国に対する裁き
このように南ユダ王国の周辺諸国に対する神の裁きは、すべての「反ユダヤ主義」に対する裁きです。
その裁きは「主の日」になされますが、その「主の日」が真に意味するのは「終わりの日」、すなわち、メシア王国の実現の時、その日の型を示唆していると思います。
「主の日」とは、ギリシア語で「カイロス」です。
意味は、横に流れる時間の流れの中に、突然、上から介入される神の訪れを意味します。その日には、審判と回復とがコインの表裏のように同時に起こるのです。(ヨハネの黙示録)
このような神の啓示には「一般啓示」と「特別啓示」とがあり、自然界と歴史における啓示は「一般啓示」で、そして御子イェスにおける神の啓示は「特別啓示」となります。
啓示、すなわち預言には、すでに実現した預言もありますし、これから起こる預言もありますが、最終的には「終わりの日」が来るまでは分かりません。
ですから信仰が必要だと言うことでしょう。
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