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2022年5月11日 (水)

神の霊の降臨(ヨエル書を読む)(3章)

聖書箇所は、3章1節から5節です。
●1節.その後/わたしはすべての人にわが霊を注ぐ。あなたたちの息子や娘は預言し/老人は夢を見、若者は幻を見る。

 

原語では「すべての人」は「異邦人」を意味し、複数形だと言うことです。
ここは、「諸々の民」「万国の民」「遠くの民」とも訳されているそうです。

 

●2節.その日、わたしは/奴隷となっている男女にもわが霊を注ぐ。

 

「すべての人にわが霊を注ぐ」と、主は強調されています。
旧約時代には、選ばれた預言者、祭司、義人、また聖徒にのみ御霊を注がれました。
新約時代では、使徒言行録2章で、彼らが屋上の間で祈っている時に、五旬節の満ちた日に、ご聖霊が火の舌のような形で降りてこられて、彼らがご聖霊に満たされて、外国の言葉で神を賛美しはじめました。

 

そして世界中から来ていたユダヤ人の巡礼者らが、自分の地方の言葉で彼らが神を賛美しているのを見て、驚き怪しみました。
ペトロは、ヨエル書の預言3章1節から5節を引用して読みます。

 

聖霊降臨は、イスラエルに代わり、「すべての人にわが霊」が注がれ、教会時代の始まりを告げ、主の日当来の預言は、7年間の艱難時代の到来を預言するものでしょう。

 

 

●3節.天と地に、しるしを示す。それは、血と火と煙の柱である。
●4節.主の日、大いなる恐るべき日が来る前に/太陽は闇に、月は血に変わる。
●5節.しかし、主の御名を呼ぶ者は皆、救われる。主が言われたように/シオンの山、エルサレムには逃れ場があり/主が呼ばれる残りの者はそこにいる。

 

「主の日」は、ヨハネの黙示録では艱難時代ともいわれ、人類は過去になかった困難に直面する破滅的出来事なのですが、それで終わるのではなく、この出来事のもう一つの面として、それは神による「すべての人に対する霊の注ぎ」が約束されていますので、同時に、人間の罪によって断絶していた「神と人との関係」が、「霊の注ぎ」という出来事を通して、いわば「解消される」のです。

 

そして、イスラエルを用いて始められた、神の人類救済計画が完成するのです。
また、「主の日」は、この世界の「終わりの日」であると同時にメシア・キリスト再臨によってメシア王国(1000年王国)が到来の前、神の民イスラエルの究極の救いがなされる前に、神の民の矯正のために神が用いられた反キリストの軍勢がヨシャファトの谷(4章12節)に集められて、神のさばきがなされることが記されています。

 

なお、反キリストという語彙は、ヨエル書には出てきませんが、諸国の民をまとめる神に逆らう者たちのリーダーがいるはずですからその者を指すと思います。

 

また、ある解説には、ヨシャファトの谷(オリーブ山と神殿の丘の間にあるケデロンの谷のこと)における神の反キリストの裁きの戦いには、神の民は参戦しなかったとありました。

 

なぜならば、イザヤ書63章3節に「わたし(神)はただひとりで酒ぶねを踏んだ」とあるからです。
だから、すでに携挙されて朽ちない栄光のからだを与えられたキリストの花嫁もメシア・キリストと共に地上に来ますが、この「ヨシャファトの谷」における戦いを神と反キリストの戦いで、見ているだけだと言うことです。

 

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